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3-38 そして王女は死んだ(1)

side マクシミリアン

 ヴァレンティン大公家公女リディアーヌ・アンネレット・ジェム・ド・ヴァレンティン。

 一度として聞いたことのなかった同じ選帝侯家の公女の存在を知った時、“どうせ裏が有るのだろう”と察した。だがそんなことよりも、彼、マクシミリアンがリディアーヌに抱いた印象はただの一つ。何て美しい少女だろうという、そんな関心だった。

 ザクセオンというだけで当たり前のように親しくなった友人の、お小言ともいえそうないつもの雑談を聞き流しながら、つまらないな、なんて窓の外を眺めていて、ふとその視線が引き付けられた。

 眩い太陽の下に突然ぽっかりと輝いた夜の月のような白金の髪。ふとこちらを見上げた夜空の星のような金色の瞳。乏しい表情の中に孕んだ憂えを帯びた眼差しと、同年代とは思えないほどの達観した雰囲気。それは人に対する感想というより、ふと見た湖に移りこんだ水面の月に見惚れる様な、そんな感嘆だった。


 彼女が少し神経質なほどに他人との接触に脅えている事にはすぐに気が付いた。

 これでも、親類兄弟が多い大公家の嫡男だ。それが“どういう経験”のせいで出て来る表情なのかは、知っていた。

 だから気になった。

 これまで一度も聞いたことのない、大公家の公女の名。つい先頃()(ほう)が伝えられたベルテセーヌの悲劇の王女と同じ名前、同じ年頃の、陰のある少女。

 当然、“いや、同一人物でしょ”なんて考えは真っ先に頭をよぎったけれど、それをそうと認められなかったのは、そうではない証拠が揃いすぎていたせいでもあった。

 皇帝クロイツェン七世の凶行のことは知っていた。幼くとも選帝侯家の嫡子。かつて祖父が『なんという愚かな真似をしてくれた!』と激高しながら、皇帝戦の直後、突如として隠居し、誰一人として面会を許すこともなく孤独死したことを知っていた。

 だからもし彼女が悲劇の王女であったなら、父や皇帝が何もしないはずがない。少なくとも自分に何も言わないはずは無いと思っていたのだ。

 そして王女の死には多くの裏付けがあった。王籍簿に確かに刻まれているという死。その葬送に参列したという父の話と、二人の兄姉を失った幼い公女が、父親の足元に縋りついて涙をこらえていたその様子まで。

 そして父は確かに言った。


『ヴァレンティン大公があの子を引き取ったのは、王子と王女の面影を見たせいだろう』


 そうか。だから似ているのか。それは仕方がない――。

 あぁ。一体どうして自分はあの時、その引っ掛かりを問い詰めなかったのか。


  ***


「私は、リディアーヌ……リディアーヌ・アンネレット・クリスティナ・ド・ベルテセーヌ。ヴァレンティン大公の姪で、ベルテセーヌ先王クリストフ二世アンベールの長女、先王妃アンネマリーの娘」


 言葉も絶え絶えに、必死にこらえ続けてきたであろう言葉を囁いた最愛の友人を抱きしめる資格が、どうして自分にあっただろうか。


「皇帝クロイツェン七世に両親を殺された、墓の下の王女」


 じっとこちらを見つめる不安そうな瞳が、雄弁なまでに不安の理由を語っていた。

 あぁ……なんという愚かなことを言ってしまったのか。

 どうしてリディアーヌがそれを打ち明けてくれなかったのか。それは、マクシミリアンの方がよく分かっていたはずなのに。


「ミリム……」


 不安そうな声色が何を確認したいのか、聞かずとも分かっていた。

 分かっていたけれど……それを聞くのが怖い。


「ねぇ、ミリム。それを聞いても貴方は……私のことを、知りたいと思う?」


 リディアーヌが胸に秘めてきた言葉とは、何であろうか。

 憤懣(ふんまん)憤激(ふんげき)憤怒(ふんぬ)憤慨(ふんがい)。それとも怨恨か、あるいは憎悪であろうか。


 クロイツェン七世を擁立したのは、ザクセオンだ――。



「っ……」


 だけど私はそれを知らねばならない。知らなければ……きっと、これより先、永遠に彼女を繋ぎ止める機会は訪れないのだ。


「知りたい……教えて欲しい、“リディアーヌ王女”。君が一体この七年、何を思い、何を感じていたのか。どれほどの思いで、私達といてくれたのか。私はそれを、知らねばならない」


 その言葉に少し切な気に微笑んだリディアーヌは、マクシミリアンをテラスの隅の椅子に誘った。

 庭に灯りは入っていない。

 部屋の明かりだけが頼りの薄暗いその場所は、きっと複雑な感情を少しでも隠すための、必要な(とばり)だったのだろう。


  ***


「何から話したらいいのか……貴方達が何を知っていて、何を知らないのか」


 言葉に悩むリディアーヌに、「私達が初めて出会った日の事を覚えている?」と声を掛けたのは、こうして向き合って座っていることに、郷愁を覚えたからなのかもしれない。


「忘れるはずがないわ。二階の窓から聞こえた綺麗な帝国語と、学内の案内をしてくれていただけの聖職者に不貞の疑いをかけた貴方達の不謹慎な発言」


 思わず表情を崩したマクシミリアンは、少し懐かしそうに肩を揺らした。

 でも今になって思えば……到底、こんな風に笑っていられる状況ではなかったのだと思い知る。


「あの頃は、あまり他人に興味がなかったわ」


 それについてはよく知っていた。他でもない彼女の視線と態度が、それを雄弁に語っていたからだ。だがそんな彼女を自分達と結び付けてくれたのは、恐らく彼女のことをよく知っていた人……アルセール先生だった。


「私があの学校に通うことになったきっかけは皇帝陛下だったから、私は“皇帝の孫”とやらを随分と警戒していたのよ」

「イメージとは大分違ったんじゃない?」

「そうね……あの時本当は少しだけ、貴方達を羨ましく思ったの。私はあの学校に、もしかしたら昔在学していた“お兄様”の面影があるかもしれないという期待を持っていたから」

「……その悲劇の王子の死を聞いたのは、リディアーヌが転入してくる前だった。あの時は、公子は大公の養子だから、リディの義理の兄のことなのだと。君も、そのことを口にすることは無かったから、その程度の関係なのだとばかり思っていたよ……」


 でもそうじゃなかった。


「ヴァレンティン大公が養子に迎え大公家の後継者として周知していた人物は、大公の姉の遺児。それはつまり、七王家の一つ、ベルテセーヌ王室に嫁いだアンネマリー王妃の子で、ベルテセーヌの正統な王位継承者のことだ。でも王子殿下に兄弟は一人しかおらず、その妹君は兄殿下と一緒に“亡くなった”のだと聞いていた。でも……」

「ええ。その“亡くなったリディアーヌ王女”が、私よ」


 改めてそう告げたリディアーヌに、マクシミリアンは一度硬く口を引き結んだ。


「そういう可能性はね……まぁ、考えなかったわけじゃないんだ」

「いつから?」

「最初もそうだったけれど……でも今回の一件があってからも。でも普通、かつて皇帝という地位に最も近いとされていた先代ベルテセーヌ王の嫡女の死が“偽装”されているだなんて考えない。王女殿下の死は皇帝陛下が認めたものなんだから。なのにその皇帝肝煎りの孫であるアルトゥールがそれを知らないとは思わないじゃないか。うちの父も……何も、言ってはくれなかった」

「皇帝陛下とはそういう取り引きをしたの。陛下にとっても、“リディアーヌ王女”は邪魔な存在だったから」

「だから君は、自分を殺したというの? そんなこと……」


 悲劇でしかない。

 そう思っているのに……何故彼女はそんなにも優しい顔で、私を見るのだろうか。私はきっと彼女に、とんでもなく無神経な言葉を沢山告げたはずなのに。


「長い話を、しましょう。とても恵まれた家族の元に生まれた王女の、同じほどに数奇で残酷だった人生の話を――」


  ***


 そうしてリディアーヌは、“リディアーヌ王女”の話をしてくれた。

 何憂えなく、次期皇帝の有力候補として見られていた国王の元に生まれた第一王女。誰かに裏切られることも、突然の不幸が訪れることも何一つ考えやしなかった、幼い日々。そしてそれを一瞬にして突き崩した、両親の死。

 六歳という幼さでその身に降りかかった不幸は、彼女から両親だけでなく故郷すらも奪った。そのすべてのきっかけとなった、皇帝戦。

 それからの歴史のことは、知らないはずがなく。だがそれを知っているというには、あまりにも受け入れがたかった。

 リディアーヌは、過去を語る中で、王女もまた大公家の養女として一度は引き取られたのだと言った。だがマクシミリアンの知っている歴史はそうじゃなかった。

 王女は王子とは違いベルテセーヌに残り、そして……。


「元王女は、“聖女”という称号を持っていた。それはベルテセーヌの王室において、正統性という意味で重要なものだったのよ」

「だから、王位を簒奪した男の息子と“結婚”した?」


 それが、このリディアーヌの事だというのか。

 愁えを孕んだ眼差しで、静かな恨みを湛えたまま言葉を紡ぐ彼女の真実だと。色恋なんてものにとんと無頓着で、もどかしくなるくらい疎い彼女の現実であったと。

 だとしたらそれは、一体どれほどの幼い王女の決意だったというのか。


「別に、ベルテセーヌに未練があったわけじゃない。でも私の決断は早かったわ。父が、母が、そして兄が、どれほどベルテセーヌという国を愛していたのかを知っていた。兄があの国に恋焦がれていることを知っていたわ。だから帰ることのできない兄の代わりに、私が戻ることにしたの。正義感や義務感じゃないわ。ただベルテセーヌに帰って、いずれ“王妃”と呼ばれる地位に着いたなら……そしたらまた幼い頃のような、幸せな家族の時間が戻ってくるんじゃないか、だなんて。そんな、甘っちょろくて、幼すぎる理想を抱いてしまったの」


 彼女はそう言ったけれど、一体この世の何人が、そんな決断をできるだろうか。

 たとえそこに失った暖かい記憶があったとして、今その手元にあった優しさを手放すのがどれほど惜しむべきものであったのか。

 最も家族の愛情を必要としていたはずの少女は、その頃からもう、愛情よりも矜持を求める、孤独な王女だったのだ。

 どうして……どうして誰も、それを止めてはくれなかったのか。

 いや、止めたのだろう。当たり前だ。彼女を愛する皆が、それを止めたはずなのだ。


 それでも彼女を突き動かしたのは、きっと……“玉座”だ。

 父が手にするはずで手にできなかったもの。幼い彼女はおそらくその目で、手から零れ落ちたその至宝について口さがない言葉を喚く大人達の姿を見ていたはずだ。王を守ることのできなかった選帝侯を咎める言葉を。お前などには任せておけないと王女を人形のように奪い合う王侯貴族の喧騒を。

 リディアーヌは、人一倍(ふところ)に入れたものへの愛情が深い人だ。きっと彼女は、両親を失った自分達を受け入れ、慰めてくれたヴァレンティン家への()(ぼう)を、黙って受け入れることはできなかっただろう。

 そう……彼女はそういう、悲しいほどに強すぎる人なのだ。


「そうはいっても……私は十歳だったのよ。流石に“彼”も、私がその決断をしたことには随分と戸惑っていたようだったわ。だからリュスは……」


 一瞬口を噤んだリディアーヌはぎゅっとこぶしを握ると、新ためて、「リュシアンは」と、その名を呟いた。


「私に、王太子妃としての役目なんて何も求めなかったわ。いいえ……むしろ私のお父様とお兄様を重んじていた彼は、終始、私に対して“臣下”として振る舞い続けたわ。自分が簒奪者の王太子であることを、誰よりも恥じている人だった……」

「……」

「結婚式の前夜、彼は言ったの。自分が王になるんじゃない。貴女が王であるべきなのだと。どうか自分を利用して、貴女が玉座を取り返して欲しい、って。そういう、人だった」

「……だが」

「……ええ。そう。だけど」


 マクシミリアンの知る歴史では、その“リュシアン王子”が、エドゥアール王子とリディアーヌ王女を殺したのだ。


「私達は本当に……本当に穏やかに、話をしていたの。お兄様はまだ私の結婚に反対的だったから。それでも話をして、納得して、理解し合おうとして。そう、できるはずだった。でもその結果が……」


 リディアーヌの目の前で起きた、兄の毒殺だった。

 絞り出すようにしてそのことを告げるリディアーヌに、たまらずその手を握りしめた。

 何てことないと言わんばかりに淡々と話して見せながら、その実、手は恐ろしい程に冷え切っていて、小刻みに震えていた。

 そうだ。リディアーヌは“義兄”と“義姉”の死を、“オリオール家のせいだ”と言っていた。だとしたらそれは……。


「冤罪……?」

「……えぇ。あの時の私は幼なすぎて、目の前で起きた事件をどうこうできる気力なんてものもまったくなくて。でも今なら分かるわ。彼じゃない……彼であるはず、ないのよ――」


 それは深い深い後悔と。そして、悩みに満ちた呟きだった。


「叔父様が……ヴァレンティン大公が私をあの忌まわしい断罪の場から連れ出してくれた時、去り行く道でブランディーヌを見たわ。赤い唇が、隠しようもないほどに笑っていた。隣に幼い娘を連れて、“厄介者”が誰もいなくなった断罪の場所に入ってゆくのを見たわ。ヴィオレットがクロードの婚約者になったのは、そのすぐ後のことよ」

「……だから君はオリオール侯爵夫人を、殺したいほどに憎い、と……」

「証拠がないの。だから私も、叔父様も……セザールも、どうしようもなかった。でも考えれば分かることだわ。お兄様を死なせ、あるいは私をも殺そうとしていたその砂糖が、どうやってあの場所に流れてきたのか。どこから、どう辿ってテーブルに置かれた物だったのか。リュスはね……甘いものが、全然駄目なの。果物さえ酸っぱいものしか食べないのよ。そんなリュスの宮に砂糖を贈ろうだなんて考える人も、それが毒見もされずに私に供された理由も……少し考えれば、誰にだって分かることだわ」


 そして彼女達も、贈った砂糖を口にする可能性があるのが誰なのかは、最初から知っていた。


「ブランディーヌは自分が王籍簿に名を乗せるために……自分の娘を王太子妃にするために、私の権威を貶めねばならなかった。お兄様はそれに巻き込まれてしまっただけよ。最初から目的は、リュスと私だった。お兄様は、ヴィオレットのために死んだ。ヴィオレットをベルテセーヌの玉座に(いただ)かせるために、殺されたの」


 ようやく分かった気がする。リディアーヌのヴィオレットに対する過剰なまでの拒否感が何であったのか。

 確かに、ヴィオレットというのは到底褒められた皇太子妃ではない。だが愚かとは思っても、憎らしいと思うほどのことではなかった。そんな感情すら、湧いてこなかった。

 だがリディアーヌは違った。リディアーヌは最初からヴィオレットを拒絶していたし、それでもなんとかアルトゥールとは疎遠になりたくなくて、距離を置こうとしていたくらいだ。それなのに一方的に距離を詰めてこられた上に、リディアーヌを王女と呼んだり、リディアーヌの幸せを勝手に押し付けたり。

 あぁ……今更ながら、ふつふつと怒りがこみあげてくるようだった。


 どうしてもっと早く……リディアーヌを、抱きしめてあげられなかったのか。






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