1-5 議会報告(3)
「それで、何ですって? あのお客様は、私とトゥーリの……私の“友人”であるアルトゥール殿下との仲を疑っていらした使者ですの?」
「いや、違う。そうじゃない!」
「では何のために、臣下の居並ぶ前で娘に不貞の疑いをおかけになったんです?」
「ち、違う! 違うぞ! ただ皇帝が……」
「皇帝“陛下”が?」
「陛下……が、お前と殿下の噂はカレッジでは良く知られた話で、知らぬのは親ばかりだ、などと言うから……」
「ええ、良く知られた“友人関係”ですわね。多少男女の垣根が甘くなっていたせいでよからぬ噂が広まっていたことは認めますが、逆に異性であることを意識せず、純粋に学問を楽しんでいたが故の距離感です。私と二人の関係は叔父様もご存じでしょう?」
「そのつもりだったが……お前、本当にアルトゥール殿下とは、何もないんだな? その、密かに将来を誓ったりなどした覚えも……」
「ございませんわ」
「では、カレッジ時代にうっかり若気の至りを致したなどということも……」
「ございません」
流石に眉間が寄った。
よもや友人との仲を不埒な方向で疑われようとは心外だ。
そもそもリディアーヌはまだ十分に若い。子供の過ちと言われるならまだしも、若気の至りだなんて失礼な。いや、子供の過ちも犯してないけど。
「ならいい」
「ならいい、ではなく。一体今更、どうしてそんな話になったんですの? しかも本人も知らぬところでそんな噂をされるだなんて」
確かにカレッジの卒業を期に、アルトゥールとマクシミリアンからは正式な求婚状を受け取ったが、それは儀礼のようなものであった。
求婚を断る旨の対応は家長であり養父である叔父が行なったので知らないはずはないのだが、何故三年もたった今、そんな話が出てきたのだろうか。
「なぜと言われたら、こっちが聞きたいくらいだ」
何とも解決しない返答に、リディアーヌも困ってしまった。叔父に察しがつかないのであれば、議会に参加していたわけでもないリディアーヌにはもっと判断し難い。
だが二人が困り果てていると、ふむ、と唸ったアセルマンが口を挟んだ。
「まぁ、そろそろ我らが公女殿下もご結婚してよいお年頃。聞けばあちらの皇太子殿下も未婚のまま。周囲がしびれを切らし始めてもおかしくはございませんな」
「それは……まぁ」
確かに、言われてみればそうかもしれない。
リディアーヌも最近は臣下達からその手の話をされることが増えたし、当然同い年なのに浮いた話の一つも聞かない友人達の周りにも、その手の話はあふれているはずだ。
何が原因かは知らないが、すべての貴顕の集まる帝国議会の場で、そういえばかつて噂になった彼らはどうなっているのかと話題にでもなったのだろうか。それを聞きつけた皇帝陛下が、ここぞとばかりに話を膨らませて強引にリディアーヌを嫁がせようと画策しているとか。
何故今このタイミングなのかと甚だ疑問ではあるが、有り得ない話ではないか。
「だからって、娘に不貞の疑いをおかけになるなんて酷いではありませんか」
「皇帝と皇王にとっつかまって、延々と娘と学友の睦まじすぎる青春エピソードを聞かされまくったんだぞっ。おかしくもなる!」
「せいしゅ……」
一体何を聞かされたのか。多分、ものすごく脚色された内容だと思うのだが。
「リディ、もういっそ来年からは君が大公代理として議会に出るのはどうだろう」
「馬鹿なことを言っていないで。それで、使者の用件は何なんですの?」
ハァとため息を吐く叔父は、とりあえずリディアーヌの淡泊な対応にひとまずの安心をしたらしい。少しばかり顔色が良くなったように思う。
「リディに直接事実確認をしたいそうだ」
「そんなことでいらしたの?」
「……」
まぁ、そういう名目でリディアーヌを懐柔しにでも来たのだろうけれど、叔父がいつものように鉄壁で突き放すこともなく連れ帰ったというのはおかしな話だ。
「叔父様ったら……私が本当に“クロイツェンの皇子”なんかと、どうこうなると?」
「……リディ。私は君にまで、私のつまらない復讐心を引き継がせるつもりはない」
「つまらないだなんて」
困った叔父だ。でもそういう身内にだけ見せる詰めの甘さが、昔から少しだけ心地よくもあった。
「叔父様。アルトゥールは私の友人よ。受け入れ合える意見も受け入れ合えない意見も、真っ向から語り合って楽しむことができる、才ある友よ。それはきっと永劫変わらないわ。けれどクロイツェンとフォンクラークの王がかつて私から両親と故郷、はては未来まで奪ったことも、私の事実よ。叔父様だけの事実ではないわ」
「……あぁ」
「もしアルトゥールがクロイツェンの皇子の肩書きを捨てられるというのであれば受け入れるけれど、そんなことはあり得ない。それと同じように、私がクロイツェンの籍に名を刻むようなことは絶対にありえない。そんなの、吐き気がするわ。これは叔父様のためでも両親のためでもなく、私の真実よ。忘れないで」
「……分かった。すまなかった、リディ」
いいや。すまないことなど何もない。叔父は少しだけ、優しすぎたのだ。
「それにしても、皇帝陛下には困ったこと……」
リディアーヌを自分の孫に嫁がせようだなんて、無謀にもほどがある。それがどれほど非現実的なのかは、当人が一番よく分かっているはずなのに。
「まぁ次期皇帝選の事を考えれば、ヴァレンティン選帝候家の娘を手中に入れておきたい気持ちは分かりますけれど」
「あるいは“聖女”の肩書きかもな」
「はぁ……それもありましたわね。まったく」
「そもそも皇帝がリディアーヌにカレッジへの入学を勧めた時から疑っていた。後にアルトゥール殿下から届いた求婚状に、クロイツェンの皇王ではなく皇帝が自ら証人として名を綴っていた時にはさすがに私も驚いたが、肩書き抜きにも、君は皇帝に気に入られたんだろう」
「学校で親しくしていることも知っていたでしょうから、まさか断られるだなんて思っていなかったでしょうね。とてもいい気味だわ」
「同感だ」
あけすけに感想を述べていたら、アセルマンにゴホンッと咳払いで窘められた。
いかんいかん。叔父につられて、本音がだだ洩れてしまった。
「皇帝陛下には、過去の恨みを捨てて若い二人の願いを叶えるように、といった話をされた。見え透いた魂胆に始めは聞く耳など微塵も持っていなかったのだが、あまりにも具体的に君達の睦まじい話をされるせいで、リディが私に遠慮をしているのではという気になったのだ……が」
まだ不安なのだろうか。歯切れの悪い口調だったが、それには淡泊にため息をついてさしあげた。
「叔父様がそんな妄言に踊らされるだなんて珍しいこと。私、感情より理性を愛していますの」
「それはそれで、娘を持つ親として言葉がないのだが?」
育て方を間違えたのか? なんていっている叔父にはくすくすと笑っておいた。
とりあえず、事情は分かった。使者がリディアーヌを説得させようとやって来ただけなら、何とでも言葉で言いくるめられる。
「陛下だって、私が国を離れるつもりが無いことはご存じでしょうに。ヴァレンティンという格式ある選帝侯家に跡継ぎが不足していることも陛下にとっては重大事だわ」
「それゆえの悪鼻姫だ……」
一瞬何のことかわからずにキョトリと首を傾げたが、すぐに気がついた。気が付いてしまった。
「っ、エリーザベト皇女殿下は私の“代替品”ですか?」
「皇帝に押しつけられたもう一つの厄介事だ」
なんてことだ。跡継ぎに困っているのが理由なら、代わりに成人女性をあげるからリディアーヌを寄越せ、という……そういうつもりでのエリーザベト皇女だったのか。それはつまり、体よくヴァレンティンからリディアーヌを追い出すための刺客ということじゃないか。
「前言を撤回いたします。私も、私をここから追い出そうと皇帝陛下が送りつけてきた相手をまんまと“義母”として受け入れて差し上げる気は毛頭ございませんわ」
「失礼にならないが、馬鹿にでもはっきり伝わる断りの文句を教えてくれ。私はそういうのは苦手だ」
「ええ、考えておきます」
あの手紙の香水臭さは紛れもない皇女自身の純然たるアピールだろうが、その裏で皇帝が糸を引いているとなれば話は別だ。リディアーヌとて叔父には良縁さえあれば是非結んでいただきたいと思っているが、皇帝の手駒に自ら降るような縁談は論外である。
「私の方も、陛下にお断りの書状でもしたためて使者に渡せば宜しいのでしょうか?」
「……いや、その。それは、だな……」
ごにょごにょと珍しく言葉を濁した叔父に、これは何かやらかしたのではと、自然とリディアーヌの顔に呆れの表情が過った。
「叔父様……七王家五選帝侯家居並ぶ議会で、今度は一体何をやらかして参りましたの?」
「いやっ、議会ではやらかしていない! あくまでも皇帝にッ」
「皇帝“陛下”に?」
「知ったことか。うちの優秀で可愛いリディアーヌには皇后の座も勿体ない……とか、その」
「私とトゥーリの仲を疑いながら、その場で暴言付きでお断りしたと? 叔父様、言葉と行動が矛盾していますわよ?」
「自覚している」
なるほど。態度では噂にしどろもどろしていながら、実際の皇帝との会談の場ではいつも通りの傍若無人っぷりでしっかり突き放してきたわけだ。なのに使者が付いてきてしまったというのは、自分で自分の言葉に後ろめたさを覚えて、もしリディアーヌが本当はアルトゥールに嫁ぎたがっていたらどうしようかと、引きはがせなかったからなのか。
呆れてしまうと同時に、つい口元が緩んでしまった。
相変わらず、娘に甘いお養父様だ。
「取りあえず、私のことを思って下さったようで有難う存じます」
「む」
「もしかしたらこの一件、ベルテセーヌの王太子の件もあって、私をベルテセーヌから引きはがしておきたい、といった思惑も絡んだのかもしれませんね。いつもの冷静な叔父様なら、すぐに気が付いたのでは?」
「……あ」
まったく考えも及ばなかったと?
もれなく、アセルマンが深いため息に頭を抱えた。
可愛がってもらえるのは嬉しいのだが、娘の話になると目の前が見えなくなってしまうこの悪癖はどうにかならないものだろうか。
「皇帝陛下はうちより多くの情報を持ってそうですわね。ベルテセーヌの一件に私が巻き込まれそうな予兆でもあったのか。こうなると叔父様が陛下の使者を引きはがさなかったのは正解ですわ。使者からもそれとなく情報を探っておきます」
「あぁ、頼む……それで、この機会にもう一つ相談しておきたい別件もあるのだが……」
先程までとはまた違った様子で言い辛そうにした叔父は、やがて絞り出すようにため息を吐くと、おもむろに頬杖をついた。
「アルトゥール殿下の件はともかく……君の、もう一人の友人は、どうしたものかな」
「ミリムが……何か?」
ふと、先日紙鳩にして飛ばした手紙の差出人のことを思い出した。
良い年をして結婚をしない、などと言われているリディアーヌやアルトゥールだけれど、それはもう一人の友人であるマクシミリアンも同じだ。むしろこれまで多少は縁談の聞こえのあったアルトゥールに対し、マクシミリアンときたら、日々リディアーヌにあんな無為な手紙を送るばかりで浮いた話を微塵も聞かない。そのせいで世間ではまことしやかに、リディアーヌが折れるのを待っているのでは、などと言われている。
「ミリムのそれは、自分のお眼鏡に適う女性を見つけるまでの風よけのつもりか何かなのではありませんか? 根が真面目なトゥーリと違ってミリムは平気で他人をそのように使いますもの」
「君はいつもそう言うがな……今回の議会ではザクセオン大公が、いい加減リディアーヌを寄越してくれと、ぐったりした顔をしていたぞ」
「それで、叔父様はなんとお答えになったんですの?」
「うちの可愛いくて優秀なリディを欲しがるなんざ頭が高すぎる、と」
「では解決ですわね」
それでいいのか? と頬を掻く叔父には、自分の胸に手を当てていただきたいと思う。
「我らが大公殿下も、姫様にかかれば形無しですな」
話がひと段落ついたのを見て取ったのか、傍観に徹していたアセルマンがそう言って叔父の後ろに立った。
ポン、と肩に乗せた手には見るからに圧がかかっており、『諸々しでかしたことへのお説教はお任せください』と言っているのがひしひしと伝わってきた。
うむ、後のことは頼もしい爺にお任せしよう。
「お話が以上でしたら、私はまだ晩餐会の準備を確認せねばなりませんから、これで……」
どんよりとお説教を受ける子供のような姿で項垂れている叔父がなんとも可哀想に見えるのだが、自業自得である。むしろ流れ矢を食らわぬよう、一刻も早くこの場を立ち去りたい。立ち去りたい……が。
「そういえば叔父様。私からも一つ、宜しいですか? フレデリクのことなのですけれど」
「うん? デリク?」
どうかしたのか? と心配そうに身を乗り出す叔父は、先程よりもはるかに真剣な顔をしている。この人は結構な子煩悩だと思うのだけれど、どうして自分の実子を持つ気が無いのだろうか。本当に不思議だ。
「件の皇女殿下はともかく、叔父様は今回の議会でもきっと大勢の女性に詰め寄られたことかと存じますが」
「嫌なことを思い出させるな」
やはりか。すでに良い年とはいえ、身綺麗にしていれば叔父はかなりの美中年だし、大公国国主兼選帝候という煌びやかな肩書も持っている。結婚するともれなく成人済みの娘と幼い息子が付いてくるとはいえ、それを差し引いたってお釣りがくるくらいの好物件だ。下手をすればそこらへんの若い王子公子よりも人気だろう。
それを煩わしがって邪険にしていてなお、何故か国外の貴婦人達には、クールだの、冷淡だけれどそこが良いだのと、不可解極まりない好評判なのだ。
「今更ママが欲しいだなんて言わなよな?! パパがいれば十分だよな?! な?!」
「その子煩悩、もっと別に生かせなかったんですの?」
本当に気になる。が、まぁそれはいい。
「取りあえず叔父様が今後もその気なのでしたら、そろそろフレデリクにちゃんとした公子としての立場を与えてはいかがですか? もうあの子も七歳です。カレッジに入る前に、ただの養子なのか、それともこの家の跡取りなのか。はっきりとさせておいた方が宜しいかと思うのですが」
「何を言う。今も昔も、デリクはこの家の立派な跡取りだぞ? リディが継いでくれるならそれでもいいが」
はぁ、と思わずため息が零れてしまった。叔父がそのつもりなのは存じていたが、少しくらいは真面目に考えて欲しいものである。いや、本人はいたって真面目なのだろうけれど、それにしたって軽すぎる。
「私は叔父様にいつ実子が出来てもいいようにと、デリクには謙虚さを持つよう教えてまいりました。ですが叔父様がそう仰るのであれば、臣下ではなく主君としての教育に切り替えて良いということですね?」
「ああ、それでいい。君が学んだように……エドゥアールが学んだように、教えてあげなさい。本来であれば、あの子は何憂うことなく“国主”となるべく育てられるはずだった子なのだからね」
「……ええ」
そうでしたね、と、か細い吐息を溢した。
両親を亡くしたのは幼い頃だったせいか、過去の生活はすでに現実味に欠けたもののように感じてしまう。だがもし、エドゥアールとリディアーヌの両親が生きていれば、今の日々はきっと随分と違ったものだっただろう。
けれど過去を恋しく思ったところで、取り戻せるものではない。兄の遺したあの子を、ただただ愛おしむだけである。
「ではフレデリクのためにも、叔父様からきちんと皆にそう伝えてくださいませ。できれば夏の社交シーズンの前には場を設けていただきたいですわ」
「わかった、考えよう。今更だと思うがなぁ」
そう言いつつも一応了承してくれたと見做して、「では」と今度こそ席を立った。
しょっぱなから随分な話を聞かされてしまったが、本当に大変なのはここからだ。
さて……ベルテセーヌにしても友人達にしても……今年は何やら、不穏な話でいっぱいだ。




