3-28 お披露目(3)
シンと静まり返った会場。
リディアーヌの足元にポツンと転がる花嫁の花束――。
「あ、あの……」
ヴィオレットが何かを言おうとしているが、リディアーヌはふっと顔をあげると何事もなかったかのように前を見据える。
リディアーヌは公女だ。大公代理としてこの場にいる。なのに皇太子妃の“下げ渡し”を有難くいただく理由なんてないどころか、よもやしゃがみこんでそれを“拾う”だなんて有り得ない。
それは皆分かっている。だが“皇太子妃の善意”を無視してこのまま床に放り捨てることもまた気まずい。そんな凍り付いた空気だ。
このどうしようもない空気を救ってくれたのはマクシミリアンと、うちの優秀な侍女だった。
「花に好かれたようだね、リディアーヌ公女。でも他の誰かからの花束なんて君は必要ないよね? 私が編み込んだジャサントでもう十分なはずだから」
そう髪に添えたジャサントの花を指先で撫でたマクシミリアンに、レディ達がたちまち顔を赤くして意識をそらした。それをいいことに、「ええ、そうね」とリディアーヌも笑みを浮かべて自分の髪を撫でる。
つい先程、面白がったマクシミリアンが自ら編み込んでくれた花だ。確かに、もう十分なくらい貰っている。
「姫様、こちらの花束は幸せを望んでいるお嬢様方にお配りしては如何でしょうか」
さらにはさっと腰を折ってブーケを拾い上げたマーサがニコリとレディ達に微笑んだ。
主人の代わりに主人の元に届いたものを拾い上げたスマートな所作は勿論だが、マーサはいかにも若妻といった雰囲気があるから、レディ達も羨望しやすい。
「そうね、そうしてあげるといいわ」
だから後のことはマーサに任せて頷いて見せたなら、マーサが丁寧に花束を結っていたリボンとレースを解き、「可愛らしい貴女達に妃殿下からのおすそ分けだそうですよ」と抜き取った花をそれぞれのドレスや髪の色なんかに配慮しながら一本一本配り始めた。二、三人に配ると、あとは察したらしい出来のいいレディが「私が」と受け取り、皆に自分で持っていくよう促した。
こうしてスマートに片付いた現場に、まだヴィオレットだけが少しおろおろとしているようだったけれど、リディアーヌはそんなヴィオレットと目が合わぬよう、早々と背を向けた。
はぁ。最後の最後まで不愉快だった。
そうすればこの“ブーケトス”なる妙なイベントも終わったも同然だ。リディアーヌはその余韻に浸る気も毛頭なく、たちまち目に付いたセザールを見やり、「そういえばミリムへの紹介がまだだったわね」と声を掛けた。
場の雰囲気を無視した発言ではあったけれど、もとよりマクシミリアンもリディアーヌとコソコソ話していたセザールの方が関心深かったようだ。待っていたよ、とばかりに一緒になって振り返った。
流石にまだ皆、中央に注目をしているから少し目立ったが、気にしない。
このあとは隣室に設けられている会場へと誘われて行き、その間にヴィオレットはお色直しに退席することになる。ヴィオレットが戻ってくるまで祝宴は始まらないから、軽食などが振舞われながら、祝宴の始まりを待つのだ。そしてその間はこうして誰かに誰かを紹介したり、先のお披露目についての雑談を交わしたりするような、そういう場になる。
相変わらず選帝侯家はこの場でも目立つ。それを承知で、暗にベルテセーヌを貶めたヴィオレットが退席するのに背を向け、あえてセザールと親しくして見せているのだから、周囲がひそひそとざわめくのも仕方がないというものだ。勿論、わざとである。
「紹介が遅くなったわね。セザール王子、こちらはザクセオン大公家のマクシミリアン公子よ。私とはカレッジからの友人なの。それからミリム、こちらがベルテセーヌ王の第三子であり現在の第一王子、セザール殿下。私とは縁戚になるわ」
「お噂はかねがね窺っております。お目にかかれて光栄です、公子殿下」
「こちらこそ、光栄だよ、セザール王子。私も貴殿の噂は少し聞いている。どうやら私の“恋敵”らしいね」
そう茶化すように手を差し出したマクシミリアンに、セザールは酷く困った顔で苦笑を浮かべながらその手を握って握手を交わした。
「ご存じでしたか……正直、貴殿にそれを知られることは、ヴァレンティンの大公殿下に面と向かうことの次に憂えている案件だったのですが。やむにやまれぬ事情があって働かざるを得なかった公女殿下への無礼を、どうか少しの間だけお見逃し下さい」
「くくっ。なるほど、リディが言った通りの人柄のようだ」
つまり“目くじらを立てる必要なんてない相手”だ。おそらくマクシミリアンにも、セザールのリディアーヌに対する異様な引け目や低姿勢を察したのだろう。恋敵などといいながらも、セザールがリディアーヌとどうこうなることが無いのを理解したらしい。
「おい、ミリム……“恋敵”とはどういう意味だ」
そこに、早速アルトゥールが歩み寄ってきた。どうやら皆の関心がヴィオレットに集まっているものだから、その隙に早々と抜け出しこちらに目を付けてきたらしい。
アルトゥールがヴィオレットの挨拶に込められていたベルテセーヌに対する中傷を分かっていないはずがない。なのにリディアーヌがヴィオレットの花束を無視した上、真っ先にセザールと親しくしてみせたものだから、これを見て声を掛けないなどという選択肢はなかったのだろう。でなければ、アルトゥール自身がベルテセーヌについたヴァレンティン・ザクセオン両選帝侯家から見限られているかの如くみえてしまう。
花束の件を突っ込まれなかったことは幸いだが、かといってそんな単語をわざわざ拾わないでもらいたかったのだが。
「トゥーリには関係ない話だよ。ね、リディ」
「ええ、関係ないわね。あぁ、トゥーリのせいでそうなった、という意味では関係あるわ」
「あぁ、そうだった。まったく、自分がリディに振られたからって……」
「は?」
意味が分からないとばかりにアルトゥールが眉をしかめたところで、「あの……」と控え目な女性の声がした。だが思わずリディアーヌがそちらに顔を向けそうになったところで、すかさずマクシミリアンの手がリディアーヌの後頭部を抱き、リディアーヌが背を向けていて不自然に思われぬような姿勢に促した。突然のことで何が何だか分からず、「ちょっと……ミリム?」と困惑の声を挙げたのだが、マクシミリアンは疑問に答えるどころか視線すら向けない。一体何事だろうか。
だがいくら何でもこの体勢は誤解を呼ぶ。ほら、現にアルトゥールが随分と深いため息を吐いているのだが。
「そういえば聞いたよ、トゥーリ。何でもさっき、二度と関わってくれるな、って、リディに拒絶されたらしいじゃない。ははっ、ざまぁ!」
「……お前。いや、はぁ……そうだった。お前って、そういうやつだったな、ミリム」
「ミリム……さすがに、ざまぁ、って……」
いや、私も思ってるけどさ。
「リディ。ヴィオレットから話を聞いたが、彼女が何か随分と気分を害することを言ったようだ。改めて、俺から謝罪をする。どうか、許してやって欲しい」
気分を害する……か。いや、ヴィオレットは多分、何がリディアーヌの機嫌を損ねたのかを理解していない。それなのに一体、何をどう言ったのだろうか。本当に、偽善的だ。
それについても気になるのだが、今は何やらそわそわと後ろに感じる何かの気配の方が気になって仕方がない。
「ねぇ……ミリム。一体何なのよ」
「ん? あぁ、つい。君の綺麗な瞳には映す価値のない物が目端によぎったんだよ」
そう言いながらマクシミリアンは手を緩めてくれたけれど、なるほど、つまり振り返らない方がいい、という意味なのだと察し、「だったら言葉で言ってちょうだい」なんて言いつつも言われるがまま、振り返りはしなかった。
その様子に一つため息を吐いたアルトゥールが、代わりにジッとリディアーヌの後ろに視線を投げかけ、眉をしかめた。
「何の用だ、イエナ。王侯の会話に割り込むのが無礼なことくらい知っているはずだが? わざわざ我が国の品位を貶めに来たのか?」
「っ、失礼しました、皇太子殿下ッ。あの……ただ、お嬢さ……いえ。皇太子妃殿下から、公女殿下へのお花とお手紙を預かっていて……」
あぁ、なるほど。見知らぬ若い女性の声がすると思ったが……さしずめ、ヴィオレットの侍女か何かか。
「……ふぅ。リディ……」
一体、どうしてアルトゥールはこんなヴィオレットの行動を放置しているのだろうか?
それを不思議に思ったのはリディアーヌだけではなかったようで、「何故リディに理解を求めるの?」と、マクシミリアンが再びリディアーヌの背に手を添え、振り返る必要がないことを示してくれた。
「イエナ……イエナ・ソレール嬢か……」
さらにポツリと呟いたセザールが、たちまち皮肉じみた様子で口端を吊り上げた。
「セザール王子、お知り合い?」
「ソレール男爵家の令嬢です。オリオール家の陪臣家門で、当主が侯爵の侍従をしています」
「あぁ……」
それはセザールの声色がきつくなるはずである。
多分イエナ嬢はヴィオレットと共に家と国を出て、今はクロイツェン皇室に雇われている身なのだろう。だがだとしても、家門が仕えているベルテセーヌ王室の人間を前に挨拶どころか頭の一つを垂れることもなく、はなから目的はリディアーヌただ一人といった様子をされればセザールが気分を害するのは当たり前だ。
マクシミリアンが妙にリディアーヌの方に味方してくれているのも、侍女の身でありながら王侯に礼も尽くさない様子に対してそれ相応に接し返しているだけなのだろう。そりゃあそうだ。
どうやら名を言い当てられてなおイエナ嬢はセザールに礼を尽くす様子はなかったようで、チラリと両者を窺ったアルトゥールが、「代わりに私から、我が城に仕える者の無礼を謝罪する」と口にした。
途端、ようやく気が付いたらしいイエナ嬢が、「申し訳ありませんッ!」と声をあげた。
少しずつ声のする場所が低くなっていったようだから、きっと頭を下げながら謝罪したのだろう。だが周囲の様子を見る限り、悪目立ちしただけのようだ。
「トゥーリ……言いたくないけれど。貴方、この二日で一体何度、貴方の妃とその周辺のための謝罪を口にしたと思っているの? 貴方らしくもない……」
「それを言われると返す言葉もない」
そう言いながらも大して気にした様子も伺えないのは、何故なのだろう。こっちはもういい加減、鬱憤さえ感じ始めているのだが。
「イエナ、手紙は私が預かる。君はこれ以上の失態を冒す前に自分のすべき仕事に行け。私にこれ以上恥をかかせたいなら別だが」
少なからずそうアルトゥールが冷たく貶めることで、イエナは急いでこの場を離れることが出来たし、アルトゥールもこれ以上の面倒事を遠ざけられたことだろう。だが、彼がイエナの花と手紙を預かったことに関しては気分が悪い。
だがこのうち花に関しては、「コレの話はもう済んだはずだよ」と言うマクシミリアンがすぐに取り上げ、アルトゥールに着き返した。
アルトゥールはそれを受け取ることを一瞬嫌がったようだったが、対処としては悪くない。仕方なく受け取ると、何も言わずに手紙だけをリディアーヌに差し出した。
だがこれも勿論……。
「受け取らないわよ」
「多分、謝罪と言い訳だろうな」
「言い訳って……」
呆れた。リディアーヌが益々心証を悪くしそうなことが書かれていると知っていて、それでも渡そうというのだから。どういうつもりなのだろうか。
「受け取りさえしてくれれば、あとは焼くなり捨てるなり好きにすればいい。君が受け取ったという事実さえあれば面目は立つ」
「私に面目を立たせてあげないといけない理由なんて無いのだけれど?」
「受け取らなかったと聞けば、また直接来るだけだ。訳合って、俺はヴィオレットに“行動を制限するつもりはない”と約束してあるんだ。だからこれが俺なりの、友人をこれ以上怒らせずに済ませるための策なのだと察してもらえると有難い」
「はぁ?」
「何だってまたそんな馬鹿な約束を」
思わずマクシミリアンまでそう突っ込んだ。
一体二人が何を話し合い、何故こんなことになっているのか……やはり、リディアーヌが知っている以上に、ヴィオレットには何か秘密があるのだろう。
非常に不本意ではあるが、そう言われては手紙を受け取るしかない。それに、手紙だなんて形に残る迂闊な手段を取ってくれたのだから……有難く使わせてもらうことにしよう。使えるかどうかは知らないけれど。
「フィリック」
「お預かりしておきます」
無論、自分で受け取る気はないので、フィリックに任せた。
「はぁ……何やら貴方にも貴方の事情があるのは分かったけれど。でもトゥーリ……言っては何だけれど、あれは、早急にどうにかしなさい。何かと革新的な貴方の国でどんな流行が起ころうとも口を挟むつもりはないけれど、貞節に煩い西大陸からも貴賓が集まる中で“あの足”はいくら何でも淫らよ。自分の妃が殿方達にどんな目で見られているのか、気にならないのかしら」
「一応、注意はしたが……侍女やらメイドやらが尽くヴィオレットの味方をするものだからな」
つまり、説得が面倒になったと?
この男……。
「それにブーケトスとやらに振り回されたレディ達が無様を晒した上に、私が皇太子妃から“下げ渡し”なんてされようものなら、間違いなく今年の帝国議会の議題になったわよ」
それについてはアルトゥールも思う所があったのだろう。わずかに口を歪めて「拾わないでいてくれて助かった」などと呟いた。
妻にしたばかりの相手には聞かせられない呟きだろうが、マクシミリアンにも「上手く対処してくれて感謝する」などと言う辺り、やはりアルトゥールだ。
だが言いたいことは他にもある。
「国賓としてセザールを招いておきながら、先程の挨拶もいくら何でも酷いわ」
「あぁ……中々の偽善ぶりだろう? あそこまで傲慢でいられるのは才能だと思っている」
「微塵も褒めてないのだけれど?」
呆気に取られて、つい突っ込んでしまった。
現に、セザールも怒るというより呆れが勝ってしまったようだ。多分、リディアーヌと会話をしている様子を通して、セザールのアルトゥールに対する印象は随分と変わって来たのではなかろうか。
「ついでに朝の件についても言いたいことだらけだわ。貴方が何をどう聞いたのか知らないけれど、彼女、私がヴィオレット嬢の言う事を信じられないのは仕方がないけれど、そのせいで私を大切な友達だと思っている貴方に冷たくしないで欲しい、って、訴えてきたわよ。じゃないと貴方が“可哀想”だからって」
一番気に障ったのはそこではないのだけれど、一番彼が当惑するのはそこなはずだ。
案の定、アルトゥールはキョトンと目を瞬かせ、隣ではマクシミリアンが「くふっ」とこらえきれなかったらしい嘲笑を漏らした。
その気持ちは、非常によく分かる。あの時は何やら妙にカッカするばかりだったが、今改めて口にしてみて感じるのは、ただの“呆れ”だ。
「何? リディはもしかしてトゥーリと結婚する令嬢に嫉妬していじめたの?」
「ちょっとミリム。ついさっき、そんなはずないじゃないっていう話をしたばかりでしょう?」
「いや、そんなはずない、ってことはないだろう」
「トゥーリまで何言ってるのよ。二人とも反省しなさいっ、って言ってるのよ!」
あぁ、なんてことだ。友人達にかかれば、茶化して揶揄いあえるような程度のことなのに、何故今朝はあんなにも腹が立っていたのか。いや、ヴィオレットがあまりにも真剣にそんな馬鹿げたことを言うせいで、頭がバグったのだろう。そうに違いない。
「はぁ……聞いてはいましたが。本当に、お三方は仲が宜しいんですね」
そこにポツリとそんなことを言ったセザールがいなければ、このまま無意味な揶揄い合いを披露してしまう所だった。
思わずコホンと咳払いをして、改めて二人の間から抜け出す。
「そういえば貴方達、ろくに挨拶もしていないんじゃない? トゥーリ、こちらは今絶賛私とお近づき中のセザール王子。セザール、こちらが私達を散々困らせてくれているトゥーリ魔王陛下よ」
あまりにも雑で乱暴な紹介に、もれなく隣でマクシミリアンが笑い声を噛み殺し、アルトゥールの顔がこれでもかというほどに歪んだ。だがさすがに真面目なセザールは、いつもの温厚な面差しをまったく崩すこともなく、形式的な礼を尽くしてみせた。
「改めまして。セザール・ド・ベルテセーヌと申します。お招きを……感謝していいのかは躊躇する所なのですが」
「遠い所を痛み入る、セザール王子。アルトゥール・フォン・クロイツェンだ。意図した失礼を詫びるのもわざとらしすぎることだが……どうやら“私の悪友”にも色々と巻き込まれているらしいな」
「トゥーリ、最近私が貴方に冷たいからって“私のセザール”に嫉妬なんて見苦しいわよ」
「そういえば先ほど聞きそびれたな。ミリムの恋敵が、何だったか……」
覚えていたか……。
「求婚状をいただいたのよ。あぁ、このご縁をお受けするなら、貴方の妃を介して私達も近しい“親戚”、あるいは“因縁の仲”になるかもしれないわね」
そうわざとらしくセザールに身を近づけてすり寄っているように頭を傾げて見せる。
別に本気ですり寄っているわけではないので、東大陸人には多少煽っている程度の態度にみえるだろうが、根っからの西大陸人のセザールはたちまち困った顔で固まってしまった。ただの演技なので気にしないでもらいたい。
だがそんなリディアーヌはセザールではなくマクシミリアンが、「近いよ」と引きはがした。
こんなの、友人達との距離感に比べればなんてことないことなはずなのに。
「どういうことだ、リディ」
「どうもこうも、私、貴方には散々、迷惑してる、このままだとどうなるか、って手紙を書いたはずだけれど?」
「それは……それが、何故こういうことになっている」
「貴方がそれだけベルテセーヌを掻きまわしたせいでしょう? ヴィオレット派の暴動とブランディーヌ夫人の身勝手を好ましく思わないベルテセーヌ王が、後ろ盾に欠けるセザールを王子にするにあたってヴァレンティン家にその手の打診をするのは当たり前ではなくって? おめでとう、貴方の計略通り、私もセザールも大層迷惑しているわ」
「……まさか本気じゃないだろうな」
なんですって?
呆れた。まぁ確かに図星は図星なのだけれど。でもどうしてそんなことを言われねばならないのか。
「……本気じゃなかったわよ。貴方が、ブランディーヌなんて呼ばなければ」
「……何?」
アルトゥールの面差しが険しくなったところで、「皇太子、何をしている?」という皇王陛下の声がその会話を断ち切らせた。
ふと振り返ったアルトゥールの視線の先で、いつの間に祝賀を述べるための人垣がヴィオレットを囲んで待ち構えていた。二人はある程度の祝賀の言葉を聞きつけた後、アルトゥールが召し替える花嫁をエスコートして下がらねばならないはずだ。いつまでも、親友の元に留まっていられる立場ではない、今宵の主役だ。
「……また後で話を聞こう」
そう言い残し、ヴィオレットをエスコートすべく踵を返したアルトゥールに、リディアーヌは手を差し伸べてくれたマクシミリアンを見上げると、ほっとしながら手を重ねた。
この場にマクシミリアンがいてくれなかったら、一体どれほど心労を患っていたことか。
「隣室に軽食をご用意しております。どうぞ、ご案内いたします」
アルトゥールが離れるとすぐに案内役の役人が声を掛けてきたので、フィリックにセザールと親しくさせながら、揃って隣室への扉をくぐった。
その直前……すれ違い様にこちらをジロリと見下したブランディーヌの視線を感じたので、こちらも顔の全面に分厚い仮面をかぶせ、微塵もひるんだ様子などなくニコリと微笑んで見せた。
ヴィオレットは、ブランディーヌがここにいることを拒絶していない。事実、母子の絆でも取り戻したのか。あるいはアルトゥールか誰かに言われ、利害のため、仕方なく我慢しているのか。いずれにしても、ヴィオレットの罪悪感に満ちた様子で何か言いたそうにこちらを見る表情は、実に不愉快だった。不愉快だったけれど……。
『中々の偽善ぶりだろう? あそこまで傲慢でいられるのは才能だと思っている』
何故か楽しそうにそんなことを言っていた友人の顔を思い出すと、不愉快さよりも呆気とか滑稽さとか、そういう感情の方が勝って来た。
言っては何だけれど、選んだ相手が悪すぎる。
ヴィオレットは自信満々なようだったが……その実は、ただ憐れな子なのかもしれない。