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3-24 亀裂(3)

『どうしてもお会いしたくて声をかけてしまったのです。私、殿下には小さな頃にお目にかかったことがあるのです。覚えていらっしゃいませんか?』

『私は本当に、殿下をベルテセーヌの気高く、正統な王女殿下だと思っているのです!』

『分かって欲しいんです。私は貴女の敵ではありません。貴女の助けになりたいと、そのために尽力しているくらいで……』

『なんでそんなに冷たいことを言うんですか?』


 誰もかれも、誰もかれも……ベルテセーヌというのは、どうして。


『兄の遺児リディアーヌ姫は、我らがベルテセーヌの“聖女”である。ゆえに王太子としたリュシアンとの縁を結ばせ、亡き兄の聖なる王統を受け継がんとしたのである』

『姫には、兄の王統とベルテセーヌの聖女という高貴なる御身にありながら、犯罪者の元妃という拭い去れぬ汚名を着せることになってしまった』

『だがそれでも、姫は“ベルテセーヌの聖女”である!』


 父と母の愛した故郷を、私もまだ、愛していたいと思うのに。

 なのにどうして……。



「リディアーヌ殿下! 私はただ貴女に、貴女が手にすべきものを取り戻していただきたくてっ」

「ッ、ねぇ。一体何度言えばいいの? 何度口にしたら伝わるの? 誤解? 何の? 私を王女と呼ぶ貴女の? それとも“私達”を死に追い込んだオリオール家の? それとも野心なんてないと言った貴女の、残忍な母の? 私が手にすべきものって何? 貴女が私の何を知っているというの?!」


 ふざけている!

 誤解? 何の? “私が貴女が思っているような悪女じゃありません”? それとも、“私はいい子なので私と仲良くしてください”?

 手にすべきものを取り戻して? 一体いつリディアーヌが、それを“欲しい”と言ったのか。しかもかつてそれを奪った側の縁者である人が、最初からリディアーヌが彼女の手を借りねば何もできないかのような物言いで。彼女はリディアーヌを自分の庇護下に閉じ込めて悦に浸りながら、“お願い助けて”とでも言わせたいのか?!

 なんという侮辱! なんという屈辱!


 王女は死んだ。もう頼るべきベルテセーヌの王女なんてこの世にいない。もう何一つとして王女としての責務もない。リディアーヌは、ヴァレンティンの公女だ。だからもう、何も押し付けないで欲しい。何も求めないで欲しい。なのにそれすら勝手に判断して。

 どうして誰もかれも、リディアーヌを巻き込もうとするのか。どうして、リディアーヌが認めてやらないといけないのか。どうして勝手にリディアーヌに事情に踏み込んでくるのか。到底理解されるような行動の一つも取れていないのに、どうして当たり前のようにいずれはリディアーヌが自分達の理想のままになると思っているのか。

 それがどれほど、厚かましいことなのか!


「いい加減に自覚してっ。どうして私が貴女の思うがままになると思うの? どうして貴女の存在が私の助けになると思うの?! 貴女達は何一つ、私に要求することなんてできない。いえ、謝罪をすることさえ恥ずかしいことだと、どうして分からなのッ?!」


 これは、怒り……いや、嘆き、なのだろうか。

 憎いわけじゃない。取り乱してまで理解を促すほど、情熱があるわけでもない。

 ただ、腹が立っているだけだ。その言葉の一つ一つの恥知らずさに。何の悪びれもなく、ただ無邪気にリディアーヌを傷つけてる彼女に。

 下手に言葉を凝らす必要なんてなかった。言いたいことは最初から、たったの一つだ。


「お願い。ねぇ、お願いだから……もう、私に何も求めないで! 勝手に私に関わらないでっ!」


「リディ?」


 リディアーヌの(どう)(こく)に、場の空気に馴染まない困惑気な声をこぼしたのは、廊下の方から庭へ降りてきたばかりといった様子のアルトゥールだった。

 最悪だ。あまりの腹立ちに我をも忘れて、警戒が(おろそ)かになった。この場は到底、油断していい場所ではなかったのに。

 それを思い出したリディアーヌは、ぎゅっと言葉を噛み締め、口を閉ざした。

 あぁ……たまらなく嫌だ。心は掻き乱され、沈んだどす黒い感情が心を(むしば)む。この場の何もかもが、(いと)わしい。こんなつもりではなかったのに。


「ヴィオレット……司祭が、客人に会っているなどと伝えに来るから何事かと思ったら」

「アルっ……あの、これはっ……」

「どうしてこんなところにいるはずのない人がいて、そのいるはずのない人を怒らせることになっているんだ? 彼女は生半可なことで声を荒げたりするような人ではないぞ」


 少し冷たくも聞こえ得る声色に、逆にリディアーヌの心は凪いでいくようだった。

 友人のちっとも柔らかさなんてない淡々とした馴染み深い声色に、何にやら無性に押し込めていた感情があふれ出しそうになる。


 八年前――何もかもを失い荒み切っていた心を拾い上げ、救ってくれたのは、よりにもよって憎い皇帝の実孫だった。彼はリディアーヌの真実を何も知らなかったが、リディアーヌを説得できるだけの高い矜持と責任を持っており、決して恥知らずではなかった。

 彼を尊敬している。どんなに手を汚しても、与えられた責務から少しとして逃げ出さない強さを、羨ましく、そして憧憬している。

 彼はきっとリディアーヌの真実を知ったとしても、『そうか』としか言わないだろう。彼は祖父の犯した罪を、自分の罪だなんて錯覚しない。だから偽善ぶって下手な謝罪なんかも絶対にしない。そしてもし同じ状況になったとして、彼はきっと恨まれる覚悟をしてでも同じことが出来る。偽善がどれほど愚かで他人の矜持を傷つけることなのかを知っている。

 だから、許せた。恨みも憎しみもあるのに、同じほどに共感と愛情を抱いた。彼の揺るがない“芯”に、()(せい)(しゃ)としての有るべき姿を学んだ。

 そんな彼が選ぶ人だ。きっと私はその人と理解し合える――そんなことを思っていた数年前が、馬鹿馬鹿しくて仕方がない。

 どうして、ヴィオレットだったのか。


 深いため息を吐きながら廊下に向かって歩き出したリディアーヌに、何を思ったのか、アルトゥールがさっとヴィオレットの手を取って引き寄せた。

 まだ東大陸人の所作に慣れていないのか、「ちょっと、公女様の前でっ」と苦言を口にしながら顔を真っ赤にしたヴィオレットの気が逸れたのを見る。

 だがアルトゥールをよく知るリディアーヌにしてみれば、それは甘ったるい行動ではなく、おそらくリディアーヌからヴィオレットという存在を避けさせるための意図的な所作でしかなかった。

 こんな状況で、よくもまぁ浮かれていられるものだ。彼はヴィオレットがリディアーヌの並々ならない怒りを(こうむ)っていることを察しているだけなのに。


「リディ。廊下の先まで、君の(いきどお)る声がしていた。何か失言があっただろうか」

「噛み合わない会話に少し苛立っただけよ。声を荒げるだなんてらしくなかったわね。謝罪するわ」

「それで? 何故君がこんなところにいる」

「それは……」


 どうしよう。聖女のことは、明かせない。

 いや、待って? そもそも、アルトゥールにこのことを伝えたのは誰だ?

 ふと顔をあげた先で、教区長の傍に控えた司祭が何かをこそこそと話しているのが見えた。あぁ、こんなにも視野が狭くなってしまっていただなんて。

 ヴィオレットばかりかアルトゥールまでもここに連れてきたのは、教区長だ――。

 そうか。そういうことか……クロイツェンの教区長の意図が分かった。


 彼は聖職者であり神に仕える敬虔な大司教として、誓約に違えることができない。つまり、リディアーヌ王女の“死”について語ることを許されていない。だがリディアーヌ本人はその括りではない。

 皇太子の婚儀という国の重要な慶事に、他国の者が神事を侵すことは、たとえ相手が誰であっても重罪だ。それを(まぬが)れるにはれっきとした理由が必要で、だがその理由は……。


 ()められたのか。

 だが幸いにして、リディアーヌには反撃しうる材料が両手に有り余っている。何一つとして臆する必要はない。

 何やらニコニコと教区長が意味ありげに廊下を下りてこようとしたけれど、それよりも早く再びアルトゥールの方を見やったリディアーヌは、腕を組み、緩慢にため息を吐いて見せた。


「あら、アルトゥール殿下。他人の事なんて言えるの? 貴方の方のお客様は、もうひそかに誡めの間を出た後なのかしら?」

「……何だと?」


 ビクリと教区長の足が止まったのを背後に感じた。彼はアルトゥールの元に客人がいた事も知っているようだ。

 だがこんなところで、それを問い詰めて問答したいわけではない。ただ、アルトゥールが黙ってリディアーヌが出ていくのを許してくれればいいだけだ。


「私はただ“神問”に参っただけよ。なのに次から次へと、花嫁に花婿まで。神事を侵しているのは貴方達の方じゃないかしら?」

「神問? ヴィオレットに会いに来たわけではないと?」

「何故私がそんなことを?」


 それについては心の底から呆れた声を出してやった。


「確かに、神殿関係者と貴方達しか立ち入れない時間帯の神殿に参ったことについては謝罪をするわ。でも生憎と、私もこの時間しか取れなかったものだから。私がここに来たのは、いついかなる時でも“神問の間”を訪れることを許す――そういう“聖女様の許し”を受けた者としてよ」

「聖女の……許し?」


 聖女というものの存在がピンと来ていないアルトゥールはもれなく眉をしかめたけれど、どうしたことか、ヴィオレットの「話が変わったせいでシナリオが変わったのね……」なんていう呟きが、思いがけない後ろ押しになった。

 ヴィオレットが何を言っているのかリディアーヌにはよく分からなかったのだが、アルトゥールはなぜかそれを気にする素振りを見せたかと思うと、何故か理解したかのような様子で仕方なさそうに息を吐いた。

 一体、“落ち星”と呼ばれたヴィオレットは何を知っているのだろうか。


「つまり……ヴィオレットが自らの意思で来て、君を引き止めたのか?」

「お、怒らないでください、アルっ。私、公女様にはちゃんと説明をしておかないとって、そう焦って勝手なことをっ」


 さらにヴィオレットがそう口にしたものだから、アルトゥールはもれなく口を噤んで黙りこくった。

 ここでヴィオレットが反論の一つでもしていれば、アルトゥールはこの機会にリディアーヌに恩を売るなり、不作法を利用するなりできただろうに。まったく、憐れで……そして滑稽なことである。


「トゥーリ、私に神事を邪魔する意図はないわ。現に、ヴィオレット嬢がいらっしゃらなければ、すでにこの教会を去っていたわ。貴方が人と会っていたことを知ったのは偶然よ。貴方が“偶然”、私がここにいることを知ったのと同じようにね」

「……なるほど。神殿には都合のいい偶然をもたらしてくれる連中が大勢いるようだな」


 まぁ、リディアーヌの場合は神々の偶然なのだけれど。


「教区長。リディアーヌ公女の言葉に偽りはないか?」

「はっ。はぁ……いえ、それは……」


 チラチラと枢機卿猊下を窺って言葉に困る教区長に変わり、その教区長を押しのけるようにして枢機卿猊下が歩み出てきた。


「私が保証いたしましょう。公女殿下はご許可があって、神問の間を訪ねていらしたのです。それは誰一人として面会することなく、ただ神問の間を開けることを望み、その間で為すべきことを為され出てこられた殿下をずっと見ていた私が誰よりも存じております」

「そうか。教会の許可がある以上、俺に公女を咎める理由は無いことになるが……」


 チラリとリディアーヌを向いたアルトゥールの目に過っているのは不信感だ。当然であろう。よりにもよって神々に誓いを立てる様な刻限に、同じようにリディアーヌが神問をしようというのだ。よからぬ考えでもあるのではと疑われるのは仕方がない。

 だがもうこれ以上、問答する気もない。


「そういえばヴィオレット嬢がいたことで報告がまだだったわ。トレンツィーニ猊下……少し、お耳を宜しいでしょうか?」


 そういかにも何かありげに声を潜めて見せながら、庭先から廊下に上がるとそっと隅の方に向かう。それを見た猊下が素直に従ってくれたので、猊下と共に、少し離れた場所で立ち止まった。


「猊下。お伝えするのが遅くなりましたが、私が神問に訪れたのは、“十一番目の聖典”を探すためです」

「っ! それは教皇聖下のご悲願ではありませんか。よもや所在をご存じなのですか?!」

「いいえ。だからこそ、“まことの聖典”のあるこのクロイツェンで、神問させていただきたかったのです。その結果、生憎とはっきりとした(あり)()は分かりませんでしたわ。ただ神々が仰せになるに、私にしか見つけられぬのは確かなようです。そしてもしかすると……そう遠くない未来、見つかるかもしれません」

「なんと……」

「それからもう一つ」


 できる限り声が漏れぬよう、そっと近づいて、声を潜める。


「教皇聖下にお伝えください。私はこのクロイツェン教会と猊下のお心配りのおかげで、“一番目”の手がかりを得ることが出来ました、と」

「ッ……」


 あぁ、ちゃんと伝わったな。


「これも猊下のお導きあっての事。どうぞ、お手柄になさいませ」

「……恩は、売ってみるものでございますね」

「ええ。特に私は、何事も早めにきちんとお返しすることを心がけておりますから」

「この件は私も決して忘れぬでしょう。どうか神々の愛し子に祝福を賜らんことを」

「神々の祝福を。猊下がよき神々の使徒とならんことを」


 決まり文句で答えたところで、枢機卿ともあろう方が深く腰を折った。

 それにさっさと背を向け振り返ったところで、すでに誰もこちらに歩み寄って来られる状況ではない。

 ただヴィオレットだけがまだ何かを言いたそうに口ごもっているようだったけれど、リディアーヌはその視線から冷たく目を離すと、一歩、踏み出した。


「私の為すべきことは済んだわ。アルトゥール殿下。お互いのためにも……ここであったことは、互いに忘れた方がいいんじゃないかしら?」

「……リディ。どうやらこちらの不作法があったようであるから、咎める気などない。だが叶うなら、後で話を……」


 話……話、か。一体何をどう話せばいいというのか。

 とても……とても残念なことに。私は、貴方の結婚を少しだって祝ってあげられそうにないわ、と。そんなことを話せばいいのだろうか?

 貴方が選んだその人は、決して私とは相容れないと――。


「そうね……そんな機会が、あるのなら――」


 でもそんな機会があるとしたら。

 果たして私達は、今まで通りでいられるのか。

 それを、覚悟してもらいたいものである。






※明日は更新お休み。次は21日に。

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