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1-4 議会報告(2)

 リディアーヌの故郷でもあるベルテセーヌ王国は、ヴァレンティン大公国の南と領地を接する隣国だ。

 大陸の隅にあって北方諸国群とベルテセーヌ王国としか領地を接さないヴァレンティン領にとって、西大陸の覇者ともいわれる広大な国土、特に平野を持っているベルテセーヌ王国は大事な食糧庫であり貿易友好国である。そのためベルテセーヌ王室とヴァレンティン家とは長きに亘って血縁を結んでおり、リディアーヌの母もそうしてベルテセーヌ王室に嫁いだ一人だった。

 生憎とリディアーヌとその兄は幼くして両親を失い母の生家に引き取られることになったが、それほどに両国は深い間柄にあるのだ。

 そのため、他のどの七王家よりもベルテセーヌについて持っている情報は多いはずなのだが、それでもなお、その報告はリディアーヌが首を傾げざるを得ない。


「王太子って……クロード殿下よね? 変わっていないわね?」

「はい。現王妃アグレッサ陛下の長子、クロード殿下です」


 八年前、兄がベルテセーヌの王太子に殺された事件を機に、当時の王太子は廃太子。その生母も王妃の座を下ろされ、同母の兄弟ともども罪に問われた。

 代わりに王妃となったのが、当時はまだ妾妃でしかなかったアグレッサであり、そのアグレッサの生んだ長子が今の王太子のクロードだ。リディアーヌも数度見かけたことのある“従弟”であるが。


「……婚約、してたわよね? 確か、立太子した時に」


 リディアーヌの言葉に、隣で叔父が含みのある嘲笑(ちょうしょう)をこぼした。


「あぁ。“すみれ姫”。聞いたこと有るだろ?」


 そう、確かそんな二つ名で呼ばれていたか。

 同時に、脳裏にとある“夫人”の姿が思い起こされた。


 事件後、リディアーヌをベルテセーヌ王国に引き留めようと策をめぐらせる現王シャルル三世に対し、まったくの物怖じもなく議場に乗り込んで放心していたリディアーヌを抱き上げ強引にヴァレンティン大公国へと連れ帰ってくれたのが、叔父ジェラールである。

 その議場からの去り際、叔父と何やら意味深に視線を交わす一人の夫人と目が合った。昔から何度も王宮に顔を出していた父の異母妹――ブランディーヌ夫人だ。

 リディアーヌという厄介な王女を国から追い出したかった夫人と、リディアーヌを危険な国から連れ出したかった叔父と。二人は(あい)()れない仲ながらも利害の一致という点において共謀した。いうなればこの一件の協力者なわけだが、しかし断じて“味方”というわけではない。

 そういえばその時、夫人は傍らに小さな子供を連れていた。それがおそらく、ブランディーヌの長女、“すみれ姫”だと思う。

 顔はよく覚えていないが、王城内の何かの催しで挨拶を受けたことが有ったはず。何ともお行儀がよい控えめな雰囲気で、淡い紫の瞳が印象的な少女だった。


「あの時はシャルルめがうちの子を勝手に新しい王太子の妃になんざ言い出しかけたのにブチ切れて速攻リディを連れて戻ったから、あの後の事情は良く知らんが」


 叔父の起こした記憶にも新しい当時の出来事に、当事者のリディアーヌだけでなく重臣達もみな苦笑いになった。

 跡継ぎとして養っていた甥エドゥアールの突然の死の一報を受けて隣国に出かけた国主が、何故かつい先日嫁に出したはずの姪を連れて、ベルテセーヌの追手から逃げるようにして飛び帰って来たのである。そりゃあ驚いたことだろう。


「とりあえずあの翌年、新しい王妃の冊立(さくりつ)とその長子の立太子が行なわれた時、許嫁として立てられたのが宰相オリオール侯の娘の“すみれ姫”、ことヴィオレット嬢だった。リディにも報告はしたが、覚えているか?」

「勿論です。そもそもブランディーヌ夫人が手を貸してくださったのも、娘を王太子妃にするためでしょう? なのに一体、何事? 王太子が婚約って……すみれ姫はどうしたの? ご不幸が? それとも何らかの事情で婚約の破棄を?」


 混乱のまま口早に事情を問うたところ、バラチエ卿が顔を緊張に強張せながら、「後者です」と答えた。自分で言っておいてなんだが、それは“有り得ない”のではなかろうか。何とも信じがたい話である。


「一体、新しいお相手はどこのどなた? どこぞの七王家や選帝侯家から姫でも()()されたのかしら」

「いえ。ベルテセーヌ国内の貴族です。エメローラ伯爵家のアンジェリカ嬢と」

「エメローラ?」


 ベルテセーヌ出身のリディアーヌでさえ、すぐには思い出せないような家名だった。

 少なくとも、ベルテセーヌ王国を陰で牛耳っていると言っても過言ではないオリオール侯爵家に成り代われるような家でないことだけは確かだ。


「詳細は情報収集中ですが、伯爵夫人の方は毎年帝国議会にも顔を出しているバレーヌ伯爵家のご出身です」

「バレーヌなら存じているわ。昔から外交に強い家柄ね」

「ただし件のアンジェリカ嬢は夫人の子ではなく、庶子なのではとの噂もございました」

「……」


 益々意味が分からず、頭を抱えてしまった。かつての祖国で何が起きているのだろう。

 ベルテセーヌ王国は歴史がある。その分どうにも保守的で、情報を秘匿しがちである。かろうじて交流のあるヴァレンティン家でさえ、新しい婚約者の家柄について知るのがやっとのなのだ。他の国はさぞかし困惑していることだろう。同情する。


「一体何事なの? 宰相家が失脚したとか、政変があったとか?」

「いえ、何もございません。今年の議会にも例年通り宰相家の嫡男が出席しておりましたし、留守居役は相変わらず王太子殿下と宰相オリオール候がお勤めのようです」


 まぁ宰相家が失脚などしようものなら帝国議会を待たず耳に届いていたはずだ。そうではないのだから、やはり宰相家自体に何かがあったというわけではないのだろう。

 そもそもオリオール侯爵家は権門の筆頭ともいえる家柄。何より侯爵夫人ブランディーヌが、家と娘に手を出されて黙っているはずがない。


「オリオール侯爵夫人ブランディーヌ……つまり“すみれ姫”の生母はベルテセーヌ先々王クリストフ一世陛下の庶子よ。認知もされず教会に入れられた他の庶子達よりははるかにましな生立ちだったけれど、宮廷では煮え湯を飲まされて育ち、王女の称号も得られず臣下に嫁がされたことを屈辱と思ってこられた方だわ」


 理解しがたいといった様子で顔を歪ませているヴァレンティン領の男達の顔を見ると、つい眉尻が下がってしまう。ただ一人の相手に一途なヴァレンティンの男達には、庶子……つまり多くの妾を抱えていたベルテセーヌの先々王のことも、庶子だからと屈辱を感じる子供の気持ちも、分からないのだろう。


 そもそも帝国が国教とするベザリウス教は一夫一妻の教えを説いており、帝国所属のほとんどの国においてそれは順守されている。

 初代皇帝陛下の血を引く王侯家に関しては、その血筋を絶やさぬため妾妃を娶ることが暗黙の了解となっているが、ヴァレンティン家では歴代当主の内にも妾妃を持った例は極めて少ない。大公本人がそうなのだから、家臣たちなど言わずもがなである。

 ただベルテセーヌは信心深く保守的な所はヴァレンティンとそう変わりないながら、こちらは妾妃がいなかった例の方が稀であり、あるいは貴族であっても非公式の妾を持つことはままあるという。だが妾が存在することと信心深いことという矛盾を抱えているせいか、“正しい妻の子ではないこと”に対する忌避感は随分と根強い。


 なので国王の異母姉といえども、正妃の子ではないブランディーヌに王族としての権限はなく、彼女は王位継承権も、王女という称号も持っていない。しかし彼女は持前の才覚により自ら庶子という不名誉を払拭すると、国で最も力を持つ貴族へと嫁ぎ、侯爵夫人の地位を手に入れ、瞬く間に社交界を牛耳った傑物である。

 今や彼女が王室の分家に対して持つ影響力は計り知れず、社交界においても彼女を蔑ろにする者は一人としていない。

 それでもなお彼女は王家の者としては扱われず、王女への礼を受けることはない。彼女はその屈辱を噛み締め続けている。


「自分の娘を王家の籍に入れることはほかでもないブランディーヌ夫人の悲願で、王太子とすみれ姫の婚約は、元は庶出の生まれで後見の弱かった王太子にブランディーヌ夫人を通じて他の王族や権門からの支持を与えるためという表向き、ブランディーヌの名が王家の簿籍に刻まれるための手段だったと認識しているわ」

「相違ない。新しい王太子の箔付けのためとはいえ、シャルルもいいように手のひらで踊らされやがってと笑ったのを覚えている」


 うんうん、と頷く叔父の言葉もどうかと思うが、まぁ正直リディアーヌも思う所が無かったわけではない。

 個人的にはブランディーヌ夫人とは相容れないが、“リディアーヌ王女の死の偽装”も“ヴァレンティン家のリディアーヌの創出”も、ブランディーヌの協力なくしては上手くいかなかった。彼女の娘が新王太子の許嫁となった時には、なんとも嫌な心地を感じつつも安堵したものだ。

 だがそれがここにきて、そのブランディーヌ夫人を蔑ろにするかのような許嫁の交代劇が起こった。

 これは一体どういうことなのだろう。

 ベルテセーヌで“大変な何か”があったことだけは間違いない。


「一体ベルテセーヌで何が起こったというの?」

「まだ詳細は分からず。ただ関係あるかは分かりませんが、宰相家嫡男のドミニアン卿が、“聖女”が現れたのがどうのこうのと(いきどお)った様子で教会関係者と話しているのを耳にしました。生憎とすぐに話題が打ち切られて詳細は掴めませんでしたが」


「はぁぁぁぁぁ」


 思わず長いため息が零れてしまった。日頃会議中にそんな姿を見せることのないリディアーヌの反応には皆驚いたようだったが、これは流石にため息を吐かざるを得ない。

 聖女……聖女、か……。


「きな臭くなって参りましたな。聖女……聖痕(せいこん)の主ですか」


 察しよく溜息の理由を明言してくれたのはアセルマンだった。

 聖女と聞けば、ベルテセーヌの事情に通じているヴァレンティンの者であれば、その大半がどういう意味なのか理解できたことであろう。首を傾げているのはバラチエ卿を含む若い世代ばかりだ。


「お養父様……」

「新しい婚約者とやらがそれなら、有り得る話だな」

「ですが聖女ですか? ひと世代に二人の“聖痕の主”が生まれるというのは聞いたことが有りませんけれど、“前任者は死んだ”ということなのでしょうか」

「リディ」


 珍しくもぴりっした厳しい声色で名を呼ばれたけれど、それについては肩をすくめておくだけに留めておいた。言わんとしていることは分かるが、ただ合理的に理解しようとしただけのことである。


「不勉強で申し訳ないのですが……公女様。“聖痕の主”とは、どのようなものでしょう?」


 そんな中、おそるおそると手を挙げ問うてきた若い文官に、近しい年の人達がコクコクと頷き賛同する。さて、どう説明したものか。


「外国では教会祭祀に奉祀するベルテセーヌの王女を“聖女”というのだと誤解されているようだけれど、そうじゃないのよ。簡単に言えば、“ベルブラウの聖痕”を持って生まれた姫のことを、聖痕の主だとか聖痕の乙女、あるいは聖女だとかというの」

「ベルブラウ……でございますか」


 彼等の視線が思わず壁際に飾られた花瓶に集まった。そこに美しく活けられている夏を知らせる青い花……確かに、その花の名前はベルブラウだ。


「その花の語源となった、帝国初代皇后ベルベット・ブラウ陛下の肖像画の胸元に、青い花の刻印が描かれているのを知っている?」

「勿論でございます。初代皇后陛下を象徴するものでございますから」

「それが聖痕よ。ベルテセーヌ王家は帝国創始以来最も古い歴史と皇帝直系血統を持つ家門の一つ。そのためなのか、王家には時折、初代皇后陛下と同じ聖痕を持つ姫が生まれることがあるの。生まれつきの痣としてね。教会はそれを“聖痕”と称していて、これを持って生まれた姫を“聖女”と呼ぶのよ」

「そんなことが有り得るのですか?」


 リディアーヌにしてみればそれが“当たり前”だったので、驚かれると逆に不思議な感じだ。だけど……と窺った先で、叔父が渋い顔をしながらも小さく頷くのを見ると、リディアーヌはドレスの胸元をクイと引っ張って見せた。


「これがその、ベルブラウの聖痕よ」


 シンと静まり返った議場にドヤっていたのは一瞬のことで、余りにも皆が無反応なものだから、段々と不安になってきた。

 何か変なことでもしただろうか? ちゃんと見えてるよね? ちゃんと、この左胸の上にくっきりと浮かぶ薄藍色の花の刻印が……。


「ごほんっ。あー、姫様。お気遣いは大変ありがたいのですが、うら若き淑女がそのように(みだ)りに衣をはだけるものではございませんぞ」

「え? あ、これは失礼」


 アセルマンの忠告に、それもそうね、と急いで胸元を正した。恥ずかしくなるほどはだけたつもりはないけれど、アセルマンなりに気を使ったのだろう。確かに、突然初代皇后陛下と同じ痣があるの、とか言われたら皆困るか。


「この会議に参加できている以上、私がベルテセーヌ王室の出身であることは知っているかと思うけれど、つまり、私が当代の“ベルテセーヌの聖女”なの。といっても、何か特別な力があるわけではないのよ。親と同じ場所にほくろがある。親子で爪の形が似ている。瞳の色が両親じゃなくて祖父母に似た、みたいなものね。私の曾祖母も同じ痣を持っていたと聞いているわ。何ら変哲もなく、平凡に人生を送ったただの王女よ。ただこれは数十年に一人現れるかどうか……つまり“ひと世代に一人”なの」

「それで公女殿下は先ほど、“前任者は死んだ”、などと仰ったのですね」

「ええ。少なくとも私の聖痕については正しい手順で教会の検分が行われたはずだから、“本物”で間違いないと思うわ。だからもう一人聖痕を持つ姫がいるといわれると、首を傾げてしまうわ。それこそ、私が天の意志において“死んだ”と認識でもされているのかしらと思うほどに。でもそうでないのだとしたら……」

「裏がある、か……」

「可能性ですけれど。私とて、この痣がどういう理屈で遺伝しているのかは存じませんもの」

「いずれにしても、王太子の婚約破棄と聖痕の主の出現は無関係ではないだろうな。宰相家とて聖痕を持つ者が現れたとなれば娘を蔑ろにされようと何も言えまい。他でもない、国王シャルルと宰相ピエリックの二人こそ、誰よりもその“正統性”を欲しているだろうからな」

「……ええ」


 ぎゅっとドレスの上から胸元を握りしめたところで、ポン、と、叔父の大きな掌が頭をひと撫でした。そのあまりにも突然の子供扱いに、びっくりとして顔を跳ね上げる。

 いつもはちゃらんぽらんとした叔父だけれど……ほら。こんな時だけ、そんな頼もしそうな顔をしちゃって。


「皆も知っての通り、我が養女リディアーヌと、養子であったエドゥアールは、ベルテセーヌ王家に嫁いだ我が姉アンネマリーの遺児だ。とりわけリディアーヌはこの聖痕を持って生まれたせいで、散々シャルルめに煩わされた」


 憎たらしいことに! と拳を握る叔父に、リディアーヌも肩をすくめた。一応そのシャルルも、リディアーヌの身内なのだ。申し訳ないことに。


「だから正直、現王室がどうなろうが知ったこっちゃない! のだが……」


 そう言いながらも、くしゃくしゃとリディアーヌの頭を撫でまわす手が離れることはない。


「それでも一応、愛娘の故郷であり、ヴァレンティンの宝玉と呼ばれた姉上が愛し、眠っている国だ。皆そのつもりでいて欲しい」

「ええ無論です」

「かしこまりました!」

「あの国は情報を集めるのが難しい。腕が鳴りますな」


 あぁもう。だから叔父様。あまりそう唐突に、かっこいい保護者にならないでよ。

 私、もう十九なの。子供じゃないのよ? なのに……甘えたくなっちゃうじゃない。

 甘えたく……。


「よし、じゃあこれで議題は全部だな。あとの細かい点はまた後日……」

「……お養父様」


 がしっっ、と、頭の上に乗っていた手を両手でとっつかまえる。途端、びくんと叔父が肩を跳ね上げるのが見えた。


「なんかちょっといい感じに締めようとしていらっしゃいますけれど、正直、ベルテセーヌよりも厄介な議題がまだ残っているのではありませんか?」

「い、いやー。もう全部じゃないかなー。全部、完璧、もうおしまい!」

「あんな“重大な荷物”をお持ち帰りになっていながら、何もご報告はないと?」

「けしからんですな」


 アセルマンの援護射撃も加わり、すっかり忘れかかっていた皆もはっとしたように叔父を見た。

 そう。そのものすごく大事な議題が、まだ残っている。

 この紙とインクの古めいた匂いの中に今なお混じる、強烈な香水についての議題が。


「い、いや、特に私からは何も……うん。まぁ、ちょっと余計な物と厄介者は付いて来たけど、それ以外は大体いつも通りだったよ」


 案の定、叔父の報告もまたいつも通りだった。王侯関連の話はおいそれと外には漏らせないため、会議では深く追求せず、後ほどリディアーヌやアセルマン候を含む少数にのみ別途知らされることが多い。なのでその報告でも問題はないのだが……今回ばかりはそうはいかない。


「どこがいつも通りなものですか、ジェラール様。よりにもよって皇女殿下からの書簡に、皇帝陛下からの勅使……一体どう扱えばいいのか、我々とて無関係ではございません」


 うん、それだよアセルマンくん。それを放置されては困る。


「あー……あれは。いやぁ、あれはなぁ……」


 言い(よど)む叔父の視線が、再びチラリとリディアーヌを窺う。


「何です、お養父様。ベルテセーヌの聖女出現以上に驚く話題もないでしょうから、ご遠慮なさらず仰ってくださいな」

「うーん……取りあえず……」


 どうせ叔父がまた議会でなにかやらかしたとか、話が通じないからリディアーヌに何か判断してほしいとか、そんな……。


「リディ。お前、クロイツェンの皇太子と既成事実があるなんてのはただの噂だよな?」


「……」

「……」


「……は?」

「ッ、いや、無い。無いよな! 無いと思う! 無ければそれでいいんだ! よし、解決した!」


 訳が分からない。既成事実? 何の? クロイツェンの皇太子……って、アルトゥールと?

 アルトゥールはリディアーヌのカレッジ時代以来の友人だ。家柄や成績が近かったこともあり行動を共にすることが多く、されど友人という関係以上であったことはない。今も変わらず親しく手紙のやり取りをしているけれど、しかし直接という意味ではもう三年は会っていない。

 それがなぜ突然、不貞を疑われねばならない事態になっているのだろうか?

 しかもいきなりどうしてそれを叔父に言われるのか。しかも重臣達の前で。よりにもよって、この場所で。


「なんとっっ。公女様のお相手はザクセオンの公子ではなく、クロイツェンのっ」

「いや、だがあちらは皇太子。次期皇帝候補だろう。婿にはもらえんぞ」

「既成事実……くっ。既成事実だとっ……許すまじ、クロイツェンめっ」

「大公家はどうなるのだ!」

「……」


 え、なにこれ。何で皆既成事実があること前提なの?


「はぁぁぁぁぁ」


 前言を撤回しよう。正直ベルテセーヌの話より驚いた。それはもう、驚いた。色んな意味で。


「ねぇ、お養父様。どうしてお養父様への皇女様からの求愛の手紙が、私に不貞の疑いをかけるお話にすげ変わったのかしら? 私はてっきりお養父様が皇女様に何かやらかして、皇帝陛下からのお叱りの使者がいらしたのだとばかり思っていましたけれど……」

「きっ……求愛などというなっ、おぞましい! それに皇帝の使者は、リディ、君への客だ!」

「はい?」


 なんですって。


「だ、だから、その……君が、親の知らぬところで皇帝の孫と……その」

「はぁぁぁぁ……」


 何やらひどい話になってきた。少なくとも身内だけで話すべき内容であるのは確かなようだ。


「ベロム大臣」

「はっ」

「よくわかりませんけれど、私への客であるなら、使者の応対は私の公女府で受け持ちます。典礼省は滞在中のお部屋と持て成しだけお願い」

「かしこまりました。他にもご用向きが有りましたら何なりとご指示下さい」

「ええ。それから詳しい事情はよく分からないけれど、一応皆に言っておくわ。クロイツェンのアルトゥール殿下とザクセオンのマクシミリアン公子は私の親しい友人よ。婿に来てもらえるなら歓迎するけれど、それが無理であることはお互いによく承知しているわ。だから変な勘繰りはよしてちょうだい。当然、既成事実なんてありませんわよ。大体、どうしてそんな話になったのやら……誹謗中傷もいいところよ」

「当然ですな。うちの公女殿下はそんなに安くはございませんぞ」


 そう頷いた百官の長たるアセルマンのおかげで、皆も恐々として口を噤んでくれた。最近この手の噂が多かったので、むしろいい機会だったかもしれない。


「後のことは私が直接お養父様からお伺いしますわ。アセルマン侯、会議の方は閉会してしまっても宜しいかしら?」

「皆、他に議題に挙げることはないか?」


 一応確認を取ったアセルマンに、皆が問題ないとでもいわんばかりに頷くのを見て、書記官もペンを置いた。ひとまずこれにて閉会である。


「シャリンナとベルテセーヌの件は引き続き、よくよくお願いいたしますわ。それではこれにて閉会と致しましょう。こたびも皆、長きにわたる議会での働き、ご苦労様でした。今宵は例年通り大広間で慰労の晩餐会を催しますので、時間まで寛いでいてくださいませ。青鸞(せいらん)の間を解放しておりますわ」


 小さくなっている大公様に代わって場を締めたところで、察しの良い皆がさっと立ち上がり、「それではお先に」と一礼してぞろぞろと部屋を出て行った。残るのは叔父とリディアーヌにアセルマンだけである。

 本当ならリディアーヌが一人で叔父の話を聞きたいところなのだが、叔父が議会で何かやらかしていないか、やらかしていた場合叔父を叱れる人物としてアセルマンにも居残ってもらった。






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