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3-16 前夜祭(1)

 結婚式の前日に開かれる前夜祭は、皇王陛下が我が子のために開く夜会だ。だから、明日の挙式で初めて城に上がりお披露目されることになる花嫁は出席しない。実際のところ、ヴィオレットはすでに城に滞在をしているようなのだが、一応表向きにはまだ城の外にいるはずなのだ。

 結婚相手が国内の貴族なら皇都内のタウンハウスか、タウンハウスがなければ借り切っているホテルか。国外の王侯であるなら皇室が用意した城の外の迎賓館かどこかで、花嫁は家族と、親しい身内や友人を招待して、皇城とは別に晩餐会を催す。けれどヴィオレットにはそうした身内もこちらにはいないし、実家のオリオール家とも絶縁され、当然ながら故国ベルテセーヌがそんなヴィオレットを気遣うはずもない。だから今宵は一人で過ごすことになるのだろうか。

 以前、随分とヴィオレット嬢に心酔していたらしいヴェラー卿の様子を見たことがあるから、あるいはそういうヴィオレットに絆された城の人間やアルトゥールの側近らが、お祝いをしているのかもしれない。現に、前夜祭の会場に着いたところで、すぐに目に付くアルトゥールの側近は一人として見当たらなかった。


 それに周囲を見渡している余裕なんてものはほとんどなくて、名を読み上げられ階段を下りきったところで、もれなく周囲を人に取り囲まれた。

 知っている人もいれば知らない人もいるも。中には「カレッジの一つ下の学年でした」「廊下でご挨拶をしたことがあります。覚えていらっしゃいますか?」なんていう、ほぼ他人のような人まで知った顔で話しかけてきたものだから、流石に(どう)(もく)した。

 覚えているはずないだろうに。

 だから、“あら、そう”なんて適当にはぐらかそうとしたのだけれど、それにはリディアーヌより早くマクシミリアンが人懐っこい顔で、「ははっ、覚えてるわけないじゃないか!」と仰った。


 おいおい……なんて歯に物を着せない。

 でもそうギョッとしたのはリディアーヌだけだったようで、当の本人は恥ずかし気に笑いながら、「ははっ、ですよね!」なんて言っていた。


 驚いた。マクシミリアンのあっけらかんとしているようで不思議と人好きする態度は、何故かいつも相手を刺激することなくするりと味方に引き込んでしまう。本当に、どうなっているのだろう。

 実際、相手は気分を損ねた様子など微塵もなく、改めてマクシミリアンと挨拶を交わしていた。適当に取り澄ますよりもずっと印象がいい。こういう所が、マクシミリアンを温厚で社交的な印象の貴公子にしているのだろう。見習うべきかもしれない。


「私も真似してみようかしら……」

「え、何? いきなり」

「貴方のその妙に人懐こいというのか、人好きするというのか、そういう所。尊敬するなと思って」

「お褒めに預かり光栄だけど……いや、でも駄目だから。リディは駄目。絶対に駄目」

「え? 何故?」

「私はいいんだよ。そういうキャラだから。でもリディがそれをしたらまず間違いなく“誤解”して調子付く男が続出するから、やめてくれ」

「誤解?」


 何を? なんて首を傾げたリディアーヌに、「同感です」なんてフィリックが後ろで呟いたものだから、仕方なく口を噤んだ。


「リディアーヌ様」


 しばらくそうして何人かと挨拶を交わしている内に、セリヌエール公とナディアがやって来た。

 上品なホルターネックに首元の華やかなフリルとふんわり広がるレッドブラウンのベルラインスカート。小柄で女性らしいふくらとした体つきのナディアに良く似合う。ひとつ格を落とした淡紅の大きな髪飾りも短い波打ち髪によく似合う。実に可愛らしい。


「素敵ね、ナディ。よく似合っているわ」

「リディアーヌ様こそ。それに……やっぱり、公子様と揃いなのですわね。ふふっ、これでは(ちまた)の噂が加速してしまいますわよ?」

「……それについては昼間に反省したばかりよ。トゥーリに嫌な顔をさせることしか考えていなかったの」

「それは……見事、公子様の術中ですわね」

「ナディ、何か言った?」


 ニコリと会話を阻んだマクシミリアンに、「お手際を褒めているだけですわ」なんて平然と白を切るナディアに、隣でセリヌエール公が肩をすくめた。


「今日一日で、妻の意外な一面をいくつも知りました」

「殿下方がご寛容であることを知っているから、私も調子に乗れるのです。他では致しませんよ、旦那様」

「よりにもよって、この帝国でもっとも権勢ある選帝侯家の殿下方を捕まえてそう言える君を見直せばいいのか、肝を冷やせばいいのか……私は皇立カレッジの出身ではありませんから、たとえ国内で(めい)(せき)の聞こえ高いナディアでも、よもや殿下方におくびもなく話しかけられ、冗談を言い合えるような立場とは露とも知りませんでした」

「ナディは特別よ。誰にでも許しているわけではないわ」


 そう口にすれば、セリヌエール公はますます恐縮したように苦笑して肩をすくめた。

 赤いマントの御仁と並んで話していると、流石に周りも気後れしたのか、段々と周囲の人垣が減り始めた。すると今度は、今まであまり縁のなかった他の王家の面々が集まって来た。

 面会の申し込みがあったけれど会えなかった人達だ。


 帝国最南端セトーナ王国の使節とは身に着けているアルテンレースの話で大いに盛り上がったし、シャリンナの王族とは昨今の海賊問題の話題で有意義な話が出来た。あちらも年若い姫がさも当然のように突っ込んだ商業や政治の話をこなすことに随分と驚いたようであったが、それについてはナディアがさも当然のように「帝国でもっとも栄えあるカレッジを次席でご卒業なさっているのですもの」などと言った。

 えぇえぇ、次席でしたとも。抜け駆けして首席をもぎ取ったマクシミリアンに続いて、アルトゥールと二人、同点次席。断じて恥ずかしくなるような成績ではなかった。でも首席でなかったことは、リディアーヌにとって不名誉なのことなのである。ナディアはちっともそんなつもりはないようだけれど。


「大体、今でも不思議なのよ。ミリム、貴方どうやって最終試験で首席を取ったの? 正直、私達の試験の解答なんて似たり寄ったりでしょう? 先生方も似たような点数ばかり付けていて、試験ではいつも僅差だったわ。なのに最終試験で貴方だけ十点も抜きんでて高かったのは何故?」

「私は友人達の弱点を知っているからね。ふふっ、秘密だよ」

「そう言って貴方はあの時も教えてくれなかったのよね」

「商政学のドロセール先生はいかがですか? 授業では皇太子殿下と随分と相性が悪かったみたいですし」

「さぁどうだろうね」

「でもリディアーヌ様の不得意分野なんて、私、一つも知りませんのよ?」

「私も知らない」


 ナディアの言葉もはぐらかして答えるマクシミリアンに、リディアーヌは言葉を噤んだ。多分これは何を聞いても答えてくれないやつだ。


「でもまぁ、それでも私からしてみれば、お三方とも別格でしたわ。何をどう努力したって敵いやしませんでしたもの」


 そうナディアがため息を吐くと、歩み寄ってきた同じ同級生のフィレンツィオが「確かに」と肩を揺らして笑った。

 マクシミリアンやリディアーヌとはすでに顔を合わせた後だったけれど、ナディアはまだだったらしい。すぐにも顔をほころばせて、「お久しぶりです、フィレンツィオ様」と歓迎した。フィレンツィオも随分と大人びたナディアをひとしきり褒め、セリヌエール公と挨拶を交わす。

 こういう、挨拶に甘言蜜語がぱっと伴って出てくるあたり、フィレンツィオも聖職者とはいえ東大陸の男だなと思うところである。


「お三方がいらっしゃるせいで、私達の学年は“四位”が首席と同義だったんですよね。ナディ……じゃ、なかった。失礼。セリヌエール公爵夫人とはよく四位争いをしましたね」

「ええ。でも折角四位を取っても、春に実家に帰ると“頑張っても四位なの?”なんてがっかりされるのです。一体何度、私達の学年が特殊であると論じたとも知れません」

「私などはよく、“それはどうしようもないことだ”なんて、(げい)()に慰められたものですよ」

「……そうなの?」


 思いがけず同級生達の今更な事情を知った。


「それを聞くと、私は運が良かったですね。同学年に対した競争相手がいませんでしたから」


 だがフィリックがそう呟くと、すかさずマクシミリアンが呆れた顔で「君にそんなことを言われると、うちの()()が泣き喚くよ」と呟いた。

 それを聞いてようやく思い至ったのだが、もしかしてマクシミリアンの次姉はうちのフィリックと同じ年頃なのではなかろうか。


「ザクセオンの二の姫様ということは……アデレテッタ公女殿下ですか? そういえば、よく首席次席がどうのこうのと突っかかられていましたね。たかだか点数で何を責められる(いわ)れがあるのか、よく分からなかったのですが」


 ちょっとまて。成績のことでよく突っかかって来る同級生の女子生徒……それは昔聞いた話だと、いつかフィリックに勝って恋人になってやるとか言って迫っていた女性のことではなかろうか。確かそんな話をフィリックの兄から聞いたことがあるのだが。

 まさか、それがアデレテッタ公女? マクシミリアンのお姉様だった?


「はぁ。主人が主人なら、側近も側近だね。リディ、君の文官は君に似すぎじゃない? 察しが悪いにもほどがあるよ」

「私を教育したのはほとんど彼の父と兄よ。だから彼が私に似たんじゃなくて、私が彼の家族にそんな風に育てられたの。私の罪ではないわ」


 でもアデレテッタ様には心からうちの側近の(ぼく)(ねん)(じん)ぶりを謝罪したいと思う。

 結局アデレテッタ様はその後国内で別の方と結婚して、先だって第一子もお生みになっている。下手にフィリックなんかに嫁がなくて良かったですねと言ってあげたいが……はぁ。妙な縁があったものだ。知らなかった。どうりで、マクシミリアンがフィリックのことを首席だなんてことまで知っていたはずだ。

 思いがけずそんな昔のカレッジ時代の話も聞けたところで、あまり聖都のベレッティーノ寄宿学校に子供を出さない他の王侯からも、「羨ましい学院生活ですね」「なるほど、皇立のカレッジも楽しそうですね」などの感想が聞こえた。

 そうして賑わっているところに、ざわりと上座の方で声が上がったのを耳にし、自然と皆の目がそちらに引き付けられた。


「あぁ、お出ましのようだ」


 そんなマクシミリアンの言葉の通り、黒髪を掻き流し、上等な衣装と重たげな紅いマントに身を包んだアルトゥールがやって来て、上座で両親に挨拶をしている様子を見た。

 ああやって見ると、やはり昔とは違う。随分と重厚感が出て、重苦しい礼装が良く似合うようになった。まるで、別人のようだ。

 しばらく皇王陛下らと言葉を交わし、集まった弟妹らに頷き返すような様子が見えたかと思うと、くるりと振り返り、その視線がまず真っ先に二人の友人を向いてピタリと止まった。そのせいで、皆の視線もまた自然とこちらに引き付けられる。

 だが如何(いかん)せん……こちらを振り返ったアルトゥールの面差しがこれでもかというほどに歪んで冷ややかになったせいで、周りがオロオロとし始めた。

 声に出して叫びたい――“誤解”である。


「くくっ。いい顔ッ」

「いい顔だけれどタイミングは最悪よ。見てよ。皆、何事かと戦々恐々としているわよ」

「友人達にドレスコードの仲間外れを受けて拗ねてるだけなのにね」

「おい、誰が拗ねてるって?」


 地獄耳かよ。

 カツカツと大きな歩調で真っ先にこちらに向かってやって来た皇太子殿下に、おっととマクシミリアンが口を噤む。

 それをフォローするかのように、いつもと変わらない微笑でドレスを摘まんで一礼したナディアが、「ご機嫌麗しゅう、皇太子殿下」と挨拶した。それに促されるように、はっとして、周囲の皆も道行くアルトゥールに挨拶と、そして祝辞を述べた。

 その様子に流石に少しは体裁というものを思い出したのか、「あぁ」とか「感謝する」とか短い言葉を返しながら多少歩調を緩め、やがて目の前に仁王立ちした。

 立ち姿が、もう説教モードなのがおかしくてならない。


「ご機嫌よう、皇太子殿下。良い夜ですわね」

「お招き感謝するよ。あぁ、それと一応、おめでとう」

「ご機嫌がいいように見えるのか? それと“一応”とはなんだ、“一応”とは」


 お前たちは相変わらず、とため息を吐くアルトゥールは、すぐに諦めたように二人を見やって、二度目のため息を吐いた。


「ヴァレンティンとザクセオンの物理的距離は何処に行ったんだ? お前達、どうやって揃えた」

「いや、すごいよね。ほんと、ただの偶然なんだよ」

「ええ。私、ドレスに使っているレースを少しおすそ分けしただけなのよ。なのにまるで一緒に(あつ)えたかのようにぴったり」

「流石、私達の仲だね」

「以心伝心というやつね」


 そうひとしきり調子に乗ったところで、三度目のため息を吐かれた。


「トゥーリ、あまりため息を吐くと幸せが逃げるというわよ?」

「誰のせいだ、まったく。はぁ……お前たちは本当に、話題に事欠かないな」

「主役より目立ってごめんなさいね」

「思ってないだろう?」


 うん、思ってない。


「これ以上ため息を吐かなくていいよう、まだ何か計画しているなら今のうちに洗いざらい吐いておいてくれないか。どうせまだ俺を揶揄おうと、あれやこれや画策しているんだろう?」

「まぁ、トゥーリったら相変わらず疑り深いですこと。そんな面倒、誰がするのよ」

「トゥーリは友人を疑う前に、まず自分の胸に手を当ててみるべきだね」

「そんなことで何か分かれば苦労しない」

「あれ? 昔ナディアから喰らった胸への一撃に、“自重を知った”とか言ってなかった?」


 突然の飛び火に、「きゃっ。公子殿下ッ、止めてください! アレは事故ですっ!」と慌ててナディアが口を挟んだ。


「そうよ、ミリム。あれは自業自得よ」

「自業自得じゃなくて、事故ですっ、公女殿下!」


 他愛のない友人同士の軽口が、ほっと周囲の緊張感を溶かす。


「胸への一撃って……何?」


 もっとも、セリヌエール公爵はさらに降って湧いた妻のお転婆時代のエピソードについて、突っ込まざるを得なかったようだけれど。


 ただ今宵の主役をいつまでも拘束はしておけない。すぐにも「ご挨拶を、皇太子殿下」「お祝いを申し上げます、アルトゥール殿下」と周囲から多くの人達が声を掛け始めたものだから、アルトゥールは少しだけこちらに視線を寄越して気にする素振りを見せたものの、頑張ってらっしゃいとばかりに手を振って送り出すと、仕方なさそうに人垣の中へと踵を返していった。

 実に大変なことである。






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