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3-15 日が暮れて

 それから間もなく、今度はクロイツェンに滞在しているヴァレンティンの大使と面会した。こちらの話はほとんどが情報の擦り合わせである。

 大使が連れてきた幾人かの文官も交え、応接間ではなく広いダイニングを用いて、フィリックやシュルトも席に着かせて、手際よくこなしていった。

 こちらからは、本国の状況とベルテセーヌについての情報を。大使の方からは昨今のクロイツェンの情勢と共に、こちらに来て以来のヴィオレット嬢の動向についても聞けた。


 まだベルテセーヌにいた時ほどの派手な行動はとっていないようだが、すでにベルテセーヌに拠点を置くはずのヴィオレットの懐刀――リベルテ商会が、海を渡って来て、何度か城に出入りしているという。おそらく皇太子妃の地位に着けば、また事業でも始めるつもりなのだろう。


「ただ、一国の妃殿下が直接商売をするわけにはいかないでしょうから……」

「ベルテセーヌでのやり方とは随分と違うでしょうね。でも皇太子妃がたった一つの商会を贔屓して後見するというのも外聞が悪いでしょうに」

「この辺りはまた今後の情報を集めて参ります」

「リベルテ商会だけでなく、ヴィオレット嬢と接触のある商会と市場の動向は一通り気にかけておいてちょうだい。経済的な混乱はもうリンテンで懲り懲りよ」


 その言葉には実感を感じたのか、大使も深く頷いた。

 それからクロイツェンからほど近いシャリンナ王国のこと、南東諸国郡のことなど、話題はまったく尽きないほどにあったのだが、生憎とまだまだ話したりないという所でマーサから「そろそろお仕度をなさいませんと」と声を掛けられてしまった。

 はぁ……流石に、フィリック相手でもないのに、身支度しながら報告を聞くというわけにはいかない。むしろリディアーヌがそんなことを言いだす前にと、「あとは私が伺っておきます」とフィリックに追い出されてしまった。


 頼もしいのやら、信用がないだけなのやら……。


 部屋に帰ればフランカが待っていましたとばかりにリディアーヌを椅子に座らせ、髪にたっぷりと香油を纏わせ始めた。予め準備の手順を何度もシュミレーションしていたかのように素早い手つきだった。

 正式な夜会になるので、仮につけていたヘッドドレスは外し、フランカがテキパキと上品に、それでいて華やかさのある編み込みを駆使しながら髪を結い上げて行く。それに胸元のコサージュよりは小ぶりながらエメラルドをあしらった豪奢な髪飾りを付ける。

 アクセサリー類もすべて付け替えてゆく。先程マクシミリアンの袖元にエメラルドのカフスを見たものだから、予定していたイエローサファイアではなく、宝飾類もエメラルドを選んだ。とりわけドレスに合わせて持って来ていた黄緑と緑と色味の違うエメラルドを一つにあしらったピアスは、ドレスにもリディアーヌの瞳にもよく合う。

 それから化粧を直し、羽織っていたショールの代わりに紫紺のマントを左肩にかけ流す。

 ただの夜会に紫紺は必要ないのだが、国賓として招かれている場であるし、昼間に見かけたコランティーヌ夫人も、ドレスの肩に紫紺の布をかけていらっしゃった。

 アルテンレースのふわりとした雰囲気のドレスを引き締めるのにもちょうどいい。


 やがて日が落ち始めた頃、マーサの手を借りながら階段を下り、二階でフィリックと合流しながら一階に向かった。そこではすでにマクシミリアンが待ってくれていて、先程とは打って変わってきちんと髪をかき上げ上着に袖を通し、それにリディアーヌ同様、ラフに左肩にかけ流した紫紺のマントと金色の装飾が、もはや昼間とは別人のようだった。


「リディ。少しくらい夕飯は食べた?」

「第一声がそれなの?」

「一番重要なことだからね」


 階段を下りるリディアーヌにエスコートの手を差し伸べてくれたので、さっとマーサが後ろに控えてエスコートを譲った。そのついでに、「ほとんど食べておられません」などと余計なことを吹き込んだ。


「マーサ……」


 でも言っておきますが、殆ど夕飯を食べられなかったのは貴女達が余計にコルセットを締めまくった上、中々身支度から解放してくれなかったせいなんですからね。


「くくっ。会場に着いたら、まずは何か食べさせるか」

「やめてちょうだい……胃ごと吐き出しかねないわ」


 その一言でマクシミリアンもドレスの締め付けの度合いを察してくれたらしい。少し憐れむような顔をしながら、「リディは細すぎるくらいなんだから。あまり締めないでやってくれ」と理解ある忠告をマーサにしてくれた。

 まぁ、これについてはマーサより、フランカにすべき忠告なのだが。


「殿方の正装は楽そうでいいわよね」

「甘いよ、リディ。この無駄にごてごてと重ねられた装飾品の重さを経験したら、一枚でも多く放り出したくなる気持ちが分かるはずだ」

「……あぁ」


 女性の装飾品も重量があるが、確かに、重たそうな金の(けん)(しょう)(しょく)(しょ)は見ているだけでも肩が凝りそうだ。意外と大変だったようである。


「貴方、確かそれで卒業パーティーの時、本当に上着をどこかに置いてきてしまったのよねっ。ふふっ、クラウス卿が探し回って……」

「あの時はこっぴどく叱られたな。置いてきて困るほど、あれこれと縫い付けないでもらいたいと心底思ったよ」

「そういう問題ではないのでは?」


 思わず目を瞬かせたところで、後ろでクラウス卿がコクコクと頷いた。

 ちなみにその後クラウス卿が庭隅で上着を発見した時には、ボタンというボタンが引きちぎられ、ポケットチーフもブローチも飾緒も、何もかも無くなっていた。

 その時はアルトゥールが『この高潔な学校に浅ましい連中がいたとは、嘆かわしいことだ』なんて眉をしかめたのだけれど、後日、最後の思い出にとマクシミリアンに声もかけられなかった女の子たちが少しずつ装飾品をちぎっていったのだと分かった時には大いに笑ったものだ。


「貴方は上着がないせいで、ラストダンスをトゥーリに譲ったのよね」

「ただの……適当な理由付けだよ。私はその気になれば上着なんてなくたってリディを誘える図太い人間だからね」

「……知っていたわ」


 馬車に乗り込みながら、いつも当たり前のように、けれどアルトゥールよりはるかに遠慮がちにエスコートしてくれるこの人の繊細さを、改めて実感する。

 彼は飄々(ひょうひょう)としているようで、その実、誰よりも細かに気を使い、相手を慮ってくれる人だ。強引なエスコートにも急な手の甲へのキスにも、少しだって押しつけがましさを感じないのはそのせいなのだろう。

 でも時にはそれが、少し物足りなくもあるのだ。


「貴方はいつもそう。何かと理由を付けて、必ず大事な所をトゥーリに譲るの」

「別にトゥーリに気を使っているわけじゃない。ただ君は、どっちが君とラストダンスを踊るのかだなんて“くだらないこと”に煩わされるのは嫌いでしょう?」


 そう。それはいつだって、リディアーヌのためだった。


「ええ、嫌いよ。でもいつも分かっていますとばかりに身を引く貴方への当てつけでもあったのよ?」

「そんな意地になる君と、素直に勝ち誇って君をダンスホールに連れて行くトゥーリを、私はどちらも可愛く思っていたよ」

「貴方のそういう所、嫌いじゃないわ」


 そう口にはしたけれど、でも自分で自分の言葉に引っ掛かりを覚えた。

 そういう所は嫌いじゃないけれど。でも……そんな風に気を使われて、いつもラストダンスの間中、結局はマクシミリアンのことが気になって仕方がなかった気がする。もしかして、これも彼の周到な計画の内なのだろうか?


「でも今日こそは私がリディのラストダンスを貰えそうだね。さすがにトゥーリが踊るわけにはいかないだろうから」

「あ……」


 そういえばそうだ。

 ふと顔をあげた先で、馬車の窓枠に肘を預け、静かにこちらを見る蠱惑的な笑みを見た。

 まったく……麻薬のような人だ。


「それもこれも、すべて貴方の計画の内?」

「流石にトゥーリが先にリディを諦めるだなんて想定外だったよ」

「何を言っているの? 貴方達は跡取りなのだし。そりゃあこれまではそう言っていればよかったでしょうけれど、いつまでも結婚しないというわけにはいかないでしょう? 貴方だっていずれは……」


 そう思ったのだけれど、じぃっとこちらを見ている視線に、その続きの言葉は噤まされてしまった。何故そんな顔をしているのか。

 怒っているわけでも笑っているわけでもなく、ただ薄く笑みを象ったまま、何を考えているのか分からない顔でまっすぐに見つめてくる。昔から、その顔をされると一番どうしたらいいのか分からなくてドギマギとしてしまう。

 相変わらず、何を考えているのかよく分からない。


「貴方は本当に、おかしな人ね。ミリム」

「好きでしょう? そういうの」

「……好きよ」


 言わされた、というべきか。

 ここまで好き勝手にリディアーヌを操れるのは、マクシミリアンくらいなものだ。この人はいつもどれほどのことを考えて、どこまで操っているのだろう。一度頭の中を交換してみたいものである。

 でも、いつも何かと軽いふりをしてはぐらかしてばかりいるマクシミリアンが、そんなことを言うだなんて。

 あぁ……彼は多分もう、もう一人の大切な友人を慮る必要がなくなったから。


「……トゥーリは、結婚するのね……」


 何故か今更になって、それを痛感した。


「あぁ。そうだね」


 静かに返って来た、どこか容赦なく聞こえる声色に、ぼうっと遠い窓の外を眺めた。

 この視線の先に見えている大聖堂で……明日、友は別の誰かと契りを交わすのだ。

 それがなんとも不思議な心地で。

 まだ実感と言えるほどには身に沁みず。


 けれどなぜか、無性にもどかしかった。






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