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3-14 セリヌエール公爵夫妻と

 その後、部屋には戻らず二階の応接間で客を待つことにした。しかし椅子に腰かけた瞬間から「追加でまた招待状が届いていました」とマクスが持ってくる手紙の数々、シュルトが届ける情報の数々を見ると、折角の気分転換が台無しだった。

 なるほど……この山を見ると、帝国議会の最中に叔父がほとんど社交をこなしてこない理由も分かる気がする。これは確かに大変だ。

 それでも面会相手が良く見知った顔だと、まだ気も楽なものである。


「よく来てくれたわ、ナディア夫人」


 最大の歓迎を示しながら応接間にお招きした友人は、去年会った時よりもさらに凛々しさを増したような様子で、綺麗なカーテシーと、しかし少しばかり親しみのこもった挨拶を交わした。


「この度はお招きいただき感謝申し上げます、公女殿下。それと、紹介させていただきます。こちらが私の夫、セリヌエール公爵イジドールでございます」

「お初にお目にかかります、ヴァレンティン公女殿下。イジドール・バトワ・ド・セリヌエールです。こうしてご高名なる殿下にお会いできたことを光栄に思います」


 セリヌエール公は華々しさこそないものの、整った堀の深い南方風の強い面差しと温厚そうな雰囲気の紳士だった。リディアーヌの亡き兄と同世代だったはずだから、二十代の中頃か後半か。おそらく見た目通りの性格ではないだろうが、いつぞやのグーデリックを知った後だと、そのきちんとした作法と謙虚に出た挨拶は好感を覚えるものだった。

 まぁ、ナディアを選んだというだけでもすでに十分、好感度は高いのだが。


「私も、私の可愛くも優秀な友を伴侶に選んだ見どころの有る殿方に、是非お会いしたいと思っていました。どうぞ気楽にお呼びください、公爵閣下」

「恐れ入ります、公女様。どうぞ私のこともお気軽にお呼びください。夫人からはかねがね殿下のお噂を窺っており、勝手に親しみを覚えておりました」


 できる事ならナディアと、ナディアの夫であるこの人とは砕けて話をしたいものである。なのでその申し出には喜んで首肯し、あまり堅苦しくない席とすることを暗黙の内に了解しあって、椅子へと促した。

 とはいえ、フォンクラークとは因縁も深い。互いに菓子や紅茶を毒見を念入りにし、側近達が警戒しあっているのは仕方がないことである。


「リディアーヌ様にはきっと多くの招待状が届いている事かと存じます。なのに真っ先にお時間をいただけて、嬉しゅうございます」

「私も会いたく思っていたもの。そうそう、ナディア。ドレンツィン領からの祝賀の使者はフィレンツィオだったわ。ナディアも来ていると聞いて、今宵会えるのを楽しみにしていたわよ」

「まぁ、懐かしい。これにあとコルドゥアがいれば第一班の同窓会だったのですけれど」


 残念なことに、いつも行動を共にしていたもう一人の女友達は属国の傍系筋に当たり、今回の式には不参加なのだ。代わりにコルドゥアの従兄に当たる跡継ぎが参加していると聞いている。

 そんな雑談と共にしばらくお茶を楽しんだところで、あまり時間を無駄にせず、早々に「本題に入りましょうか」と切り出した。


「このような場で何ですが、まずは昨年の不手際と危険にあわせてしまったこと、どうかお詫びを申し上げさせてください、公女殿下」

「謝罪はもう十分に頂いておりますわ、セリヌエール公」

「どれだけしてもしきれないのです。殿下のお手際により、我々は長年憂慮してきた事案を一つ、完璧な経緯によって排除し得たのですから」

「私にとっても、益の有ることでした」


 ただ両親の仇の一端を廃せたというだけでなく、このセリヌエール公と縁ができたということが何よりの収穫であった。

 彼と、そして彼らが担ごうとしているバルティーニュ公の動きは、リディアーヌ含むヴァレンティン家にとっても悪い動きではない。


「その後、そちらのご様子は如何(いかが)なものでしょう? まだ元王太子派がくすぶっていらっしゃるようですわね」

「どうやら先日もまた、ご迷惑ををおかけしてしまったようですね……重ね重ね、本当に申し訳なく思っております」


 そう深く謝罪するセリヌエール公に、「謝罪の必要はありません」と頭を上げさせた。

 確かに元王太子派の残党がいる事実について彼らに責任がないわけではないが、中途半端な裁き方になったのは断罪の張本人である皇帝陛下の不手際と言い換えることができる。フォンクラーク側が下手にへりくだりすぎるのも宜しくないし、リディアーヌの個人的感情としても、この辺の罪の在処は皇帝陛下側ということにしておきたい。


「まさかあんな事件が起きてなお、グーデリック元王子に加担するフォンクラーク人がいたなど、にわかに信じられない事なのですが」

「それだけ多くの者が、あの男のもたらす旨味にぶら下がっていたということなのでしょう。フォンクラークのリンテンとの取引は商会から役人、大使に至るまで総入れ替えになったと聞きました。連座して、恨みを抱いている人もいるでしょう」

「取引を続けることは温情かと思いましたが、あるいは皇帝陛下には“目を付けられた”状況なのかもしれませんね。公女様にはご迷惑をおかけしてしまいましたが、この件を反省し、今以上に徹底した対応を取らねばならないことを実感しました」

「とはいえ、クロイツェン国内にまで私達が捜査の手を伸ばしたり、勝手をしたりというわけにはまいりませんわ」


 ナディアの言葉もごもっともで、暗に、クロイツェンと懇意なリディアーヌが間に入って口利きしてくれたならという感情が籠っていることはすぐに理解した。

 相変わらず、ほわんと優し気な顔をしながら抜け目のない友人である。


「あら、ナディア。貴女だってトゥーリとは“悪友”じゃない。久しぶりにその可愛らしい声色でトゥーリをたじたじに追い詰める姿が見られるんじゃないかって、私、楽しみにしていたのよ?」

「あら、やだ。怖いもの知らずだったあの頃とは違いますわ」


 そうニコニコして見せているけれど、「え? 昔はしたの?」と、隣で旦那様がびっくりしている。

 どうやら妻のお転婆時代のエピソードはあまり知らないようだ。


「とはいえ……私達も、王太子こそ廃せましたが現国王を追い詰めるには、まだあと一歩、決め手に欠けるところなのです。それこそ、皇帝陛下は先の皇帝戦に批判的な“私達の君”の登極を快くは思ってくださらないでしょうから」

「……それは致し方のないことね」


 くしくもその一点は、皇帝陛下に睨まれているリディアーヌとは共感しうることだ。


「そういえば次の王太子に対する布告はまだですわね?」

「はい。しかしそれについてはいずれ、我が国の問題に多大な迷惑をかけてしまわれた公女様がお聞きして嘆かぬ結果をお伝えすることになるかと」

「なるほど。それは頼もしいお言葉ですこと」


 益々、彼らが擁立せんとしている“私達の君”とやらに会ってみたくなることである。


「だったらそんな貴方方に一つ……私から、贈り物をしたいと思うのだけれど」


 チラリと目配せした先で頷いたマクスが扉を開け、騎士に連れられて入ってきた青年に二人の視線が向いた。とはいえ、見覚えは無かったようで、コテリとナディアが首を傾げた。


「彼は、マグキリアン・コウム・ペステロープ」


 ペステロープ?! とすぐに反応した二人に、キリアンがきゅっと口を引き結ぶのを見た。直接的な罪はないといえ、フォンクラークの王族に準じる者達にはさぞかしその名を呼ばれたくないことだろう。


「かつて先王王子殿下によって故郷から逃がされ、現在はキリアンと名乗り市井(しせい)(くだ)っています。しかし殿下が身罷られた後、道を誤り、何年か前よりフォンクラークで“神の呪い”なる集団に与し、同時にその集団を壊滅させたと聞いています」

「なっ」

「ッ……」


 二人の声と顔が強張る。

 それは全く無理からぬことで、リディアーヌもまた彼らが落ち着きを取り戻すまで、ゆっくりと時間を待った。

 先に感情を整理したのはナディアの方だったようで、そっと夫の肩に手を添えたのを機に、セリヌエール公もまた深い吐息をこぼしながら、頭を抱え、そして顔をあげた。


「公女様……これは一体、どうしたことでしょうか」

「色々と訳あって、彼はフォンクラークからクロイツェンに。そしてベルテセーヌに入り、そのベルテセーヌから先だって秋の終わりにヴァレンティンに来たところを、捕獲……いえ、保護、なのかしら。どう呼べばいいのか、私も困っているのですが……ひとまず、この冬の間、ヴァレンティンにいました。事情があって存在を隠していましたが、この機会にセリヌエール公にお伝えしようと」

「何故……いえ、ですが……いえ……」


 まだ混乱しているのだろう。何と言葉にすればいいのか困惑して何度も口を噤むセリヌエール公に、代わってナディアがキリアンを見やった。


「“神の呪い”といわれる集団のことは存じています。悉く、国王と廃太子の周辺に不幸をもたらした正体。姿形を捉えることは難しく、ですが正直“私達”にとっては都合がよかったため、存在を放置していました。それがまさか、“壊滅”したと?」


 あぁ、そうだ。まずそれだ、と顔をあげたセリヌエール公に、チラリとこちらを窺ったキリアンに頷いて見せた。下手に間に入るより、キリアン本人の口から聞かせる方がいいだろう。


「間違いありません。彼らのやり方に疑問を感じた私が、自ら手を下しました。細かな協力者までは手を出していませんが、幹部六人とその手足として動いていた直近の者が十三人。これに便乗して内輪揉めで亡くなったのが十八人」

「それほどの規模が……」

「やり方に疑問と言ったが、一体何が?」


 セリヌエール公の疑問に、再びキリアンがチラリとリディアーヌを窺った。ただそれにはすぐには答えさせずに、「そう簡単にはお話しできませんわ」と自ら口を開く。折角手元にある情報だ。友人相手であろうとも、利用しないなどということはない。

 それはナディアの方も当然分かっているようで、すぐに首肯すると話の方向性を変えることを選んだ。


「それで、リディアーヌ様。私共にそのキリアンを引き合わせてくださったのはどういう意図での事なのでございましょうか」

「かつてベルテセーヌからキリアンの命を守ったは、私の亡き義兄です。私には彼の命を惜しむ理由があります。しかし彼が犯した罪は罪。いずれはフォンクラークにおいて、犯した罪に見合った償いをせねばならないことを、私も、そして彼も分かっています」

「……」


 じっと黙って聞く姿勢を取る彼らに、ひそかに息を吐く。

 今思っているのは、おそらく安堵だ。彼らが話を聞くまでもなく“王族殺しの罪人”の極刑を求めなかったことに、安心しているのだ。


「でも今の彼の状況はちょっと複雑だわ。彼はフォンクラークでヴィオレット嬢と面識を得て、彼女の従士のような立場とみなされ、その繋がりでアルトゥール殿下の手駒としてベルテセーヌに送り出されていました。しかし何か思う事でもあったようで、その手から逃げ出し、ヴァレンティンに現れたのです。くしくも、アルトゥール殿下を裏切る形で」

「それを、ここに連れてこられたのですか?」


 思わず口を開いたナディアが、すぐに「あらいけない」と口元に手を添えたが、その疑問はまさしくその通りだ。つい先日、マクシミリアンがアンジェリカに抱いたのと同じ感想であり、リディアーヌもまた呆れた顔で苦笑しながら、「そんな予定は微塵もなかったのよ」と、事情を簡単に説明した。

 但し、ザクセオンにキリアンのことを隠したように、フォンクラークにはアンジェリカのことは隠しておいた。


「私達ヴァレンティンとしても、クロイツェンとはベルテセーヌの一件で揉める所が多い状況。できる事なら今しばらく、彼はこちらの手駒として使わせてもらいたいと思っています。セリヌエール公……どうかしら? 必要な情報が有れば、キリアンから融通させます。しかし彼自身を引き渡すのは、貴方方が正式に王権を奪ってから……それまでは私が彼を使うことを黙認する。そういう取引を、致しませんこと?」


 じっと押し黙って考え込んだセリヌエール公は、少しの間キリアンを見つめたかと思うと、やがてゆっくりと息を吐いた。


「中々、私の独断では決めかねることですが……しかし公女様にはすでに度重なる御恩がございます。この度もまたうちの元王太子派がご迷惑をおかけしたばかり。それでいて、どうして公女様が手に入れた希少なカードを横取りなどできましょうか」


 温情のある発言だが、それもこれもリディアーヌが体を張って得た“借り”というやつだ。キリアンはそのおかげで、猶予を得た。それが分かっているのだろう。引き渡されないと知りながらも、キリアンはきつく拳を握り、己を恥じたようだった。


「合意ということでよろしいですわね?」

「はい。“我が君”には私からご報告させていただきましょう」


 頷き合うと、すぐにフィリックに用意させていた書類を準備させ、サインを綴り、印章を捺してセリヌエール公に差し出した。

 いずれフォンクラークで現国王が倒れ、署名する者が王権を握った時、フォンクラークで大罪を犯したキリアンを引き渡す……そう誓約する書類だ。

 フォンクラークに引き渡された後、彼がどうなるのかは分からない。けれどその時までの猶予に、彼は彼が知りたいことを知り、そしてただ一人の妹に謝罪し別れを告げるべきだ。リディアーヌは自分がセリヌエール公達に対して得た借りを、その時間を以て返してもらうことを選んだのである。

 書類を作らせる間、フィリックはまだどこか気に入らないような顔をしていたけれど、リディアーヌがきちんと最終的にはキリアンを手放すことを選んだためだろうか、苦言はこぼさなかった。これが、リディアーヌにできる精一杯である。


「もしいつかその日が来た時……できる事なら貴方方には、かつてのフォンクラーク王の凶行に“ペステロープ家”が無関係であったことを、証明してもらいたいものね……」

「……それは……」


 フォンクラーク側にとって、ベルテセーヌの先王暗殺の実行犯として罰されたその家については、見ず知らずの身に覚えのない話だったはずだ。だから証明と言われて困惑するのは分かる。だがその困惑こそが、証明なのだ。


「そうすればその時、キリアンはその恩に報いるべく、廃太子のただ一人の王子が王太子たりえない理由を証明してくれるはずだわ」

「ッ……」


 一瞬言葉に詰まったセリヌエール公は、しかしそのことについて察する所はあったのだろう。すぐに口を引き結ぶと、「覚えておきましょう」と深く頷いた。



 その後、すぐに彼らは退席した。

 引き渡されること無く部屋に残されたキリアンは、しばし何か言いたそうに口ごもっていたけれど、リディアーヌがゆっくりと残ったお茶を飲み干すのをみると、意を決したように、口を開いた。


「その日が来るまで……私に、時間をください」


 何をする時間なのかは聞かなかった。

 それは彼が選ぶことだ。王女ではないリディアーヌは、彼の主ではない。リディアーヌに、それを指図する権利はないからだ。


「せめて最後に、貴女に……亡き王女殿下への御恩を、お返ししたく存じます」


 その言葉は、聞こえなかったふりをした。

 彼を救うことはできない。できないけれど……かつての忠臣であり縁の深かったペステロープ家の無念が晴れる事を、リディアーヌは望んでいる。望み続けている。

 先王暗殺の一件では、先王と共に王妃もまた害を被り命を落とした。

 元王女ではないリディアーヌには先王暗殺の一件に介入することはできないけれど……でも“伯母”であるヴァレンティン家の元公女を害した者については、裁く権利がある。


 そのか細い繋がりが残っていることに、リディアーヌは安堵しているのである。






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