表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
100/428

3-12 虚構と現実(1)

side ヴィオレット

 彼女、ヴィオレット・ディアン・ピエル・オリオールの身に起きた事は、一朝一夕に説明できるものではない。

 彼女には“村崎すみれ”という、あまり良いとはいえない環境に耐えながら疲労を募らせつつ死に近づいていっただけの、冴えない女性としての記憶があった。何一つとして面白みのない、平凡で、恵まれない人間の記憶だ。


 すみれの記憶にある限り、ヴィオレットは『追放された悪役令嬢は自分の力で幸せになります!』なんていうありきたりなタイトルの小説の主人公だった。

 全三冊。最初の追放編では、突如現れた聖女に許嫁を奪われるが、その聖女が“偽物”であることを知ってしまい、それを調べていくうちに今の王家や自分の実家の悪行を知ってしまう、という内容だ。だがそれを察した国王が聖女に加担し、主人公を追放する。

 第二巻の解放編は、自由の身となったヴィオレットが追放された先で慣れない生活に苦労する中、クロイツェンの皇太子と出会い、故郷ベルテセーヌの不実を正すための協力を得るための契約を結び、ついには国王を退位させるまでに追い込むのだ。

 そして第三巻で、皇太子は運命の相手と。ヴィオレットもまた別の運命の相手と結ばれるわけだが……正直、ヴィオレットの相手とやらは突然のポッと出感があり、むしろ二巻のメインヒーローだった皇太子とくっつくものだと思っていたいち読者としてはがっかり感が否めなかった。


 ただ、その皇太子と“悲劇の王女”とのラブロマンスは良かった。もはや三巻の途中からは、ヴィオレットの事なんて忘れてそっちに熱中したくらいだ。

 そのため“王女”をメインとした二次作品を読み漁り、自分でも同人誌を描き上げ……たところで、村崎すみれの記憶は途絶えている。

 仕事と遊びと遊びの域を越えた趣味に体力の限界を迎えたらしい。ふと気が付くと、なぜか全く見覚えのないベッドと見覚えのない部屋で、見覚えのない恰好をした少女に転生していた。その記憶が、ヴィオレットが一番最初に思い出した“自分の記憶”だった。


 それが私。幼い頃、強烈に目の前に現れたリディアーヌ王女に対する憧れと羨望と、そして自分でも理解のできない嫉妬心を抱いていた、オリオール侯爵令嬢ヴィオレットである。


   ***


 すみれとしての記憶を思い出してからの行動は、明快だった。

 悪役令嬢の断罪まで三年。小説では偽聖女アンジェリカの正体も、彼女がとる行動も、世の中で起きる事件の一つ一つも、そして主人公ヴィオレットが許嫁との断罪イベントを乗り切る様子も描かれていたから、どう行動すればいいのかは分かっていた。

 とはいえ折角の記憶だ。すみれの知る世の多くの悪役令嬢シリーズのように、色々な商売に手を出した。料理チートも服飾チートも面白いくらい上手くいったし、思わず見かけた孤児院や貧民街の惨状には、悪役令嬢なんだからこのくらいやっていいよねと惜しみなく援助して、彼らのための学校も作った。

 この国はすでに腐っているといってもいい程の状況だけれど、いずれ“正しくなる”国なのだ。先んじてちょっとくらい綺麗にしておいても悪くないはず。


 この国の王太子は、馬鹿で愚かで身勝手な人間だった。ヴィオレットがやることなすことすべてに文句を言い、時には功績を取り上げて恋人に与えようとしたこともあった。そのたびに怒りが込み上げてきたけれど、自分が積み上げてきた実績とそれを助けてくれる人達の温かい言葉が背を押して、ヴィオレットは着実に功績を挙げていった。それこそ、王太子の名声を脅かすほどにだ。

 そしてこのいくつもの出来事は、着実に“ヴィオレット”を“すみれ”に。そして“すみれ”を“ヴィオレット”にしていった。


 元のヴィオレットは両親と婚約者からの愛情を求めようと必死だったようだけれど、すみれの記憶は“そんなのこっちから捨ててしまえ”とヴィオレットの背を押した。

 原作を知るヴィオレットは自分の家の救いようのない悪行を知ってしまっていたし、いざ吹っ切れてみれば、親を親とも感じなかった。それを悲しいとも思わなかった。むしろ毒親を裏切ることに、ヴィオレットの中のすみれは自分の憂さを晴らせたかのように喜び、ヴィオレットをも慰めてくれた。

 またヴィオレットの社会的な成功は、これまでのどんな賞賛をも吹き飛ばすほどの名声を与えてくれた。すみれの記憶のおかげで、ヴィオレットはかつて欲しくても手に入れることのできなかった人々からの信頼と称賛に、承認欲求を満たされたのだ。


 やがてそれさえも裏切られ、“国外追放”の処分を受けた時も、悲しみなんてものは微塵もなかった。むしろ『ようやく追放してくれるのね』と高らかに微笑んで見せた瞬間の心地よさといったらない。

 そうして追放になった先で、“来るべき時”を待ちながら、ただ素朴にパンを焼く生活も楽しかった。実際、すみれの記憶もあって、堅苦しい令嬢としての生活は生き辛かったのだ。原作では追放後の生活で苦労していたヴィオレットだが、すみれの記憶を持つヴィオレットには何ら町中での生活も苦にならなかったし、むしろ性に合っていたと思う。だからそんな素朴な時間も、決して悪くはなかった。

 そこに突如、第二巻のキーマンとなるペステロープ家の生き残りが現れた時にはシナリオと違う展開に驚いたけれど、未来を知っているヴィオレットは彼に暗殺されかけるというシナリオを回避すべく自ら声をかけ、味方に引き入れた。

 そしてついに、出会った――転生後も散々ヴィオレットをイラつかせてくれたクロードを追い込んでくれる救世主。この大帝国の皇帝陛下の孫にして皇国の皇太子。将来“皇帝の座に着く男”アルトゥール・ジーク・エルヴィン・フォン・クロイツェンに。


 すみれの記憶よりはるかに冷ややかで酷薄な印象を与える根っからの皇子殿下に最初は随分と苦労したけれど、優しくされる必要はなかった。

 彼は第二巻のメインヒーローでありながら、ヴィオレットの運命の相手ではない。しかしそれでいながらヴィオレットを助けてくれる最大の協力者なのだ。



 だがいかに平民生活が順調だったからと、気を緩めてしまったのは失策だった。ヴィオレットは働いているパン屋に現れたその人に、つい原作にはない形で声を掛けてしまったのだ。

 あの時はよかれと思ってしたことだった。

 原作では、クロイツェンの皇太子が取り付けたフォンクラークとの交易条約の裏でフォンクラークの王太子による麻薬密輸事件が起きるが、これに皇太子の積年の想い人であるリディアーヌ公女が巻き込まれたと知り、皇太子が助けに駆け付けるのだ。

 そこで皇太子はフォンクラークの王太子に見事証拠を突き付けて追い詰めるというヒーローの名に違わぬ活躍をし、それを見たヴィオレットは『この人ならば』という期待を抱いて、自分がベルテセーヌの現王権を打ち崩す手伝いをすることを持ち掛けることになる。

 しかし現実のヴィオレットは、どうせなら事件が起きる前に止めた方が皆幸せになるはずだと、お節介を働いてしまった。


『すぐには信じられないかもしれませんが……信じてください。このままだと、リディアーヌ公女殿下が事件に巻き込まれてしまいます』


 突然そんなことを言ったヴィオレットに、皇太子アルトゥールは随分と(いぶか)()な顔をした。今となっては、当然だなと反省する所なのだが、あの時は自信満々だったのだ。

 結論からいうと、この忠告は完全に裏目に出た。アルトゥールという人は、あろうことかヴィオレットの“未来を知っている”という話を見極めるべく、まったく動かなかったばかりか、原作のように公女を助けに駆け付ける事すらしなかった。

 驚嘆して『どうして?!』と問い詰めたのだが、返って来たのは『心配せずとも彼女なら自分で解決する』なんて淡泊な答えだった。

 もしかしてどこかで原作とずれて、二人は恋焦がれ合う関係ではないのか? なんて疑ったのだが、後にアルトゥールの周辺の人達から、『あの信頼の重さが、殿下なりの深い愛情の裏返しなんですよ』『(ひね)くれてますよね』などと聞いて、何やら妙に納得した。

 そういえば確かに、原作でもそんな難儀な皇子様だったかもしれない。


 とはいえ原作と大きく変わったせいで、それからはちょっと大変だった。

 アルトゥールも一応裏でこそこそと証拠集めはしていたらしいのだが、表向き完全に傍観に徹したせいで皇帝陛下に目を付けられ、弁明せねばならなくなった。

 当人はなぜか余裕だったが、『予知できるんだろう?』なんて挑発されたヴィオレットは随分と奔走させられ、とにかくアルトゥールに急いで皇宮に向かうよう言い国境沿いに向かったが、くしくも大雨によって立ち往生し、急ぎ到着した時には、もう前日に公女がすべての始末を終えて皇宮を発った後だった。

 原作で皇帝陛下が言っていた『この一件で薬物制約の機運が高まり、教会派からの指示を得る一助として転じられる』との言葉を借りて、アルトゥールに教会に近づくよう指示したのはヴィオレットだ。

 指示だけすれば、彼は容易く意図を汲んで直轄領の大司教を抱き込み証拠を融通し、あたかもリディアーヌにクロイツェンが尽力していたかの体で印象付けながら教会からの好意的な評価を得て来たのだから、もはやヴィオレットなんて必要なかったのではと頭を抱えたほどだ。おかげで、皇帝からの追及の目はなんとか回避することができた。

 多分、自分は様子見されていたのだろう。本当に未来を知っているのか。本当に使える人間なのか。一体どこからどこまでが彼の掌の上だったのかは分からないが、アルトゥールという人がどれほどに優秀な人なのかは十分に実感することになった。



 それからの小説の流れでは、ヴィオレットはアルトゥールと“契約”を結ぶことになる。

 二人の関係はあくまでも協力関係であって、恋人、ましてや結婚なんてする間柄ではなかった。だから第三巻においてヴィオレットはアルトゥールを皇帝にする手伝いをし、一方のアルトゥールはヴィオレットがベルテセーヌに復讐を果たし、ベルテセーヌの王妃となる手伝いをする。そして互いは互いの想い人と結ばれてハッピーエンドとなるのだ。

 だがアルトゥールと“悲劇の王女”とのラブロマンスはともかく、ヴィオレットは最初から自分の“運命の相手”とやらにまったく関心がなく、むしろ原作を読んでいる時からアルトゥール推しだったくらいだ。このまま原作の通りとなる気は毛頭なかった。


 じゃあ自分がやりたいことは何なのか?


 思えば、ベルテセーヌでの商業活動は楽しかった。ただ前世での知識を使ってあれこれと商品を開発しただけなのに、誰もが驚嘆し、褒め称え、莫大な富を生んだ。そんな成功の記憶もまだ新しい上、海を渡ってやって来たクロイツェン皇国は、何もかもが繫栄して賑やかで、革新的なことを拒まない風潮がヴィオレットにとても合っていた。ベルテセーヌでは何かと保守性ばかりが重んじられて窮屈だったが、ここでは自分の好きな格好や、自分の好きな行動をとっても怒られない。

 こうなると、恋愛なんてどうでもいいから、アルトゥールが皇帝になる手助けをした功績で、クロイツェンで自由に生きて行けるだけの地位と権利と、生きていくのに十分な金銭でも受け取って、悠々自適に暮らすスローライフなんてどうだろうかと考えた。

 だからこそヴィオレットは“原作と少し違う形”で、アルトゥールに“契約”を持ち掛けた。

 原作では“契約婚約”を結び、婚約者という体裁で協力し合い、最終的には円満に婚約解消し、互いに互いの運命の相手と結ばれた。円満に解消できることは分かっていたので、その上で契約婚約を持ち掛けたのは同じだが、条件は将来的な自由であった。

 それが一体どうして、こんなことになったのか。


『信じられないな』


 持ち掛けた瞬間、笑っているのに笑っていない顔でそう告げた皇子様の怖さといったらなかった。

 原作では結構すんなりと契約を飲んでいたはずなのに、何故こうも違っているのか。皇子様はなぜか、“契約婚約”ではなく“契約結婚”を条件に出してきたのだ。

 公女様に恋しているはずなのに……おかしい。

 まぁ……世の中の“悪役令嬢物語”というやつは、普通は隣国の皇子に()()められたりするものだ。もしかしたら、もしかしたのでは……というのはさすがに早とちりだろうか。


 そして二人は、契約を結んだ。

 一つ目に、協力しあう上で外聞と監視の意味合いから“結婚”の体裁をとるが、時が来れば円満に離婚すること。

 二つ目に、ヴィオレットは知識を以てアルトゥールが帝位に着けるよう協力すること。

 三つ目に、アルトゥールはヴィオレットのやりたいことを制止せず、望む商売や改革などを手助けし、また時に資金援助をすること。

 四つ目に、アルトゥールが帝位につき目的が果たされたならば、アルトゥールはヴィオレットに、クロイツェンへの永住権と自由に活動するのに邪魔にならない程度の身分と十分な金銭を与えること。

 そして互いの利害の一致から、いくつかの今後の方針などについての調整も行った。


 多少原作とは変わってしまったが、どうせ円満に別れるつもりなのだ。婚約だろうが結婚だろうが、大した違いはない。多分……ない。

 ただ一つ不安があるとしたら、アルトゥールがリディアーヌと久方ぶりの再会を果たすのが、本来、もっと先だったことだろうか。まさか婚約が結婚に変わっただけで、その時期が大幅にずれてしまうだなんてことは想像していなかった。

 どうしたものか。やはり先んじて王女に、『この結婚はただの契約で、誤解しないで欲しい』とか弁明しておくべきなのか。

 いや……だけど、そんなことを考えると、何故か胸の奥がぎゅっとする。


 分かっている。自分は、惹かれてはいけない人に……ヴィオレットの運命ではない人に、惹かれ始めているのだ。

 だから、このままでは駄目だと腰をあげた。

 自分を律するために。運命を変えないために。アルトゥールとリディアーヌの美しい恋物語をめちゃくちゃにしないために――。






評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ