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虹の橋

作者: 深海聡

 子どもの頃は、知らなかったこと。

 言葉の奥に隠されたもうひとつの意味、二重底のような言葉たち。

 言い伝え、伝承、そういった文化を知らなければ拾えない意味に、時々ゾクリとする。

 虹は、幸せとか平和の象徴なんだと、ずっと思っていた。

 だけど。

 そういえばあれも水にまつわるものだったねと、納得した自分に苦笑が漏れる。

 あるいは、橋であることが重要なのかと、首を傾げる。

 私は、何気ない様子で歩いていた橋の手すりに腰を下ろす。

 黒い、丈の長いワンピースは夏物でも、強い日差しを吸って熱気をいや増す。

 落ちる汗をぬぐいながら、川底をさらさらと音もなく流れていく水を眺める。

 全てが、静かで。

 蝉の声さえ途切れた中で。

 私は、じっと水面を覗き込む。

 自然と口ずさんだのは、有名な英語の曲。

 明るい曲調でありながら、ありったけの憂いを詰め込んだような歌詞に、大人になってギョッとした思い出がある。


「Somewhere over the rainbow...」


 汗に紛れて落ちる涙をぬぐいもせず、私は水面を見つめる。

 日差しは強く、蝉は再びうるさいぐらいに鳴き始めた。

 空から、日光と共に喧騒が降り注いで、矢のように私の心を射る。


「痛い」


 思わず零れ落ちた言葉は、日差しに対する愚痴なのか、気分の問題なのか、自分でもよく分からない。

 ただ、手にしたままの日傘を手放して、心のままに振舞ってみたくなる。


「痛いよ」


 零れ落ちた雫が、コンクリートの上に染みを作る。

 不意に、暑さを和らげようと店先に撒かれた水に、キラキラと七色が映る。

 どれほど落ち込んでも、痛くてたまらなくても、汗か涙か分からないほどにぐちゃぐちゃでも。

 不意に心に飛び込んで来たその煌めきと色を、私は言葉に紡ぎ出したくて息を吸う。

 ああ、筋金入りだと苦笑をする。

 自分自身の抱えた感情がどれほど自分自身を痛めつけても、それすらもどうやって伝えようかと言葉を探す。

 この世界の美しさも、残酷さも、身の上のみじめささえ。

 全てはあふれ出る文字の洪水で、尽きせぬ言葉の海で。


「ごめん。本当に、ごめん……」


 ずっと一緒だよと、いつかの約束が手の中からすり抜けて風に吹き上げられる。

 ひらりと舞って、空の青に吸い込まれて消えてしまったそれを、じっと目で追ったまま動かない私を、チクチクと太陽が刺す。

 光を失った影のようにうずくまったままの私でも。

 たとえ、約束だけが君に連れられて虹の橋を渡るのだとしても。

 私の心の一部分をあげるから。


「だから、行けない」


 何もなかったかのように、重い腰を上げて現実を踏みしめる。

 不意に晴れた空から、雨粒が落ちる。

 地面に届く前に消えてしまうような細かく、弱い雨は陽の光を集めて虹の橋をかける。

 さあ渡っておいでと、君の声が聞こえるようで。

 きっと、その先にはここのような灼け付くような感覚など、ないのだろう。

 君が、うらやましい。

 心底、うらやましい。

 そう恨み言を繰り返しながら、トボトボと歩く。

 ふと、消えていく虹にさっきまで感じていた気配が消え去ったことを感じて、唇を噛む。


「君が、いなくても、」


 言葉にならない息が、零れ落ちる。

 感情が言葉になり切れずに、零れ落ちる。


「美しくないな、全然美しくない……」


 汗が目に染みて、涙が出る。


「それでも、嫌になるぐらい、生きてる」


 見上げた空は雨の名残すらなくて、虹の橋は、もう跡形もなく消えてしまっていた。

 ただただ、眩しいほど、青い空だった。

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― 新着の感想 ―
虹の橋、その言葉の意味を知った時、あぁそういうことなんだなと思ったことを覚えています。 綺麗な表現のその先には、どうかその彼が彼女がしあわせでいてほしいことの表れなのかと。 遺された者の悲痛と、それで…
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