殿下、貴方にだけは言われたくないのですが
「ノエリア、君との婚約を破棄させてもらう」
「えっ?」
「考えてみたまえ。君は特に一番に秀でた所が無いではないか」
「どういう事でしょう」
「わざわざ言わせるな。
君の学業成績はリネア嬢、美しさで言えばカリーネ嬢に劣るではないか。
ついでに身分で言えば君より家格が高い令嬢もいる」
そんなオルヴァ王太子殿下の言葉に私は衝撃を受けた。
確かに私の学業成績は学年1位ではない。
だが美しさというものは人の基準がそれぞれだし、生まれた家格自体は努力しようもない。
『殿下、そういうあなたは何なのですか?
学業成績では私に遠く及ばず、語学も同様で私が通訳に入っているくらいではないですか』
私はオルヴァの婚約者として非公式ながら既に外交デビューしている。
無論、未だ学生の身分であるから重要性で言えばそれほどのものでは無いが。
私の気持ちを無視する以前にそういう事実を考慮しないで一方的に婚約破棄を申し渡すとは非常識も極まりないのではないか。
。
『殿下、あなたにだけは言われたくないです。
親から与えられた容姿やたまたま王家に生まれたという家柄。
あなた自身の力で努力して何かを得た事はありますの?』
悲しみ・屈辱感・怒り。様々な感情が私の中で渦巻く。
しかし相手が王族である以上何を考えても無駄だ。
いくら出来の悪い王子でも父王陛下へ話を通さずにこんな事を言わないだろう。
つまり、もう結論は出ている。
表面上はどうにか平静を装って私は返事を返した。
「……承知致しました、殿下」
「うむ。私は王太子である自分にふさわしい人物を伴侶に迎えたい。
いずれ国母になる女性には全てにおいて完璧な女性が望ましい。
そういう事と理解してくれ」
聞いて呆れる。
そういう事を言ったら王立学園を首席卒業する令嬢を迎えればいいだろう。
わざわざ卒業前に婚約などする必要がないではないか。
学業が最も出来る人が仕事でも必ず1番になれるかと云うと現実はそうではない。
更に言うと美人であるとも限らないし家格が王族に相応しいとも限らない。
何より人間には容姿や肩書では測り切れない様々な無形の力というものがある。
自分にそれが備わっているとまでは自惚れないけど。
生まれた時点で誰よりも敬われる地位にいる人間にはまるでわからないらしい。
地位が人を作るという言葉があるがどうやら殿下には当てはまらない様だった。
薄々気付いていたけれどもそんな人間はこちらから願い下げである。
「では手続き関係は王家の法務官と君の御父上と済ませる。
もうこの時点で私達の関係は無くなったと考えてくれ。ではな」
元婚約者の王太子殿下はそう言って私の前を去って行った。
後に残された私の心に改めてふつふつと怒りの感情が湧き上がってくる。
私の成績は学年3位だ。
それでも学業成績は王太子殿下の婚約者として恥ずかしくない程度の成績は残していたつもりだった。
ちなみにオルヴァ殿下は上位20位以上に入った事は一度もない。
確かに妃教育を言い訳にしていた部分もある。
しかしあそこまで言われる筋合いは無いはずだ。
婚約破棄となったからには妃教育の時間がまるまる無くなり時間に余裕ができる。
私の心に火が付いた。
まず、成績で殿下を見返してやる。
殿下の意中の人がカリーネ嬢である事は気付いている。
意地が悪いが彼女には在学中ずっと成績は私の下に甘んじてもらう。
ささやかな意趣返しとしてそれくらいしか出来ないが。
それとは別に考えを改めた事もある。人は1番になる為に努力するのだ。
どこかの誰かが「2番じゃダメなんですか?」と言った事があるが駄目に決まっている。
一生懸命にやった結果の2番なら問題ない。次に向けて頑張ればいいだけだ。
しかし初めから2番でいいと済ませるのは単なる怠惰な愚か者にすぎない。
だらだら与えられた事のみこなし、流される様に生きるのも一生。
自分で常に目標を持ち、進んで努力してやりがいのある人生を送るのも一生。
そういう意味ではこれくらいでいいかと思っていた私自身も愚か者だった様だ。
大いに反省している。
その事に気付かせてくれた殿下を感謝する気にはなれなかったが。
その後、私は自分の才能を伸ばす為の努力を惜しまなかった。
妃教育に割いていた時間がまるまる使えたのが大きい。
学業成績は常に1位をキープして得意の外国語も複数の言語をマスターした。
前向きな気持ちの努力なので気持ちに張りがあり疲れる気がしない。
妃教育に縛られていた時間も無くなって融通が利きやすくなったおかげでかえって
友人達と過ごす時間も増えていった。
学生の身ではあるけれども父の手伝いもする様になった。
実家のレンダール領は海辺の領地であり、国の重要な貿易窓口の一つである。
複数の外国の言葉が話せる事と妃教育時代に叩き込まれた外交マナーが大いに役に立った。
充実感一杯の毎日を送るようになったある日、私は父から呼ばれた。
「ノエリア、お前に縁談があるのだが」
「……本当ですか?」
「ああ。お前が婚約の話に敏感になってしまったのもわかる。
前の事もあるし、私だけの判断で決めかねる話なのでな……」
「……」
「お前には今、意中の男性はいないのか?」
「はい、お恥ずかしながら。
毎日が充実していたけど恋愛する事だけは忘れていました。
無意識に避けていたのかもしれませんが」
「……そうか。実はな、今回お前に婚約を申し込んだ相手というのはこの国の者ではない。
隣国のマティアス皇太子殿下なんだ」
「ええっ!」
私は心底驚いて思わず声を出してしまった。
隣国といってもマティアスはこの世界で覇権を争う2大国の内の一つアムレアン帝国の皇太子だ。
形式上この国は帝国と友好関係にあるが云わば属国と言っていい立場でもある。
その国の皇太子がなぜわざわざ私を?
「以前から御忍び外交の時でのお前の博識ぶりに感心して興味を持っていたらしい。
そんなお前が今回、オルヴァ殿下と婚約破棄に至ったのでな。
アムレアン帝国皇家より正式に婚約の打診が来たという訳だ」
「いきなりの話ですし……そんな大きなお話は私には決めかねます……」
「……だろうな。だが、私は誇らしい」
「?」
「娘がこの国の王太子から婚約破棄を受けた途端に隣国の皇太子から婚約を申し込まれる……。
親としては私の娘はやはり世界一の娘なのだと誇らしい気持ちになっている」
「お父様……」
「だがな、ノエリア。私はお前の気持ちを一番大事にしたい。
この国でもこれからお前に好きな男性との出会いもあるかもしれんしな。
お前が自分には荷が重い、気が進まないというなら断るつもりだ。
よく考えて結論を出しなさい」
それから一週間後、悩んで私は結論を出した。
父に伝えて正式に返事を帝国皇室へ返してもらう。
その翌日の学園での事だった。
「ノエリア!」
「……何か御用でしょうか。オルヴァ殿下」
「君と婚約を解消して以来、ずっと考えていた。
やはり君が一番僕の婚約者にふさわしい女性と気が付いたんだ」
「……」
「ノエリア、私が愚かだった。また正式に婚約を結び直してもらえないだろうか」
「……お断り致します」
「何だと? こうして私が頭を下げているのに許してくれないのか?
……いや、私が悪かったのだから君の怒りは分かっている。
だがどうか許してくれないか?」
「無理なのです、もう」
「何故だ?」
「私はアムレアン帝国の皇太子、マティアス様と婚約致しますので」
「な、何!?」
「そういう訳で、お話はお断りさせていただきます」
「待て! 再考の余地はないのか!? 私は元々君の婚約者だったのだぞ!」
「怠惰だった私を叱咤して下さったオルヴァ王太子殿下には心から感謝を申し上げます。
では失礼いたします」
私は殿下にわざわざカーテシーをして失礼した。
その後、私は皇太子の婚約者として帝国に渡り1年後正式に結婚した。
10年後の今、私は皇帝の夫と3人の子供達に囲まれて幸せな生活を送っている。
私の祖国ではオルヴァが廃嫡されて第二王子が王位を継いでいるがその件で父から詳しい事は聞いていないし、聞く気も特に起きなかった。
。