復帰と試験と夏休み
遊びに来なよ、と言ってもらったものの、なんだかんだ結局今日まで来られなかった。
先週無事に地区大会予選を突破したわがチア部は、今とてもいい調子だ。
試験前で部活が休みになる週を目前にした、ある昼休み。とうとう私は軽い足取りで放送室までやってきていた。
「お邪魔します!」
「うお、淡島。いらっしゃい?」
驚いて目を見開いた有門くんは、慌てた仕草でメガネをくいと直す。
「……あれ、社交辞令だった?」
気を遣って遊びに来なよと言ってくれただけだったんだろうか。
「いや、そんなことないけど。淡島こそそうだったのかと思ってた」
今度は私が首を横に振る。
「ううん、数回しか来たことないけど、なんかここの雰囲気好きだよ」
「……そう」
有門くんが座っているテーブルに近づく。
「これから食べるとこ? お茶とりんごジュース、どっちが好き?」
お弁当バッグとともに、抱えていたブリックパックをとん、と置く。
有門くんが目を瞬いた。
「え? なに、どういうこと?」
「お邪魔するのに手ぶらはどうかと思って」
束の間、まじまじと見られた。
「律儀だな……ありがとう、じゃあお茶で」
「はい」
お茶を有門くんの近くに置く。
「田川先輩は、今日はいないの?」
「あー、最近試験近いからあんま来てないな」
「そっかー……これ、田川先輩がいたらと思って買ったんだけど」
「淡島が飲めばいいじゃん」
「そうだね」
頷いて、座る。お弁当を広げながら、聞かれてないのに話し出した。きっと、ただ遊びに来たわけではないと思われていそうだし。
「今日から復帰なの」
何に、とは言わなくてもすぐに伝わった。
有門くんが微笑む。
「今日から? 良かったな、もう痛みとか全然ないの?」
「うん。完全に」
「そっか」
松葉杖生活ともおさらばだ。通っていたクリニックのリハのお姉さんが、自分のことのように喜んでくれて、とても嬉しかったのを思い出す。
そう、嬉しいんだけど、同時に怖い。
「でも全然何もできなくなってそう」
「あー」
「そう思うと落ち着かなくて、人がいないとこにいたくて来ちゃった」
今までチア一筋でやってきて、でもそれが一時的にできなくなって。そんなときに、放送室と有門くんの雰囲気が、背中を押してくれそうだと感じたのだ。
「……どうぞ……ていうか俺いるけど」
「有門くんは放送室の一部みたいなものだし……」
「付属品かよ」
「へへ、ごめん、冗談」
「……」
あれ、黙ってしまった。
「放送部には、大会ってあるの?」
話題を変えるのと、純粋に気になっていたので聞いてみる。有門くんは頷いた。
「……あるよ。今年は出る予定ないけど」
「え、……出ないの?」
少し困ったような顔の彼を見て、しまったと思う。
「ごめん、あの……」
「いや、気にしないでいいけど。もともとここの放送部は大会メインじゃないから。去年とか、ちょっと前とか、やる気がある代は結構頑張って準備して出て、それなりに結果残してるけど」
そのまま、有門くんはぽつぽつと放送部の大会について教えてくれた。部門がいくつかあって、朗読やアナウンスなど個人で出場するものと、ラジオドラマなどの作品を提出するものがあるという。
「田川先輩たちは、ラジオドラマ作ってた。俺も去年は編集とか効果音づくりとかやらせてもらってたんだけど、今年は大会出たいメンバーもいなかったし。俺も朗読とかには興味ないし」
「そうなんだ」
「学校によってはめっちゃガチなとこもあるんだよな。発声練習とか運動部並みに厳しかったり」
「へえ……」
上手く相槌が打てない私を見て、有門くんが苦笑する。
「ほんと気にするなよ。俺は別に大会出たくて放送部入ったわけじゃないし」
「うん」
「淡島は、次からは出るのか」
チア部は、順調に予選を突破した。次の大会には、予定通り私も出る。
「うん」
がんばれ、と言った有門くんの顔が優しくて、ちょっと泣きそうになった。
別に大会だけがすべてじゃないし、結果を残すことがその部の価値を決めるわけでもないと思う。包帯が取れた左足に視線を落として、そんなことを考えた。
お弁当を食べ終わってお茶を飲みながら、有門くんが全然違う話を振って来た。
「淡島、最近何聴いてる?」
少し考える。
「最近は……このグループにはまってて。かわいいの」
スマホの画面を見せると、有門くんはメガネのつるを押さえつつ少し顔を寄せて覗き込んだ。
最近気づいたことがある。有門くんはそれなりにパーソナルスペースが狭めな気がする。
そんな私の内心を知るはずもなく、彼は真剣に画面の文字を読んでいる。
「へー、KPOPか……未知のジャンルだな……よくダンス部が踊ってるよな」
「だよね、ダンス部からチア部に流行がうつってきて」
「どんなんか聴いてみたい。そこのスピーカーつなげよう」
「うん」
卓上の小型スピーカーから伸びているコードを、スマホに差し込む。
最近気に入ってよく聞いている、爽やかなサマーソングが流れ出した。
「何言ってるか全然わかんないけど、たしかに可愛い曲だな」
一回目のサビが終わった短い間奏で、有門くんがしみじみと言う。
「でしょ?」
私も歌詞の意味はちょっと調べたくらいで何言ってるかわかってるわけじゃないんだけど、とにかく可愛い。自分が褒められたわけでもないのに得意になった。
予鈴がなる前に、放送室を出る。のんびり教室に向かいながら、有門くんが困ったように言った。
「さっき淡島が聴かせてくれた曲が頭から離れないんだけど」
「あれ、耳に残るよね!」
同意すると、彼はうんうんと頷いた。
「よし、今日の下校放送で流そう。頭から離れない仲間を増やす」
「楽しみにしてようっと」
「まあ下校放送なんてあんまりみんな聞いてないよな」
あきらめたようなセリフに、驚く。
「そうかな? 私は結構楽しみにしてるけど。今日は有門くんだなー、とか」
「は……え? そんなこと思ってんの? てか俺ってわかるの」
「え、そりゃ声でわかるよ」
なんでそんな当たり前のこと。そう思って返したけれど、有門くんは変な顔になって黙り込んだ。
「……」
えーと。どうしよう。
しまいには大きくため息をついてらっしゃる。
「どうしたの……」
「なんでもない。じゃあ、部活頑張れよ」
早口でそう言って、有門くんはいつの間にか着いていた隣のクラスの教室に入っていった。
やっと部活に復帰できて、勘を取り戻してきたと思ったら、すぐに試験前の部活禁止週間になって、あっという間に試験まで終わってしまった。
夏休み前の定期試験は、まずまずの結果だった。
そんなことよりも、琴音が落ち込んでいるのが気になる。琴音のことだから、試験はいい成績だったはずだ。
夏休み初日、午前は自由参加の夏期講習だった。どうせ午後からは部活なので、琴音も私も参加している。
お弁当を食べながら、それとなく話を振ってみた。
すると彼女は、待っていたかのように話し出した。
「最悪。何、合コンって。最悪。何が華女だよ。最悪。ほんとなんであんなやつ。最悪」
怒りつつも落ち込んでいる。最悪サンドイッチだ。
詳しく聞いてみると、森本が部活仲間の繋がりと成り行きとで、近くの女子高の子たちとの合コンもどきに参加したらしい。
そんなのに喜んでほいほい行くようなのはやめときなよと言いたくなってしまうけれど、森本は彼女が欲しすぎるというだけで別に浮気性という感じではないし、私が口を出すことじゃないので我慢する。
「琴音はさ、告白する気は無いの?」
ずっと聞くに聞けなかったことを、勇気を出して聞いてみた。
琴音は首を横に振る。
「絶対、言わない。そもそも認めたくないのに言えるわけない……」
「認めたくない……の?」
「だってあいつ、私のこと恋愛対象として見てないじゃん。そっからまず認めたくない」
「なるほど……」
「仮に告白したとしてよ? 彼女が欲しいからまあ私でもいいかってOKされたとしてもむかつくし、断られたとしたらあんなに彼女欲しがってるくせに私じゃダメなのってさらにむかつくでしょ?」
確かに。森本の日頃の行いのせいで、どう転んでもむかつく運命にある。
「……あと。前はあんな感じじゃなかったのに、って思っちゃうんだよね」
あんな感じとは、聞くまでもなく彼女欲しい星人のことだろう。
「それって結局、今のあいつを見てないってことなのかなって」
つまり琴音は、意地をはっているのではなくて。真剣に考えた結果の、言わない、認めたくない、なんだ。
そう思って、かける言葉を探す。恋愛経験に乏しい私に気の利いた言葉が見つかるはずもなく、迷った挙句にお弁当の卵焼きを一つ、琴音のお弁当箱の蓋に置いた。
「え、なに、ちょっと。真白の家の卵焼きってしょっぱいやつだよね。私甘いの派なんだけど」
余計なことをしてしまった。
だけど琴音は、そんな可愛くないことを言いつつも、一口で頬張る。
「……ありがと。たまには美味しいかも」
ツンデレか。ニヤニヤしていたら脇腹をつつかれた。
「真白はどうなの? なんかないの」
「雑な聞き方だね」
肩をすくめて、琴音は開き直る。
「だって真白、大体なんもないとしか言わないし」
「わかってるならそっとしといてよ」
「でもさ、最近はほら……」
言いかけて、こちらをちらっと見てくる。
ばっちり視線が合った。琴音、黒目がちだなあ。
思い当たることがないので、首を傾げる。
「最近?」
「……無自覚か」
呆れられてしまった。