ダンス部の校内公演2
ダンス部公演当日、顔見知りのダンス部員に不思議がられつつ、私は無事に音響の合図係を終えることができた。袖で座って待機して、ステージの合図を見て衝立の隙間から有門くんに伝えるだけだったから、本当に何も難しくない。
そして確かに、袖での早着替えはなかなか大変そうだった。公演終了後、スピーカーやコードを片付ける有門くんは、袖に散らばっている衣装のスカートやらなんやらを視界に入れないようにか、少々挙動不審だ。
私も座ったままでもできるコードの巻き取りなどを教えてもらって、黙々と手伝った。
なんとかすべての機材を放送室に持ち帰ったら、有門くんは大きく息をついてテーブルに突っ伏す。
「女子部員……女子部員が必要だ……じゃないと俺が社会的に死ぬ……」
すでに精神的には大ダメージをくらっているように見える。
「お疲れ様。なんとかなってよかったね」
「淡島がいなかったら俺は性犯罪者になるところだった。この恩は忘れない……」
疲れているのか、感謝の表現がオーバーだ。
「どういたしまして?」
「部活も休ませちゃったし、ごめんな」
「……ううん、それはいいよ」
そこを言われると、少し後ろめたい。私は自分の狡さに向き合わなくてはならなくなる。
「淡島?」
声が暗くなってしまったのかもしれない。有門くんは顔を上げて、案ずるように私を見た。
話すつもりなんてなかったのに、言葉が口をついて出た。
「今、ちょっと部活行きづらくて……今日のこと、逃げる口実にしちゃった気がして」
思わず視線が下に行ってしまう。そうすると嫌でも目に入る、ギプスで覆われた左足。
「俺は偉そうなことなんも言えないけど……そんなに罪悪感感じなくていいんじゃないの」
静かな声だった。顔を上げると、有門くんはまっすぐ見返してきた。
「いいのかな」
小さくつぶやいた私の声を、彼は聞き逃さなかった。
「逃げるって言ったって、チアやめる気はないんだろ? ならいいんじゃない。多分」
最後の多分で、少し気が抜ける。
「いろいろ考えすぎてたかも」
「結構気にしいだよな、淡島って」
「……うん」
自覚はあるので頷く。そんな私を見て、有門くんはおかしそうに笑った。
「今日はこのまま帰る?」
「うん。もう今から行ってもね」
「俺も今日は下校放送当番じゃないし帰るかな」
下校時刻まで、あと三十分くらいだ。
有門くんは手早く荷物をまとめながら、言った。
「どっか寄ってこう。なんか食べたいもんある? 給料代わりに奢ります」
「いいの?」
大した手伝いはできていないのに、いいのかな。
有門くんが大真面目に頷く。
「恩人だからな」
「大げさだな……うーん……有門くんて、アイス好き?」
「わりと」
私もアイスは好きだ。それに、そろそろアイスが一番おいしい季節である。
自然と頬が緩んでいた。
「じゃあアイスにしよう。食べたい」
「よし」
帰り支度を整えて、放送室を出る。そのまま校門へ向かう途中で、外周をしていたサッカー部員がぞろぞろと校舎へ向かうところに行き会った。その中の一人が、有門くんに気づいて近寄ってくる。イケメンと評判の男子だった。ちょっと名前を思い出せないけど、たしか有門くんと同じクラスだったはずだ。
「雪也、お疲れ」
「おー」
……そういえば、と、有門くんの下の名前を改めて認識する。私の中ですっかり有門くんで定着しているので、ちょっと不思議だ。
どうやら二人は結構仲が良さそうだ。サッカー部のなにがし君は、有門くんの隣にいる私に気づいて、ひょいと眉を上げた。
「あ、チア部の。俺先週見ちゃったんだよね、怪我するとこ。お大事にね」
「どうも」
目撃されていたとは思わなかった。ショック映像を見せてしまって申し訳ない。
このまま解散かと思ったけど、彼は話を続けた。
「それで、雪也とどういう?」
何を知りたいのかぼかされまくった答えにくい質問に、私は戸惑ってしまう。それでも答えようとしたら、それより早く有門くんがすぱっと答えてくれた。
「友達だけど」
「そうなん!? 意外。全然接点無くね?」
少しだけもやっとして、思わずじっと顔を見てしまう。そんな私を横目でちらりと見て、有門くんはメガネをくいと直した。
「部活の音響で知り合って」
「あー、なるほど」
納得したんだかしてないんだか、なにがし君は追求をやめた。じゃあな、と言って去っていく。
残された私たちの間に、少し気まずい空気が残った。
沈黙を破ったのは、有門くんだった。
「……淡島も、あいつのこと知ってたの?」
「へ?」
どういう質問なんだろう、これ。
とりあえず答える。
「一方的に顔だけ存じてます……?」
「顔だけ」
「あ、いや、名前も聞いたことあるはずなんだけどちょっと思い出せない」
「……なんだ」
「え、なんだってなに?」
「いや、なんでもない」
「えー……」
それからは、何度聞いてもはぐらかされてしまう。
なんなの、もう!
ちょっと機嫌が良さそうに見えるのにむっとして、有門くんが背負ってるリュックをはたく。
「え、なに、ごめん」
へらへらと謝られても、全然謝られている気がしない。
半目になっていたのかもしれない。有門くんが噴き出した。
「淡島って、すんってしてて無表情なやつだなと思ってたけど、最近そうでもないってわかってきた気がする。よく見ると」
「……それ言われたの二人目だ」
「へえ。一人目って、あのよく一緒にいるチア部の、背の高い?」
琴音のことだろう。確かに彼女はすらっとしている。
「……うん」
琴音の顔を思い浮かべる。明日、ちゃんと話したい。真面目なことも、いつもみたいにくだらないことも。
「淡島、アイスってここでいいんだよな」
いつのまにか駅前に着いていた。有門くんが示しているのは、私たちの高校の生徒がアイス食べに行くと言えば大体ここを指していると言っても過言ではないお店だ。
「うん。何にしようかな」
「俺いつも同じやつにしちゃうんだよな……言うほどの頻度では来ないけど」
「何が好きなの?」
話しつつ店内に入る。幸い人はまばらだった。
「ヨーグルトのやつ。淡島は何にする? 買ってくるから座ってなよ」
「あ、ありがとう。じゃあナッツの……」
「あれ?」
「うん、お願いします」
松葉杖の人間が注文の列に並ぶのはいろいろと差し支える。お言葉に甘えて、私は席を確保しに行った。
混んでいないせいか、有門くんはすぐにアイスを手にして戻って来た。
「はい」
「ありがとう! いただきます」
「ん」
さっそく、一口。ひんやり冷たくて、甘くて、幸せだ。
「おいしい~」
対して有門くんは、無言でぱくぱくと食べている。
「ヨーグルト、好きなの?」
「いや、ヨーグルトが好きってより、フローズンヨーグルトが好き」
「そうなんだ」
「小学校の給食で、たまにデザートがつくだろ? フローズンヨーグルトのときが一番嬉しかったんだよな」
「懐かしい! 美味しいよね、あれ」
思わず、有門くんの手にあるアイスのカップをじっと見てしまう。視線に気づいた有門くんが、カップを自分の方に引いた。
「悪いけど、あげないからな」
「狙ってないよ」
ちょっと食べたくなったなんて、言えない。目が泳いでしまったからか、有門くんが目を眇めた。
「偏見を承知で言うけど、俺の中で女子っていうのは「一口ちょうだい」をお互いに言い合ってきゃっきゃしてるイメージがある」
「たしかによくするけど、あんなに好きを力説された後にちょうだいするほど意地汚くないよ」
そもそも奢ってもらっているのにさらにもらおうだなんて思わない。
話題を変えるべく、前から少し気になっていたことを聞くことにした。
「そういえば有門くんって、いつもお昼どこで食べてるの?」
「? 放送室だけど」
「やっぱりそうなんだ」
前に、有門くんと同じクラスの友達に用があって覗いたとき、いなかったからそうじゃないかとは思っていた。
「放送部の人はだいたいそうなの?」
「いや、俺の代は幽霊ばっかだからそうでもない。田川先輩たちはめっちゃ入り浸ってたし今でもたまに来てる」
「へえ」
「夏はそうでもないけど、冬が快適でさ。ケトルがあるからお茶とかコーヒーとか淹れられるんだよ」
「なんで放送室にケトルがあるの……」
「さあ。数代前からあるらしいから経緯はわからん。SNS遡るとうどんパーティーしてたりチョコフォンデュやろうとして失敗してたりめちゃくちゃだよ」
有門くんは顔をしかめているけれど、なんだか楽しそうな話だ。
「なんかいいね、そういうの」
「そうか?」
首を傾げる有門くん。そして思い立ったように何かを言いかけて、やめる。
「どうしたの?」
「いや……」
少し悩んでいたようだけど、彼はごくんとアイスを飲み込んで言った。
「たまに遊びに来れば? 田川先輩からも、淡島のことたまに聞かれるし。たぶん喜ぶよ」
その言葉に、口に運びかけていたスプーンをゆっくりと下ろす。
「いいの?」
自分で思うよりも弾んだ声が出て、少し動揺した。
有門くんが頷く。
「うん。けっこう放送部じゃない人も来てるよ」
「そうなんだ」
「田川先輩の彼氏とか」
待って。
「か……か?!」
「かしか言えてないけど」
有門くんは呆れたように笑っているけれど、正直それどころではない。
「田川先輩の彼氏って、え、どんなひと?」
「わりと謎の人。同じクラスらしい。無口な人だから俺もよく知らない」
「へええ……!」
会ってみたい。
あの気さくでちょっとおしゃべりな田川先輩の横に無口で謎な彼氏がいるところ、想像できすぎて面白い。
ちょっと前に、有門くんはなんとなく田川先輩のことを憎からず思っているのでは、なんて思ったことがあったんだけど、この口ぶりからするとどうもそうでもないらしい。
「そんな謎の人も遊びに行ってたんなら、私もお邪魔しようかな」
「どうぞどうぞ」