部活紹介2
放送室は、教室がある棟とは別の棟、通称東棟の一階にある。東棟は化学室、美術室などの授業で使う特別教室の他にも、保健室や校長室なんかもあって、なんだか廊下がひっそりと静かだ。
昼間だというのに少し薄暗い一階の廊下を歩いていく。無言の有門くんの背中からは、話しかけづらいオーラがびしばしと伝わってくる。
そんなに、あの音源ひどかったのかな。申し訳ない。
反省しつつ、小走りに後を追う。身長差がそれなりにあるせいか、歩幅が全然違うのだ。
放送室にたどり着いた。有門くんが重そうな扉をあけると、パソコン室とかで嗅いだことのあるような、機械がたくさんある部屋独特の匂いがかすかにした。
「ん」
入って、と言うように、有門くんが扉を抑えて顎でしゃくる。
初めて入る放送室に、私は恐る恐る足を踏み入れた。
けれど二歩も進まないうちに、有門くんから静止の声がかかる。
「待った、上履き」
「え?」
「ここ土足厳禁だから」
「ご、ごめん」
慌てて上履きを脱ぐ。確かに足元を見れば、三年生の赤い上履きが一足そろえて置いてあって、上がり框の向こうはグレーのカーペットが敷かれていた。
今日の靴下、穴空いて無くてよかった。
恥をかかずにすんで安心している私を追い越して、有門くんはどんどん奥へ入っていく。
もう一つ、ドアがあった。ドアの上には、今は点灯していないが「録音中」という赤いランプがついている。
「すごい、本格的なんだね」
「まあな」
テレビとかで見たことがあるような、たくさんつまみのついた機械や、いろんな太さのコード、マイクスタンドなどが、ちょっと雑多に置かれている。そして、大きなガラス窓から、もう一つの部屋の中が見えるようになっていた。
部屋の中央より少し奥に置かれたテーブルでパソコンを開いて、ヘッドホンをしている女子生徒の背中が見える。多分、上履きの主の先輩だろう。
奥の部屋へと通じている扉は、さっきより重そうだった。多分向こうが防音の部屋なんだろう。がちゃっと音を立てて、有門くんが扉を開く。
有門くんに続いて中に入ると、先輩が何やらマウスを操作してからこちらを振り返った。
「おつかれー、有門」
「お疲れさまです」
「お邪魔します」
有門くんの後ろから会釈した私をみて、先輩は目を見開く。ちょっとにやっと笑って言った。
「え、なに、有門が女の子連れて来た! 私ここにいていいやつ?」
「淡島、この人無視していいから」
有門くんの言葉に、先輩はにやにや笑いを深める。
「先輩を敬えー。いくら防音の密室だからって、放送室を密会に使うのは見過ごせないよ?」
「ちょっとやかましいです。大人しくアニメの続きでも見ててくださいよ」
こともなげに言い放つ有門くん。こんな感じのやり取りを、いつもしているんだろう。
「今は仕事してたの!」
ちょっと怒るふりをした先輩は、笑みをおさめて問いかけた。
「ていうか、勧誘行かなくていいの? 私たちが引退したら存続の危機よ?」
「まだ時間ありますし」
「まあ、そうか」
先輩は納得したように追求をやめた。そして、にこっと笑みを浮かべて言う。
「私、三年の田川。よろしくね」
「二年の淡島です」
私も名乗って軽くお辞儀をする。
有門くんが私の方を振り返り、田川先輩の向かいの椅子を示す。
「とりあえず、座って」
「うん」
有門くんは私の隣にガラガラと椅子をもってきて座ると、テーブルの上に置いてあったノートパソコンを開いた。
「今朝、昨日もらった音源聴いたんだけど」
いきなり本題に入った有門くんは、難しい顔をして件のUSBメモリを手のなかで転がした。目はまだ起動中の画面を見つめている。
「はい」
どんなお叱りも甘んじて受ける心づもりで、私は返事をする。
「いくつか、再生してから音が始まるまでに結構間があるのがあって。無音の時間できるけど、これはわざと?」
「えっと、多分ダウンロードした音源そのまま入れただけ」
「……この無音の時間、チア部の皆さんは何してるわけ」
「次のポジションに移動したり……時間余ったら待機」
「……」
有門くんが、すーっと大きく息を吸う。
話している間にパソコンが起動した。メモリを差し込んで、ファイルを開く。
有門くんはその中の一つを再生した。有名な洋楽で、毎年使っているものだ。
「これ、30秒くらいでぶつっと終わるんだけど、これはこれでいいわけ?」
「その曲はそこまででパフォーマンス終わるから、それで大丈夫」
「まじか」
下手したら放送事故じゃん。有門くんが、小さく口の中で呟く。
「これ、言われた通り順番にそのまま再生していったらかなり雑な感じになるけど、本当にこれでいいの? 今ならまだ時間あるし、出来たら手を加えたいんだけど」
「手を加えるって、編集とかするってこと? すごいね、そんなことできるんだ」
「別にすごくは……今時音源編集なんてスマホのアプリでもできるだろ」
「へー」
そうなんだ。編集しようと思ったことがないから知らなかった。
感心しているけど、多分私の顔は真顔のままなんだろう。困ったように、有門くんが私を見る。
すると、それまで黙って向かいでキーボードを叩いていた田川先輩が、見かねたように話に入って来た。
「有門、なんかいろいろやってあげようとしてるみたいだけど、勝手に編集とかして大丈夫なの? 向こうの部長さんとかに話通してないでしょ」
「先輩たちは、今までほんとにこのままやってたんですか」
「そりゃ、私たちだって確認できるときはしてたけど、このままでいいっていうならその通りやらなきゃ。多少操作が慌ただしいことになってもね。直前にステージ横で音源渡されたりすることもざらにあるし」
「俺は本番中バタバタしたくないです」
「ま、有門はそういう子だよねー」
先輩は、そこで話を切り上げた。これ以上口を出すつもりはないらしい。
有門くんは眉間にしわを寄せて、メガネを片手で直した。
「ちょっと、部長さんとかに確認してもらってもいい? 言われてみれば、それで今まで練習してたんなら変えない方がいいよな」
気落ちしているようだけど、そんなに気にすることないと思う。なにせ雑な音源で毎年やってきたわけだから、パフォーマンス間の移動とかの時間さえ確保できていれば、良い感じに編集してもらえるのはむしろありがたいと言うだろう。
私はすぐに部長に連絡した。スマホを操作する私を、有門くんは真剣に見守っている。
「曲間に八拍あれば移動もスタンバイもできるから、それさえ変わらなければ良い感じにしてもらって、だって」
部長から返って来た文面をそのまま読み上げる。有門くんはほっとしたように目を細めた。
「よかった。じゃあ早速やろう。勧誘もあるし急がないと」
その後、有門くんはサウンドなんちゃらというソフトを立ち上げ、音源データを再生する。画面に表示されたジグザグした波のような模様は、テレビや動画で見たことがあるようなないような……。
「とりあえず、曲間が八カウントになるように調整して繋げてみる。その方が本番俺が楽だし」
「はー」
「この曲音質悪いな……古いのか?」
マウスをカチカチして、有門くんはしゃべりながら作業を進めているようだった。何をしているのか説明してくれているが、操作が早くてやっていることはなんとなくしかわからない。たまに文句らしきことも呟いている。
「で、この曲なんだけど。このぶつっと終わるやつ。パフォーマンスはどんな感じで終わるの?」
有門くんが私の方に視線を向ける。
「これは、中心に集まって、ポンポンで星作って、掛け声で終わる」
「なるほど。じゃあわりと、音がぶつ切りでも掛け声でごまかせる感じなのかな」
「あ、でも、タイミングちょっとずれるとぶつっと終わるとこ聴こえちゃうときもあって」
そう答えると、有門くんは考え込むように肘をついた片手を顎に当てた。
「じゃあ……フェードアウトさせとくのが無難か」
「どんな感じ?」
「こんな」
有門くんがぶつっと終わる少し前からジグザグ……波形というらしい……を指定して、なにやら上の方のタブにある記号を押す。
波形が終わりに行くにつれて細くなった。
再生ボタンをクリックすると、音が流れ出す。徐々に小さくなって、曲が終わった。
「おお~!」
今までやってみようとも思わなかったけれど、少し面白い。ぱちぱちと拍手をすると、有門くんは呆れたように私からふいと顔を逸らした。
「大げさ……」
向かいに座る田川先輩がにやっとこちらを見る。
「淡島ちゃん、それ照れ隠しだよ、もっと褒めたら面白いよ」
「淡島、真に受けるなよ」
二人から反対のことを言われて、私は交互に二人の顔を見た。田川先輩は楽しそうで、有門くんは眉間にしわを寄せている。でもその顔が少し赤い気がして、あっと思った。
有門くんって、もしかして、田川先輩のこと。なんとなくそんな気がして、じっと有門くんの顔を見てしまう。彼は戸惑ったような目で見返してきた。
「淡島?」
呼びかけられて、はっとする。
「音源、これで完成?」
慌てて問うと、有門くんはちょっと首を傾げつつも、頷く。
「うん、とりあえずは」
「すごい、ほんとにありがとう!」
「いや、俺が勝手にやるって言いだしたことだから」
「ううん、そもそも音響やってもらえるだけでありがたいよ」
大会出場がメインで、学内公演は部活紹介か文化祭くらいしかやらないチア部だけど、その数少ない公演は放送部の助けなしには成り立たないのだ。
「あ、そう……」
「淡島ちゃん、いい子だねえ」
戸惑ったようにメガネを片手で直す有門くんと、しみじみと呟く田川先輩。
二人の態度から察するに、放送部の実態、なかなかブラックだ。
音源もできたので、私はチアのユニフォームに着替えに更衣室へ急ぐ。放送部も勧誘に行くようで、小型のスピーカーやらなんやらを準備すると言っていた。
着替えを終えてチア部の集合場所へ行くと、もう全員集まっている。
「真白、セーフ!」
「聞いたよ、放送室に連れ込まれたって?」
「言い方……発表の音源、編集してもらったんだよ」
そんなことを話ながら、昇降口の外階段前へ移動する。もうそこには上級生たちがひしめき合っていた。
新一年生が出てくるのを、今か今かと待ち構えている。そこここでプラカードや持ち看板を掲げていたり、人の山から少し距離を取って演奏の準備をする吹奏楽部や弦楽部、軽音楽部がいたり、外用のマットを敷いて準備をしている体操部がいたり、異様な熱気に包まれたカオスが出来上がっていた。
「去年を思い出すね」
私が言うと、同じクラスのチア部の友達、琴音が苦笑いを浮かべる。
「私、正直引いてた」
「ちょっとわかる……勢いがね」
「必死すぎて怖い部あるもんね」
去年は勧誘される側だった私たち。上級生の人垣を抜けるのにも苦労する状況で、正門前にたどり着いた時には両手にビラの山を抱えてぐったり、といった感じだった。その状況を楽しめる人もいるだろうけど、私はどちらかと言えば圧倒されて一歩引いてしまったタイプだ。
「そう考えると、チア部はあっさりめだよね」
チア部はもともと普段の練習場所が外階段前だ。そこにいつも通りマットを敷いて、特に一年生に詰め寄ったりはせずに、淡々とパフォーマンスを見せるという方法を取っている。
私は去年、そのストイックな姿勢と、単純に憧れていたのもあって、ビラの山を抱えてぼんやり見入ってしまった。そうして、チア部への入部を決めたのだ。
私たちのパフォーマンスを見て、後輩が入ってくれるといいな。
静かな興奮を感じながら、私たちは新一年生の下校を待った。
最初に出て来た新一年生は、アシンメトリーの前髪が個性的な、可愛い女の子だった。上級生たちが口々に叫び出す勧誘文句に負けないくらい大きな声で、その子が言う。
「写真、撮ってもいいですかー?!」
……確かに、外階段下を埋め尽くすバラエティ豊かな部活の山は、写真を撮りたくなってもおかしくない異様な光景だ。
ノリノリでOKを出す上級生たちに応えるように、その子はいそいそとスマホを構え、写真を撮っていた。
怒涛の勧誘タイムを終え、上級生たちは素早く撤退した。休む間もなく体育館に移動して、明日から始まる部活紹介のリハーサルだ。
チア部のリハの時間までは少し間がある。部内での最終確認をしてから、体育館へ向かった。
放送部から配られたリハのタイムスケジュールに沿って、二個前の部活発表の時間には待機していなければならない。
二個前の部活はバドミントン部だった。二人の部員がラリーをしているのをバックに、部長さんらしき人がしゃべっている。運動部の部活紹介としてはオーソドックスなスタイルだ。溌溂としたポニーテールの女子が綺麗にスマッシュを決めたところで、バド部の紹介は終わった。
続いて合唱部が舞台上に登場する。基本的に運動部と文化部が交互に発表する流れになっている。文化部は舞台上、運動部は舞台の前に用意したスペースで、といったように二段構えになっていて、部活間の入れ替わりもとてもスムーズだ。
合唱部の発表が終わると同時にマットを敷かなければならないので、私たちチア部はすぐにマットを広げられるよう準備して発表スペースの脇に待機した。
ふと舞台の脇に目をやると、たくさんのコードが伸びた機械を前に座っている有門くんがいた。合唱部は音源を使わないので暇そうに眺めている。
じっと見ていると、視線に気がついたのかこちらを見た。メガネの奥の目が少し見開かれる。
よろしくお願いします、の意を込めて会釈すると、有門くんが頷いたのが見えた。
スタンツをしているときにしか見られない景色が好きだ。一生懸命練習したパフォーマンスが決まったときの、見てくれている人たちが驚いて笑顔になるところが大好きだ。リハだから観客は他の部活の人たちしかいないけど、それでも全力でパフォーマンスする。
一つの部活の持ち時間はそれほど長くない。集中していたら、あっという間にチア部のリハは終わった。
「真白、なんかそんなに変わってなかったね」
琴音の言葉に、部長が苦笑いする。
「そりゃ、いじりすぎたら練習と違って困るでしょ」
三年生になった部長たちの代は、この部活紹介を終えたら、五月に小さな校内公演をして引退してしまう。
「部長、どうでした……?」
許可は取ったとはいえ、少し心配だった。残り少ないパフォーマンスの機会を少しでも楽しく感じてほしい。
「きっかり8カウントだし、問題ないんじゃない」
「良かったです」
部長はさらっとそう言って、私が安心しているのをちらっと見る。
「真白はいろいろ気にしすぎ。勝手にいじる前に私に聞いてくれたし」
部長はぱしっと私の背中を叩くと、部員みんなに向かって言った。
「戻って通し練何回かやったら、明日に備えて早めに切り上げるよ」
「はい!」