部活紹介1
春。四月。高校二年生になった私たち……部活に励む一部の人間にとって、ある意味で戦いの季節だ。
チアリーディング部に所属する私は、チア部らしくなくあまり変わらない無表情の下に微かな緊張を抱えながら、隣のクラスを訪れた。
この高校は、三年間クラス替えがない。それでも、二年生の新しい教室になってどこかそわそわとした空気が漂う廊下で、誰もが忙しそうに行きかう放課後。明日に入学式を控えた今日、入学式後に行われる部活勧誘や、その次の日から体育館で行われる部活紹介に備えるべく、新たな上級生たちは文字通り教室から飛び出して行く。
うかうかしていたら、目的を果たせない。後ろの扉から隣のクラスを覗いたら、ちょうど出ようとしていた男子とぶつかりそうになってしまった。
「わ」
黒縁メガネの奥で、男子の目が見開かれる。驚かせてしまったみたいだ。
「あ、ごめんなさい」
すぐに謝ると、男子は小さく会釈した。そして、教室をちらと振り返って、言う。
「誰かに用事?」
どうやら呼んでくれるつもりらしい。親切に感謝しつつ、私は言った。
「えっと……放送部の、ありかど、くん? 呼んでくれる?」
「俺が有門だけど」
「え」
まさかのご本人だった。
体育館で行われる部活紹介で、音響に関する様々を仕切っているのが放送部だ。うちの高校には放送委員会がなく、学校行事系の音響も放送部の活動の一環であるらしい。放送部の知り合いがいないので、らしいとしか言えないけれど、現にこうしてチア部内で音源係になった私は、先輩の引き継ぎノートに従って放送部に依頼するべく有門くんを訪ねて来たのだ。
有門くんも他部活の音響担当を先輩から引き継いだらしく、引き継いだ者同士先輩を通して連絡を取ったのが、昨日のこと。
「あ、あの。私、昨日メールでご挨拶した淡島です」
「ああ、やっぱり。チア部の」
さして驚いた風でもなく、有門くんは頷いた。チア部は昇降口の外階段前などいろいろな場所で練習しているので、顔を知られていても不思議ではない。それに、チア部は基本的にみんな前髪全部上げのお団子ヘアだから、チア部ジャージを着ていなくてもわかるとよく言われる。
私は手に持っていたUSBメモリを差し出した。今気がついたけれど、少し首が痛い。有門くんはそこそこ背が高いようだ。まず私が小さいんだけど。
「音源、持ってきたので……よろしくお願いします」
「どうも」
むき出しのメモリを受け取って、有門くんは片手でメガネを直した。
「あー……、何か、指示書とかある? 順番とか、この合図で流してとか」
「順番は番号が振ってあるのでその通りにお願いします。あと音源係、私なので。全部私が合図します」
「はあ、それだけ?」
「? はい」
前の音源係だった先輩の引継ぎノートには、順番通りに曲に番号を振ったデータを用意して放送部の担当の人に渡して、このまま合図で流してくださいとお願いすれば大丈夫と書いてあった。部活紹介でやるパフォーマンスは練習時間をあまり取れないのもあって、毎年大体同じだ。一曲だけ流行の曲を入れて、あとは同じ音源と同じ振り付けの使い回しである。だからこのデータを用意するときも、去年使ったというデータを一曲差し替えただけですぐに終わった。
「……結構適当なんだな……」
ほんの少し眉を寄せて、有門くんがぼそっと呟く。すごく小さい声だったけど、私は耳がいいのだ。
ちょっと文句言った、この人。
何か弁明した方がいいかな。毎年こんな感じでなんとかなってたみたいですよ、とか。
でも私が口を開く前に、有門くんが言った。
「まあいいや。わかった。リハのとき、軽くボリュームとかタイミングとか確認する時間はあるよな?」
「おそらく」
確証はない。なにせ部活紹介の発表は今年が初めてだ。二年生になったばかりなのだから当たり前である。
神妙な顔をして頷いた私に、有門くんは少し黙った後、あきらめたように言った。
「……頼みます」
「はい」
真面目にうなずく。
「ところで、なんで敬語なの?」
「えっと、こちらは音響をお願いする立場なので……」
部活によっては、機材だけ借りて部内の人間だけで裏方も回すらしい。でもチア部はたとえ教えられたとしても一人で放送機器をいじる自信のある部員はいないし、こういった校内発表では毎回放送部さんにお願いしている。けれど、それも放送部の活動だからといって、当たり前に手伝ってもらえると思ってはいけないと思うのだ。
有門くんはぽかんとしていた。メガネをしている人はたいてい知的で冷静な印象があって有門くんもそんな感じの人だけど、そういう表情をすると少し面白い。いや決して馬鹿にしているわけではなく。
こんなことを頭でいろいろ考えていても、たぶん私の表情はそんなに変わっていない。
「あ、なんか、ありがとう」
有門くんは、少し照れくさそうにそう言った。
「え? こちらこそ?」
「いや、うちの部って、結構そういう裏方やって当たり前って思われてるっていうか……たまに先生とかにも放送委員って呼ばれたりするし、そんな風に思ってもらえると思ってなかった」
話を聞いているだけで、ちょっと悲しくなってきた。ローテンションな放送部員という印象だった有門くんが、急にサービス残業続きのサラリーマンのように見えてくる。
そうだ、こんな時こそ応援しなくては!
なけなしのチア部精神を発揮する。
「チア部は感謝してますよ、放送部さん!」
「どうも……」
急に声を張り上げた私に、有門くんは引いていた。
けれどすぐに、少し目を細めて言う。
「話戻るけど、同学年に敬語ってのもなんかやりづらいし、楽に話してよ」
「は、うん」
はいって言いかけた私に、有門くんはまた目を細めた。もしかして、ちょっと笑ってる? 人のことは言えないけど、わかりにくい笑顔だ。
「じゃあ、リハのときよろしく」
「うん、お願いします!」
放送部に音源を渡して依頼するという仕事をやりとげた私は、満足して練習へ行った。
翌日。入学式の日である。この日、上級生はホームルームだけだ。部活のない生徒はさっさと帰宅していくが、なにかしらの部に所属している生徒たちは朝から殺気立っている。
入学式と、初めてのホームルームを終えて帰宅する新一年生を、昇降口の前で待ち構え勧誘するためだ。
ホームルームを終え、あとは新一年生の帰宅時間を待つばかりとなって、クラスメイトたちはそれぞれの部活へと散っていく。派手な格好に着替えたり、ビラを用意したり、持ち看板を部室まで取りに行ったり、いろいろ準備があるのだ。
私もチアのユニフォームに着替えて、最後の打ち合わせがある。早めのお弁当を食べて、ひとまず着替えに向かおうと教室を出たら、廊下に有門くんが立っていた。
なんだか、表情が険しい。
「あ、有門くん。今日のリハ、よろし……」
「淡島、弁当終わってるならちょっと来てくれない」
怒ってらっしゃる?
「え、と。どこに?」
「放送室」
「なぜ?」
「この音源用意したのって、淡島だよな」
「うん」
「はー……」
ため息大きいね。私のせいみたいだけど……。
「このめちゃくちゃやりづれー音源、リハまでにどうにかすんだよ」
ちょっと乱暴な口調の有門くんは、無抵抗な私を連れて放送室へ向かった。