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本日四話目の投稿です。ご注意ください。
はじめての単独店番と言っても、することはいつもと変わらない。
「なのに、なんでかな」
理由は分かっている。
もうひとりの店番がいないからだ。
それだけで、こんなに心もとないなんて。
「いや、お給料のために!」
掃除が済んだら、後は適当にしていて良いと言われている。資格取得の勉強でもしようかと思っている。
まだ、将来なにをしたいということが決まっていない。それでも、就職することは確定しており、そのための武器になるものを身に着けておきたい。
「東山さんはどうするか決めているのかな」
入学してすぐからインターンを検討する場合もあると言っていた。東山も行ったのだろうか。
「落ち着いているし、案外真面目だし、良い大学にストレートで入ったって言っていたし、行きたいところに行けそう」
流石に、本人に面と向かって言うほどデリカシーがないことはしない。とどのつまり、店にひとりという状況に慣れなくて、ひとり言が増えているのだった。
時折、やってくる犬たちを順番に撫でてやって、店の掃除をして、と過ごしている時に、店先に影が差した。
「いらっしゃいませ」
垂れ目で灰褐色の髪を長く背中に流した美人が佇んでいた。裾がふんわり広がる着物は腰で帯を締めているのでより豊満さが強調されている。漂う色気に思わず顔が赤くなる。
「なあにい?」
「いや、その」
同性なのに、と思いつつ、思わず俯いた。視界の端になにかが入り込む。
「うん?」
そこにたぬきがいた。子だぬきだ。
「たぬき! こんなところに」
「この子ねえ、迷子らしいのよ」
美人が答える。ということは、犬と同じく怪異なのだろうか。とすると、たぬきは喋ることができるのだろうか。犬たちは話しているところを見たことはない。
「迷子? うちのお客さんになる? よろず屋でなんでも屋みたいなこともやっているよ」
「あれ、あんた、こんな小さい子からお金をとろうなんて。善人に見えて、なかなかのやり手じゃないの」
美人の方が声を上げる。
「この子からはお代はいただきませんよ。親御さんからです。それに、なんでも良いんですよ。ちょっとした情報とかでも」
「おや、そうなのかい?」
「はい。この店はそういうので成り立っているみたいなので」
香織も少し分かって来た。
なにも金銭が全てではない。物々交換をしたり、素晴らしい技能を持っている者と誼を持ったり、縁を取り持ったりする。そうすることで、客の求めるものを提供する。
「ふうん。良いよ。あたしが払う」
「お姉さんが?」
「うん。だから、この子を保護者のところに連れて行っておくれよ」
「お姉さん、この子がどこの子かご存じなんですか?」
「あら、どうしてそう思うのさ」
垂れ目を見開く。
「だって、親って言わなかったし、探してくれじゃなくて、連れて行ってと言ったので」
「どうして、どうして、目ざといじゃあないか」
機嫌が良さそうにころころと笑う。
その姿に、単なる美人ではなく、腹に一物あるなと睨む。
現に、美人はにやにや笑いながら、それも仕事の一環だ、自分で探してみなと返してきた。
仕方なしに、子供の前にしゃがみ込んで聞いた。
「ねえ、あなた、どこの子?」
「あらあ、当事者に聞いちゃうのね?」
「本人から事情を訊くのが一番手っ取り早いですから」
問われた方の精神状態や年齢にも寄る。そして、言葉が通じるかどうかということも。
「あのお姉さんが支払ってくれるって言うからね、私があなたを元いた場所に返す手伝いをするよ」
「本当?」
喋った。
身を縮こませ、べそをかいてふたりのやり取りを眺めていた子だぬきが顔をあげる。子供特有の高く甘ったるい舌足らずの喋り方だった。
たぬきは喋るのか。犬とは違う。
「良かった。言葉が通じるんだ。ねえ、どんなところから来たの? ええと、その、ひどい目に遭って逃げてきたんじゃないよね?」
「ち、違う!」
目を見開いて否定するのに、安堵する。もしそうなら、簡単にはいかないぞと危惧していたのだ。はい、連れてきました、で返しては寝覚めが悪い。
背後で美女が笑う気配を感じる。良くできました、というところか。
香織は怪異のリストを取り出した。釣書だが、この中から知っている者が見つかれば手っ取り早い。
「なんだい、この紙束」
「あ、一応、個人情報ですから」
美人が覗き込もうとするのを止める。
「良いじゃないのさ。一緒に探してやろうってんだ」
絶対面白がっている、この人。人ではないかもしれないが。
しきりに店内を見渡して匂いを嗅いでいた子だぬきも慣れて来たのか、紙に顔を向ける。
様々な怪異と出会って以来、暇があったらマッチングしないかと見ている。これは怪異がもたらす情報によって作ったという代物だ。字体は綺麗なのとへなちょこなの、ふたとおりある。添えられた絵姿は前にいた店員が描いたのだという。
以前、東山にそれについて質問したことがある。
「だから、絵姿があるのとないのがあるんですね」
「……ああ」
香織は紙束の方に気を取られて、東山がぼんやりしているのにすぐに気付くことができなかった。
紙面に踊るふたとおりの字体と絵姿。
東山の他にふたりの店員がいたということだろう。
ふと、小鬼が店内をうろちょろした時のことを思い出す。散乱する紙束から一葉の写真が出て来た。もしかして、あれが。
「あ、これ!」
子だぬきの声に我に返る。紙を片前足に掴んで掲げている。
やだなにこれ、可愛い。
「あった?」
「うん。これ、たぬきの国ってある」
「どれどれ」
香織も紙を覗き込む。美人も顔を寄せてくる。
良い匂いがし、谷間が見えた。嗅覚と視覚への強い刺激を押しやって、書かれた内容に注意を向ける。
「やっぱり別世界から来たのかあ」
喋るたぬきは日本どころか、どの国にもいないだろう。多分。
とすれば、この子だぬきを保護者の下に送っていくためには、東山がくぐったあの螺旋に飛び込むのか。
どうやって。
座標の合わせ方は教わっていない。
「あ、そうだ」
閃いて、香織は陳列棚を探した。
東山からひとつひとつ効果を教わっていた。陳列された物品の中から目的のものを取り出す。
「これ、どう? 別世界に手紙を送れるっていうやつ」
人面樹が置いて行った巻物だ。
「どうやって使うの?」
香織は愕然として、きゃるんと丸い目で見上げてくる子だぬきを凝視した。
効果のほどは分かっても、使い方を知らない。今まで、怪異たちは手に取ったら自然と分かっていた。子だぬきは分からないという。
美人が後ろで噴き出した。
結局、東山が戻って来るのを待つことにした。
美人は帰って行った。
太っ腹なことに、先払いして行ってくれた。
香織は恐縮しきりで受け取り、陳列棚に並べた。
「あんたになら任せられるわ。宜しくね」
そう言って踵を返した美人を、子だぬきと並んで見送った。
「ごめんね、結局、明日になっちゃって」
「ううん。お世話になります」
なんて良い子だ。しっかり躾けられている。
子だぬきは幸い、人間と同じものを食べた。香織が作ってきた弁当の方に興味を持ったのでそちらを譲り、パンの袋を開ける。東山不在のことを考慮して食料を多めに持って来ておいて良かった。
予想通り、子だぬきは犬たちを怖がったが、弥吉を抱きしめてみせながら、「怖くないよ」と言ったら、目をまん丸くしていた。なんだろうと思って弥吉の顔を見ると、ふふーんという得意げな顔をしていた。
ああ、うん、人間をしがみつかせたまま、こんな顔をされると驚くよね。それにしても、弥吉。怖くないと言われているのに得意げになるなんて、どういうことなの。
店を締めた後、奥の座敷で子だぬきと雑魚寝をする。できれば、風呂があったら有り難いが、贅沢は言えない。布団もないが、多少の寒さは我慢しよう。
香織の心配は杞憂だった。
子だぬきを抱えて畳の上に横になると、その周辺に犬たちが寝そべったのだ。温かさは倍増である。
「なに、これ、桃源郷!」
獣臭いが、一度はやってみたかった夢が実現したのである。
さて、翌朝、配達から戻ってきた東山は犬に囲まれて子だぬきと眠る香織に驚いた。
「ゴールデンウィークだからって泊まり込みでバイトかあ」
目覚めた香織に勤労だねえと笑う。若い女性なのにそんなに枯れていてどうなのとか、友人と遊ばないのかなどと、余計なことは言わないところが有難い。
「できないことを引き受けてしまって、すみません」
後日、オーナーはちゃんと宿泊手当を付けてくれ、香織は感涙を流した。