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本日二話目の投稿です。ご注意ください。

 


 翌日、思い立ち、蛇神に紹介したという相手の釣書を引っ張り出してきた。あの蛇神が取り乱し、落ち着きを取り戻したらやり直そうと考える相手だ。

「気になる?」

「はい。どんな怪異なのかなあって」

 そんなやり取りをしていると、外で激しく鈴たちが吠える声がする。


 店から出てみると、浴衣のようなものを着た女性が立っていた。

 黒髪を五つに分けて塊に結い、頭にカチューシャをしている。よくよく見れば三つでっぱりがある輪っかをカチューシャ代わりにしていた。顔のチークがやや濃く思えた。身体にはボディパウダーを塗っているのか動くたびにきらきらする。


「いらっしゃいませ。なにかお求めですか?」

「わらわは愛し姫じゃ。愛しき姫じゃ。愛らしき姫じゃ」

 自分で愛らしいと言ってしまわれるのか。

 女性は誰しもなにかしらコンプレックスを持っていると思っていたものの、こんなに突き抜けていると、いっそ清々しいかもしれない。

 第一印象は垢抜けない感を受ける。佇まいももったりしている。


 話を聞いてみると、彼女もまたこの店で縁結びをしてもらったのだという。

「あのおのこは自我や自尊心は身体と同じほどに肥大しておるのじゃ。そんな愚かな者が力を持つのだからのう。力を振るうことがどういうことか分かっていないのじゃ。彼の者の行いによって嫌な心持ちにさせられる。まるで、悪臭を放つようじゃ。毛むくじゃらなのは自分を守ろう、他者から見えなくしようとしているからかもしれぬな。長い毛に覆われた中身、素顔を晒したら途端に虚勢は剥がれ落ち、おどおどするのじゃからのう」

 名乗った後の怒涛の言葉に、中へ招じ入れる間もなかった。それに、犬たちが四肢を踏ん張って睨みつけている。


「ええと、つまり、別れたい、ということでしょうか?」

 ずらずらと相手のことを並べ立てられたが、結論としてはシンプルだ。

「そうじゃ。他の相手を見つけよ」

 権高な物言いである。ちらりと店内に視線をやれば、なんと東山は物陰にしゃがみこんでいた。

 隠れている。

 見捨てられた、と一瞬愕然としたが、正しい行動かもしれない。なんとなくではあるが、このお姫様の前に東山みたいな男前が出て来たら、途端に次の婿候補にされ兼ねない気がする。


 どうしたものか、と考えていると、お姫様は焦れた。

「はようせぬか」

 そして、香織が持つ紙を奪い取る。

「む、この男で良いわ」

 さっと紙面に目を通すととんでもないことを言い放つ。

「え、いえ、その方は既に結婚されています」

 慌てて釣書を取り返そうにも、のらくら躱される。

「あれ、どうして駄目なのじゃ? 良いではないか」

「良くないですよ。だって、他の人と結婚しているのに」

 しかもこのお姫様もだ。


「結婚? 結婚とはなんじゃ?」

 怪異は人とは異なるという。言葉が通じるからうっかりしていたが、知らない単語もあるのだろう。

「ええと、男女、パートナーの方が良いのかな? あ、配偶者、そう配偶者となることです」

「ああ、妻と夫のことか。最初からそう言いうが良い。訳の分からないことばかり言う童じゃ」

 そうか、夫妻については分かるのか。ええい、なにが分かってなにが分からないかが分からない。うん、大分こんがらがっているな。

 お姫様の方も、少しは理解しようと考えを巡らせてほしい。

 相手が分かる言葉を見つけることがこんなに大変だとは思いも寄らなかった。話自体をする気力が失せる。

 いっそ、その怪異は浮気性ですよとでも言ってやりたい。


「だって、わらわの夫は自分勝手なんじゃもの。そのくせ、小心者じゃ。そんなやつに大きな顔をされるのじゃぞ。そんなやつを、妻だからって立てないといけないのじゃぞ? ひどいと思わぬか?」

 蛇神は浮気されて怒りつつも、冷静になれば自分にもどこか悪い点があったのではないかと懸命に立て直そうとしていた。やり直そうと。

 このお姫様ときたら、ほんの思い付きくらいの軽さで横取りしようというのだ。


「ええとですね、夫婦の仲を裂こうというのは、仲を取り持ったこちらとしても、できかねることでして」

「ほほ。わらわは母御と父御の仲を裂いたこともあるのじゃ。他人のことなどさらに容易じゃ」

「は?」

 お姫様がとんでもないことを言い出して、うっかり客対応に相応しくない反応をしてしまう。


「父御は煩うてな。わらわのことをほんの毛ひとすじも分かってくれぬのじゃ。いつも幼いころよりわらわばかりを叱ったのじゃ」

 妹や弟が悪さをしても自分のせい。ふたことめには「姉なのだから」と言われるのだという。


「じゃが、隣家の男はそんなことは言わぬ。絶対に言わぬ」

 ふん、と盛大に鼻息を漏らすお姫様は愉悦に満ちた笑みを浮かべる。

「この者がほんに良い男でのう。わらわのことをよう分かってくれるのじゃ。わらわがもっと年がいっておれば、妻となったわ」

 ころころと笑うが、香織は気味が悪くて仕方がなかった。このお姫様は一体、なにを言おうとしているのか。

「あの、それより、ご両親の仲を引き裂いたというのはどういうことでしょうか?」

「そう急くでない」

 先ほどは散々、香織を急かしていたのに、そんな風に言う。


「かの男はわらわがどんな風に考え、どんなものを好むのか、よう知っておる。当たり前じゃ。わらわにどうしたいのか、と聞いてくれるのじゃもの」

 つまり、父親は独善的で頭ごなしだと言いたいのだろう。

「かの男がわらわの父御だったら、わらわの生は全く違ったものになったじゃろう」

 お姫様はおごそかに宣言した。

 ここでもまた、男性によって女性の人生は左右されると主張する。そういう価値観の中で生きているのだろう。


「じゃからの、言ってやったのじゃ」

 にたりと笑う。赤いぽってりした唇の両端が、つう、と吊り上がる。

 ぞわ、と背筋になにかが這いあがった。

 いやだ、その先は聞きたくない。


「母御はその男と寝所を共にした。共寝したのじゃと。男がわらわの父御じゃったら良かったのに、と。母御じゃとてそう思っていると」


 なんてことだろう。

 厳しく叱ったのも、躾のためだったはずだ。

 なのに、それを恨みに思い、全てを否定した。ありもしないことを、まことしやかに告げた。それはあたかも毒を注ぎ込まれたように、父親を蝕んだことだろう。

 香織は一歩後ろに下がった。爛々と輝く眼、てらてらと光る肌を持つお姫様から目を離せない。


「無論、母御は真実ではないと言うたわ」

 父親は信じなかった。

「皮肉なものじゃの」

 こんな時だけ、自分の言うことを信じてくれたのだというお姫様の唇はひん曲がっていた。正誤を見抜けぬ父親が悪いのだと言うお姫様は醜い様相を呈していた。


「ど、どうして」

「なぜとはなんじゃ?」

「お父さんはきっと、お姫様のことを思ってくれていたでしょうに」

「だとすれば、そう言わねば分からぬ。わらわはほんの童だったのじゃもの。良く分かるように説かねばならぬわ」

 それを怠ったのは父親の方だと言う。


「父御も母御も自分のことで手いっぱいじゃった。そして、弟妹の世話もあった。今なら分かるわ。そう、わらわは成長した。今なら父御のことも母御のことも分かってやれる。

 そう思って訪ねていったのじゃ。そうしたら、どうじゃ? 門前払いよ」

 粗野な夫に困ってまずは両親を訪ねて行ったのだろう。けれど、不和の種を蒔いた娘は快く受け入れられることはなかった。


 お姫様の両肩がむくむくと入道雲が沸き立つように膨れ上がる。昨日の蛇神様と逆だ。目が吊り上がり、口は顔半分ほども大きく裂ける。

 喉の奥から悲鳴が漏れる。


 と、両脚になにか温かいものが触れる。弥吉と佐助だ。いつの間にか、香織のすぐ傍にやって来た。

 お姫様も犬たちが視界に入ったのだろう。見る間に、元通りのサイズに縮んだ。

 香織も幾ばくか冷静さを取り戻した。


 ああ、このお姫様は外見が醜いのではない。だって、初め、あまりしゃべっていない時には、普通の女性だと思った。瞼がぽってり厚く、鼻は低く、頬骨が出てえらが張り、ちょっとでこぼこしたもったりした感はあるけれど、特に美人と思わないだけだ。醜いとかは思わなかった。


 そんなことを思っていたら、当の本人からそのものずばりを言われた。

「わらわは不美人じゃから、紹介が必要なのじゃ」

 そう言う割には高圧的だ。

 そして、女とは男がいないと駄目なのだと滔々と語る。

「だから、より良い夫が必要なのじゃ。今度こそ、正しい縁を結んでくりゃれ」

 大学でも彼氏がいないとつまらないと言って常に恋人を持つ子がいる。このお姫様は相手がいないと生きている価値がないといわんばかりだ。


 犬たちがすぐ傍にいることに力を得て、意見を述べてみることにした。

「その、男性のことだけじゃなくて、他にも楽しいことをされてみては? ほら、自分磨きとか。自身に繋がると思いますし、男性からしてみれば、魅力に映るかもしれませんよ」

 オブラートに包みながらも良いことを言ったと思った。弥吉ではないが、内心ふふーん顔である。

「ふん」

 鼻であしらわれた。

さかしらな。そんなものがなんの役に立つ。さっさと紹介せよ」

 言葉を選んで適切なアドバイスをしたつもりだった。それを無碍に扱われて、内心苛立った。


 外見がまずいというのなら、努力すれば良いのに。男女関わらず清潔感を保つのは必須だ。香織だって歯磨きをしっかりするようにしている。髪も肌も手入れする。そして、なにより、このお姫様には内面を整えてほしい。打ち込める趣味を持ってほしい。

 大学の友人も彼氏のことばかり話していて、ちょっとうんざりすることがある。


 そういった考えを口に出さなかったものの、顔には出ていたのだろう。

「もう良いわ! 紹介せぬとあらば、ここには用はない!」

 言って手にした釣書を放り出して、帰って行った。去り際、扉を蹴りつけようとするも、犬ににらまれ悲鳴を呑み込んで素早く踵を返した。


 つい口を挟んだものの、全く話を聞いて貰えなかったので消沈した。他の怪異もやはりそう簡単にはいかないのだろうか。東山はあんなに激昂する蛇神を落ち着かせることができたのに。

 人間でも自分の思い通りにならないと、相手のことを思いやらず、嘘をついてでも傷つけようとする者はいる。


 毒気に中てられた気分になり、大きく深呼吸をした。

 犬たちは怪異がいなくなると、駆けて行った。その姿を見送って店に入った香織はぎょっとして足を止める。

 紙のように白い顔をした東山がぼんやりと立っていた。

「だ、大丈夫ですか?」

 両親の仲を壊したという大分気持ち悪い話だったから、さもあろう。


 店の奥から丸椅子を持って来て座らせる。思いついて鞄の中から水の入ったペットボトルを取り出して持って行くと、東山は書架にもたれかかっていた。渡すと、礼を言って喉を鳴らして水を飲んだ。

 綺麗な顔をしていても、のどぼとけはしっかりあるんだなあ、と妙なことを考える。

 あ、しまった、飲みさしだった。

 香織も大分、混乱していると自覚する。大きくため息をついて、その場にしゃがみ込む。


「ごめんね、任せっきりで」

 そう言う声はかすれていた。

「いえ、私の方こそ、全然できなくて」

 親身になって話を聞き、意見を述べる。

 東山が昨日したように、やってみようと思った。しかし、あのお姫様には全く響かなかった。


「なんていうか、その、怪異にも当たり前に感情や知性があって。だから、自分たちの思うがままを望むんですねえ」

「うん」

 東山は目を閉じたまま、返事をした。寝ているのではなくて、きちんと香織の言葉に耳を傾けている。それが嬉しかった。


 容易にこちらの言葉に考えたり感じ入ったりはしてくれない。同じ人間でも自分の話に耳を傾けてくれる者ばかりではないのだ。自我を持つのだから、色んな考え方がある。こちらの言葉に感銘を受け、事態は好転するなどということにはそうそうならない。ましてや文化の違う怪異をや。


「ただ話を聞いて、アドバイスをするってだけのことが難しいんですねえ」

 心の滓を取り払い、胸襟を開いて親しみを感じてくれる。そんな風には簡単にいかない。

 香織がそう言うと、東山は噴き出した。顔色も幾ばくか良くなっている。

「そりゃあそうだよ」

「そうですよね。簡単にいくなんて思い上がりですよね」

 照れ笑いをしつつ、見上げると、東山がこちらを見ていた。優しい表情に鼓動が跳ねる。

「でもさ、香織ちゃんはもうやってのけたよ」

「どういうことですか?」

「弥吉だよ」

「ああ」

 うっかり期待してしまった心が萎む。

「あれ、嬉しくない?」

「いいえ。でも、犬だからなあ」

「犬の姿をしていても怪異だよ。彼らは誇り高い。簡単に人には懐かないよ」

「え、だって、わりとフレンドリーですよね?」

 きなこはまだだが、他の犬たちには触れる。

「うん。だから、すごいんだよ」

 単純な言葉はすとんと香織の心に下りた。

「そっか」

 すごいのか。

 全てがうまくいくわけではない。けれど、少しは成果が出ているのだ。


「犬たちは菜穂子さんが、」

「なほこさん?」

「あ、ううん。以前にそういう店員さんがいたんだよ。それに、ほら、俺も人間だしさ。人間の価値観に犬の方でも慣れているんだよ」

「そうなんですね」

 相槌を打ちつつ、東山の口から出た女性の名前が気になる。

 どんな人だろうか。

 でも、それ以上聞いてほしくないという雰囲気を感じ取り、香織は二の足を踏んだ。

 こういう時、無邪気を装って聞いてしまうのも良いかもしれないが、人間、痛いところを衝かれるのを嫌がる。そうした者に対して良い印象を受けないだろう。

 手を伸ばせば触れることができる近さにいることを許してくれている。今はそれだけで十分だった。この距離にいられることを手放したくなかった。





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