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毎日更新予定です。
(更新忘れたらすみません)
今日も複数回、投稿する予定です。
もうじき世間はゴールデンウィークで、どのように過ごすか、できればシフトを多く入れたいが、できないなら別の短期アルバイトを探す、といった話をした。
「そろそろ香織ちゃんに店の開け締めを任せようかな」
そんな風な言い方でシフトを多く入れることを受容してくれた。
レジ締めがない代わりに、電気を消した後にひとりであの細い道を通っていくのかと思うとそれはそれで恐ろしい。懐中電灯を持ち歩こう。スマホはいざというときのために通電できるように空けておかなければ。
のんびり世間話をしながら本の整理をしていたら、突然、勢い良く扉が開いた。
「あいつ、浮気したのよ!」
入店者が挨拶も無しに叫んだ。大きい。香織の二倍はありそうな体躯だ。
鬼の形相とは良く言ったもので、血走った両目は吊り上がり、眉をしかめ、鼻にしわを寄せて口をひん曲げている。長い黒髪を乱し、上半身はトップレスで豊満なふくらみがあり、へそが見える。下はゆったりしたスカートだが、明らかにちらちら見える。蛇の長い胴体が。
香織は息を呑んで立ち尽くした。
「い、いらっしゃいませ、あの、」
驚きながらも接客しようとする香織の脇をすり抜けて東山が客の前に立つ。ちょうど香織と客の間に入る形で、背中を見上げることになる。
四月下旬に入って気温はぐんぐん上がっている。薄いシャツ一枚の東山の背は筋肉が盛り上がっている。
スタイルの良さに見とれていた香織ははたとなって、興奮しきりの怪異から用件を聞きだそうとする東山にその場を任せて、静かに注意を引かぬように動く。裏口から出て犬たちを呼ぶ。
小さい声で呼びかけてみたが、これでは届かないだろう。名前を呼ぶだけならなんのことか分かるまい。
ままよ、と息を吸い込んで声を張る。
遠くから駆けてくる犬たちに安堵した後、気になって仕方がないので店内の様子をうかがう。
「だからっ! ここで紹介されたあいつよ、あいつ! 他の女と遊んでいたのよ! なによ、ちょっと綺麗な髪をしているだけじゃない。それだけの女なのに!」
顔に両手を当ててわっと泣き出す。福耳という言葉では説明しきれないほどに垂れ下がった耳たぶ、そこに嵌められたピアスの輪が大きく揺れる。胸元と腕につけた細い無数の短冊形のアクセサリーがしゃんと澄んだ音をたてる。
泣き伏す仕草は人間と変わらないのだな、と明後日な感想を抱く。そんな香織を東山が視線で呼ぶ。刺激しないようにゆっくり近づくと、東山が身体を捻って耳元で囁く。
「こないだ貰った袱紗に包まれた箱を持って来て」
幽霊もどきから受け取ったものだな、とすぐに分かるも、息が耳に掛かり、即座に動けない。
「香織ちゃん?」
「は、はい」
いぶかしげな声になる東山の顔を見ることができず、ぎくしゃくと回れ右をする。顔が熱い。なんとか背を向けることができたが、耳が赤い気がする。
「ちょっと、こっちは浮気されたってのに、いちゃいちゃしてんじゃないわよ!」
していない。彼氏がいたことないので耐性ないだけである。
目当ての物はすぐ見つかったが、じっと陳列棚の方を見つめて微動だにしない。できない。
「大体! あんたたちが紹介したんでしょ! もうふたりはどこへ行ったのよ!」
「香織ちゃん、寄越して?」
いきり立つ怪異に、流石に東山も脅威を感じたのか、そう急かす。
恥ずかしい気持ちは吹き飛び、香織は慌てて袱紗包みを持って行く。
「ちょっとぉ、無視しないでよ!」
乱れたスカートの隙間からのたうつ蛇の胴体が見える。香織は先ほどとは違う要因から硬直した。早く渡さなくてはと思うのに、足が竦む。
「わん!」
そこへ颯爽と大きな毛玉が飛び込んできた。
「お鈴さん!」
助かった、という気持ちが声に籠る。
「ひぃっ」
東山の両肩に掴みかかっていた蛇女は慌てて飛び退る。鈴はすかさず東山と怪異の間に割り込み、四肢を踏ん張ってはったと睨みつける。その雄々しい姿にほれぼれする。
と、抱え込んでいた袱紗包みをひょいと取り上げられる。見上げると東山だ。
陳列棚に戻し、もう不要になったのかと思う間もなく、古ぼけた包みを開く。中からは紐が掛かった年季の入った箱が出てくる。躊躇なくその結び目も解く。
「香織ちゃん、退いていて」
ぼんやり見つめていた香織は慌てて横へずれる。退けと言われてようやく、役立たずであることを思い知らされ、へこむ。
東山はそれまでの躊躇のなさから一転、慎重に箱の蓋をずらす。そして両腕を極限まで伸ばす。まるで怪異と鈴に向けて箱の中の臭いを嗅がせようとでもいうかのようだ。
真実、そうだった。
僅かの隙間から、煙がくゆ、と立ち上る。ふうわり、ふうわりと漂う様はまるであの幽霊もどきのようだ。
東山の思惑であろう通り、鈴と蛇女の方へ流れていく。鈴は耳をぴくりと動かしただけで、蛇女から視線を逸らさない。まさしく、蛇に睨まれた蛙の怪異は煙の存在に気づくも、動くことができない。そして、その煙を吸った。
心なしか、気温が下がっているように思えた。
「あ、ああ」
呻く声を上げた蛇女は額に甲を当て、へなへなとその場に崩れ落ちた。後からやって来た弥吉たちがそれを取り囲む。遅れたのは、遅れて来たのは、危険を察した鈴が急いだからだろう。だから、間に合った。
「もう大丈夫だ」
東山は箱の蓋を締め、紐を掛けた。袱紗で元通りに包み直す。
「それって?」
怒り狂った相手を鎮める効果があるアイテムなのか。
「この箱をくれた怪異、ぞぞ神とも言われているんだよ」
「神様⁈」
香織は素っ頓狂な声を上げる。まさか。佐助にマッサージ器代わりにされていたあの幽霊っぽいのが。神様ってもっと恐ろしくも威風堂々としたものではないのか。
「うん? この女性も神様だよ?」
妖怪も神も含めて怪異なのだという。
日本には八百万の神様がいると言うのだから、そういうのもありなのか。
「ぞぞ神は恐怖のために全身をそそけだたせる神なんだ。臆病はしり込みするということでしょう?」
冷静とはまた違う。けれど、これが怒り狂う相手を、我に返らせる効果があると思ったのだと東山は言う。
「神様には神様のアイテムを、ってことですね」
「効果はあったね」
そうだ。怒り狂った神に掴みかかられた東山はどれほど恐ろしかっただろう。
「済みません、私、東山さんが危ないのに、全然動けなくて」
「え? そんなことないよ。現に、言われなくても犬たちを呼んでいてくれたでしょう? 助かったよ」
俯いた香織の頭を温かいものが撫でる。東山の手だ。もしかして、犬と同じ扱いか。うっかり、それでも良いなんて思ってしまう。
「あ、ごめん。女性の頭を撫でるのって、駄目なんだっけ」
すぐに掌を引っ込めたので、ぬくもりが遠ざかる。
「いえ、慰めようという気持ちが染みます」
香織は後からやって来た犬たちに礼を言いつつ、神にすら興味津々で近寄って行こうとする弥吉を捕まえる。
犬よ、神に対してもぞんざいなのか。
東山は丸椅子を出して来て蛇神の前に据えて腰掛ける。香織が面接を受けた時に座ったものだ。
懐かしい。あれから早一か月弱。その間に色々あった。
実は神様相手に売買していた。
心を落ち着かせるために弥吉と佐助を撫でまわす。きなこは手を伸ばす前に察して遠ざかられてしまった。
その後、落ち着いた蛇神の話を、東山がへらりとした笑顔で相槌を打ちながら、時折言葉を挟んで軌道修正をした。
興奮しきりだった怪異は落ち着きを取り戻してからは、膨れ上がっていた身体が縮まった。大柄だと思っていたら、香織と同じくらいの身体つきに収まった。怒りで身体が膨らんでいたのだ。逆立っていた眉は優美なふたつの弓をなしており、常態では理性的で美しい女性だ。
東山はうまく間を取り、話を聞きだす。
この店で縁を取り持った相手が浮気をして怒り心頭で乗り込んで文句をつけた蛇神は、冷静を取り戻せば、店になんの瑕疵もないことを認めた。
浮気はいけないことだけれど、自分にも至らない点があったのではないかと言う。
この神様はやり直す意思がある。そうと決めたら、自分にできることをしようとしている。
香織はなんだか応援したい気持ちになった。
「話を聞いてもらってすっかり気が晴れたわ」
ふっくらした頬に細い指を当てる。それだけでそこはかとなく色気が混じる。
「それは良かったです」
「随分騒がせたわね。お代はどうしようかしら」
「通り鬼についてなにか情報はないですか?」
「持っていないわ。では、それを探しておくわね」
「ありがとうございます」
情報も対価となり得るのだなと東山たちのやり取りを見ていると、蛇神がこちらに視線を向けた。弥吉と佐助を抱える腕に力が籠りつつ、会釈を返す。犬に抱き着いた姿で失礼だったかというのは後から思いついた。
「初めて見る顔ね。前にいた店番は?」
「辞めましたよ」
「あら、そう。残念」
そこで、そう言われれば、東山は以前からひとりで店番を務めていたのではないのかもしれないと思い至る。
蛇神を見送った後、犬たちに労いを込めて餌をやり、店内に戻った。
「そろそろ店を締めようか」
色々あったせいで動きが緩慢になる。作業をしながら、なんとはなしに聞いた。
「前にいた店番の方ってどんな人だったんですか?」
「男。俺みたいなの」
東山みたいなへにゃりとしたのがふたりもか。
冗談はともかく、あまり仲が良くなかったのかもしれない。東山は珍しくぶっきらぼうだった。
「東山さんは随分怪異と仲が良いんですね」
「そんなことはないよ?」
「でも、みんな、東山さんに感謝して帰って行きますし」
今の蛇神も東山のことを覚えていた。
「香織ちゃん、怪異は人間とは違う存在だからね。考え方とかも違うよ」
気をつけてねと言ういつになく真剣な様子に、しどろもどろで頷く。
心配してくれているのだな、とじんとくる。弥吉の気持ちが少し分かった気がする。おっと、考え方が違うと今聞いたばかりだ。
「俺があいつらに親切なのは下心があるからだよ」
いつものへらりとした調子に戻って緩い口調になる。
「下心、ですか?」
「うん。見返り。怪異たちの情報を貰っているんだよ」
なんだ、結局、縁談のためではないか。いや、もしかすると、求める物品に関しての手がかりともなり得るかもしれない。どちらにせよ、怪異たちのためだ。
「犬たちがいてくれるから、うちの守りは万全だしね」
香織が怖がらないよう、そう言う。
「まさしく番犬ですね」
「優秀だろう? もっと早くに店に来てくれていたらな」
香織は驚いた。
東山の声音には寂しさや慕わしさ、そして微かな苛立ちといった様々なものが入り混じっているように感じたからだ。
普段、犬たちとあまり関わろうとしないのに、と首を捻りつつ、香織は今日のことから導き出したことがある。
とにかく、接近することがあるのだから、清潔感を大事にしよう。いつ、東山に香織の息がかかるかもしれない。歯磨きは一日三回!
本日のパソコンは電源を入れてからなろうの画面に行きつくまでに40分かかりました。
頑張れ、パソコン!
途中で止まるのやめてね!(切実)