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本日四話目の投稿です。ご注意ください。
うすうす気づいてはいたが、ここは日本ではないのではないだろうか。
「地球ですらない?」
「そうだよね。町中に突然、こんなにだだっ広い草原はあり得ないもんね」
広大なドッグランで片付けていたが、やはりそうではなかったのだ。
「さっきの小鬼みたいなのは悪戯するだけだよ。この店はあちこちの世界からたまにやってくるお客さんに欲しいものを売っているんだ」
様々な世界のはざまにある店なのだと言う。
良く分からない。
精神的疲労が激しいだろうから帰っても良いと言ってくれたものの、惨憺たるありさまの店内を一緒に片付けることにした。このまま帰宅して寝床に潜り込んでも、頭の中が混とんとしそうだ。
本は開かず、書名でざっくり分類して積み上げる。それを東山が書架に配していく。
「俺は人間。でもって、こいつらは怪異」
犬たちを示して言う。犬は思い思いに寝そべっていた。
「怪異?」
改めて聞き慣れない言葉の意味に考えを馳せる。
「そう。不思議な存在。いわゆる化け物とかその類。ああ、妖怪みたいな感じかな?」
「よ、妖怪!」
こんなに犬なのに。外見も鳴き声も仕草も犬そのものなのに。
「こいつらはオーナーが連れて来てくれたんだ。物騒だから店を守るためにね」
怪異であるものの、心配ないとへらりと笑う東山は空虚な感がした。
犬たちに馴染んでいた香織は戸惑う。
「あとさあ、「通り鬼」には気をつけてね」
「お、鬼?」
東山の珍しい硬い声音に、嫌な感じを読み取る。
昔話に出てくる赤鬼、青鬼というのではなさそうだ。
「うん、そう。通り魔的な犯行をするやつ。中には他者に憑りついて凶行をさせることもあるから」
やだなにそれ、怖い。
恐ろしい話に気を取られ、散乱する紙束を拾い上げた際、掴み損ねてひらりとなにかが一枚、舞い落ちた。
「あれ、これ、写真?」
新しいものだ。優し気な老婦人が男性ふたりに挟まれていた。若い男性のようだと思うも、じっくり見ることはできなかった。
「オーナーのだから返しておくよ。それより、こっちを手伝って。こんなところにも紛れ込んでいたかあ。ちょうど良いや。整理しちゃおう」
香織の手から写真を抜き取り、代わりに紙束を渡される。
「こ、これは中を見ても大丈夫ですか?」
「うん。それはね、ある意味、縁結びリスト。いわゆる釣書」
「は?」
「怪異も婚活するんだねえ」
驚きである。今日なんどめだ。ここでアルバイトを始めてからは無数だ。
紙の方向を揃え、五十音順に並べる。中は日本語で記載されていた。
東山は時折、紙束から紙を選び出して横に置いた。
「それは?」
「人妻をさらって詐術で惚れさせた前科があるからブラックリスト入りさせる」
別所に保管するのだそうだ。
「うわあ。そこまでして好きだったのかなあ」
「どうだろうね。山中に住んで猛獣をとって喰うぐらいの獰猛なやつみたいだよ」
「野生ですね」
「うん。俺みたいなひょろひょろには厳しい相手。香織ちゃんは優男よりワイルドなのが良い?」
「えっ」
異性に聞かれるとどきっとする。
今日はもう十分鼓動を速めた。これ以上は良い。
だから、釣書は紙にしわが寄るほど随分熱心に探した形跡があるのはどうしてだとか、あの写真に写っているのは誰だったのかとかいう疑問は棚上げした。
弥吉を抱いて号泣したことについて、帰宅してから羞恥で頭を抱えたくなった。
犬に抱き着いて大声で泣く。感情の起伏が激しい女だと思われたのではないか。
他所で情緒不安定だと言われたことはないし、あんなことがあったのだから、仕方がない。けれど、東山がどう思ったか気になる。あの後、引いているという風ではなかった。しかし、ふにゃふにゃした言動ではあるものの、安定した精神で、感情をむき出しにしない男だ。実は呆れられていたらどうしよう。
翌日は休日で、午前からアルバイトのシフトが入っている。家を出る間際までぐるぐると考えを巡らせたので、遅刻寸前で急ぐ羽目になる。
細道を通り抜けると、その東山が店の前でしゃがみこんでいる。店の周囲に苗を植えている。
「ガーデニングですか?」
「まあね。人手が増えたし、さりげない感じで草花を配置しようかなと思って」
言って、立ち上がるといつものへにゃへにゃの笑顔を浮かべる。
「良かった、来てくれて」
「貴重な収入源ですから」
香織もいらない草を抜いたり土を掘り起こしたりするのを手伝う。店をぐるりと一周することになったので結構な労働となった。
犬たちを連れて来て、これは食べてはいけないと教える。
「わぅん」
鈴と佐助は一定の距離を置き、きなこは警戒する節を見せる。そして、弥吉はしり込みする様子すらあった。
「みんな賢いなあ。ちゃんと分かってくれたんだね」
どちらかというと怯えている風であったが、その方が荒らされないで済むだろう。
「香織ちゃんも食べないでね」
「当たり前ですよ!」
犬と同じか。
犬と同列の扱いをされ、怪異なんていう妙なものが現れ、なんなら、やってくる客も怪異で、止めには店は別世界に建っている。となれば、あの細道は異界への通り道か。帰りは怖いのか。
香織とて、このままアルバイトを続けるか辞めるか、悩んだ。迷ったときはメリットとデメリットを挙げて比較するのが良い。
時給が良い。ちゃんと日本のお金で支払われると聞いた。しかし、怖い。危険からは遠ざかるのが昨今の風潮だ。セクハラをする店長もいない。店はごくごくゆるい。居心地は良い。仕事もそう難しいことを要求されない。怪異相手ならば、これからされるのだろうか。犬の姿をした者たちは可愛い。
いや、やって来た客が危険な存在だったらどうするのか。
「悪いものだったら、犬たちが追い払ってくれるから」
東山はそう言っていた。
それなら安心か。
安心か?
怖いということを除けば、これ以上にない環境だ。ただし、身の安全は重要事項ではないだろうか。
ここで東山の存在である。
彼は人間だ。そして、香織が来るまではひとりで店を回していたという。
ならば、大丈夫なのではないか。
小鬼は怖かったが、犬たちの敵ではなかった。悪いものを追い払ってくれると言っていた通りだ。
それに、東山は怪異たちの縁談のために、釣書の束がへたるほどによくよく読み込んでいる。彼がそこまでするのだから、全てがすべて悪いものではないのだろう。
そう結論付けて、今日やって来たのだ。
掃除を済ませた後、ふと昨日見た怪異たちの釣書の束を思い出した。引っ張り出してみると、やはりなんども取り扱った跡がある。
「良く見返すんですか?」
東山は棒を呑んだように立ち尽くした。釣られて香織も一時停止する。
「うん、早く探してやりたくて」
へらりとした笑顔に切なさがにじむ。
「そうなんですね」
怪異のためにこんなに懸命になっているんだ。
怖いなんて言っていてはいけない。店の大事なお客さんだ。
縁結びは釣書の条件からマッチングする対象を抜き出して連絡するというものだという。
「こんなにお相手を探しているものたちがいるんですね」
「うん、まあ、自分の縄張りから出ることがなければ、出会いは限られてくるからねえ」
しかも洋の東西を問わず、マッチングするらしい。釣書には絵姿が載っているのもある。
それを見て香織は、ああ、妖怪だわ、と思う。日本在住か。いや、中国の可能性もあるかもしれない。
そう言うと、東山はあっけらかんと返した。
「だって、別世界だよ。東洋とか西洋とか関係なくない?」
「あ、そっか」
グローバルどころか世界自体が違う。
「ケースバイケースなんだ。どの世界の住人も人口、あれ、なんていうんだろう。とにかく頭数を減らしたくないからさ」
「中には過密で他所の世界へ行けっていうのもありそう」
「ありそうだなあ」
へらりと笑う。のんびりしたものだが、内容はちょっぴり怖い。この世界から出て欲しいなんて。間引きだ。
「まあ、でも、当事者同士の気持ち次第だから」
「私は恋愛どころじゃないなあ」
「新しい環境に慣れるまで大変だろうね。気負わずゆっくりやっていけば良いよ」
思いがけず頬が熱くなる。男前だし、良く気が付くし、ピンポイントで対応した言葉をくれる。胸きゅん要素満載である。
だけれど。
東山はなにか心に鬱屈がありそうだ。
どこがどうとは言えない。時折見せる表情、発言内容、行動からなんとなく感じた。