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本日三話目の投稿です。ご注意ください。
恐怖とは暗闇や正体不明のものに対して湧き起こる。
多分、なにかいるんだろうな、という状態はいわば生殺しの感があった。
それでも、香織が透間亭に通ったのは犬たちが可愛かったのと先輩アルバイトの東山が穏やかだったのと、なにより、時給が良かったせいだ。
「ここいらの本は料理で隣は化学、こっちは魔法関連、それでその隣は建築だね」
どういう並べ方なのだ。
今日は来客があり、本を探してくれと言われた。東山が見つけて来た本を嬉しそうに抱えて出て行った。香織も自分でも探せるようになろうと思い立った。
東山に教えを乞うと、午後の日差しに埃が舞う中、ふたりして肩を並べて本の林を前にすることになった。
「料理はある種、科学だからねえ」
理科の実験と似ているということだろうか。相変わらず、香織の考えが読めるようだ。
「これは? 怪異……かいい、という読み方で良いんですか?」
そこだけ妙に明るいというか、ちょっと他の棚とは雰囲気が違ったので目を引いた。
「当たり」
東山の声音になんとなく感じるものがあって、それ以上聞くことはできなかった。書架から視線を移しても、へらりとした表情があるだけだ。
思い違いかな、と目線をふたたび本棚に移動させようとした際、視界の端をなにかが横切る。
大きい。
今度こそネズミか、と身構えた。強い力で肩を掴まれ、後ろに引かれる。
大きな手だった。
東山のものだと分かり、上を向こうとしたら、どさどさと本棚から本が落ちてくる。
「きゃっ」
そのまま立っていれば、分厚い本で怪我をしたかもしれない。
身を竦める香織の肩に置かれた手に、もう大丈夫だと言う風に軽く叩かれた。
「危なかったね」
少し猫背になって、覗き込んでくる。端正な顔が近づいて、今度は違う意味で身体を硬くする。
「ここは片付けておくから、香織ちゃん、犬たちを呼んできて」
「あ、え、て、手伝います」
「片付けはすぐ済むよ。犬を店に入れたら、香織ちゃんは外で深呼吸しておいで」
どういう意味だと思うも、優しく背中を押されて、そのまま裏口から店を出る。穏やかな仕草ではあっても、断固たるもので、自然と従っていた。
「はあ、なんだったんだろう。あれかな。前から、ちょこまかしていたやつ」
実際はそんな可愛らしい表現が似合うものではなかった。
犬たちは呼びかければすぐにやって来た。
「ご飯だよ」のひとことがなくても駆け付けてくれたことに、こっそり喜びを噛みしめる。
「あのね、店の中に入ってって東山さんが言っているの」
なんのことか分かる?と思わず犬たちに質問する。
香織も訳が分からないのだ。そう問われた方も戸惑うだろう、それ以前に人間の言葉は分かろうはずもない。香織はそう思った。
しかし、違った。
「「「「わん!」」」」
犬たちは正確に理解し、列をなして店の中へ入る。弥吉がちゃんと鈴の後ろを歩いている、と妙なことに感心する。
「あ、あれ? それで合っているよ。良く分かったね? もしかして、なんのことかも知っているの?」
どういうことだ、と香織は殿を行くきなこの後ろから店内を覗いた。
先に店内に入った犬たちが縦横無尽に跳びまわっていた。
「え、ちょ、や、待って、やめ」
店内が荒らされる。
慌てて止めようとした。
「ああ、良いんだ。後は犬たちに任せておけば良いから」
「でも、あ、あ、落っこちる」
東山にやんわり外に押し出されそうになりつつも、今にも棚から陳列物が落下しそうなのに目が釘付けになる。
棚に小人のようなものが逃げ込み、そこへ弥吉が食らいつく。
逃げ込んだ物品の陰に鼻先を突っ込むと、たまらず転がり出て、あわあわと左右を見渡して身を隠す場所を探す。弥吉がその後ろ首を咥えて振り回す。ぽい、と軽く放り出された小人は床の上で目を回していた。弥吉はそちらへは目もくれずに次の獲物に向かっている。
鈴は悠々としたものだ。素早く動く小人に動じず、機を捉えてさっと前足をふるう。ゴムまりのように一匹二匹と床を跳ね、こちらも大の字で仰向けになる。
佐助ときなこは小さい身体を棚から棚へと跳び移らせ、小人を蹴り付け、打ち払って床に山を作っている。
「小人? とんがり帽子は被らないんだ」
「ぶはっ」
うっかり漏らした言葉に東山が噴き出す。俯いて口元を手で覆って肩を震わせている。
「良いですよ、遠慮なく笑ってくれても」
「ははっ、いやあ、香織ちゃん、腹が据わっているねえ。うんうん、小人と言えば、とんがり帽子だよね」
改めて言われると、うっとなって視線を逸らした先に小人が見える。
「なんか、そんな可愛い感じじゃないですね」
「うん、あれは小鬼って呼ばれている怪異だよ。悪戯をする妖精だね」
「妖精?」
その言葉から連想される愛らしさは皆無だ。
しわくちゃの顔の真ん中に大きく高く尖った鼻があり、目は三白眼だ。口も大きく、耳も先が尖っている。そして、口の中にはずらりと鋭利な歯が並んでいる。薄い蝶のような翅はもちろん、ない。
「人間に対して悪意があって、死んじゃうようなひどいこともするんだ。それで他の妖精たちからも嫌がられている。妖精のイメージダウンにつながるってさ」
「妖精ってそんなことも気にするんですか」
「今日日、イメージダウンって企業だけが気に掛けるんじゃないんだねえ」
小鬼は元々は森などに棲んでいるが、人家に住み着くこともあるという。家畜にいたずらをして乳の出や卵を産まなくさせたり、住民に迷惑を掛ける。掃除をしない怠慢な者には図に乗っていたずらをしかけてくる。
「コップを倒したり中のミルクを腐らせたり」
「掃除って大切なんですね」
そういえば、接客よりも掃除をしていた。
「そうなんだよ。まあ、やつらは犬たちを怖がるから。悪戯を仕掛けてくるけれど、いつも尻尾を巻いて逃げ出す」
「尻尾ってあるんですか?」
「うん? なさそうだな」
犬たちにのされて床に散らばる小鬼をまじまじ見つめて東山が言う。
「もしかして、前からちらちら見えていたのって、この小鬼?」
「ご名答」
呑気に話していると、書架から落とされた本の山の中に小鬼が逃げ込むのが見えた。
「あ、そこ」
思わず手を伸ばした腕を、東山が掴む。驚いて手を引っ込める。
「不用意に開かないでね? 呑まれちゃうよ」
「えぇ⁈」
どういうことだと問いかける間もなく、東山がその本の山には触れずに検分する。
「中に入り込んだな」
「軍手をしたら噛まれても痛くないかな」
「本の隙間に入ったんじゃなくて、本の中に入ったんだよ」
「はぁぁ⁈」
意味が呑みこめずに目を白黒させる香織を他所に、東山は商品である本の中に逃げ込んだ小鬼を探すと言う。
こういうのあったな、と思う。細かい柄の入り混じるカラフルなページ、似たキャラクターがたくさんいる中で特定の人を探すやつだ。
自分も手伝うと名乗りをあげるが、東山は難色を示す。
「本の内容は読まないで探すんだよ」
「え、じゃあ、どうやって見つけるんですか?」
「ランダムにとぎれとぎれページを開くんだ。内容を読んではいけない」
物語に呑み込まれるという。
面白い話に我を忘れる、という意味合いの表現ではない様子だ。
「そんなの、いつまで経っても見つからないですよ」
「これもお仕事です」
つまり、「透間亭」の仕事が特殊というのはこういうことなのだ。
時給が良いはずである。
「そうだ。お鈴さんたちにも協力して貰いましょう」
「お、それ、良いね。弥吉なんて喜んで探してくれそう」
単なる思い付きではあったが、案外、東山は乗ってきた。
「でも気をつけないと、犬たちも見失いそうですね」
「香織ちゃん、早々にここに馴染んできたなあ」
その通りということだろう。弥吉は勝手に帰ってくるから、まあ良いかと彼らの手を借りることにする。
「と、いう訳で、本の中に逃げ込んだのを探して下さい」
「「「「わん!」」」」
香織の説明に良い子の返事を重ねた犬たちは早速とばかりに本の臭いを嗅ぎ始める。
これは期待できそうだと安堵する。しかし、それは考え違いだった。
弥吉がひょいと本を開き、その中へ鼻づらを突っ込んだ。
「や、弥吉! それ、売り物だから、汚しちゃ駄目だよ」
多分、この店へやって来る客の何割か、もしかするとほとんどが、あの小鬼と同じく人間ではないのだろう。
東山は先ほど、小鬼を怪異と言っていた。客たちも、そして、犬たちももしかすると怪異なのかもしれない。そう考えると餌をやれば良いだけというのは腑に落ちる。その餌やりすらも本来は不要なのだ。
ならば、その怪異たちが求める店の売り物は大切にしなければならない。それを求めてやって来る人間ではない者がいるのだから。
なにごとにも夢中で向かっていく性質の弥吉は、本の中にも入り込んでいく。ずぶずぶと上半身をのめり込ませていく。
「うえぇぇ⁈」
驚いた。
まさしく、本に呑まれていた。
弥吉は後ろ脚で踏ん張りつつ、尾を激しく振っている。楽しいのか。恐怖はないのか。
香織は無我夢中で動いた。慌てて犬の銅を掴み、引き抜く。
火事場の馬鹿力で犬を抱え上げる。すぽんと引っこ抜いた。背中から抱き着く形となりながら、尻餅をつく。
「だ、大丈夫⁈ ちゃんと耳も目も鼻もあるね⁈」
「わん!」
必死の形相の香織に確認され、弥吉は元気いっぱいで答える。それをまじまじと見つめる。
「わふん?」
まるで、どうしたの、とでも言わんばかりだ。
香織に抱えられながらも、尾を振っている。腹がくすぐったい。触ってみたいと思っていた。抱きかかえても、案外大人しくしている。
じわじわと安堵がこみ上げ、次いで、嗚咽に取って代わる。
「もうっ、心配したよ! し、しんぱい、じんばいじだよ!」
繰り返す同じ言葉は徐々に湿り気を帯び、泣き声はひび割れた。弥吉は驚きに目を見開いた。ぴんと尾が真っすぐになる。
「くうん、くうん」
慰めるように身をよじって香織の顔を嘗め回す。
「くぅん」
「わふん」
「わうわう」
鈴と佐助、きなこも近寄って来て、弥吉にしがみついて大泣きする香織を宥めようとする。
しばらくそうやっていた。泣いてすっきりした香織は、ちゃっかり鈴たちにも抱き着いて見事な毛並みを堪能した。転んでもただでは起きてはいけないのだ。