3 王子殿下の登場
応接室に入ってきたのは、金髪碧眼、整った顔に均整の取れた肢体、まさに王子様然とした輝く優美な笑顔の男性だった。
「ヨーゼンバル殿下!」
ビルマルカスは慌てて立ち上がり、頭を下げた。ディナシェリアは慌てることなく立ち上がり、頭を下げる。キャリソーナはキョトンとして座ったままだ。
「やあ、ビルマルカス。久しいね。ここはネトビルア公爵邸だ。私にそこまで気を使う必要はないよ。座りたまえ」
「は、はいっ!」
ヨーゼンバルは二十二歳。ディナシェリア、ビルマルカス、キャリソーナは十八歳。
その年の差も、ビルマルカスがヨーゼンバルに緊張するに値する年齢である。さらに、公爵令息としてヨーゼンバルとの交流もたびたびあったので、ビルマルカスはヨーゼンバルに敬意と尊敬と羨望が混ざり合った気持ちがあるのだ。
キャリソーナはやっとヨーゼンバルが王子殿下であることを理解したようで、ビルマルカスの腕を引っ張りながら、「すごいっ!」だの「ステキだわっ!」だのと興奮していた。
ヨーゼンバルは、キャリソーナに一瞥もしない。ディナシェリアはそれこそが怖いと思っている。
美しい所作で三人に近づいたヨーゼンバルは、一人がけソファでなく、ディナシェリアの隣に腰を下ろした。ディナシェリアは少し腰を浮かせて、ヨーゼンバルとの距離をとった。恋人でも婚約者でも家族でもない男女が隣に座るには適度な距離が必要なのだ。
ヨーゼンバルはディナシェリアのその様子を見てディナシェリアにだけわかるように口角を本当に少しだけ上げた。ディナシェリアは心の中で、ヨーゼンバルに呆れていた。
『本当にイタズラ好きですわねぇ。お一人がけにお座りになればよろしいのに』
ディナシェリアはため息をギリギリ耐えた。
ふと、反対側に座る二人を見ると、二人とも目を潤ませて完全に喜んでいた。ビルマルカスがヨーゼンバルに憧れていたことはディナシェリアは知っていたが、キャリソーナのキラキラした瞳の意味が理解できない。
『王子様に憧れるアレかしら?』
ディナシェリアはそう解釈したが、次の瞬間さすがのディナシェリアも眉を顰めた。
「殿下っ! 私、キャリソーナ・ランチーリーって言います! これもご縁です! 今度、一度だけデートしてくださいっ!
私、王都の市井に詳しいんです」
『ガタガタガタ』
隣室の執務室から大きな音がした。隣室に誰がいるかを知っているディナシェリアは、倒れてしまったであろう人を心配して顔を手で覆った。倒れてしまったであろう人も、キャリソーナがここまで常識外れであるとは思っていなかったのだろう。
ビルマルカスもさすがに不敬なのはわかっている。青い顔をしてキャリソーナを鎮めようとした。しかし、そんな努力は虚しく空回りした。
「もうっ! 好きなのはビルなんだからヤキモチは焼かないで。王子様とデートくらいいいじゃないのぉ!」
勘違い甚だしいキャリソーナは止まらなかった。ビルマルカスはそれでも諦めるわけにもいかず、ヨーゼンバルの顔色を窺いながらキャリソーナを落ち着かせようとしていた。
アリナがヨーゼンバルにお茶を出し、ヨーゼンバルは優雅に口にした。アリナは冷えたタオルをディナシェリアに渡した。まさか顔を拭くわけにもいかないが、それを握るだけでも落ち着けた。他人事であるが、目の前でお手打ちになどされては夢見が悪いにも程がある。
キャリソーナの行動はディナシェリアも疲れさせていた。そんなキャリソーナをビルマルカスはまだまだ必死になって抑えていた。
『あら? なかなか辛抱強いところもありますのねぇ』
ディナシェリアはビルマルカスの見たことがない姿に少しだけ感嘆した。
「ビルマルカス。そんなに慌てなくていいよ。彼女と私が今後会うようなことなど決してありえないのだから。ははは」
ヨーゼンバルの乾いた笑いにビルマルカスとディナシェリアは硬直した。キャリソーナは首を可愛らしく傾げている。三人のそれを喜ぶようにヨーゼンバルの言葉は続く。
「それにしても、ビルマルカスはすごいね。公爵の地位を捨ててまで愛を取るのだから」
ビルマルカスはさらに硬直し、それからギギギギギとなりそうなほどゆっくりとキャリソーナからヨーゼンバルへ顔を向けた。
「は? はい?? 私は公爵家の長男です。跡継ぎですよ」
「ハッハッハ! 長男が継がなくてはいけないという決まりはないだろう?
現在の公爵殿は優秀だし、人を見る目はあるはずだ。出来の悪い長男に継がせるとは思えないけど」
ヨーゼンバルの目は三日月のように笑っているのに目の奥が笑っていないことは、これだけ近くにいればビルマルカスには痛いほどわかった。そういえばヨーゼンバルは、『彼女と私が今後会うようなことなど決してありえないのだから』と言った。ビルマルカスとキャリソーナはディナシェリアの計らいですでに婚姻したのだから、キャリソーナは未来の公爵夫人だ。王子殿下と会わないなどありえるのか?
ビルマルカスは疑問が湧くし納得できないこともある。ビルマルカスは言葉を選びながら、慎重にヨーゼンバルの様子を窺いながら、質問をした。
「で、出来が悪いなど……言われたことはありませんが?」
「うーん?? 今まではそうだったのかもね? でもね、君。ディナシェリアと婚約破棄したでしょう? その損益金、考えたかい?」
「慰謝料なら払いますよ」
「そんな上辺の話ではないよ。まあ、それも支払うことになれば、多額だろうけどね。
ディナシェリアからの持参金を返金するだけでも大変だろうねぇ。
最近、君の遊興費はすごいという噂だよ。君個人の資産はあるのかい?」
ビルマルカスが、ここ1年ほどキャリソーナを伴って、観劇だの展覧会だのパーティーだのへと赴いているのは有名な話であった。そして、二人は毎回違う衣装と装飾品であることも有名である。商会の者も『ノッスタン公爵令息様にご贔屓にしていただいている』と菓子や宝飾品を喧伝しているし、仕立て屋ももちろん『ノッスタン公爵ご贔屓の店』として売り出している。公爵家としてはそういう働きも必要であることは間違いない。ただし、額と回数は考えるべきだろう。
「ノッスタン公爵家に支払いを拒まれた店があったという噂を聞いたけど……。それは後で確認するといい」
『そこで家族に投げますか?? イタズラにもほどがありますわ』
ディナシェリアはヨーゼンバルに少しだけ侮蔑の視線を送る。ヨーゼンバルはなぜかそれも嬉しそうに受け取っていた。
ビルマルカスはもしノッスタン公爵家で支払いをしてくれない場合はどうなるのだ? と頭を悩ませていた。如何せん、前例がない。
ヨーゼンバルはそれでも容赦なく続けた。
「私が心配しているのは、慰謝料ではなく、両家が姻戚関係にならなかった場合の業務の沈滞についてだよ」
ビルマルカスはすぐには答えられなかった。ビルマルカスがそんなことも知らないとは、ディナシェリアは思っていなかった。だから、目をしばたかせてビルマルカスを見やってしまった。
幸い、ヨーゼンバルとのやり取りに必死なビルマルカスには、その視線は気が付かれなかった。
「私の予想だと、ノッスタン公爵家の資産をすべて売り払っても、ネトビルア公爵家が被るだろう沈滞の損失は補えないと思うんだよね」
ヨーゼンバルの軽い口調に、ディナシェリアは目を細め、ビルマルカスは青くなり、キャリソーナはキョトキョトしていた。
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