第一章⑵予期せぬ出会い、そして初恋。
「何か頼みなよ。」
「そうだな。」
彼女にメニューを渡すのは、なんだかルール違反な気がしたので、僕は頼むものが決まっているであろう裕に、この一年間変わらない「安定の」メニューを渡した。
「私は、コーヒーを。あ、ブラックで。」
裕がいつものようにレモンスカッシュを頼んだ後で、彼女はウェイトレスの「お砂糖とミルクはお使いになりますか?」という言葉に少し恥ずかしそうにこう答えた。
同じ高校一年にしては大人びている顔立ちをしていた。なぜ恥ずかしそうにしたのかは分からなかった。大人びているとは言っても、高校生になって半年もたっていない彼女の肌に化粧っ気はなく、おまけに少し焼けているせいか顔だちを幼くも見せた。
「幼いのに大人っぽい」そんな矛盾した言葉が、彼女にはぴったりだった。背は低く、裕との身長差もいい感じだ。制服を見る限り、隣町の公立高校の制服だろう。そして彼女は、二人の飲み物が来ても尚、自分と視線を合わそうとしない僕に、表情をうかがうように声をかけてきた。
「佐野柚稀です。」
丁度、目の前にある冷めたカフェオレのカップに手を付けていた僕は、底が見えかけていたそれを慌てるように飲み干してから自己紹介をした。
三十分程話した後、彼女が、そろそろと言って席を立った。どうやら裕は僕に紹介するためだけに彼女を呼び出したようだ。
「あぁ、ありがとう。また連絡する。」
「うん、じゃあまた。」
彼女は僕にも軽く会釈して笑顔で店を出た。ここから何が起こったかはお分かりいただけるだろうか。そこから僕は、二時間、彼女との馴れ初めや、彼女の魅力について聞かされる羽目になった。僕は、こういう時の彼が嫌いだ。長いだけの話なら聞き流せば何とかなるが、裕の場合、話の順序がなっていない時がある。そうなると、僕はその長い話を最初から脳内で組み替えて理解しなきゃならないんだ。今回はそうじゃない事を祈る…。
裕と彼女が出会ったのは五月。裕が中学卒業まで所属していた野球チームの監督が引退し、そのあとに来た監督の娘が彼女だったのだとか。裕は、リトル時代から所属していた野球チームにちょくちょく顔を出していたし、野球少年の指導にもあたっていた。新しい監督や彼女とすぐ打ち解けたのは不思議じゃない。やがて、二人で出かけたりするようになり、付き合いだしたんだという。本当はもっと、も―っと長いなれそめがあったが、全部書いていると手が腱鞘炎になりそうなので割愛。
裕の話で驚いたことがあった。彼女が僕らより年が一つ上だということだ。「高校一年生が付き合う」とくれば、同い年だと勝手に思い込んでいた僕は、心底びっくりした。そして、僕は彼女に抱いた「大人びている」と「幼い」というイメージを反芻した。しかし、何度繰り返しても、どちらの印象が彼女に当てはまるかは分からなかった。大人びた顔立ちをしながらも、気取らぬ素直な可愛らしさが彼女にはあった。
僕の知る限り、裕に彼女ができたのはこれが初めてだ。義務教育を終えたばかりの僕は、年上と付き合っている親友をどこか遠くに行ってしまったような目で見た。
そして、のどからこみあげてくる甘さをかき消すように、空になったカップの隣の水を飲んだ。彼女に自己紹介する前に飲み干したカフェオレのカップの底には、たっぷり二本入れたスティックシュガーがたまっていたみたいだ。その時初めて、僕は味もわからないほど緊張していたんだと気が付いた。
「彼女、素敵だろ?」
どこか遠くに感じた親友も、彼女のいないところで年上の女性を呼び捨てにできないらしく、長―い馴れ初め話の間も、さっきまで「柚」と呼んでいた彼女のことを、「彼女」とか「柚さん」とか言っていた。それにしても、まだ話す気なのかこいつは。でも、まだ一応話の順序は問題ない。
「数分話したくらいじゃわからないよ。」
と投げやりに言う僕に裕は、右の眉を小指でかいた後で、照れくさそうに続きを話し始めた。これは裕の癖だ。こいつが右の眉を小指でかいた時はろくなことがない。今回も、恐らくここからが本題だろう。つまり、ここから僕の脳が酷使される可能性は高い。さんざん話を聞いた後なので、心底こういう時の裕は嫌いだと思ったが、もうすでに乗り掛かった舟なので、おとなしくさっき飲み干したカフェオレの糖分が切れない事を祈る。
「実は、彼女と仲良くなったきっかけは全く別なんだ。」
「は?」
柄にもなく、間抜けな声が出た。そこまで戻るのか。自然とため息が出そうになるのを抑え、一度咳払いをする。
「そうなのか。それで?」
「実はさ・・・」
なんの悪びれもせず、何故か照れながら話すその姿を見て、僕はこの話の順序のなっていない親友をはたいてやりたい衝動にかられた。・・・もちろん冗談だ。
「痴漢に遭ってるところを助けたんだ。出会いがそれ。」
また話が戻った。待てよ。つまり、彼女と祐が出会ったのは、彼女が痴漢に遭っていたのを裕が助けたのがきっかけで、その彼女が、偶然にも裕が所属していた野球チームの新しい監督の娘だった。よし。今回は大して酷使されずに済んだ。
「なるほどな。そんな偶然あるんだな。」
「だろ?なんかこっぱずかしっくってさ。」
話の順序がめちゃくちゃなことなんて、この親友は気にもしてない。もう大概慣れているので、僕もわざわざ咎めるなんてナンセンスなことはしない。それに、今回の話は素直にすごいと思った。高校一年生の男子が痴漢から女の子を助けるなんて、簡単にできる事じゃない。少なくとも、高校一年生の「僕」にはできなかったと思う。
「カッコイイじゃないか。」
自然と口から出た。茶化しでも、妬みでもなく純粋にそう思った。
「そうか?」
裕は、僕から目を逸らして右の眉を小指でかいた。そうだ。そもそもこの癖は、照れた時の癖だったな。
「うまくいくといいな。」
「ありがとう。」
その日僕らは、少し大人になったような気がした。