5.いざ受験
「はあ、ひい……」
長い長い坂道を登り切り、俺は膝に手をついた。
レトゥナ魔法学園の大門の前、俺は滝のような汗を流しながら顔を上げる。
ごつごつと岩のように堅牢な建物。
古風な印象の校舎が、山肌に半分埋もれ一体化するようにそびえたっている。
「よ、よし、来たぜ学園! 見てろよ――」
言い終える前に鐘が鳴った。
すっげえ重い音だ。
ぽかんとしている俺の耳に染みて抜けて、どこか遠くに去っていく。
門の衛兵さんが教えてくれた。
「実技試験開始の鐘だよ」
「マジで!?」
もう始まったのかよ!
ていうか筆記終わったのかよ!
やっべどうしよ……
ええい、まあいいや!
俺は腹をくくって走り出した。
俺は馬鹿だ。
馬鹿の取り得は深くは考えないことなんだ。
もうくよくようじうじなんてしない。
勢いで行って流れで壁をぶち破ってやる!
っと!?
「おっと……すまない……」
角を曲がるところで誰かとぶつかりそうになって俺は体勢を崩しかけた。
「いや、俺の方こそ!」
俺は暗い顔のひどい猫背男に雑に手を振って先へ急ぐ。
頑張らないと間に合わない!
行く手から激震が伝わってくる。
少し置いて轟音。
光が瞬くのも分かる。
受験生たちが魔法を思い思いにぶっ放してるんだろう。
受験の要項によれば今やっているのは魔法の実技試験だ。
その前は筆記で、魔力のない俺としてはこっちで稼ぎたかったけれど、もう今さら言ってもどうしようもない。
過去は振り返らないで今を行く!
「すんませんっす、遅れました!」
駆け込んだ先はグラウンドだった。
受験生たちが並んで自分の順番を待っている。
俺もその最後尾についた。
他の奴はそんな俺を気にはしなかったようだ。
ちらりと視線を向けてくるのもいたが、特に興味はないらしい。
それぞれがそれぞれに集中しているようだった。
どんどん列が前に進み、魔法が列の先の方で炸裂しているのが見えるようになる。
……しっかしすげえなこいつら。すさまじい魔法をポンポン撃ちまくる。
やっぱり超名門魔法学園の受験者だけあるわ。
俺の三つ前の奴なんて天まで届きそうな火柱を生み出してたが、何かが気に入らなかったらしく膝を叩いて悔しがっていた。嫌味か。
俺の番がきた。
「まずここ署名を」
「あ。うっす」
試験監督官が持つボードの紙にサインして、それから広々としたグラウンドを前にする。
俺が最後で、受験生はもう一人も残っていない。
「では始めたまえ」
「オッス!」
腹にから気合を吐き出して、俺は腰だめに腕を引き、目を閉じる。
その途端ペンで何か書き込む音がする。
無駄な動きと集中過多、のつぶやきも。
ふん、それで俺のやる気を削ごうって腹だな!
そうはいかねえぜ試験官!
俺はむしろさらに腰を沈めて、こおおぉ……と息を吐いた。
腕を武術の型のようにゆっくりと回して、左手だけを前に出す。
行くぜ……見てろ……俺の……最強の……
本当はすごく不安だった。
逃げたかった。
だって俺に魔法の才能がないなんて誰よりも俺が知ってるんだから。
ここで恥かくのはどうでもいい。
でもここで思い知ってしまうのは絶対に嫌だ。
ベティアにはもうマジで本当に一生会えないのかもって。
だから、俺は……俺は……
「みじめねえ、人間」
不意に声がした。
「力がないのって本当にみじめで最低。みっともなくって吐き気がするわぁ」
俺はびっくりして目を開けた。
そこにはもうグラウンドはなく試験官もいなくて、ただただ暗闇の中だった。
そこに一人、俺だけが立ちすくんでいる。
いや、違った。
「誰だお前」
振り返ると、そこに黒いドレス姿の女がいた。
長い赤毛を腰まで伸ばし、ゆるく腕を組んでこちらを眺めている。
俺の問いかけににやりと口をゆがめて笑った、
「わたし? わたしはミゼリア。邪神様に仕える卑しい女よ」
「邪神……?」
言いながら気づいた。
この声、今朝の起き掛けに聞いた声だ。
「そ。邪神『星呑み』様。強大な魔力を操りこの世をゆがめ踏みつぶし、思いのまま吸い尽くす存在よ」
「そんなの聞いたことねえけど」
「古代の存在だものね。あなたみたいなお子様は知らなくて当然かも」
「よくわかんないけど、そんなのが俺に一体何の用なんだよ」
「あら? 用があったのはあなたの方じゃないの? わたしたちの封印を解いて取り込みまでしたんだから」
女が面白がるように口に手を当てる。
俺はやっぱりわけが分からなかったけれど、そろそろ苛立ってきて言った。
「なんだか知らないけど、俺の邪魔すんじゃねえよ! 今は試験の真っ最中なんだ」
「試験に落ちる真っ最中?」
「う、うるさいな。いいから消えろ!」
「そうはいかないわよ。人が困ってるのに黙って見過ごすわけにはいかないもの」
「え……?」
もしかしたら俺の顔がよほど弱り切って見えたのかもしれない。
女はけたたましく笑い声を上げた。
「そう! 助けてあげるの! 感謝しなさい、邪神様のご慈悲よ!」
そして手を差し出してくる。
「契約しましょう。邪神様はあなたに力を与える。その代わりにあなたはあなたの体を邪神様に捧げる。交換条件ね」
「俺の体を?」
「そうよ。あなたは少しずつ置き換わっていって、半年後には邪神様としてこの世界に降り立つの」
俺は絶句してミゼリアを見つめた。
かなり謎なこと言ってるわりに、なぜかその言葉に嘘や作り話はないことは分かる。
「それって……ずいぶんな条件に聞こえるけど」
「嫌?」
「そりゃ――」
言いかけて俺は不意に思ってしまった。
こいつを追い返して、待っているものはなんだろうと。
孤児院で馬鹿にされながらのベティアのいない生活。
誰でもできるような仕事にすらあぶれるようなみじめな将来。
どっちが嫌?
ほんの少しの沈黙のはずだったけれど、女はにんまりとして言った。
「契約成立ね」
そして、俺もそれを否定することができなかった。
俺の右手が、女の――ミゼリアの手をとった。と思う。
光が暗闇の地平から押し寄せてくる――
「おぼぉぇぇぇ……!」
気づくと俺はグラウンドに膝をついて盛大に吐いていた。
苦い汁が口の中に溢れてこぼれる。
「大丈夫か君!」
試験官の声がする。
俺は口元をふきながら慌てて立ち上がった。
「いや、大丈夫っす! 最近ちょっと紙とか石とかしか食ってなかっただけで!」
「それは大問題だと思うが……」
彼はトントンと筆記具で手元のボードを叩く。
「続けるのかね?」
「もちろん!」
俺は改めて何もない空間に向かって構えた。
意識を集中する。
すると今度はすぐに不思議な力感が体を満ちるのが分かった。
俺はそれを勘を頼りに溜めて、練って……大丈夫、今度は行ける。
俺は確信と共に、一気にそれを放出した。
雷鳴。
激しい稲光が天からグラウンドに突き刺さる!
「うおお!?」
試験官が驚いた声を漏らす。
轟音が響き渡り地を揺らす。
俺も思わずつぶやいた。
「す、すげえ」
と。
さらに立て続けに三回同じ威力の雷が降ってきた。
もう立ってもいられず尻餅をつく俺たち二人の前で、放電まじりの砂塵の中からぶわりと何かが舞い上がる。
よく見ると虫の群れらしい。
最初は好き勝手に飛んでいたようだが、次第に渦を巻いて巨大な竜巻状に激しくグラウンドをえぐって、それが弾けると巨人がそこに立っていた。唐突に。
「……え?」
巨大な影は、現れたと思ったらいきなり垂直に跳躍した。
速すぎて俺の首の動きが追いつかない。
巨人はそのままの勢いで学校の校舎の壁に取りついてどんどん登っていく。
そして頂上に着くと、盛大に自分の胸を叩きまくりながらどこからともなく響いたファンファーレと共に消えた。
それで終わりみたいだった。
ぽかんとしたまま俺と試験官が取り残される。
しばらくたっても何も言えずにいた俺だが、一応確認はしておいた。
「合格っすかね、俺……?」
試験官は目を白黒させていたけれど、それでも表面上は冷静に言った。
「試験に関する情報は受験者に漏らすことはできない」
そういうもんか、と俺は納得した。
その一週間後に合格の通知が孤児院に届いた。
◆◇◆
と、まあだいたいこんなところだ。
省いたところももちろんあるけど、ほぼほぼこの通りだからそれで理解してもらえるとうれしい。
こういうわけで俺は晴れてレトゥナ魔法学園の生徒になった。
だけど正直なところ、問題はまだまだこれからだったんだ。