26.学長の心配事
さて、と俺は歩き出した。
さっきのナイフは制服の内側のポケットにしまって。
また声が聞こえる。
言投げの魔法の声が。
「さて、さっそく取引を始めよう。我々の指示に従って進んでほしい」
余裕ぶったむかつく声だ。
だけどヒントはつかむ。
我々。相手は複数犯。
「……それはいいんだけどよ。まずはミーシャの無事を確かめさせろよ」
告げると男の声は笑った。
「おっと私としたことが」
「早くしろ」
「わかってるよ」
しばらくしてかすれた声が聞こえた。
「……ゼンか……?」
聞こえづらい。でも確かにミーシャの声だ。
「ああ、俺だ」
「わたしは……」
「なんかわかんねえけど捕まったらしいな。らしくもねえ」
「…………」
短くない沈黙が落ちた。
俺は寮の建物を出て校舎に入った。
そのタイミングでまたミーシャの声が聞こえた。
「見捨てろ」
「ふざけんな」
即答する。
馬鹿だ馬鹿だとは思ってたけどここまでとは思わなかった。
だがミーシャも本気だったらしい。
「なら自分で死ぬ」
その瞬間に鈍い音とくぐもった声。
どさりと誰かが地面にたたきつけられた。
「あまりなめた真似をしないでもらいたい」
今度は男の声だ。
「ミーシャに何をした」
「ちょっと眠ってもらっただけだよ。何も心配することはない」
「それではいそうですか、なんてならねえだろ馬鹿」
声だけしか届かないと知りつつ精いっぱいの呪いを込める。
「そいつはうちのチームのリーダーだ。あんまり雑に扱うと後悔するぞ」
「そうか。気を付けよう」
あくまで余裕の返しだ。
俺は舌打ちしてかぶりを振る。
「ミーシャの無事は分かった。俺はどこに向かえばいい」
「まずは学長室に向かってもらおう」
学長室?
俺はいぶかしく思ったけど、逆らっても別にいいことはない。
そのまま二階への階段へと足を向けた。
「ふーん。で、どうするの? このまま相手の言いなりぃ?」
中空にミゼリアが出現する。
俺は首を振って否定する。
そんなわけないだろ。
絶対途中で逆転してやる。
「とは言ってもねえ。だいぶ不利な感じよ?」
知るか。そんなの関係ない。
なめられた分は倍にして返すのが礼儀っていつの時代でもきまってるんだ。
「そういうもんかしら。問題はそれをどうやってやるかだとおもうけど」
それを今から考える。
「がんばってー。わたしはここから観察させてもらうわぁ」
他人事のミゼリアにいらいらしながらも学長室の前につく。
男の声が聞こえる。
「今は中に誰もいない。さっそく忍び込んでくれたまえ」
「……」
ドアの前に立ち手で押す。
びくともしない。
仕方ないので魔法を使う。
鍵はすんなりと開いた。
「ほう……」
「なんだよ」
男の声に思わず反応する。
「いや、やはり邪神の力は素晴らしいと思ってね。学長室の扉の防御をこうも簡単に破るとは」
「……! お前邪神のことを知ってるのか!?」
「もちろんだよ。だから君をターゲットにしたんだ」
邪神のことを知る奴は多くない。はずだ。
学長と俺。それ以外にはいない。
こいつ、どこから情報を。
「さっさと入りたまえ」
詮索するにも主導権がない。
俺は仕方なく部屋に入った。
「……」
見回すと以前も来たことがある風景だ。
「その部屋に地下へ続く門を開く鍵がある」
「門? 鍵?」
「探せ」
と、言われても。見当もつかない。
仕方なく机の中をあさるけどなんの収穫もない。
途方に暮れて見回すと、本棚が目についた。
近づいて本の一冊をとる。
開くと中の紙は切り抜かれていて、その空いた部分に小さな鍵が収まっていた。
「……これか?」
「あったかね?」
「多分な」
ひんやりとした鍵をつまみ上げて本だけを棚に戻す。
「それで? あとは?」
「もういい。部屋を出るんだ」
学長室を後にする。
「そのまままっすぐ進みたまえ」
「……」
数歩を歩いたその時だった。
角を曲がってきた誰かと出くわした。
「おや」
「……学長」
ガブズ学長がそこにいた。
彼はきょとんとした顔で俺を見て、それから言った。
「もしかしてわたしに何か用だったかい?」
「あ、いや……」
さすがにうろたえる。
まさか今の今まであなたの部屋をあさっていたとは言いづらい。
「べ、別に用とかじゃないっす。たまたま通りかかっただけで」
「そうかい? ならいいが」
学長は頭をかいて、それから俺とすれ違った。
そのまま学長室の方へと歩きかけて、途中で足を止めた。
「ああ、そういえば」
「?」
「君、最近ミーシャがどうしてるか知らないか?」
「ミーシャ、ですか?」
「ここのところ姿が見えないんだ」
「……」
どう答えるか一瞬迷った。
「……ちょっといろいろありまして」
それはこれ以上ないほど正直な答えだったかもしれない。
でも学長は少し違った受け取り方をしたようだった。
「そうか……迷惑をかけるね」
別に喧嘩しているわけじゃない。
いやしてたけど。
今はそれよりもはるかに緊急な事態だ。
伝えたいけど伝えるわけにはいかない。
その事実だけをかみしめて、俺はあいまいにうなずいた。
「はい。あ、いえ……でも、はい」
そのまま背を向けて歩き出す。
ミーシャを助け出す手立てはまだ考えつかない。
絶望的な状況だ。
それでも。
「ありがとう。ミーシャも喜ぶ」
背後からの学長の声に、俺はうつむいていた顔を上げた。
「…………はい!」
絶対助け出す。
俺は決意を固めて、改めて一歩を踏み出した。




