25.声
ミーシャが顔を見せないまま何日もが過ぎた。
エティサルはそろそろ落ち着かない様子だ。
そしてその間俺は結局ベティアと話をすることはできなかった。
せっかくアルハにアドバイスもらったのに。
最低限の連絡を伝え合ったりするほかは全く無視されてしまっている。
だからまともに大会の練習はできていない。
微妙に複雑な空気を持て余したまま、俺たちは教室でただ時間が過ぎるのに任せていた。
「で、結局大会前日になっちゃったけど……」
サリアンが頬杖を突きながらつぶやいた。
「どうしよっか」
俺は宙を睨んだまま腕を組んだまま、静かに息をついた。
うつむく。
「どうしようって言ったって、なあ」
どうしょうもない。
ミーシャがいないままじゃまともに練習なんてできないし、するにしたってもう時間がないんだ。
椅子に大きく背を預けて俺は言った。
「もう棄権でいいんじゃね? ……おっと」
ちょうど教室に戻ってきたベティアに睨まれて口をつぐむ。
彼女はそのまま自分の席まで行くとあからさまに大きく音を立てて座った。
しばらく気まずい沈黙があったが。
「…………っかたねえなあ」
俺はしぶしぶと立ち上がった。
「行くの?」
「一応様子だけ見てくる」
それからタイミングを同じくして立ち上がったアルハにも言う。
「いいよ。今回は俺一人で行くから」
「……そう」
若干残念そうに見えたけど多分気のせい。
俺は教室の戸を開けた。
しばらく歩いて移動して。
ミーシャの部屋には特に前と変わったところはなかった。
もしかしたらあれから誰も出入りしてないんじゃないかってくらい変化がない
「…………」
妙な想像が頭に浮かぶ。
もうミーシャはここから永遠に出て行ってて、この向こうにはがらんとした空き部屋があるだけで、みたいな。
「ミーシャ」
ノックした。
返事はない。
もう一度ノックした。
やっぱり返事はなかった。
「ったく……どういうつもりなんだよ」
ため息をつく。
何気なく右手がドアノブに触れた。
その時は別に何か考えがあってそうしたわけじゃなかった。
ただ何となくだ。
「……?」
だけどドアはすんなりと開いた。
俺は少しの間びっくりして、それからおそるおそる声を上げた。
「ミーシャ?」
さっきと同じで返事はない。
静かだ。
でもなんだろう。
その静けさは何となく不吉な予感を運んできた。
踏み入ると部屋はすっきりと片付いていた。
本は本棚に、机の上は整理整頓されていて、ベッドのシーツはピンと伸ばしてある。
床にはチリ一つなくて、壁も汚れがない。
だけど、何かがおかしい。
近寄ってよく見ると、小さなシミが散っているっぽかった。
黒くて細かいシミだ。
まるで血みたいな……
「…………」
俺は振り返った。
そして目を見開いた。
今まで死角になっていた方の壁に、大型のナイフが突き立っている。
しかもただ突き立っているわけじゃない。
何かを刺し貫いていた。
腕章。
俺が手作りした腕章だ。
『リーダー』と字が縫い取ってある。
「……ミーシャ」
喉がひりつくのが分かった。
一体何が起きているのかは分からないが、きっとただ事じゃない。
「なんなんだよ……!」
ミーシャは無事なのか?
誰がこんな真似を?
俺はナイフをつかんで引き抜いた。
「――ご機嫌いかがかね」
「!?」
唐突に聞こえた声に、俺は思わず飛び退った。
周りを見回す。
誰もいない。
「どうした、言投げは初めてか?」
また、男の声が聞こえた。
誰の影もないのに声だけはしっかり届く。
「……誰だ」
「敵だ」
声はシンプルに言ってから、かすかに笑った。
「まあおおむね敵だ。君が素直に我々に従ってくれるうちはそうとも限らないが」
「何が望みだ」
「ほう?」
声に感心の気配が混じる。
「ずいぶん飲みこみが早いな」
「気持ちわりい。褒めんな。さっさと要求を言えってんだ」
これは誘拐からの交換条件だ。
ミーシャが負けて捕まるなんて考えにくいけど、相手はナイフを媒介に言投げを使ってきている。
十中八九魔法使い。
あり得ないとは言い切れない。
以前の禍神騒動を思い出した。
どうやら学園には何か怪しい勢力があるみたいだった。
今俺と交信しているのも多分それの一味だろう。
魔法使いということは、なにやらきな臭い感じもするが……
それについては今考えても仕方ない。
「ふうむ、気に入った。君とはできるだけ長い付き合いをしたいものだ」
「俺はごめんだね。で?」
「ああ、分かっているとも。ではさっそく指示に従ってもらおうか」
「……」
俺はもう一度壁に目をやった。
その表面に散った血の跡。
静かに拳を固め、誰もいない部屋を後にした。




