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23.特別なこと

 次の日、ミーシャは教室に来なかった。

 授業の時間になっても現れず、全時限をすっぽかした。

 もちろん大会練習にも来なかった。


 ミーシャ抜きの練習はかなりゆるくて楽だった。

 厳しいこと言う奴なんていないし必要なことを必要な分やるだけ。

 連携練習が終わった後は各自の自主練習に任せるってことで早めに切り上げになった。

 俺はこれ幸いとすぐに部屋に引き上げた。


 ベッドに寝転がって、帰りがけに購買で買ったパンをかじる。

 天井をぼんやりと見上げていると昨日のミーシャの顔が頭に浮かんだ。

 怒り狂った目。

 でもなんだか焦って心細そうでもある。


 いや本当はどうだっただろう。

 ミーシャがそんな顔するなんてありえるか?

 その数秒後には殴り飛ばされていたから実際のところは分からない。

 俺の思い過ごしだったかもしれない。

 いつの間にかパンをかじる口が止まっていた。


 俺はベッドから起き上がった。

 それからシャツを着て、部屋の外に出た。




◆◇◆




 暗くなってきたグラウンドを、俺は走っていた。

 ミーシャに急かされてた時ほど速くはない。

 ただリズムを崩さないように淡々と走り続けていた。


 息は上がらない。

 ここ最近はずっと走り続けてたから。

 汗は出る。

 時々水を飲みに行く。

 また走る。

 走り続ける。


 なんでかな。

 なんで走るんだっけ。

 走ってないと落ち着かないから。

 いやそんなわけねえだろ。

 俺は走るのなんて嫌いだ。

 じゃあなんでだっけ。


 分からない。

 分からないまま走ってる。


 何周したかもわからなくなって、とっぷりと日が暮れてそれでも走って。

 俺はまだ立ち止まらなかった。

 スピードは上げないけど、止まりもしない。


「ゼン」


 声の方を見ると誰かがいた。

 ベティアだった。


「……」


 俺は無言で速度を落として立ち止まって、それからゆっくりとベティアに近づいた。


「なに?」

「頑張ってるなって思って」

「……そうでもないよ」


 俺の声に何かを感じ取ったのだろうか、ベティアはじっと俺の目を覗き込んだ。

 薄暗がりの中、その瞳が静かに光っている。


「元気ないの?」

「なんで?」

「だってはしゃいでないもの」

「俺だってはしゃがないことぐらいあるって」

「そうかしら」


 ベティアはそう言って踵を返して歩き出した。

 俺は汗をぬぐってその後に続いた。


「ミーシャマールさんね、落ち込んでた」


 俺はその言葉にすぐには返事を返せなかった。


「そんなわけ、ないだろ。あいつだぞ?」

「あるわよ。彼女だって人だもの」


 気まずい間が空いた。


「……本当に?」


 あまりに深刻に聞こえたのか、ベティアが少し笑った。


「本当を言うと、昨日はあの後会えなかった。部屋のドアを開けてもらえなくて」

「なんだ。じゃあ違うかもじゃん」


 言いながら、俺は奇妙に感じていた。

 なんで今、俺ホッとしたんだ?

 ベティアは肩越しに振り向いて俺を見た。


「だといいんだけどね。ミーシャマールさんが部屋にこもるなんてありえる? あなたと喧嘩した後で」

「あり得るだろ。意地っ張りな奴だし」

「ならなおさらあり得ないわよ。あんたの言ったことなんて全然気にしてない風に装うんじゃない?」

「それは……」


 また言葉に詰まっているうちにベティアが立ち止まった。

 そこにあったベンチに腰掛けて、俺にも座るように手振りした。


 ベティアの隣で、俺は考えた。

 ベティアはミーシャが落ち込んでいるという。

 それも意地も張れないほど。

 あいつは見栄と意地で生きているような奴だ。

 それが何も言えないほど凹んでいるのか。


「あり得ねえよ」


 俺はそう言ったけど、自分が本当にそう思っているのか、今度は自信がなかった。


 空を見ると月が上っていた。

 いつの間にか星が見える。

 暗い。


「わたしね、孤児院のみんなのためにここに来たの」

「え?」


 ベティアの方を見ると、もう顔は薄暗闇の中に見えなくなっていた。


「あそこって貧乏だったでしょ? 資金繰りも大変だったでしょ? 道具だってろくにそろってなくて勉強だってろくにできないからいい仕事に就くのも大変だったでしょ?」

「うん」

「わたしはだからこの学園に来た。孤児院からだって有能な人間が拾えるって分かれば国は院を援助してくれる。みんなの生活が楽になる。いい職に就ける」


 俺は言葉を失ってベティアの横顔に目を凝らしたけど、表情はぼんやりとして見えなかった。


「わたしはだからミーシャマールさんの気持ちが分かる。あなたはどう、ゼン」

「俺は……」


 分からない。

 ただベティアを追ってきただけの俺には分からない。


「あなたのこと嫌い」


 突然の言葉に俺は凍り付いた。


「人の思いを知らずにいるあなたにミーシャマールさんのこと馬鹿にする資格はない」

「ベティア……」

「あなたの方はどう? わたしのこと好き? どこが好き? どれくらい好き?」

「……っ」

「言えないのね」


 さっとベティアは立ち上がった。

 そしてそれ以上は何も言わずに去っていった。

 あとに残された俺は、打ちのめされてうつむいた。

 手に顔をうずめながらうめく。


「言えないよ……そんなの逆に言えないって」


 特別なことは特別であるほど口には出せないんだ。

 俺はしばらくそこから動くことができなかった。

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