19.練習風景
忍び寄る禍神。
俺たちがその封印に成功して二週間が経った。
禍神のばらまいた病は封印と同時に力を失って、やられていた奴も全員元気になった。
もう何も心配することはない。
事態の収拾役とかいって出てきた……石板警備官だったか? に厳しく取り調べられた後、事件のことは言いふらすなと命令されたことは気になるけど。
まあとにかくもう大丈夫なんだろう。
それより俺たちにはやることがたくさんあった。
何しろ学生の身分なのだ。
たりーけど、やることはやらなくちゃならなかった。
「何がタルいだ! 気を抜くな!」
俺の背中に怒声が飛んだ。
殴るように衝撃力のある声だ。
俺は思わずつんのめって叫び返した。
「うるせえ、気なんて抜くか! ミーシャてめ言いがかりつけてんじゃねーぞ!」
「いいから走れ! 背中から怠け者のオーラが出てるだろうが!」
「出てねえ! 出るもんか! 俺はガッツの男だぞ! ガッツだけで生きてきた!」
「嘘だな!」
「ああ嘘だバーカ!」
今、運動着で絶賛グラウンド走り込み中だった。
もう何周したかわからない。
強い日差し、汗でびちゃびちゃのシャツ。
息は苦しいし、心臓は限界までバクバクいっている。
ミーシャ曰く、俺たちエティサル教室組の貧弱な体質改善を目指すってことらしいけど――
「何様なんだあいつは……」
グラウンドの中央にはポニーテールの女子が腕を組んで仁王立ちしている。
もちろん外周を回る俺たち全員をしっかり見張れるようにだ。
人を走らせておいて自分は高みの見物とかどういう了見なんだ。わかんねえ。自分も走れよ。
「まあ息巻くのは仕方ないよ。もうすぐ教室対抗模擬試合大会だしね。彼女も必死なのさ」
そう言ったのはサリアンだ。
俺の右を走りながら眼鏡の位置を直す。
教室対抗模擬試合大会。
それは文字通り教室対抗の模擬試合の大会だ。
ちょうど一ヶ月後に開かれる。
生徒の成長度をテストする催しで、そこで目覚ましい活躍を見せた生徒は将来に大きなプラスになる。とかなんとか。
「じゃああいつは就職に釣られて俺たちを虐待してるってことか? なおさらテメエも走れって話だよ」
「まあまあ」
「ほらあんたたち口より足を動かしなさいよ。もう三周は遅れてるわよ」
ちょうどベティアが俺たちを追い越していった。
その後ろをアルハが無口にちょこちょことついていく。
遠ざかっていく金髪と銀髪。
意外と速い。
俺はため息をついてそれを見送った。
「……ベティアは真面目だよなあ。俺は馬鹿馬鹿しくてやってられねえよ」
「僕だって真面目だよ。真面目でこの速度だけど」
「走れ馬鹿ども!、亀でももっと速く歩くぞ! お前たちの足は水かき付きか!」
「あれでうまいこと言ったつもりか。どこもうまくねーぞ」
心の底から毒づいて、それからグラウンドの端でおろおろとしているだけのアホ男をにらみつける。
「エティサルも好き勝手させやがって。お前の教室だろってんだ、何とかしやがれや」
そのアホ男、エティサルはエティサル教室の教師だ。
偉い。というかいつも偉そう。
まあ教室名にその名を冠しているんだから調子に乗るのも当然ちゃ当然だが。
ただ、今この場においては支配者はミーシャなのだった。
愛称ミーシャ、フルネームミーシャマール・レトゥナ。
このレトゥナ魔法学園の学長ガブズ・レトゥナの孫だ。
これがエティサルに負けず劣らず偉そうで。
さらにエティサルは権力にはめっぽう弱いときているのでミーシャが暴君となった今、ブレーキ役が誰もいないのだった。
俺の愛しのベティアは真面目が過ぎて、この意味のないシゴキを意味ある鍛錬かなんかだと錯覚してる。
目を覚ましてくれ頼むから。
「くっそ学長に言いつけてやる……!」
歯を食いしばって地面を蹴りつけた時だった。
「あらぁ、ウジ虫ちゃんたちが地面を這いずり回ってるわあ」
頭上で声がした。
視線を上げると、俺の右のやや上の方に、黒いドレス姿の女がいた。
中空。そこに寝そべるようにして。
「ミゼリア……」
それは邪神の巫女の名前だった。
俺の体は呪われていて、邪神の卵が宿っている。
それを無事に孵化させ蘇らせることが彼女の目的だ。
ちなみにミゼリアは俺にしか見えない。
俺は彼女を見上げながら舌打ちした。
「何の用だよ、俺は今、めちゃくちゃ、機嫌が悪いぞ。何しろ、限界まで走ってる、からな」
息が切れて会話も満足にできなくなっていた。
くそ、ホントに限界だ……
ミゼリアはそんな俺を見下ろして、
「ウジ虫ちゃんに朗報よ。この地獄を終わらせる魔法を教えてあげる」
「うわうさんくせえ。うち、セールスお断りなんで」
「あの暴君ちゃんの弱みを知りたくなーい?」
……なに?
ミーシャの弱み?
「どう? どう? 今ならお安くしておくわよ」
「またうさんくせえ」
「あら、興味ないの?」
「…………」
あるに決まってんだろ。
「なら決まりね! ほらほらさっそく使いましょ。邪神様の四十二魔族が一つを召喚よん」
そう言われると……なんだか急に心がワクワクしてきたぜゲヘヘヘヘ。
お前が悪いんだからなミーシャ。
お前は俺を怒らせた。
めちゃくちゃ怒っちまって、顔のニヤケが止まらねえ。
さーて出てこい魔族ちゃん。
あいつのあいつを暴いてやるぜ!
と。
「へぶ!?」
こけた。
顔から地面に突っ込んだ。
「いっつ……」
顔を押さえながら振り返ると、ミーシャがこちらを見下ろしていた。
ちょうどさっきまでの俺の進路を足でふさぐ格好で。
こけたのはこいつの足に引っかかったせいだ。
「何すんだよ!」
「いや……」
ミーシャは珍しく不思議そうな、戸惑ったような顔で自分の足を見下ろして。
それから言った。
「なんだか寒気がして、体がとっさに」
「…………」
ミゼリアを見上げると、彼女はくすくす笑いながら肩をすくめた。
「バレたわね。あなた劣情が漏れやすから」
「劣情ちげえわ!」
思わず叫ぶとミーシャが言った。
「大丈夫かお前」
疲れ切ってるよ!
誰かさんのせいでな!




