10.学長室
猫背の背中についていくと、しばらくして学長室に突き当たった。
二階の廊下、奥まった場所にその扉はあった。
近づいてみてなんとなくの違和感に気づく。
といっても特に何があるってほどじゃない。
というか、かえって何にもないのが違和感なのかもしれない。
普通の廊下が普通に続いて、たどり着いた扉の脇には学長室を示す簡素なプレートだけがある。
え、ここが学長室? って感じ。
もうちょっと豪華にしてもバチは当たんないんじゃねえのってと思うくらいの普通さだ。
なんか絨毯敷くとかさ。そういうの詳しくはねえけど。
でもさらに扉が近づいてきて俺はようやく理解する。
思ったよりなんもなくて普通だったからってだけで違和感だったわけじゃない。
なんか妙な圧迫感があるんだ。
息苦しい的な高圧感じゃなくて、なんだかおごそかな? 感じというか。
私語ははばかられるぜ、的な。馬鹿でも黙る静謐? っつーの?
普通な見た目なのに妙に重い。
多分、だから違和感。
陰気教師が扉をノックした。
「入りたまえ」
反応があって、中に入ると爺さんが机に着いて待っていた。
「やあ。久しぶり」
俺に微笑んで、それから陰気教師に礼を言う。
「ありがとうマコスタ君。仕事に戻ってくれ」
「はい……」
幽霊のようなふらふらと頼りない足取りで陰気は部屋を出て行った。
俺はその猫背に牛乳飲めよと念を送った。
多分あれ、放っておいたらそのうち背骨が折れる。
「彼がどうかしたかい?」
「ああいや。別になんでも」
俺は慌てて首を振る。
でも途中で引っかかることがあって首をかしげる。
そういえばあの先生初対面じゃないような……?
どっかで会ったっけ?
……まあいいか。
学長に向き直った。
「で、なんの用っすか」
「いや、まずは元気かなと思ってね」
相変わらずの人のよさそうな笑みを浮かべて学長は言う。
服装はみすぼらしいローブから清潔なものに変わっているけれど、根っこの雰囲気は変わらず優しげな爺さんのままだ。
「元気っした。爺さん……いや学長のおかげで試験に受かることができたっす。本当にありがとっした」
「試験での君の力は耳にしてる。いや、それは君自身の頑張りの成果だよ。わたしはほとんど何にもしてないようなものだ。おめでとう」
ふくふくと言われて俺はうれしくなる。
「っていうか爺さんが学園の学長だったなんて驚きっしたよ。あの日は一体あそこで何をしてたんすか?」
「現実逃避かな。やらなければいけないこと全てに嫌気がさしてしまって。よくあることなんだが」
「よくあっちゃマズくないっすか?」
「マズいね。だけど君と会えたんだからまったくの無駄というほどでもなかった」
しかし、と学長は顔を曇らせた。
「君には悪いことをした。飴で釣って針を喉に食いこませてしまったかもしれない。手に入れた力にはきっと何か代償があるんだろう?」
「半年後に邪神になると言われたっす」
「邪神に、か……」
学長はさらに表情を暗くした。
「誰に言われた?」
「ミゼリアとかいう半透明姉さんっす」
「ミゼリア……そうか」
思案顔の頬を何度か手でこすった後、学長はこちらに視線を戻した。
何を考えていたんだろ。
ミゼリアのことを何か知ってるんだろうか。
「何とも重い代償だな。謝りたいが簡単に謝ってすませられるものでもない」
「まあいっすよ。世の中タダでは回らないってことでしょ。馬鹿でも知ってるっす。だから紙を食ったり石砕いて飲んだりしたわけですし」
「君は変わった気骨の持ち主だと思い知らされるな」
学長はやや苦笑い気味に椅子を引いて席を立った。
それから窓際に行って、さて……と話の向きを変える。
「今回君をここに呼んだ理由だが、少し忠告しておこうと思ってね」
「忠告?」
そう言われて俺が思い出したのはエティサル先生を思いっきりぶっ飛ばしたことだった。
繰り返すがわざとじゃあない。
「わざとじゃないのは知ってるしそのことはまあいいよ。エティサル教師にはあとで謝っておくように」
「うっす」
「忠告したいのはそれとは別の件だ。このところ学園内がどうもきな臭くてね」
「きな臭い?」
「この学園が災禍魔獣の封印体制を持続するための教育機関だというのは知ってるかな?」
そういえばさっき聞いた。
変態サリアンから。
偉い王様がすごい魔法使いに怖い化け物たちを封じさせたことが国の始まりなんだっけ。
学長はうなずいて話を続けた。
「実はこの学園はただ教育機関なだけではなく封印した魔獣たちの保管機関でもある」
「え。てことは、いるんすか魔獣。ここに?」
「保管場所までは言えないがね。いる」
「もしかして俺に渡したのも……」
「封印石板の中の一つだ」
「大問題じゃないんすか?」
「大問題だとも。わたしと君の他には誰も知らない」
「いいんすか?」
「良くはない。でも賭けてみたくなったんだ。未来に」
なんかよくは分かんねえけど……
とりあえず話の中心はそこではない気がしたので筋が戻ってくるのを待った。
「今差し当たって問題なのは、持ち出された封印石板が例の邪神の他にもう一つあるということだ」
「はい?」
「入学試験の際に数が減っていることに管理官の一人が気づいた。君の邪神と合わせて二枚だな。表向きには伏せられているが今裏では大騒ぎだ。試験の実施で警備が手薄だったとはいえとても言い訳できるものではない。なんとか挽回しようと関係者が総動員されている」
とりあえずなんか大変らしい。
ピンとこないけど。
結局俺はどうすればいいんだ?
訊ねると学長はふっ、と肩の力を抜いて笑った。
「今のところは何もない。だがとりあえずは気を付けておいてくれ。何が起こるか分からない」
「なんかずいぶんぼんやりとした忠告なような……」
「そうだね。すまない。もっと情報を流せればいいんだが、ここらへんが限度なんだ」
ううむ。
よく分かんねえけどしょうがない。
「分かったっす。なんか気を付けとくっす」
「ああ。頼んだよ」
学長は部屋の扉を開けて俺を見送ってくれた。
「それから、ミゼリアという女性のことだが……」
と、そこまで言って学長は首を振った。
「いや、なんでもない」
なんだよ。気になるな。
とはいえ、俺はそろそろベティアに会いたくなっていたのでさっさと部屋を出た。
扉の閉まる音を背中に聞きながら廊下を歩く。
数歩で学長室内での会話を忘れていく。
今頭にあるのはやっぱりベティアのことばかり。
さっきは微妙なやりとりになっちゃったし、どうやって仲直りすっかなあと首をひねったところで。
俺は壁にたたきつけられた。




