第八話 闇に消える街─1
「……何もないな」
小鳥の囀りが聞こえる静かな世界で、私は呟く。
隣にいるミラも同意するように小さく頷いた。
現在、私はアルティエタ近くの小さな町に来ていた。
町と呼ぶよりは村と言った方が正しいかもしれない、と思える程度にその規模は小さく、行き交う人間の数も少ない。
聖都で行われる祭典、「当日はぜひ見に来て欲しい」と巫女の少女にお願いをされた以上は見に行くとして、その日まではまだ一週間以上ある。
一週間前になれば聖都にある図書館で時間を潰そうと思っているのだが、そこまでは特にすることもない。
何をしようかと考えていた所、商人風の格好をした通行人がこの町の事を話していたのが耳に入ったのだ。
たしか、『闇の無い街』だとか言っていた覚えがある。
まあ、端的に言うなれば少し興味が湧いた。
ここに来たきっかけはそんなものだ。
『とりあえず宿屋にでも泊まろうよ、おねーさん。夜になったら何かあるかも?』
と、ミラが言った。
闇、と言えばたしかに夜の方が何か起こりそうだな。
彼女の言葉に納得した私は、宿屋へと向かう。
宿屋に泊まったりするとアイツが悲しそうな瞳をするので避けてはいたが、まあ仕方あるまい。
私は少しだけ上空へと視線を向けた後、宿屋と思わしき建物へ立ち入った。
「いらっしゃいませ! 宿泊ですか? それとも食事ですか? 旅人さん!」
建物に足を踏み入れると、ウェイトレスのような格好をした少女が笑顔で出迎えた。
「一泊頼む。部屋は──」
二つ。と、言いかけた所でミラが人差し指を立てた手を突き出すように、ウェイトレスの少女へと見せた。
少女は少し困ったような表情を浮かべ、上目遣いでこちらを見る。
「……部屋は一つでいい。料金はこれで足りるか?」
私はテーブルの上に手を差し出す。
ジャラリと硬貨同士がぶつかるような音を立てて机に落下した袋は、中身がぎっしり詰まっているのだろうと、開かずとも分かるほどに膨らんでいた。
これは最近発見したことなのだが、念じれば金は袋にまとめられた状態で出せるらしい。どこからこの袋が発生しているかは知らんが、便利なものだ。
「え、ええっ?! す、すぐにおつりでお返ししますね!」
少女はカウンターテーブルに備え付けられた引き出しから鍵を手に取り、それをテーブルの上に置いた所で袋の中身を確認。そして驚愕の声をあげた。
手つきから見るに彼女はこの作業にあまり慣れていないようだ。
店番を少しのあいだ任された娘、と言ったところだろう。
「余りはとっておけ」と少女に伝えた私はテーブル上に出された鍵を手に、カウンター横の階段を上る。
私は未だにこの世界の金銭感覚はわかっていない。
ここがゲームの世界だった時は必要分だけの数字が勝手に減り、買い物などが済まされていたために金額など気にしたことがなかったのだ。
硬貨にも材質やサイズの大小等の違いがあるのはなんとなくわかったが、どういう区切りで変化するのかは知らない。
鍵に付けられた札に書かれている番号を頼りに部屋へたどり着くと、ミラがベッドへ向かって飛び込んだ。
「固い」等と言っているが、こいつはどの程度を想定していたのだろうか。
私はそんなミラの姿を尻目に、近くにあった椅子へ腰掛けて部屋を見回す。
あまり広いとは言えない部屋には、壁際に設置されたベッドが一つ。小物等を入れられるような小さなタンスと、立派とは言えないような木製の椅子と机。
換気のために開け放たれた窓より時折迷い込んでくる風に白いカーテンがひらひらと舞う。
ごく平凡な宿屋の一室と言った印象を受けるこの部屋に、特に変わった所はない。
敢えて言うなれば、ベッドの枕元に置かれた蝋燭に灯されたゆらゆらと揺れる小さな火、くらいか。
それ自体は取り立てて言うほどの物ではなく、おかしくもなんとも無い。が、問題なのは今が真昼だと言うことだ。
まあ、おそらくは前にこの部屋を借りた者が単に消し忘れたと言うだけだろう。
『うーん……? ねぇねぇ、おねーさん。あれ消してもいい?』
しばらくベッドの上でころころと寝転がっていたミラは、唐突に首を傾げながら起き上がったと思うと、私の下まで歩いてきた。
上目遣いでこちらを見上げながらそう言った彼女は、何かに怯えるようにちらちらと背後へ振り返っている。その視線の先には、さきほど私も少し気になった蝋燭。
『えっとね……。なんか、嫌な感じ……』
どうかしたのか、と問えば返ってきたのはそんな言葉。
吸血鬼が嫌うような何かを発しているのだろうか、あれは。
まあ、よく分からないが今は火が消えて困るような時間帯でもないだろう。
私が小さく頷き、構わないとの意思を示すとミラは明るい表情を浮かべて私の膝の上に座る。
そして蝋燭が置かれている方向へと顔を向け、ふっ、と軽く息を吹きかけた。
蝋燭に灯された小さな火が消えた瞬間、ひんやりとした冷気が部屋中を満たした。
「──へぇ。その人間に囲ってもらったのね」
空気が震えるような圧力を持った言葉が、少女のような声で囁かれた。
声の主は開かれた窓の枠に腰掛けた、ミラが成長したような姿の少女。ミラを小学校低学年とするなら、その少女は中学生くらいだろうか。
「──ひとつ忠告しておいてあげるわ、下等種族。そこらの羽虫にも劣るようなソレに肩入れするのは、やめておいた方がいいわ。何の得にもならないから」
少女は私の胸に顔を埋めてぷるぷると震えているミラを指差して言った。
私は怯えた様子のミラの頭を撫でながら思う。
なんだこいつは。
「──そうね、貴女には何か光るモノを感じる。何だったら、この私の側に置くことも考えてあげるわ」
自身の白に近い金色の髪を指でくるくると弄んでいた少女は部屋の中へ足を踏み入れ、こちらへ歩み寄ってきた。
自身の顎にその細く白い人差し指を当てて、じろじろと値踏みをするようにこちらを見つめる少女の瞳の色はミラと同じくルビーのように紅い。
瞳の色は同じでも、ミラの髪が黒いのに対して彼女は金髪だ。
しかし、目の前の少女はミラが成長したような姿に見えてしまうほどに似ている。
この二人は姉妹か何かだろうか。
いや、むしろ髪の色と身長くらいしか違いがないな。
「──どうかしら。ソレを捨ててこの私、真祖吸血鬼エリン・C・ナハトのモノにならない?」
少女は耳元まで裂けたのではないかという口を薄く開き、ぐにゃりと歪んだ笑みを浮かべる。鋭い牙が妖しく光った。
淀んだ血のように暗く紅い瞳が真っ直ぐに私を捉えている。
──状態異常〈魅了〉を無効化しました。
よくわからないが、スキルが発動したらしい。
ミラを撫でていた手を止めて視線を落とすと、おそるおそるといった様子でこちらを見上げる、潤んだ紅い瞳と目が合った。
泣きそうな顔の彼女は、ふるふると首を左右に振る。
「私が貴様のモノになることはない。諦めろ」
私の言葉に対し、心底驚いたとでも言うような表情で目を見開く少女が二人。
一瞬だけお互いに顔を見合わせた後に、二人揃って私へと視線を向ける。
なんだこいつら。
向こうのエリンと名乗った少女に関してはまあ、ある程度は理解できよう。
しかしなんだこのミラの反応は。私を一切信用していないのか、こいつは。
『う、うわあぁぁぁん! おねぇざぁぁぁん!!』
そう思った次の瞬間にミラは涙を流し、私の胸に顔を押し付けるように抱きついてきた。
何かを話しているような感じは服越しに肌を通して伝わってくるが、何を言っているのかは全くわからない。
もう一度言うが、なんだこいつは。
──状態異常〈魅了〉を無効化しました。
エリンと名乗った少女は、一体何なのかはわからないがこちらを睨んでいる。
──状態異常〈魅了〉を無効化しました。
先ほどの言葉は訂正してもう一度言う。
なんだこいつらは。
──状態異常〈魅了〉を無効化しました。
と、言うよりも何だこれは。
唐突に頭の片隅の方に流れているシステムログが増え始めたのだが。
──状態異常〈魅了〉を無効化しました。
──状態異常〈魅了〉を──。
頭の中に割り込んでくるわけではないとは言え、ここまで並べられると正直──。
「……鬱陶しい」
「──え、ひゃ、ひゃいっ! ごめんなさい……」
システムログがおかしくなったのかどうかは知らんが愚痴を溢した所、何故かエリンと名乗った少女が謝るという事態になった。
そしてそれが関係しているのかどうかもわからないが、とりあえずシステムログは止まった。おそらくは何か一時的な異常だろう。
「──えっと。こ、後悔しても知らないわよ」
先ほどまでの自信に満ちた顔とは違いどこか余裕の無い表情のエリンはそう言うと、その白金色の髪を振り乱して窓から身を乗り出し、去って行った。
少しして、落ち着いた様子のミラに話を聞いた。
どうやら先ほどの少女はミラの姉らしい。
なるほど、道理で似ているわけだ。と、私は一人納得する。
そして震えていたのは過去に虐待されたことがあり、そのトラウマが蘇ったのだと。
見た所、エリンとミラの間には500レベル以上は差がありそうだった。それだけの差があれば、低い方が与えた傷などは高い方の自動回復量が上回り、ろくなダメージが残らない。
はたして、虐待など可能なのだろうか。
不思議そうな顔でこちらを見上げてくるミラの頭を撫でつつ、私は首を傾げる事となった。
「……どうでもいいが、いつまで私に抱きついているつもりだ? そろそろ落ち着いただろう」
『……ダメ?』
「……まあ、別に構わんが」
『えへへ、嬉しいな』
「……やれやれ、とでも言っておくか」