第十話 帝国に座す、超位の法
大陸に広大な領地を持つ大国の内のひとつ、ヴェイル帝国。
その中心部とも言える巨大都市、帝都セントラル・シャトーの中央に位置する城のとある一室に少女の呆れたようなため息が響いた。
ふかふかの絨毯が一面に敷き詰められた部屋の中心に置かれた巨大な円卓。
そこに参席する面々は至高帝シャルル・セザール・ラ・シャトーに始まり。帝国六皇旗、帝国魔法研究機関代表。そして表向きには存在しない隠密部隊、天下護剣等々。帝国の重鎮とも言える顔触れが揃っていた。
「あー……。クライス、って言いましたっけ、アンタさんの名前」
そんな中で口を開いたのは、およそこの場に似つかわしくないような少女。
物怖じする様子を一切見せない所か、どこか気怠げな仕草で帝国の最高戦力である六皇旗筆頭クライス=アクトを指差した。
ぶかぶかのローブを身に着け、これまたサイズのあっていないような大きな帽子を被っている彼女の姿は、まるで魔法使いの真似事をしている子供のよう。
しかしこの場に彼女の言動を嘲笑の対象とするような愚か者は、まず居ない。もし仮にいたとしても、皇帝の勅令により即座に首をはねられる事となるだろう。
彼女の名前はアーシェ・ローズブレイド=フローレス。
帝国に超位魔法使いとしての特別な席を置く彼女は、元プレイヤーである。
プレイヤーであった時の通り名は『廃課金魔法使い』
当然、彼女本人は自身がそう呼ばれていたことなど知らない。
「……で。クライスさん? がやられちまっただけなら、なーんの問題もねーんです」
自身の問いかけに、その対象であったクライスが頷いたのを確認したアーシェはチェスの駒のようなモノを円卓に置き、指で弾いてみせた。
当然、駒は抵抗もなく倒れる。
傍目から見ればやはり遊んでいるようにしか見えないが、彼女自身に遊びのつもりはなく。これをクライスとして例えて見せているだけだ。
「でも今回の件にはちょーっとばかり……。や、かなり大きな問題がありやがるんですよねー」
彼女はくるくると弄んでいた手元の駒を放り出すように、背後へと投げ捨てた。
さて、アーシェは事も無げに「クライスの敗北」自体に問題はないと述べたが、同じく円卓に座る他の者からすればその時点でまず次元が違う話なのだ。
文字通り、彼女と彼等ではレベルが違う。
そんな彼女が大きな問題があると言ったのだ。
正直想像もできないほどの事象ではあるが、聞き逃すべきではない。と、皆が固唾を飲んで彼女の次の言葉を待つ。
一段と静まり返った中、アーシェはとくに勿体ぶる様子もなく口を開いた。
「ま、結論から言うと……。この国終わったんじゃねーですかね」
彼女の放ったそんな言葉に絶句する一同。
何を馬鹿なことを。と、一言で切り捨ててしまうこともできた。
しかし、彼女の言葉を子供の戯れ言として取り合わないのは愚か者のすることであり、そんな愚か者はやはりこの場に座ることなど叶わない。
それでも、唐突な終わりを受け入れることができないのが人と言うものである。
だからこそ彼等がとれた行動は、ただただ絶句するのみなのだ。
そんな彼等の心情を知ってか知らずか、少しの間を置いてアーシェは淡々と話を進めていく。
「一応、確認でもしておきますかね。シャルルさん? 事前にぼくがやめておけと言ったのを聞かずに、進攻した。そしてここを通った。で、間違いねーです?」
円卓の上に大きく広げられた一枚の地図。そこには大陸全土の地理が記されていた。
彼女がその細く小さな指で、とん。と差したのは、帝国領と王国領の間に存在する広大な平野。
その中央に描かれた聖都アルテサントより、やや南下した辺り。何も無いはずの場所である。
「……ああ。無駄な消耗を避けるため、聖都を迂回するように指示を出したのは間違いない」
「はぁ……。とんでもねーことをしてくれやがりましたね、と言っておきましょうか」
アーシェは額を押さえるように右手を当て、「やれやれ」とでも言うかのように頭を軽くに振った。
そして既に興味を失ったように地図から視線を外すと、再びクライスへと顔を向ける。
パン。と、室内に乾いた音が鳴り響いた。
それと同時に発生した小さな風に幾つかの書類が宙を舞い、壁より飛び出るような形で飾り付けられた帝国の旗がはたはたと揺れる。
発生源は円卓に座ったままのアーシェ。
原因は大したことではなく、彼女が単に手を叩き合わせただけだ。
しかし視線が彼女へ向けられることはなく。皆、一様に見上げるように顔を上げていた。
それもそのはず。さきほどの彼女のアクションと共に発生した魔法により、円卓の上にホログラムのようなものが浮かび上がったのだ。
これはアーシェが所持する魔法の内のひとつで、記憶にある映像、もしくはモノを映し出すことを可能とする。
「……で、クライスさん。この中のどれに見覚えがあります?」
円卓の上に映し出されたホログラムは、三つの物を形作っていた。
紅き宝石が嵌められた、黒金色に輝く小さな王冠。
用途を知らなければただの布にしか見えない黒のアイマスクのようなもの。
黒い金属のような光沢を持ったガスマスク。
皆が反射的にそちらへと意識を向けられる中、アーシェから視線を外すことなくその動向を見ていたクライスは、彼女の問いかけにより視線を上げた。
そして数秒ほどホログラムを見つめた後、再び視線をアーシェへと戻す。
「その黒い布を目の辺りに着けていた」
そんなクライスの言葉を受けたアーシェは一瞬ほっとしたような表情を浮かべ、その後気怠そうに伸びをすると突っ伏すように机へと体を預け大きく欠伸をした。
その状態のまま手を軽く振って発動していた魔法を掻き消した彼女は、おそらくもうこの一件から一切の興味を失ったのだろう。
はたしてそれが自身の安全が保証されたことによるものなのか、もしくはクライスの発言によりほとんど解決されたと同義となったためか、それは定かではない。
「……いや、待てフローレス。その確認とやらの結果はどうなった?」
少しの静寂の後、結果を告げるどころかそのまま寝てしまいそうなアーシェにしびれを切らしたシャルルは席を立ち、およそ真正面で未だ突っ伏している彼女にそう言った。
「あー、そういえばそうでしたね……。多分向こうさんそんなに怒ってないんで、ちゃーんと謝れば許してもらえるんじゃねーですかね」
アーシェは目を擦りながら上半身を起こし、完全に忘れていたといった様子でそれだけを伝えるとそのまま円卓の席を外れ、何とも眠そうなふらふらとした足取りで部屋を出ていった。
少しして。誰がというわけでもなく、張りつめていた気が緩んだように息を吐いた者がいた。
そしてそれを皮切りにその場に残った者達全員が緊張の糸を解く。
この世界においてレベルとは生物としての格を指し示すモノであり、数値に表さずとも存在感や威圧感により大方を読み取れるモノである。
そしてあまりにもレベルの差が開きすぎるとそれは圧力として実体化し、相手に理解させるのだ。
つまりそれが、アーシェが退室する瞬間までこの部屋に充満していた緊張感の正体である。
そもそも、アーシェは気がついたら帝国魔法研究機関に居座っていたような存在だ。
その状況を上手く利用しようと考えたシャルルが様々な研究に役立つモノを用意し、帝国に居る理由を与えただけであり、味方であるとはっきり言えたものではないというのも一つの理由だろう。
「──それで、陛下はどうされるおつもりで?」
シャルルの側で仕えるように立っていたなんとも影の薄いメイド服の女が、彼の耳元で囁くように言った。
彼女は皇帝直属の隠密部隊『天下護剣』の頭領であり、レベルはこの場ではクライスに次いで高い。普段の仕事は影より皇帝の守護を務めることである。
しかし今回においてはアーシェの前では変にコソコソと立ち回っている方がむしろ逆鱗に触れ皇帝の身が危ないと感じたのか、皇帝の隣に立っていたのだ。
もちろん認識阻害は行っていたものの、それは周囲に対してのものであり、おそらくアーシェには認識阻害をしていた事すら認識されずに見られていただろう。
「とりあえずは……向こうの情報を得る必要があるな」
「それでしたら、私めの部隊にお任せを」
「駄目だ、こちらのことを悟られるとマズい。それに──既に手は打ってある」
「シエルの姉さん、元気にしてますかねー……。ま、その内会うことになるでしょーが……」
「失礼します! アーシェ特別顧問! 現在開発中のこちらの魔力回路についての評価をお願いします!」
「いや、そもそもあんたさんらの言う魔力ってなんなんですかねー……。ま、これはこのまま組み上げればちゃんと使えるでしょー……。ついでなんで見せてやるです、それの完成形の魔法を」
「……! ありがとうございます! 皆の者、よく聞け! そして刮目せよ! アーシェ特別顧問が魔法を見せてくださるそうだ!」
「あんたさんらはいちいち大げさですね……」