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出立

 慌てて六蔵が叫ぶ。

「姫様! いけません」

 六蔵の制止を無視して、木樽の蓋が開き、冷気が溢れる。

「なんだ?」

 チーフの目が細くなり、すかさず木樽に銃口を向けた。

「日除けに傘を借りますよ」

 翳したままの傘に入るように、木樽の中から小さな人影が立ち上がった。

「凍姫様!」

 現れたのは薄く透けるような一重衣を纏ったおかっぱ頭の少女だった。年は十六、七。その肌は衣に劣らず抜けるような白さだ。切れ長の目が長い睫の陰で底冷えのするような冷たい輝きを放つ。

「其の方」

 凍姫は片手に傘を差したままチーフを見据えて言った。ふっくらした、そこだけ赤い小さな唇から漏れる声は、チーフの冷酷さとは根本的に異質な真の凍み声だ。

「な、な、なにもの……」

 この世の者とは思えない異様さにチーフの身体が小刻みに震える。

「わらわの六蔵を、よくも傷付けてくれたな。その罪、自らの命で贖ってもらうぞ」

 言葉が終わらないうちに凍姫が傘ごとふわりと浮いた。チーフにはそこから先の動きが目で追えなかった。

「ど、どこだ!」

「ここだ」

 突然、真横から声が聞こえた。

「ひっ!」

 顔を向けると、そこに凍姫の凍った目があった。いつの間にかチーフは凍姫の差す傘の下に入っていた。

 凍姫が空いている手をチーフの持つ銃の上にそっと重ねた。熱を放っていた銃が瞬時に凍て付いた。凍気は銃から腕へと駆け上り、チーフの右腕を肩まで凍らせた。

「ぎゃぁ」

 凍っていく自分の手を押さえるためにカハクの首に回していた左腕を放す。カハクがよけろけて逃げる。右腕を凍らせた凍気は押さえた左手にも移った。

 凍姫が握った傘の柄でチーフの右腕を叩いた。

 パリンッ。

「うわぁ、う、腕がぁ」

 チーフの右腕が肘から砕けて落ちた。その間にも凍気は腕から肩へと駆け上がり、そこから全身に広がった。

「がっ」

 唸りを口の形に残して、チーフの全身は凍結した。凍姫が再び傘の柄で小突くとチーフの身体は前のめりに倒れ、瓦礫に埋まる床の上で粉々に砕け散った。

 凍姫は傘を差したまま倒れているウラルの側にしゃがんだ。

「ウラルよ。そちは自分が風土病で長くないことを知っておったな。知っておって、楯になったのであろう」

「お、おねえちゃん……傘のおじさん、より、強いん……だね」

 凍姫が小さく微笑む。そこにはチーフに対した時の冷たさはなく、凍える中にも柔らかな温かみが感じられた。

「ぼく、頭の中にデキモノがあるん、だ」

「やはり知っておったのだな」

「おねえちゃん、お、ねが、い」

 ウラルの口からごぼりと血が溢れる。

「なんなりと申せ」

「ぼく、の……心臓、を妹、に、とど、けて」

「うむ」

「カプセル、で、死んで、たの、ぼく、の弟……ふた、ご、の弟なん、だ」

 ウラルは攫われる前から自分達兄弟の心臓が妹に適合することを知っていたのだと、途切れ途切れに語った。

「あい、分かった」

 凍姫が全てを心得た表情で頷くのを見て、ウラルの瞳は焦点を失って行った。凍姫の指が、少年の目蓋をそっと閉じた。開くことのなくなった目蓋に薄っすらと霜が降りた。


 六蔵がスポーツタイプのホバークラフトに、宿場で調達した荷物を積み込んでいるところへカハクがやって来た。水色のタンクトップの胸に金属製の筒を大事そうに抱えている。

「足は大丈夫?」

 六蔵はさわやかに笑いながら、両の太腿をジーンズの上から叩いて見せた。

「あんたの治療のおかげですっかり良くなった。礼を言うよ」

「良かった」

 カハクが目を細めて微笑み、抱えていた筒を差し出した。

「これ。お願いします。処理はしてあるけど、冷凍機能はすぐに切れるから」

「大丈夫だ」

 筒を受け取った六蔵は傘を広げ、木樽に声を掛けた。

「姫様。ウラルの心臓です」

 木樽の蓋が開き、傘の影の中に凍姫が顔を出した。透き通るような白い肌に、少し青みが掛かって見えて、カハクは眉をしかめた。

「お具合が宜しくないようですね」

「うむ。先日のが、ちと応えておる」

 六蔵を救った時のことだ。気温の高い中で能力を使ったことで極度に体力を消耗したのだと言う。

 凍姫は黙って筒を受け取り、カハクに頷くと木樽の中に戻り蓋を閉じた。

「姫様は大丈夫なの?」

 カハクが尋ねると六蔵は渋い顔をして見せた。

「無茶をなさるからだ。もうしばらく樽の中で安静にしていれば回復されるだろう」

 六蔵は木樽を助手席にベルトで固定してから自分も操縦席に乗り込んだ。

「心臓のことは任せろ。姫様が抱いていれば凍結状態を維持できる」

 カハクは病院に着いたら主治医に渡して欲しいと、一枚のデータディスクを六蔵の手に握らせた。

「必要な内容は全て書き込んであるわ」

「分かった。持って行く先はクリス総合病院でいいんだな?」

「そう。ウラルの話の通りなら、あの町に総合病院は一つだけ。クリス総合病院よ」

「クリス財団の?」

「そう」

 病院に着いたら、カンザキというドクターを尋ねるようにとカハクは付け加えた。古い知り合いだという。

 発進を控えてエンジン音が大きくなった。六蔵がそれに負けないような声を張り上げた。

「ところで宿屋の女将はどうしてる?」

 回復するまで別の部屋で動けずにた六蔵は、事後処理については何も知らなかった。

カハクも大きな声で答える。

「あの人も、肉屋に子供を殺された一人なの。六蔵さんが倒したのが肉屋の連中だと話してやったら、大喜びだったわ」

「壁を壊しちまったが……」

「女将さん、連中の銃火器をごっそり奪って売ったらしいよ。修理費差し引いてもお釣りが来るって笑ってた」

「肉屋がまた来るかもしれないな……」

「その点は大丈夫」

 六蔵と剣を交えたザロの折れた手首をカハクが治療した。ウラルの死を伝えると、二度とこの件で迷惑は掛けないことを約束したと言う。

「あいつ、確かザロと言ったな。話せる奴で良かったじゃないか」

 ホバークラフトがゆっくりと浮上した。

「そう言えば、ペレットのリーダーが教会云々と言っていたが、何のことだか知っているか?」

「教会……確かにそう言ったの?」

「ウラルが身体を張って俺を救った後、教会のことを知られたまま生かしてくつもりはなかったと言った」

 カハクは少しだけ眉を寄せて言った。

「ペレットのバックに得体の知れない宗教団体が潜んでいるという噂があるわ」

「どんな宗教団体なんだ?」

 カハクは分からない、と首を横に振った。

「ただ、地下に社屋を築いたり、臓器を十二分な状態で管理したり、その上私兵を雇うだけの資金がどこから出ているのかが分からない」

「宗教団体から金が出ていると?」

「そう言う噂よ」

 六蔵は頷いた。

「カハク。世話になった」

 六蔵が言うと、カハクは切なげに目を細め、右手をそっと六蔵の頬に当てた。それをゆっくりと引き剥がしてホバークラフトは前進を始めた。カハクが手を振りながら何かを叫んだが、排気音にかき消されて六蔵の耳には届かなかった。


 自動操縦に切り替え、シートで伸びをしながら六蔵は木樽に声を掛けた。

「姫様。お加減は如何ですか?」

「うん。だるい……」

「二度と今回のような無茶はなさらないで下さい。六蔵の寿命が縮みます」

「縮む前に助けてやったではないか」

「それは……改めて御礼を申します」

 六蔵は木樽に向って頭を下げた。

 凍姫の声が続く。

「六蔵。はっきり申しておくゆえ、しかと聞くがよい」

 その声に有無を言わせない重い響きを感じて、六蔵は緊張した。

「はい」

「確かにわららのしたことは六蔵に大きな心配を掛けた。今もこんな具合で心配をさせておる。それについては謝る。ごめんなさい」

「い、いえ、姫様が六蔵に謝るなど……い、いけません」

 慌てふためく六蔵には構わず、凍姫は続けた。

「でも……わらわには六蔵しかいないのです。地球を追われ、逃げながらの、約束の星探し。わらわは六蔵なしでは一歩も進めません」

 凍姫の言葉に六蔵は息が止まる思いがしていた。

「臣下としてわらわを護るは、六蔵の勤め。されど、六蔵の命と引き換えにわらわだけが生き残ったとして、その後わらわはどうなるのです?」

「姫様……」

「わらわと六蔵はどちらか一人ではだめなのです。二人一緒でないと……ですから、六蔵がわらわの命を護るのと同様、わらわも六蔵を護ります。そのこと努々忘れてはなりませんよ」

「……はい」

 六蔵は素直に返事をした。凍姫の心根が胸に応えて、それ以上の言葉が出ない。地球を離れてから今日までの辛苦も霧散し、気が付くと自分の頬が濡れていた。

 ところが、その雰囲気を粉々にしてしまうような快活で幼い声が木樽から挙がった。

「なぁんてさ。たまにはまじめな凍姫もいいもんでしょ? どう? 感動しちゃった? まさか、六蔵泣いたりなんかしてないよね? えっ? えっ? ひょっとして涙目とか?」

 六蔵は大きく息を吸い込み、殊更ゆっくりと喋った。

「いいえ、姫様」

 凍姫が小さく「げっ」と唸る。

「六蔵、お、怒るでないぞ。戯れなのじゃ」

「怒ってなど、おりません」

凍姫の照れ隠しが分からない六蔵ではなかった。

「本当か? なら、ちょっと顔を出してもよいか?」

 第三太陽の光は助手席にも差し込んでいる。六蔵は頬を乱暴に拭い、エアコン設定温度を目一杯下げた。

「少しの間だけですよ」

 そう言い、影が出来るように傘を開いて木樽の上に立て掛ける。蓋が開いて、影の中に凍姫がちょこんと顔を出した。眉間に皺を寄せ、何かを耐えるような表情で六蔵を見つめる。

「六蔵……。死んではなりません。わらわを一人にしたら許しませんよ」

 その声が微かに震え、目には氷のような涙が一粒溢れようとしていた。

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