皇宮近衛傘術
「何やら、訳があるのだろう」
それまで黙っていた凍姫が言った。
「六蔵、それにカハク。ウラルのことは後回しにした方がよさそうじゃ」
凍姫の言葉の意味を悟った六蔵が、音もなくベッドを離れ、木樽の側へ移動した。
「姫様」
「うむ。邪気が表に溢れておる。来るぞ」
六蔵が木樽を背負い終わった時、大音響と共に煉瓦の壁が崩れ落ちた。素早くベッドの側へ戻った六蔵が叫んだ。
「カハク! ウラルを!」
「なんなの!?」
うろたえながらもカハクはウラルを立たせて背後に匿った。崩れ落ちた壁の外から陽光が差し込み、立ち昇った粉塵を照らし出す。その向こうから冷ややかな声が聞こえた。
「見つけたぞ」
粉塵が沈むのを待って人影が現れた。カハクの後ろでウラルが喉を鳴らした。ウラルを地面に押さえ付け、六蔵の傘の一撃で失神させられたチーフと呼ばれた兵士だった。
「先日の借りを返しに来た。ついでにウラルも返してもらう」
「返り討ちって言葉を知らないらしいな」
そう言う六蔵の顔に余裕はなかった。自分と凍姫だけならなんとでもなるが、カハクとウラルが側にいるのが負担だった。
「カハク、ベッドの陰に行け!」
六蔵は叫びながらカハクとウラルをベッドの向こう側に突き飛ばした。その反動を借りて一気に前へ出る。
「ひいっ!」
一足飛びに迫る六蔵に、チーフは悲鳴を挙げて蹲った。既に六蔵の手には蝙蝠傘が握られている。その先をチーフに打ち下ろそうとした六蔵の耳に微かな空気の震動が届いた。瞬時に身体を反転させると、今まで自分の身体のあった空間を銃弾が掠めて行った。
外にはかなりの数の兵士が銃を構えていた。六蔵は床に着地するとまたすぐに飛んだ。その足元にも弾が撒かれる。
室内に残り、崩れた壁を楯に戦うか、それとも外に出て弾幕を縫うか。
六蔵は後者を選んだ。室内ではカハク達へ危害が及ぶ可能性が高い。ここは短期決戦しかないと判断した。
「姫様。釣り紐に!」
それだけ叫ぶと六蔵は傘を開き、壁に開いた穴から光の降り注ぐ外へと踊り出た。そこは宿屋の裏に当たるのか、先には荒野が広がり、そこに五〇名を越す兵士が二重に銃を構えていた。
乾いた音が鳴り響き、銃弾が横殴りに飛んで来るのを、開いた傘で弾きながら六蔵は近くの兵士から打ち据えて行く。
六蔵の超人的な技量に数を頼みの兵士達は忽ち恐慌状態に陥った。砂塵を巻き上げ目にも止まらぬ早業で次々と兵士を倒し、六蔵は兵士達に自分を取り巻くように仕向けていた。
そうなるともう発砲は叶わない。同士討ちになるからだ。
瞬く間に五〇名からの兵士を地に這わせた六蔵は、すぐさまカハク達の救出に向おうと踵を返した。
と、頭上で空気を切り裂く音がした。六蔵がそれを広げた傘で払うと重い衝撃が手に残った。地面に踏ん張り傘を閉じた六蔵の前に、巨漢の兵士が一人、長剣を構えていた。全身を鎧と兜で固めた兵士は金色の髯を蓄えた壮年の男だった。
「やるな」
六蔵が不敵な笑みを浮かべる。かなりの腕であることを今の一撃で感じ取っていた。
金髯の兵士が感心したように言った。
「皇宮近衛傘術か。伝説のものと思っていたが、使い手がいるとは驚きだ」
「ほお、俺の傘術をきちんと言い当てたのはお前が初めてだ」
「もともとは、地球の王族に伝わる護身術と聞いた。民の前に出ても怪しまれないために身近にあるものを使う武術の一つだそうな」
「よくぞ勉強したな。で、どうだ、書物だけでなく、伝説の傘術を実際にその身体で味わってみるのは?」
「望むところよ。最近は銃ばかりで、まともな組討がなかったからな」
金髯は長剣を手元に引き寄せて構え直した。
「俺はペレット私兵隊隊長、ザロ。参る!」
金髯のザロは気合いの篭った叫び声を挙げて突進して来た。六蔵も傘を肩に担ぐようにして前に出る。ザロはその巨体の重みを長剣に載せて上段から打ち込んで来た。六蔵はそれを傘の柄で受け流しながら相手の側面に回った。が、突き入れようとした傘の先を、逆手に払ってきた長剣に弾かれる。六蔵が咄嗟に一歩飛び退くと、さらに返す長剣がそれまで六蔵の胴のあった空間を切り裂いた。
六蔵は傘を回し、逆さに構えると無造作に前に出た。再び剣風が頭上を掠める。それにあわせるように柄を軽く突き出した。
「なっ!?」
ザロの動きが止まる。返そうとした剣が下段のまま動かない。ザロの手首に傘の柄のJ字が絡んでいた。
「柄絡み打ち」
驚愕の表情を浮かべるザロに対して六蔵が傘を大きく回すと、ごきっ、と鈍い音がした。
「ぎゃっ!」
ザロの両手首が異様な方向に曲がっていた。長剣がどさりと地面に落ちる。六蔵の手の中で傘がぶるんと震えたかと思うと、今までザロの手首に絡んでいた柄の部分が嘘のように外れ、そのまま髯に隠れた顎に打ち込まれた。ザロの目がくるっと回って白目を剥いた。
六蔵が傘を引き戻すのと巨体が地面に沈むのがほとんど同時だった。
「奥義だ。見せてやっただけ、ありがたく思えよ」
失神したザロに呟いた直後だった。乾いた破裂音が空気を震わせた。
パンッ!
宿屋に戻ろうと振り向いた六蔵は、右の太腿に焼けるような衝撃を受けて堪らず膝を突いた。コットンパンツにポツンと焼け焦げた小さな穴が開き、その周囲が見る見るうちに赤黒い染みに覆われた。弾は貫通していた。腿の裏側はさらに大きな傷口が開いている。そちらからも血が溢れ、乾いた地面に落ちてはすぐさま染み込んで行く。
「油断したな」
甲高い嘲笑いが聞こえた。わずか五メートルほど先の、ぽっかりと開いた宿屋の壁の穴越しにチーフが銃を向けていた。銃口からは微かな硝煙が立ち昇っていた。もう一方の腕がカハクの首に巻かれていた。半ば吊るされた状態のカハクの顔が青白く歪んでいる。さらに足元にはウラルがうつ伏せに倒れていた。
「貴様っ! ウラルをどうした! カハクを放せ!」
六蔵が太腿の痛みに耐えながら叫んだ。
「お前のような化け物とやりあうにはこれくらいのハンデが必要なんだよ」
チーフの銃がまた破裂音を放ち、六蔵の左の太腿を打ち抜いた。六蔵は両膝を突く格好で沈んだ。苦痛が脳天まで突き抜ける。
「どうだ、苦しいだろう」
六蔵が傘を開くと、チーフは銃口をカハクの頬に当てた。
「熱い!」
焼けた銃口を押し当てられてカハクが悲鳴を挙げる。
「くっ」
仕方なく六蔵は広げた傘を上に翳した。銃弾を遮る術を自ら放棄したことになる。
「そうそう。物分りがいいな。お利口さんに免じて、次であの世に送ってやろう」
酷薄な笑みを浮かべてチーフが銃を向け、銃爪を絞る。その時、死んだようにうつ伏せていたウラルがばね仕掛けの人形のように立ち上がった。銃声がウラルの小さな身体に重なる。
「ウラル!」
カハクのくぐもった悲鳴に合わせるように、ウラルの身体がくたんと崩れ落ちた。背中から硝煙がゆらゆらと昇った。
呆気に取られたチーフの口が再び歪むように笑いの形に変わった。
「ふん。ばかなガキだ。どの道、教会のことを知られたまま生かしておくつもりはなかったからな。手間が省けたぞ」
痛みと怒りに奥歯を噛み締めている六蔵に、背後から冷ややかな声が掛かった。
「六蔵。出ます」




