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無言のまま、歩いていると、コクーンタワーの入り口が右手に見えてきた。俺はその入り口を指さしながら、

「あそこが入口です。」

と彼女に告げた。彼女は俺の指の先の延長線上を見ながら、頷く。俺はその様子を見て、

「それでは。俺はここで。」

と言って、来た道を戻ろうと、いったん後ろを振り返った。俺には最初にその女性と会った時のような彼女に対する新鮮な気持ちはあまり残っていなかった。俺はすぐにでも彼女から離れたかったのだ。なんだか気まずかった。

「あっ、あの。もしよかったら、店内を案内してもらえませんか。後で御礼もしたいですし。」

彼女は控えめな感じで彼女に対し背中を向けている俺に声をかけてきた。俺は驚いて彼女のほうへ振り向いた。

この人は何を考えているんだろうか…。

「あっ、御礼とかそんなのいいですから。気にしないでください。」

「いや、させてください。あなたに感謝しているんです。」

そんなことを言われたら断れるはずがなかった。

「あっ、はい。」

俺はそう言って、また反対方向へ体を反転させ、ブックファーストの中へ彼女を先頭に入っていった。

「あの…。おすすめの本とかありますか?」

店内へ入って早々、その女性は俺にそう尋ねてきた。俺は本が好きだったので、さまざまな本を知っていた。彼女に合いそうで、なおかつ変化球の効いた少しかっこいい小説を頭の中の書庫から探し始めていた。

何がいいだろうか…。

さまざまなタイトルが出てくる。

『地獄変』『人間失格』『高瀬舟』『恐るべき子供たち』『神曲』『戦争と平和』…。

「そうですね…。『マクベス』とかどうですか?」

『マクベス』。シェイクスピアの代表作の一つだ。彼女は困惑したような表情を見せながら、俺のほうを向いた。

「『マクベス』ですか…。聞いたことないですね…。」

「シェイクスピアの作品の一つなんです。いわゆる悲劇という部類ですかね。」

「悲劇ですか…。私は今悲しい本を読む気分じゃないな。もっと明るい雰囲気の本が読みたいです。何かほかにありますか?」

彼女は俯いて言った。小さな声だった。

「他ですか…。」

他か…。

今考えてみれば、俺は明るい小説なんて読んだことがなかった。先に挙げた小説も暗いものがほとんどであるし、今まで読んだ小説もシリアスな話ばかりであった。

「明るい小説ですか…。今までに読んだことがないかもしれません。」

「本当ですか?」

彼女は信じられないと言いたげな顔をして俺を見てくる。

「でも、私もさっきは本を人並みに読むと言ったんですけど、実は本をあまり読まない人間なんです。と言いますか、読書自体が苦手なんです。さっきの『白夜行』にしても本では読んでないんです。ドラマをやっててそれで知ったっていう感じです。」

そう言って、彼女は俺から目をそらす。

「本当ですか?」

俺は驚いた。先ほどの言いぶりからしててっきり、人並みという表現は謙遜であり、彼女は本当は本に詳しいのかと思っていたからだ。

「だから、友達にここにはいろんな本がそろっているから探せば自分に合う本が見つかるかもって言われて来たんです。せっかくだから、良さげな本を教えてもらおうと思って…。」

「そうですか…。」

そう言われても明るい小説を俺は知らなかった。俺も彼女から目をそらし、

「ごめんなさい。それでも俺は力になれなさそうです。明るい小説を読まないんで…。」

と言った。

「そうですか…。」

その女性は下を向いて、そう呟いた。

「ここを出て、喫茶店に入りませんか。欲しい本が見つからなさそうなんで…。」

不意に彼女は俺にそう提案してきた。まぁ、なにかしら彼女が俺に好意を持っていることは分かった。しかし、俺と彼女の歯車はキイキイと音を立てているように思えた。その女性と俺は何かしら噛み合わない部分がある、そんな気がし始めていた。だが、俺は心とは裏腹な返事をしていた。

「そうですね…。そうしましょうか。」


先ほどとは逆でその女性が先頭に立ち、俺はその女性の後ろを続いて、ブックファーストを出た。その女性は俺の歩く速度に比べ大分遅い速度で歩いていた。俺もその歩調に合わせようとするが、なかなか合わず、彼女の足を踏んでしまった。

「あっ、ごめんなさい。」

その女性は俺が声をかけても、足を踏まれたことに気づかなかったようだった。彼女の足が靴から離れ、大きく転んだ。

「あっ、ごめんなさい。大丈夫ですか?」

彼女は何が起こったか分からなかったようだった。彼女は辺りを見回した。俺も彼女と同じように辺りを見回す。辺りを歩いている人は皆こちらを見てくる。俺は再び視線を彼女に戻し、彼女の靴を足元へ持ってきた。彼女は立ち上がり、洋服をはたいていた。

「大丈夫ですか?」

俺がそう言うと、

「大丈夫です。なんか、ごめんなさい。」

と彼女が言ってきた。そのまま何事もなかったかのように、彼女はまた歩き始めた。俺もそれに続く。


その女性は喫茶店にたどり着き、メニューを見ることもなく、入っていった。俺の知らない喫茶店だった。俺は入り口のメニューを見た。俺はコーヒーが飲めないため、紅茶があることを確認したかったのだ。紅茶があるのを確認して、俺も安心して店の中へ入っていった。その女性はカウンターで後ろを振り返りながら俺を待っていた。

「あっ、遅れてしまってごめんなさい。」

「いえ。飲み物、何にしますか?」

「あっ、紅茶で。」

店の人が俺たちの様子を見た後

「レモン、ミルク、お砂糖は必要ですか?」

と俺に尋ねてきた。

「あっ、何もいらないです。」

「かしこまりました。それではアイスコーヒーと紅茶の二点ですね。お会計は六〇〇円になります。」

店の人がそう俺の方を向いて言ってきた。

「あっ、はい。」

そう答えたのは彼女だった。彼女は肩にかけたバッグから財布を取り出し、お金を支払ってしまった。俺が財布を取り出そうとすると、彼女は俺のほうを向き、手で制した。俺は固まってしまった。

「いや、自分の分くらいは。」

そう俺が言って、再び財布を取り出そうとすると、彼女は

「誘ったのは私ですから。先に席の方へ行っていてください。」

と言って、また前へ向き直した。店の人はそんなやり取りを見終えたあとで、彼女の置いたお金を手にして

「こちらでよろしいですか?」

と彼女に言った。彼女は小さく頷いた。その様子を見て、俺は諦め、二人で座れる席を探しに行った。


その店は割と混んでいた。俺はあまり喫茶店という場所を利用したことがなかったので、喫茶店が混む場所だということを知らなかった。一番端の方に空いている席があったので、そこに座り、彼女の到着を待った。

そうするとアイスコーヒーと紅茶のポット、ティーカップをお盆に載せて、彼女は俺の姿を探しながらやって来た。俺は手を上げて、彼女に俺の居場所を伝える。彼女は俺に気がついて、ゆっくりお盆の上のものがこぼれないように歩いてきた。

「お待たせしました。」

「ありがとうございます。何から何までごめんなさい。」

「いえ、気にしないでください。」

そう言って、彼女はお盆をテーブルの上に置いた。

「お店の中は暑いですね。」

そんなことを呟きながら、彼女は着ていたコートを椅子の背もたれにかけた。

「そうですね。」

俺はあまり暑いと感じなかったが、そう言っておいた。

「紅茶、お好きなんですか?」

「あっ、好きとかじゃないんですが…。コーヒーが苦手でして。」

「えっ、美味しいのに。もったいない。私は逆ですね。紅茶があまり好きじゃないんですよね。味が少し薄いじゃないですか。コーヒーに比べて。」

俺は要らぬことを言ってしまったと思い、口を閉じる。彼女も俺と同じように思ったのか口を閉じる。沈黙の時間が流れていく。場を紛らわすように、彼女はガムシロップとコーヒーフレッシュをコーヒーに入れて、ストローでかき混ぜた。俺もポットに入ったティーパックを取り出して皿の上に載せる。そして、ティーカップに紅茶を注いだ。湯気が上に行くにつれ消えつつも俺と彼女の間に昇っていく。その湯気のせいか、俺は彼女との距離を感じた。俺は少し心が落ち着いた気がした。俺はティーカップを口元に運んで、紅茶を少し飲んだ。

「熱くないんですか?」

「まあ、熱いと言えば熱いですが…。俺はホットのほうが好きですね。特に今日のように寒い日には。」

「いや、私は猫舌なんです。だから、すぐ火傷しちゃって…。」

そう言って、彼女はコーヒーをストローですすった。

「それはしょうがないですよね。まあ、生まれつきですからね。」

俺もそう言って、紅茶をすする。無言のままお互いに少しずつ飲み物を飲んだ。


また、彼女は唐突に話を始めた。

「私、実はついさっき失恋したんです。ずっと、と言っても二年くらいですか、付き合っていた彼にフラれて…。私以外に好きな人がいるって…。」

彼女の声は震えていた。だが、彼女は自分を抑えているのか、泣いてはいなかった。俺はどう反応すればいいか分からなかった。どう声をかけるべきか迷っていると彼女の方からまた口を開いた。

「突然ごめんなさい。見ず知らずの人にこんな話をして…。迷惑でしたよね。」

「いや、そんな迷惑とかじゃないですよ。話したほうが楽になるって言いますし…。俺でよければ聞きますよ。」

模範解答だと思った。彼女も結局この言葉を求めていたかのように、

「優しいんですね。」

と言って、一旦ストローに口をつけてコーヒーを吸う。心を落ち着けるための彼女の癖のようだった。俺もティーカップを持ち上げ、ゆっくり紅茶をすする。

「彼は私には勿体無いほどいい人でした。顔もどちらかというといい方で、性格は優しくいつも笑って私のわがままに付き合ってくれました。…」

彼女は彼との思い出を何から何まで俺に話した。途中彼女は辛くなり、何度かコーヒーを吸って、心を落ち着かせていた。俺はそんな彼女を見ながら、頷いて、紅茶を飲んで、彼女の口から話される話を聞かされていた。

初めは真面目に聞いていたが、徐々に彼女の話は自慢話のように聞こえてきた。

「彼と遊園地へ行ったこともありました。私は絶叫系って言うんですか?それが苦手なんです。それを黙っていたら、彼がそれに乗りたいって言うんで、我慢して乗ろうと決心して乗ったんです。そうしたら案の定耐えられなくて、失神しかけてしまって…。でも彼が乗り終わった後、立てない私を抱えてジェットコースターから降ろしてくれて…。『悪いことをした。君がこういうの、苦手なのを知らなかったんだ。許してくれ。本当に悪かった。』って言って、抱えながら私にキスをしてくれたんです。あの時は我慢したご褒美だと思いました。……」

俺は次第にうんざりしてきていた。

彼女は誰かに私はこんないい男と付き合っていたのと自慢したかっただけなのではないだろうか。そう自慢することで私はいい女と言いたかっただけじゃないだろうか。

イライラした気持ちを紛らわせようと俺はティーカップを手にした。中身はすでに飲み干していたことに気づく。カップを置き、ポットを持ち上げる。ポットもすでに軽くなっており、傾けても紅茶は出てこなかった。仕方なしにポットもテーブルに置いた。その間も彼女は懐かしむように彼との思い出話を続けていた。


彼女の話を聞き流しながら、俺は今日会う約束をしていた「彼女」のことを思い出していた。

「彼女」は今どうしているだろうか。待ち合わせ場所に来ているだろうか。俺のことを探しているだろうか。

気がつくと俺は「彼女」のことが恋しく思い始めていた。待ち合わせに来ず、怒りを感じていたはずなのに、なぜか「彼女」との会話が待ち遠しく思えてきた。その女性との会話は何かが噛み合わず、どこかよそよそしく、気まずく、うんざり感じさせるものがあったからだ。

突然、ポケットの中の携帯電話が震え始めた。「彼女」からの連絡だろうか。誰からの連絡でもよかった。とりあえず、この気まずく、うんざりした場から俺は一刻も早く逃れたかった。

「すみません。ちょっと、電話に出てきます。」

彼女の話を気にせず、俺はそれだけ言って、彼女の返事も待たずに、一旦店の外へ出た。俺はポケットから携帯電話を取り出す。

やはり、「彼女」からの電話だった。俺は迷わずに、応答のボタンを押した。

「もしもし。あの…。」

「彼女」の声だった。なぜか非常に懐かしく感じた。

「もしもし。」

「本当にごめんね。今駅に着いたんだけど、まだこの近くにいる?」

「うん…。」

「怒ってる?」

「まあ、少しは…。」

駅で待たされていたときは…。

今は俺の中にはもう怒りの感情はなかった。

「それよりも今すぐ会いたい。」

そう、彼女に会いたかった。彼女が恋しかった。

「そう…。」

彼女は俺の反応に少し戸惑っているようだった。まあ、無理もないか。突然こんなこと言われたら、不思議に思うのが普通だろう。

「今どこにいるの?」

彼女は俺にそう尋ねてきた。

「喫茶店の前。」

「どこの?」

「どこ…。」

どこの喫茶店だろうか。俺はどこにいるんだろうか。

俺は自分のいる場所を確認しようと周りを見回した。周囲の人々が俺を見てくる。俺はそんな視線を感じながらぐるぐると周囲を見回し続けた。

読んでくださってありがとうございます。

短いですが、終わりました。いかがでしたでしょうか。

最後のほうはだいぶ村上春樹さんの「ノルウェイの森」の影響を受けてます。と言いますか、ほぼ同じですね。ごめんなさい。

また、別の作品も書いていきたいと思います。よろしくお願いします。

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