3-02
「よろしかったのですか?」
靴と盾の欠けた真銀の甲冑にはたきを掛けながら、ミルタが言った。
薄暗い屋敷の大広間、その壁には様々な装備が整然と陳列されている。
剣、盾、斧、槍、鎧、兜、杖、宝玉、外套、冠、薬瓶、巻物――……。
どれもこれも、伝説や武勲詩に語られるような逸品ばかり。
死人占い師が冒険の果てに手に入れ、ミルタが探し当てた、秘宝の数々。
『盤』へ引っ越すにあたり彼女が求めた第一の条件こそ、これら財宝の整理だった。
部屋の隅に乱雑に積み上げられたのでは、魂を啜る魔剣や、金剛石の鎧が哀れに過ぎる。
かつて冒険者だったミルタには、到底我慢できるものではなかった。
幸い彼女の努力の甲斐あって、今の状況は概ね満足できるものであるようだが。
「宜しく無い理由があるまい」
大椅子に鎮座した、灰色外套の髑髏――アダンが実に愉快そうに応じる。
「苦労したのは友も同じだから、二人ともでなければ賠償も要らぬ、とは。
あれでなかなか気骨のある冒険者ではないか。ミルタは気に入らぬのかね」
「いえ、そうではなく」
年月を経た屍者の吐息に、舞姫の女王はあからさまに美貌をしかめた。
その手から不意にはたきが消え、次いで孔雀の羽筆と、墨壺が現れる。
まるで息するように行使された|《取寄》《アポート》によるものだ。
「受け取った手紙の事です、旦那様」
その間も彼女は手を止めず『真銀甲冑』と刻まれた名札に『除く靴と盾』と追記する。
「読みもしないのでは、『盤』まで降りた意味が無いかと思います」
「私は正直、世俗の事なぞどうでも良いのだが……」
アダンは手の内で、くるくると杖を弄ぶ。
燃える冥王の瞳が恨めしげに髑髏を睨んでくるが、気にした風もない。
圃人の勇者と共に火山で彼奴を滅ぼしたのは、もう随分と昔の事だ。
もはや彼我には敵意も悪意もなく、久しく見ない昔馴染に対する寂寥の想いだけがある。
「……『指し手』は、動かぬ死に駒より、動く生き駒を好む、か」
それは、溜息にも似たような呟きであった。
長く付き合っている――望まざると、だが――ミルタには、よく分かる。
想像を絶する物を見て来た老死人占い師は、心底から疲れ切っていた。
大それた願いを抱くことが愚かであるのなら、この男こそ愚者の極み。
永劫の探求を超えて尚、彼の願いは未だ果たされていないのだから。
半ば惰性のようなものであれ、歩き続けるより他無いのであろう。
亡者と成り果てたからこそ……いや、成り果てたが故に、か。
「無様ですね」
「ああ、全く」
ミルタは、冷たい微笑を主人へ向ける――別に嘲っているわけではない。
彼女は彼を嘲るという事がない。彼を馬鹿にしたら、自分は何だというのか。
悪の死人占い師と信じて――それは決して誤解ではなかったが――アダンに挑み、無残にも殺された自分。
そして処女であるからというだけで、戯れに舞姫として蘇生された自分。
いつか滅ぼしてやると思いながら仕えた百年。
感情が失せて、冷たい人形のように仕えた百年。
恨みも消え果て、恋人のように仕えた百年も。
無為なものにするには、時を重ね過ぎていた。
その上で尚、彼女は主人よりも年若く、活力に満ちている。
願いの手駒として蘇生したのなら、果たして貰わないと甲斐がないと、思う程度には。
「でしたら、『どうでも良い』などとおっしゃらず、積極的になられたら宜しいかと」
「ふむ……」
「気分転換も、大事なことですよ」
手を振って羽筆と墨壺を飛ばして片付けると、ミルタはしゃなりしゃなりと腰をしならせて歩みを寄せる。
そして朽ち果てた骨と皮ばかりの死人占い師に 柔らかな肉の身体を寄り添わせた。
ふわりと漂う甘い匂い。
我関せずと思索に耽っていたアダンだが、髑髏の眼窩で鬼火が揺れた。
「……香油を変えたな」
「あら、気づきましたか」
女王が、くつりと微笑む。
「巷で流行っている、香水ですよ」
「まめな事だ」
「ええ。細やかな変化も、日々の彩りになりますから」
「一理ある」
唸るような返答であった。
彼は世界盤の上に置かれた封書へ骨の指を向け、ついと動かした。
すると封書はふわりと音もなく浮かび上がると、ひとりでに開封しだしたではないか。
さらにアダンが手招きをすると、取り出された書面が、彼の手元へと飛び込んできた。
その広げられた手紙を、ミルタはアダンの膝上に頬杖をついて覗き込む。
上等な羊皮紙に紋章印。金箔で文様が描かれ、それだけでも居丈高な印象を覚える。
流麗な筆致ではあるものの、その文字群は、何処か傲慢に紙面上へ横たわっていた。
曰く――……。
異郷の魔術師、盟約無く領内に住むこと罷りならぬ。
よって領主クルランド公爵の御名によりて、此処に術合戦をするよう命ずる。
来る月、日、時にて、古法に則り三度技を競い合うべし。
勝者には剣を、敗者にはパンを。
自由を欲するのであらば、汝、己が力量によって身の証を立てるべし。
ほぅ、と。呆れたように、ミルタが息を吐いた。
「上から目線ですね」
「貴族とはそういうものだ。冒険者にこの手の権威は通じぬと、未だ気づかぬ」
「見て見ぬふりをするうちに、忘れてしまうのでしょう」
「さもありなん」
「しかし旦那様と競えるような術師が、この地にいるのですか?」
「さて……」
うっそうと頷いたアダンは、忠僕からの問に、その骨の顎を手で撫でた。
「三『角』の魔法使いどもは根が生えている。動くわけもあるまい。
もはや雷霆の申し子も消え、広野を行く鷹も世を去って久しい。
霊界で眠る闇の三眼でも目覚めたとすれば……。
いや、そうすれば『指し手』が『駒』を動かし出す、か。
……もっとも、今の私は『駒』でもあるまいが……」
骨の指が、首元から吊るされた護符に伸び、そっと握りしめた。
かつて神々の領域に迫ったアダンは、すべてを隔てる帳の一つを簒奪した事がある。
そこには世の理を定めたという黄金の戒律の一部が記されていた。
言うまでもなく、|《偶然》《チャンス》や|《宿命》《フェイト》の神々による争いは、果てる事無く続いている。
その度に『盤』上を走り、戦うのは、『駒』である人と怪物の役目だ。
アダンとて四方世界に存在する身だ。世界の理そのものは受け入れている。
若かった頃、彼が冒険に出るときは必ず《偶然》や《宿命》とかいう物が傍にあった。
だが、今のアダンは、己が意思を超越した何かの気配を感じる事はない。
……少なくとも、今のところは。
「とすれば件の術師は、ただの法螺か、手妻遣いか、未知の何者か……」
確かに、ミルタの言うとおりであった。
『盤』の上に『駒』として再び身を置いた以上、何か起こる事を期待していたのだ。
ならばこれは、水面に落ちた小石、盤面に置かれた一手目ではあるまいか。
「遠見の水晶球でも用いて調べてみては如何です?」
「全知というのはつまらぬものだよ、ミルタ」
「あら、存外、乗り気ではないですか」
くすりと微笑むミルタの姿に、成る程とアダンは頷く。
確かに、胸のうちには久しく感じていなかった高揚感がある。
それを自覚したアダンは、確固たる決意と共に言った。
「ミルタ」
「はい、何なりと」
主の呼びかけに応じて、舞姫の女王は滑るように床へ降り立つ。
すらりと佇む姿は女司祭――偉大な存在に仕える、献身的な乙女そのものだ。
「決闘用の杖を適当に見繕ってくれ。流石に《炎の眼》を振るうのは大人気なかろう」
「畏まりました、旦那様。お召し物は如何致しましょうか?」
「オメシモノ?」
初めて聞いた呪文の効果を問うような仕草で、アダンが首を捻る。
ミルタが「旦那様」と、人差し指を立て、幼子に教え込むような唇で言った。
「良いですか。世俗に興味が無くとも、身なりに気を遣ってください。
権威というものは見目からも現れます。
仮にも四『角』の魔法使いの一人であるなら、もう少し身奇麗にしなければ」
「む……」
言われて初めて、アダンは自分の纏った灰色の外套を眺める。
古竜を討ち果たしたのは、さて、何年ほど前の事であったろうか。
まだ生身の肉があった頃のようでもあるし、そうでないような気もする。
少なくとも、ずいぶんと若いころだったのは間違いない。
でなくば、わざわざ殺した竜の翼膜を見せびらかすようにはすまい。
しかし幾度の冒険を経て、想像を絶する呪文の応酬に晒されたそれは、未だ健在。
防具としての性能は十二分に保たれているように、アダンには思えた。
「……そうか?」
「ええ。そうでないと、使い魔である私が恥ずかしいです」
「なら、まあ、その辺りも任せる」
半ば面倒くさくなったアダンは、無造作に《炎の眼》をミルタへと放った。
両手でそれを受け取った彼女は、溜息を吐きつつ、その杖を己が影へと落としこむ。
「死んでも治らないとは良く言いますが、死人もそうか、一度お試しになるべきかと」
「まさに、だ」
忠僕の小言に、髑髏の死人占い師は顎をかたかたと鳴らして愉快そうに嗤った。
「死人も成長するや否や。それこそが我が望みだよ、ミルタ」
第三幕『夜魔の森』――了