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3-01

 クルランド公爵領の東に、夜魔の森と言われる深い森がある。


 ありがちな名前だが、実際、その名前に似合ったありがちな森だ。

 鬱蒼と茂る木々と枝葉によって昼尚暗く、夜ともなれば完全な黒闇。

 死者の怨念が渦を巻き、獲物を求めて踏み込んだ猟師が帰ってこない事も多いという。

 無論、そんな噂に怯えていては冒険者など務まらない……のだが。


 やはり怖いものは怖い。


 そんなわけでおっかなびっくり、落ち着かない足取りで森を行く二人の冒険者がいた。

 名をテオフィルとゴーティエというが、そう言っても彼らが何者かは伝わるまい。

 一人は背に伊達か酔狂か、随分と大振りの剣を斜めに下げた栗毛の若者。

 もう一人は身の丈二〇フィート(約六メートル)程はある禿頭の巨人。

 つまるところ、先日ジュドウに思うさま海辺へ放り投げられた、あの二人だ。


「なァ、友だち」

「なんだい、友だち」

「オラァ、もう帰りてェだよ……」


 一歩毎に枝が額を打ち、葉が顔を撫で、身を屈めて窮屈そうにゴーティエが漏らす。


「馬鹿を言っちゃいけない。依頼を果たさず帰る冒険者なんか、あるもんか」

「だども……」


 友人をくるりと振り返り、テオフィルは苛立ったように下生えを蹴散らした。


「せっかくの領主様からの依頼なんだ。ここは一番、頑張らなくちゃあならないさ」


 あの晩の出来事は実際、まるで夢でも見たかのようである。

 二人の冒険者は、一夜にして、奇妙な異邦人の引き立て役となってしまっていた。

 まあ、それは仕方あるまい。酔った勢いの喧嘩。身から出た錆。

 とはいえ酔いが覚めたなら、その錆を落とさないと仕事が立ち行かないのが現実だ。

 せめて此処は「領主の命を受け夜魔の森に挑み生還した」くらいの実績は作りたい。


 作りたい、のだが……。


 木陰に飛び交う青白い鬼火の姿を見る度に、テオフィルの脚も竦むのだ。

 なにせ彼らの行手には、この四方世界で四『角』に入るほど恐ろしい者が待っている。


「オラァ、まだ死にたくないだよォ……」

「俺だってそうだし、誰だってそうだよ、馬鹿」


 死ぬ、で済めば良いのだが。

 嫌な想像をしないよう努め、テオフィルは一心に夜魔の森の奥深くへと踏み込む。

 足下の腐葉土には得体の知れぬ蟲が蠢き、彼方からは獣の吠え声が届く。

 狼、であろうか。いや、狼はあんな風には啼かない。では、何だ。


夜鷹ウィップアーウィルだぁよ、友だち。……オラ達の魂に目ェつけたに違いねェ」


 身を震わせ、声を潜め――と言ってもそれでも大声だが――ゴーティエが言う。

 テオフィルはあからさまに顔をしかめた。


「馬鹿を言え、夜鷹が啄むのは死んだ奴の魂だけだ。生きてるうちに食われてたまるか」

「オラ達、実はもう死んでんじゃねぇだか? そんで、気づいてないだけで……」

「そういう事、言うなよなぁ……」


 友人の恐怖にあてられたか、テオフィルが情けなく、へこたれた声をあげた。

 どんなにか街へ飛び帰りたいかわからない。

 だが、幸か不幸か、彼らは此処まで来た。来てしまったのだ。

 もはや進むにしろ戻るにしろ、行程としては似たようなものだった。


 と、その時である。


「……ふふっ」


 テオフィルの耳元で、くすぐるような笑い声が囁いた。


「う、ぉっ!?」


 思わず叫び声をあげて、飛び退くテオフィル。

 栗毛の冒険者は油断なく背中の剣に手をかけ、周囲を見回す。


「どうしただァ、友だち」

「何か、いるぞ……!」

「えぇっ!? 脅かしっこは無しだァ……!」


 間の抜けた調子ながらも、巨人も身を屈め、腰の手斧を引き抜く。

 恐れ慄いていたとしても、そこは歴戦の冒険者である。

 二人の立ち姿は堂に入ったもので、そこには油断も、隙も無い。

 だからこそ、ふたりは目を見張った。

 その女は音もなく影もなく、浮き出るように彼らの前に現れたのだ。


「ああ、失礼致しました。いえ、笑ってしまうつもりは、なかったのですが――……」


 ゴーティエが、ごくりと唾を飲む音が聞こえた。


 ――夢にも描けないような、美しい女……女司祭(プリーステス)である。

 赫い瞳。頭巾(ウィンブル)から垣間見える髪色は、銀。

 体にぴったりした神官衣の描く線は太くもなく、細くもなく、ただただ美しい曲線だ。

 もしも美の女神の姿を彫刻するのであれば、彼女の体付きを真似れば良い。

 深く切り込みの入った裾からは白い太腿と、黒い長靴下、靴下留めが誘うように覗く。


「お二人が、あまりにも真剣な様子だったもので、つい……」


 蠱惑的な声と、微笑。見ているだけで、脳髄の奥から蕩けてしまいそうになる。

 むしゃぶりつきたくなるような、良い女だ。

 もし街で見かけたなら女司祭である事も気にせず、テオフィルは声をかけたろう。

 ……だが、彼は彼女の正体を知っている。


「……めんこい娘っ子だぁな、友だち」


 呆けたように言う友人の向こう脛に肘鉄を食らわせながら、テオフィルは呻いた。


「あんたが、世に聞こえた舞姫(ウィリ)の女王――ミルタか……!」

「ええ、その通り」


 ミルタは雑踏で顔見知りに挨拶された時のように、にこりと微笑んで見せる。

 しかしそれは、この世の者には到底浮かべる事のできない、冷たい表情であった。


「そういう貴方がたは、どなた?」


 問われた二人は、ぎくりと身を強張らせながら、大慌てで名を口にする。


「テ、テオフィルだ」

「オラァ、ゴーティエってンだ」


 舞姫(ウィリ)――結婚を前に死んだ清らかな乙女が転じる、怨霊である。

 彼女らは夜毎に墓から抜け出ては、愚かな男を見出し、一緒に踊ろうと誘いかける。

 しかし舞姫の舞踏会は夜が明けるか、男が力尽きるまで終わることは無い。

 哀れな男は女を弄んだ事を後悔しながら、死ぬまで踊り続けなければならないのだ。

 何よりも恐ろしいのは、虜になっても構わないと想わせるほどの、彼女の美貌だ。

 虜になるとは、この場合、比喩ではなかった。


「俺達は……何も、手荒な事をするために来たんじゃ、ない」


 だが、と。テオフィルは震えを隠すように声を張り上げる。

 真に恐るべき存在は、彼女ではない。――彼女では、ないのだ。


 冒険者達の目的は『()』そのものなのだから。


「俺達は、領主からの遣いだ。どうか、取次を願いたい」

「あら」


 ミルタが、長い睫毛をぱちくりと瞬かせた。


「まぁ……」


 夜魔の森に漂う瘴気の冷たさが、テオフィルとゴーティエの肌を刺す。

 二人は固唾を呑んで、女王の美貌を見守った。

 『()』の伝説には必ずと言って良いほど、舞姫の女王が彩りを添える。

 かつて冒険者であったとされる彼女が、何故に魔へと身を落としたのかは定かで無い。

 だが、ミルタと出会えたという事は、それだけ二人の冒険者が『()』に近づいた証拠だ。

 必要なのはあと一歩の勇気と、それを踏み出す為の幸運である。


「……良いでしょう」


 二人はホッと息を吐く。


「旦那様が、お会いになっても良いと仰せです」


 二人は、思わず顔を見合わせた。


 彼らを他所に、ふわりと舞うような足取りで、ミルタが木々の間へ身を躍らせる。

 木葉の擦れる音すら立てぬ彼女の背は、瞬く間に遠のいていく。

 テオフィルは、覚悟を決めて言った。


「……行くぞ、友だち」

「あン娘に手紙だけ渡して帰るってなァ、ダメかなぁ……」

「子供の使いじゃあ、ないんだ」


 二人は、懸命にミルタの後をついていった。


 獣でさえ踏み入らぬような所を、歩くような速さで進む女の後ろ姿。

 それを追うのは並大抵の事ではない。熟練の野伏でも、困難だったろう。

 飛び出した枝や小石が二人の冒険者の肌を傷つけ、衣服は泥にまみれて行く。


 しかし苦労した甲斐はあったようだ。


 不意に木々が開けたかと思うと、彼らは荒涼とした沼地に行き当たったのだ。

 ぼこぼこと煮え滾るように泡立つ此処こそが、瘴気の出処であるらしい。

 そして沼の中央には――まるで貴族の舘かと思うほどの、立派な邸宅が聳えている。

 間違いあるまい。

 これが、彼の魔術師が棲まう屋敷なのだ。


「お気をつけて。踏み外すと、酷いことになりますから」


 いつの間にそこへ現れたのか、ミルタがゴーティエの肩に立って囁いた。


「う、ひィッ!?」


 怯えた悲鳴をあげる巨人にくすりと微笑みかけると、彼女は軽々と跳躍する。

 と、彼女の美しい脚が、沼に沈みかけていた飛び石の上に降り立っていた。

 宙を舞う羽毛のように重さを感じさせない動きで、また次の石へ。

 二つ、三つ、四つ、五つ……冒険者たちは、見惚れるほか無い。

 が、しかし沼水が渦を巻いて飛び石を呑み込み出すと、彼らは泡を食って動き出した。


「ほら、ほら、急いで。けれど、慌てずに」


 その見ていられないような無様な飛び跳ね方を、ミルタは笑いながら眺める。

 軽く手を叩いて拍子を取る仕草は、幼い弟をあやす姉のような仕草だ。

 これが知り合いの女冒険者なら渡りきった後で引っ叩いてやろうとも思えるが……。

 彼女相手では、とてもそんな気は起きない。


「む、む、む……!」


 なにせ座り込んでめくれ上がった裾から、白く柔らかい尻が僅かに伺える。

 彼女が優美な動きで脚を組み替えると、下着が見えそうで、見えず――……。


「友だち、脚! 脚!」

「あ? ……おわッ!?」


 友だちの呼びかけで、ようやくテオフィルは足首まで沼に浸かっている事に気付いた。

 泥の粘りのせいか、はたまた死霊か、グッと何かに掴まれたようでビクともしない。

 岸と友人とを歯噛みして眺めると、意を決して靴を脱ぎ捨て、大慌てで飛び上がる。

 彼が転げるように対岸の屋敷へ辿り着くのと、長靴が沼に沈み込むのは、ほぼ同時。

 ごぼりと大きく泡が浮き上がり、テオフィルは間一髪といった様子で息を吐いた。


「ふふっ。 はい、良くできました」


 文句の一つでも言ってやろうかという彼の頬を、そっとミルタが一撫でする。

 触れるかどうかといった儚い感触だったが、それだけで彼の怒りは雲散霧消した。


 ――魔的だ。


 ともすれば呆けてしまいそうなほど緩んだ頬を、テオフィルは大慌てで引き締める。


「だ、大丈夫かぁ、友だち……?」

「これくらい、どってこたぁないさ」


 友人の不安げな声に応え、彼は額の汗と泥とを腕で拭って立ち上がった。

 いつの間にやら、ミルタの姿は無い。

 二人の目の前には、古びた邸宅の、やはり古い重厚な両開き扉が待ち受けている。


「……おい、ゴーティエ。お前そっち押せ。俺はこっちを押すから」

「ほいきた」


 此処まで来た以上、あとは最後までやるべきだ。

 彼らは以心伝心といった動きで扉に手をかけ、一息に踏ん張る。

 巨人さえ潜り抜けられるような大扉は、丁寧に油が差されているのか抵抗なく開いた。

 二人はそっと顔を見合わせ、緊張のにじみ出たぎこちない動きで、中へと踏み込む。

 テオフィルはおっかなびっくり、ゴーティエはビクビクと身を屈めて。


 ――その背後で、扉が激しい音を立てて閉まった。


「うひゃあッ!?」


 思わず飛び上がったのはゴーティエである。巨人の重さは、ずんと良く響く。


「…………脅かすなよ」

「オラのせいじゃぁ、ないだぁよ」


 彼らはそう言い合うと、なるべく気配を殺しながら、屋敷の玄関広間を見回した。

 薄暗い、灯ひとつない室内だが――奇妙なことに、なぜだか物の輪郭が良く判る。

 人里離れた魔境に建つ屋敷にも関わらず、中の造りは当世流行に則ったものだ。


 大理石か何か――白亜石で出来た柱があり、床は赤く柔らかな絨毯。

 瓶に活けられた花々は咲き誇り、埃の欠片もないほど綺麗に掃除が行き届いていた。

 そうしてそろそろと進む彼らがまず行き当たったのは、巨大な正方形の大台だ。

 さいの目に枡が切られたその台は、まるでチェスか何かの遊技盤のようにさえ思える。


 しかし、そうではない。


 被せられた硝子覆いの上には、燃え盛る火球と、煌めく双つの光球が円を描いて周回。

 そして盤の上には木々が茂り、草が生え、水が湧き出て広がっている。

 細々としてはいるが、各地に街や城、砦の模型が置かれ……まるで箱庭だ。

 更に驚くべき事に、注視するとその箱庭の各地で、豆粒のようなものが蠢いていた。

 それは人であり、怪物であり、獣であり、遍く生きとし生けるものの形をしている。

 箱庭の中には、全てがあった。まさしくそれは、世界の縮図だった。


「これは……世界盤、か……?」


 テオフィルとて四方世界全体だとされる地図や、世界盤を目にした事くらいある。

 だが、これほどのものは未だかつて見たことが無い。


 ――――遥か昔、遍く全てが未だ形を持たぬ頃。

 全ての支配権を賭けて|《宿命》《フェイト》と|《偶然》《チャンス》が骰子(ダイス)を振り合った。

 しかし骰子の目は《偶然》にも《宿命》にも左右することができない。

 その為の『盤』と『駒』こそが、冒険者と怪物達の闊歩する、この世界の始まりである。

 しかし魔の道を歩むものに言わせると、世界とは『盤』ではなく『骰子』だという。

 我々が歩む現界、隣に火水風土の精が棲まう四つの霊界、対面に魍魎が巣食う魔界。

 昼は秩序の神々の手番、夜は混沌の神々の手番。

 太陽と双月は、駒と盤を注視する指し手の目――……。


 無論、真偽の程はわからない。

 確かめた者は、この世にただ一人(・・・・)しかいない。


 『盤』の縁、骰子の端境、四方世界の果ては、人知の及ぶ領域ではないのだ。

 大気は薄れ、海は逆巻き、風は荒れ、面を超えんとした者は尽く塵芥に消えたという。

 一方、魔術師にとってみれば、話はまるで変わってくる。

 隣界より精霊の力を引き出せるのは勿論、もし境界を超えられれば、位階も高まる。

 頂に立てば三界を見通せる『角』となれば真理を紐解く場として、これ以上あるまい。

 故に東西南北、四方世界の末端には、世にも名高き魔術師が居を構えている。

 その独りが東の『角』から『盤』へ降りた。

 そんな噂が広まり出したのは、半年ほど前の事であった。


「――我が忠僕が失礼をしたな」


「ッ!?」


 地の底を吹く風のように、乾いた声。

 思わず飛び下って武具を構える二人の冒険者。

 その世界盤を挟んで、対面。暗がりの中に、『()』が存在していた。


「靴については、後で弁償もしよう」


 テオフィルも、ゴーティエも、返事をする事ができない。

 圧力、というのであろうか。

 例えているのであれば、巨大な城の防壁の目前に立っているようなものだ。

 視界全てを埋め尽くす不可視の壁が、彼ら二人を押し潰さんと迫って来ていた。

 存在が違いすぎる。

 自然、じり、じりと。二人の足が竦み、意識せずとも、後ろへと体が動く。


「ミルタ、悪戯が過ぎたな」

「あら、そうでしょうか?」

「怯えているではないか」

「旦那様のせいでは?」

「ぬかしおる」


 注視すれば、その姿が闇の中から浮かび上がってくる。


 身に纏った灰色の外套は、未だ生き続け蠢くという古龍の翼膜。

 手にしているのは樹人(エント)の骸より削られた、神木の杖。

 先端に埋まる虹色の宝玉は、生きたまま抉り出された冥王の眼。

 首から下げた護符は、神々より簒奪した神秘を隠匿する守の帳。

 そして何よりも傍らに侍らせた、美しき舞姫(ウィリ)の女王。


「そう固くなるな、若き冒険者(アドベンチャラー)たちよ」


 ――そこには、伝説がいた。


 四方世界に生まれた子供であれば、誰もが昔語りにその物語を聞くであろう。


 この世にただ一人の、六面を踏破せし者(ダイスローラー)

 秩序を乱し、混沌を糺す、中庸の守護者ニュートラル・チャンピオン

 東の大魔法使いイースタン・ウォーロック彷徨える塚人の王バロウ・ワイト・キング

 あるいは単純に、(ロード・デス)


 しかし当の本人は、もっと別の、簡素な呼び名を好んで用いている。

 即ち――――……。


「私が、死人占い師(ネクロマンサー)のアダンだ」


 そう言って、朽ち果てた髑髏が顎を揺らし、虚ろに嗤った。


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