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少女騎士と黒帯のジュドウ  作者: 八握 紫電
少年と少女と少女と青年
5/24

2-02

 潮騒がそう遠くない街路を、二頭立ての馬車が駆けていく。


 黒塗りの馬車に掲げられた紋章は、クレランド公のそれだ。

 御者や馬は元より、手綱や鞭に至るまで、この領内に二つとない上等な逸品。

 自然、車輪の回る音もどこか堂々たるものに聞こえてくる。


 車内はといえば、これまた贅沢に赤金色の絹張りが目に留まる。

 金銀の彩りもさることながら、透き通るほどの硝子がはまった窓も素晴らしい。

 ともすれば低俗になりそうな高級品の数々が、見事な調和を保っていた。


 その中にあって何よりも華やかなのは――言うまでもない。


 金の巻き毛、薔薇色の頬、豊かな肢体を豪奢な貴袍(ドレス)に包んだ公爵令嬢。

 当年とって十四歳。

 バティルドの美しさを前にすれば、高価な装飾なぞ野花のようなものだ。


 つんと澄まし顔の彼女は、頬杖を突いて流れ去る窓の外の景色を見やる。

 なんとも物憂げな姿であったが、それがまた、実に絵になった。


「面白くありませんわ」

「何がでしょうか、お嬢様」


 と、声を出さなければ誰も気づかなかっただろう、影のような男が、もう一人。


 名をアルブレヒトという。アルブレヒト=プティパ。紳士にして騎士。

 年の頃は二十と少し。鳶色の瞳に鷲鼻、口髭をたたえ、彫像のように彫りの深い顔。

 祭服めいた緩やかな上衣に、空色の外套を羽織り、膝上には白羽のついた鍔広帽子。

 洒落た腰帯に吊るした突剣も相まって、控えめに言っても実に伊達な男である。

 夜会に出れば、過去の武勲話を求める貴婦人が彼を放っておかないだろう。

 事実、彼は貴婦人を楽しませる冒険譚に事欠かない。そういう類の美丈夫だった。


 そんな男であるから、アルブレヒトに存在感がないわけがない。

 にも関わらず彼は調度品の一部であるかのように、ただ自然と、そこに在るのだ。

 殺すではなく潜めるでもなく、見事なまでに整えられた、呼吸の為せる技だった。


「ジゼーレの事に決まっているでしょう」

「ああ、グリジ卿の」


 バティルドの投げつけるような言葉を、アルブレヒトはにこやかに受け止める。


「流石に少し気落ちしていたようですがね。

 教練を見る限り、もう気にしておられない様子ですな」

「それですわ」


 言って、バティルドはつまらなさそうにアルブレヒトへ流し目をくれた。


「そもそも御前試合に出ようなどと勝手をしたというのが気に入りませんのに。

 愚昧な父様にもわかるよう、それとなく根回しをするのがどれだけ手間だったか!」

「前向きなのはグリジ卿の長所かと」

「落ち込まないでは、わたくしとしてもやり甲斐がありません」

「ふむ……」


 貴族令嬢であるバティルドは、無論、感情を表に出さないよう躾けられている。

 にも関わらず、彼女はこうして不貞腐れた様子を隠そうともしない。

 ならばとアルブレヒトは、とっておきの話を披露するように両手をすり合わせた。


「……そういえばグリジ卿、最近は漂着した異人の面倒を見るのにご執心だとか」

「異人?」


 令嬢の美しい眉が、ぴくりと動いた。


「おや、ご存知かと思っておりましたが」

「話しなさいな」

「ええ、僕も話を聞いただけなのですがね……」


 アルブレヒトが背もたれにゆったりと体を預けながら、片目を閉じて天井を睨む。

 如何にも思い出そうとしているという姿勢だが、彼が物を忘れるということはない。

 勿体ぶってひどく重々しい口調で、彼は「なんでも」と枕を置いて口を開いた。


「見たこともないような黒髪と黒い瞳の小兵で、得体の知れぬ“まじない”の使い手。

 しかし波止場地区で狼藉を働く不逞の輩を前にして、ただ独り立ちはだかり……」

「立ちはだかり?」

「……赤手空拳にて『巨人殺し』(ギガント・テーテン)を成し遂げた、と」

「馬鹿馬鹿しい」


 バティルドが一笑に伏す。


「尾鰭がつくのは噂の常だけれど、それにしたって。ありえないでしょうに」

「そうですかね」


 辺境シューレジェン生まれの伊達男は、にやりと不敵に唇の端を吊り上げた。


「巨人とて、言葉持つ者には変わりないですよ」

「勿論、アルブレヒト。貴方が言ったなら、わたくしも疑いはしなくてよ」


 取り出した扇子で口元を隠し、くすくすと笑いながら、彼女は言った。


「けれど漂流した異人が、その実、巨人を物ともしない異郷の術師であった、なんて。

 お伽話にしても出来過ぎてて、なんだか、わたくしおかしくって……」

「ま、神々の思し召し次第では、往々にして良くある事ではありますがな」


 と、不意にアルブレヒトが身を乗り出し、対面のバティルドへと迫った。

 逞しい腕を伸ばして令嬢のか細い肩に添え、半ば抱き寄せるようにして身を支える。


「ご無礼」

「ええ、本当に」


 バティルドもそれを拒みはしない。扇子で隠しながら、欠伸を噛み殺す。

 次の瞬間、馬の嘶き声が轟いて、馬車が大きく軋む音を立てながら揺れ動いた。

 忠僕に支えられたバティルドは、しかし、微動だにしない。

 むしろ何処か楽しんでいるようでさえある。


「御者!」


 鋭い声をあげたのは、無論アルブレヒトだ。

 彼の左手は主人を支えていたが、いつのまにやら右手は突剣の柄を握り締めている。

 真正面にいたバティルドでさえ、いつ身構えたのかわからない早業だった。


「も、申し訳ありません! 奇っ怪な乗り物が飛び出したので、馬が驚いてしまって」

「奇怪な乗り物だと?」

「糸車を二つ三つ組み合わせたような……とても道を走れるとは思えない物です。

 異人が跨ってるので異国の物とは思うのですが、これが、どうも……。

 見たこともありません。

 それと、その、貴族の……いえ、女騎士の方が、相乗りなさっていたようで……」


 目を瞬かせたバティルドが、それを聞いてにんまりと猫のように目を細める。


「……へぇ」


 彼女は優雅な手つきで扇子を翻し、馬車の昇降口を指し示した。


「アルブレヒト」

「畏まりました」


 打てば響く返事である。

 すっと音もなく、滑るような動きでアルブレヒトは馬車の外へと降り立った。

 ふわりと空色の外套が膨らみ、鍔広の帽子を被る仕草も粋なものだ。

 長靴の踵についた拍車を鳴らしながら、アルブレヒトは颯爽と歩き出す。

 ともすれば気障と受け取られそうな佇まいだが、この男ならば誰も文句は言うまい。

 もし仮に嘲るような者がいたとしても、既に現し世からは放逐されている。


 しかし、成る程、確かに奇怪だと彼は頷いた。


 海辺の石垣へ立てかけるようにして、車輪が二つ、直列に並んだ乗り物があった。

 その傍らには、潮風に流れる髪を抑えた小柄な娘と、黒髪の異人の姿。

 馬車の中にあってアルブレヒトの耳に微かに届いた、奇妙な走行音は彼女たちだったか。


「プティパ様!」


 近づく彼の姿を認めたのだろう。

 ジゼーレ=グリジは文字通り血相を変え、大慌てでぺこりと頭を下げた。


「大変申し訳ありません! 馬車が来るのは見え、避けたのですが、まさか馬が驚くとは……」


 その滑稽なほど必死な姿に、アルブレヒトは鷹揚な仕草で手を振ってみせる。


「いや、良い良い。不慮の事故で、お互いに怪我は無かったのだ。問題にする事じゃあない」

「お心遣い、痛み入ります。……あの、プティパ様」


 頭を下げていたジゼーレが、そっと、何処か怯えたような様子で上目遣いになった。


「プティパ様がいらっしゃる、ということは……あの馬車には、バティルド……様も?」

「僕は彼女の側仕えだからね」


 それがまるで答えであるかのように、アルブレヒトは言う。


「実は以前、彼女が部屋に訪ねてくだすった時、私、飛び出してしまって、その……」

「選考の件だろう? 無理もない。バティルド様も、気にする事はないと仰っていたよ」


 アルブレヒトの言葉は、ジゼーレは見るからにほっとした様子で小さな胸を撫で下ろした。


「そうでしたか……。良かった……」

「バティルド様は卿を大事な友人と思っておられる。

 差し出がましい事かもしれないが、どうか、友情を大事にしてくれたまえ」

「はい、勿論です」


 生真面目に、誠実に、彼女は真っ直ぐに応じた。

 ――バティルドを黄金色の薔薇とすれば、ジゼーレは野に咲く菫だ。

 比べ物にならないほど小さく地味だが、愛らしく、厳しい土地でも咲き誇る。

 その様をアルブレヒトは眩しげに見やり、そして顎をしゃくって傍らの異人を示した。


「それで、彼が、例の……?」

「例の、と言いますと?」

『巨人殺し』(ギガント・テーテン)さ」


 小首を傾げていたジゼーレだが、アルブレヒトの言葉に「ああ」と頷いた。

 彼女の頬が緩み、柔らかな笑みが浮かぶ。


「正しくは、『巨人投げ』ギガント・ヴェルフェンですね」


 今度は、アルブレヒトが首をひねる番だった。


「巨人を……投げた?」


 彼よりも頭ひとつほど背の低い、この小さな異人が?

 様々な物を見聞きしてきたアルブレヒトにとっても、それは容易な事とは思えない。

 無論、人の半分しか背丈のない圃人(ホビット)の勇者などもいるとはいうが……。


「卿を疑うわけではないが、それは……本当かい?」

「はい。私も、この目でしかと見ましたから」


 ジゼーレの答えに躊躇はなく、その声は平素と同じく凛としている。

 取り繕い、誇張し、自慢する者に特有の、妙な明るさは見られない。

 アルブレヒトとしても、これは間違いがないだろうと判断できる。

 だが、それでも彼は唸らずにはいられなかった。


「ふぅむ……。確かに、異国の“まじない”を使うとは噂に聞いていたが……」

「あれは魔術の類というより、体術の一種、だとは思いますね」


 その光景を思い出しでもしたのだろうか。ジゼーレは目を細め、傍らの異人を見つめる。

 彼女に倣ってというわけではないが、アルブレヒトもまた、改めてその顔を眺めた。

 青年とも、少年ともつかぬ不可思議な相だ。

 朴訥としていると言えば良いが、その表情は呆けているようにも思える。

 自然体――というのだろうか。掴み所がない。

 アルブレヒトは、この異人が何者なのか、測りかねた。

 ごくりと、唾を飲む。


「……名は、なんと?」

「それがわからないので……」


 ジゼーレが、はにかむように頬を掻く。ちらりと、目線が少年の方を向いた。


「私は、ジュドウと呼んでいます」

「ジュドウ……ジュドウか」


 アルブレヒトは舌の上で、その不可思議な響きの言葉を転がした。

「奇妙な呼び名だ。異国の言葉だな」

「ええ、多分……」

「どれ」


 言うなり、アルブレヒトは、すっと無造作に前へ出た。

 片手を出し、にこやかに握手を求めるように。

 鳶色の瞳と、ジュドウの黒い瞳がぶつかり、視線が交わる。


 その時である。


 ――ジュドウが、跳んだ。


 弾かれたように身を震わせ、三フィート(約一メートル)を一息に飛び退ったのだ。

 (ましら)の如く、とはこの事だ。

 唖然とするジゼーレに対しジュドウの表情は強張り、睨むようにアルブレヒトを見やる。


「ハッハッハッハッ、驚かせてしまったか」


 握手を拒まれた右手を所在なげに振りつつ、アルブレヒトは快活に声を上げて笑った 

 これに大慌てで頭を下げたのはジゼーレだ。


「す、すみません。多分、まだこの国の風習に慣れていないようで……」

「いや、手間を取らせて悪かった。……ああ、そうそう、グリジ卿」

「はい?」

「君も年頃の娘だ。とやかくは言わないが、男と相乗りは、些かはしたないと思うぞ」


 さっとジゼーレが顔を赤らめ、俯く。アルブレヒトの言葉通り、年頃の娘らしい姿だ。

 それをアルブレヒトは嫌味なく笑うと、ひらりと馬車の昇降口に飛び乗った。


「御者」

「はい!」

「先は怒鳴って悪かった。あれは確かに馬も驚く代物だ。君のせいじゃあない」


 しゃちほこばっていた御者が、安心したように頷いた。


「良いぞ、出してくれたまえ」


 その肩をぽんと軽く叩いて車内へ滑り込むと、馬車が音を立てて動き出す。

 主人たる令嬢は、つまらなさそうに頬杖を突いて、彼に一瞥をくれることもない。


「……小さくて、呆けていて、つまらなさそう。ジゼーレが夢中になるなんて、思えませんわ」

「一見すると、そうです。僕もそう見えました」


 アルブレヒトは同意しながらも、鍔広帽を脱いで対面へと腰を下ろす。

 そこでようやく興味を取り戻したのか、バティルドがちらりと目を向けた。


「あら、違いますの?」


 ええ、と。アルブレヒトは頷く。


「稲妻竜を捕らえて人の形に押しこめ、その場に留めておけば、あんな風でしょうな。

 小さく、大人しく思えても、その実、身体の内側には稲妻の奔流が満ち満ちている。

 『巨人投げ』ギガント・ヴェルフェンを為したというのも、恐らく真実かと」

「ふぅん……」


 小さく呟き、バティルドは自慢の巻き毛を指先で弄ぶ。

 そして豊かな胸を強調するような姿勢で、身を乗り出した。


「ねぇ、アルブレヒト。あの男と戦ったらどうなるかしら?」

「死にますな」


 さらりと。至極当たり前の事を言うように、アルブレヒトは言った。


「へぇ?」

「ええ、()は死ぬでしょう。いや、惜しい」

「アルブレヒトがそんなに褒めるなんて、珍しい」


 主人の感心したような言葉。

 アルブレヒトは何も言わず、窓の外へと目を向ける。

 馬車が走る速度に合わせて、海が流れるように後方へと去っていく。

 握手をしようと近づいた際、あのジュドウとかいう男は、確かに怯えた。

 アルブレヒトがほんの一瞬、剣を抜き放つような殺気を差し向けたからだ。


 だが――……と、彼は考える。

 あの男は、決してアルブレヒトに怯えたわけではない。


 ――――剣だ。


 ジュドウは、剣を向けられる事に対して、恐怖したのだ。

 仮にも巨人を投げたと、そう言われるような男が、である。

 それにあの、飛び退いた時に見せた瞬発力。

 ジゼーレの推測通り、あの男は武術家に相違ない。

 それも恐らくは、生半な実力の持ち主では無い筈だ。

 不可思議で、奇妙で、興味深く、愉快な男だと思えた。

 戦ってみたい。だが、そうすれば結果は目に見えている。

 この快男児は、自らの心情を楽しげに弄び、頷いた。


 ――実に、惜しい。


「そうですわ」


 音を立てて扇子を閉じ、バティルドが悪戯を思いついた童女のような調子で言った。


「良いことを思いつきました。“まじない”には“まじない”をぶつけましょう。

 アルブレヒト。父様から貴方、命令されていた件があったでしょう」

「ええ。それが何か?」

「辞退して、代役に、あの異人を推挙なさいな」

「宜しいのですか?」


 とは、批判ではなく確認の為の言葉だ。

 紳士たるアルブレヒトは、忠誠を誓った淑女の頼みを断らない。断るわけがない。


「御前試合を辞退した上、今度は御下命まで……お父上の機嫌を損ないそうですが」

「宜しいもなにも」


 くすり、と。隠すことなく曝け出した、華やかな微笑。


「アルブレヒトは、わたくしの(・・・・)『とっておき』ですのよ?」


 至極当然といったこの言葉に、アルブレヒトは深く頭を垂れた。

 彼にとってはそれで十分だった。

 馬車は走る。

 石垣が途絶え、木々が茂り、もう海辺は遠い。

 じきに門をくぐれば家々が立ち並ぶ城壁の内側だ。


「ええ、そう。アルブレヒトはわたくしの物」


 ぽつり。呟いたその言葉に、忠僕は答えない。


「――ジゼーレも、わたくしの物よ」





          第二幕『少年と少女と少女と青年』――了


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― 新着の感想 ―
[良い点] 良い感じです。ジュドウ視点が欲しいです。 [気になる点] >実は以前、彼女が部屋に訪ねてくだすった時 くださった、でしょうね。
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