2-01
――剣戟音。
白砂を敷き詰めた練兵場。
樽型の大兜と鎖帷子の騎士二人が激突していた。
鉄靴が砂を蹴散らし、鎧の立てる金擦れの音が響く。
刃引きされた十字剣が唸り、大盾が入れ替わり立ち代わり叩かれる。
一方の騎士は、もう一方の騎士に比べ、見るからに小柄で、華奢だ。
鎖帷子の上に翻る騎士外套は、黒に白い鳥。
その小さな騎士は大胆不敵とも言える技の冴えでもって、戦いを一方的に進めていた。
繰り出される剣戟を盾で受け、払い、下から抉るような鋭い突きを返す。
相手がたたらを踏んで後退りすればすかさず距離を詰め、返す刀で剣が閃く。
「ぬ、う、お、あ、っと……!?」
慌てた対戦者、その一撃をかろうじて剣で受ける――鍔迫りである。
良く突剣や細剣を操る剣士が騎士剣術は単なる殴り合いだと嘲るが、これは誤解だ。
もっと言えば「騎士剣術は突剣術より技で劣っている」とするための風聞に過ぎない。
戦場で命を賭け、国や同胞、秩序を守る為に敵と切り結ぶのだ。
しなやかで柔軟な剣を用いた斬り合いは、自然と洗練された技の応酬になる。
そしてわけても小柄な黒騎士の振るう剣は、極めて技術的だった。
「――――!」
鍔迫り合いの中で、黒騎士の肩がぴくりと震えた。
相手が体格差を活かして一気に斬り伏せるべく、ぐいと力を込めて前へ出ようとする。
ならばと、すかさず黒騎士は剣を擦り上げるように、前へ飛び出す。
刀身をそのまま滑り落ちた相手の剣が地を叩き、土煙を立てる。
「う、ぉ……ッ!?」
握り手を返して切っ先を持った黒騎士が、逆しまに剣を振り上げていた。
踏み込みの勢いのまま躊躇なく、敵の頭部へ、剣の柄頭が叩き込まれる。
装飾目的とした拵えもあるが、本来、剣の柄頭は戦槌として用いる為の鈍器である。
その鉄塊が、彼我の速度を合わせて激突したのだから、たまらない。
兜を越えての衝撃に脳が揺さぶられ、対戦者は大きくよろめいた。
無論、その隙をを見逃す黒騎士ではない。
「ぇ、やッ!!」
凛とした声と共に、容赦なく左の盾が顎先をかち上げるように叩きこまれた。
衝撃音。
もはや踏み留まる事も叶わず足が崩れた対戦者は、そのままどうと仰向けに倒れる。
黒騎士はその腹を無慈悲に鉄靴で踏みつけて、剣の切っ先をぐいと喉元に捩じ込んだ。
対戦者は声を出そうにも喉が圧迫され、喘ぐような吐息が漏れるばかり。
しばらく藻掻いていたが、諦めたように剣と盾とを手放し、捨てる。
――決着である。
「……ふぅ」
大きく息を吐いた黒騎士が、大兜を脱いで、髪留めを外す。
陽光に青く透ける黒髪が、ぱっと大きく広がる。
「敗因は、やはり鍔迫りの軽視ですね」
額に汗を滲ませたジゼーレ=グリジは、青い瞳で無表情に対戦者を見下ろした。
「触れ合う刃から相手の動きを察知するのは、剣術の基本にして極意と言いますから。
『先』を狙って切り込むのも悪手とは言いませんが、読まれては意味が無いです」
ジゼーレは革の篭手を外し自身の手を揉みほぐすと、うん、と小さく頷く。
「あと、篭手を鉄甲から革のものへ変えた方が良いかもしれません。
鉄甲は頑丈ですけど、指を固定するから、かえって疲れてしまいますし」
「わ、わかった。……そうしてみよう」
ようやっと、と言った様子で倒れたままの騎士が頷いた。
その声は兜越しでくぐもっているのを差し引いても、息も絶え絶えといった様子だ。
「ありがとうございました」
そして一礼したジゼーレは相手の返礼も待たず、颯爽と髪を靡かせて歩き出す。
彼女の背後では、主人を開放しようと大慌ての従士が騎士へと飛びついていた。
それと同様、ジゼーレの元にも手拭を携えた歳若い少女従士が駆けて来る。
「お疲れ様でした、グリジ卿!」
「あら、ありがと」
にこりと微笑んで、ジゼーレは歩きながら手拭を受け取り、かわりに兜を託す。
うやうやしく兜を捧げ持つ従士ハイジは、まだ十歳を少し過ぎたばかり。
肩口で髪を揃えた金髪碧眼の彼女は、子供そのもののあどけなさだ。
「けど、ダメよ? 目上の人に対して『卿』なんて。
昨今はそうでもないけれど、本来は目下の人への呼び方なんだから」
「す、すみません……!」
ジゼーレがたしなめるようにそう言うと、ハイジはあわあわと大慌てで頭を下げた。
顔を青くして哀れなほど恐縮していても兜を落とさないのは、性格の表れか。
「まあ、変に敬った呼び方よりは余程良いけれどね」
「じゃあ、じゃあ、お姉さまとか……!」
「それは、嫌だなぁ……」
本気か冗句か、判別の付かない言葉に苦笑しながら、ジゼーレは更衣室へと入る。
異性におおっぴらに肌を曝け出すのは、ふしだら極まりない。
まだ女性騎士が希少だった頃と違い、今は男女別なのだから、有り難い限りだ。
「手伝ってくれるかしら」
「あ、はい! もちろんです!」
一人での着脱も当然できるが、従士がいるならやらせない理由は無い。
鎖帷子は板金鎧と比べれば着脱も楽とはいえ、色々と手間なのが一つ。
そして何より、これを通じて甲冑の脱ぎ着を覚えさせるのが大事なのだ。
上衣を取り、具足を解き、髪が絡まないよう気をつけながら鎖帷子を外す。
汗でぴったりと素肌に張り付いた鎧下を脱ぎ捨てれば、一糸まとわぬ裸体。
日に焼けていない肢体は白く透き通るようで、ハイジが恥ずかしげに目を伏せる。
全身に打身の痕が残り、傷一つないとは言えないが、かえって美しさが際立っている。
女性的な豊かさこそ乏しいものの、子供っぽさは薄れ、少女らしい柔らかなものだ。
ハイジに手伝わせながら汗を拭い、小瓶から“ケルンの水”を取り、肌に馴染ませる。
ケルンの水は最近考案されたばかりの、匂い付きの水といった商品だ。
宮廷の貴婦人はもとより、女性騎士や、伊達者の男性の間でも話題の逸品。
ジゼーレとて年頃だ。興味が無いわけもない。
更衣室に、ふんわりと爽やかな柑橘系の香りが漂い出すと、心地よさそうにジゼーレの目が細められる。
「ん……。よい匂い」
「はい、ジゼーレきょ……さん、前にお好きだって仰っていたので!」
甲斐甲斐しいハイジに、ありがとうと微笑んで、ジゼーレは衣服を手にとった。
薄い胸に亜麻布を巻き、しなやかな脚の線も露わな白い下衣を履く。
その上から黒を基調とした短衣に、短袴、革の長靴。
帯を巻いて剣を佩き、最後に黒髪を払って整えれば、見目も麗しい女騎士の佇まいだ。
「それにしても、残念でしたね」
「なぁに?」
「御前試合の事です」
ジゼーレの背に流れた黒髪を梳りながら、しょんぼりとハイジが呟いた。
「ジゼーレさんなら、絶対に選ばれたと思うのに……」
ああ、その事かと、ジゼーレは軽やかに笑った。
完全に立ち直れたか、というと自信は無いが――……。
「未熟だったからよ。それだけ」
数日を経て、今ではもう、そう思えるようになっていた。
「でも……」
「良いから。ありがとう」
そう言って、ジゼーレはさっと更衣室を後にする。
慌てて追いすがるハイジは、抱えた武具を落とさぬよう懸命に運んでいる。
「今日はもう非番だから、『やどかり』まで顔を出してから帰るわ」
「はい」
「貴女は、先に寮へ戻っておいて。
何か務めがあるようなら、人を寄越して構わないから」
「わかりました」
「焦らないで良いからね?」
はい、と真っ直ぐ生真面目に頷く彼女を、ジゼーレは好ましく想っていた。
騎士を志す少年少女は、このくらいの歳で親元を離れ、従士となるのが常である。
ジゼーレもかつてはそうであった。いや、騎士であるならば誰しもがそうなのだ。
従士として騎士に仕え、経験を積み、礼儀作法を学び、鍛え、そして叙勲を受ける。
騎士は貴族といえど一代限りの爵位であるから、こうした訓練過程は必要不可欠だ。
無論、長きに渡る秩序と混沌の戦いの中で、騎士が担う役割も大きく変遷している。
当節の騎士団はといえば、半ば剣術武術の指南所めいている部分も多い。
武の道を志す後進を導いていくのも、先達の騎士として大事な務めだ。
まあ、なにも先年、黄金拍車を授かったばかりの自分に仕えずともとは、思うが……。
「……ふふ」
慕われて、悪い気はしないものだ。
寮へ向かうハイジと別れたジゼーレは、練兵場の扉を開けて、街路へと出る。
途端に潮の匂いを孕んだ爽やかな風が、ジゼーレの髪をなびかせた。
鍛錬で火照った肌に、風の冷たさが心地よい。
練兵場は、海辺の城壁からほど近い、小高い坂の上にある。
視界一杯に広がる海と空の青色は、ジゼーレの好きな景色であり――……。
「ジュドウ!」
石塁に腰掛けるようにして佇む異国の少年を認めて、彼女の顔に笑みが浮かぶ。
大きく手を上げて呼びかけると、それに気づいたジュドウがジゼーレの方を見やる。
彼の口元にも、笑み。その両手が、ぱちぱちと拍手をする。
先の模擬戦のことだと、ジゼーレにも容易に察しがついた。
「もう、見てたのね?」
ジゼーレは、何だか急に照れくさくなって、頬をかいた。
本来、身元不詳の異人である彼は、城壁の奥深くまで入って来ることはできない。
それどころか事と次第によれば密入国者として追い立てられてもおかしくはない。
が、先達ての巨人との一戦が、彼を救っていた。
波止場人足の組合長が、あの一部始終を見てジュドウの身元を引き受けてくれたのだ。
こうなると話は変わってくる。
もともと各国から人が集まる場所だから、多少言葉が通じなくとも不自由はしない。
それにあれだけ足腰がしっかりしているのだ。荷運びの類は苦にもならない。
真面目に黙々と働くジュドウは、数日を経て、あっという間に馴染んでしまっていた。
今では、立派な波止場人足だ。
体が資本とは良くいったもので、言葉の問題を抜きにすれば、彼はもう、自分で暮らしていける。
「けど、わざわざ迎えに来てくれたの?」
石畳を軽く踏んで、ジゼーレはジュドウの前まで駆け寄った。
言葉が通じているわけではないが、それでも気遣いというものは伝わるものだ。
「別に、そんな、わざわざ、良いのに……」
言葉ではそういうものの、ジゼーレの唇は柔らかく緩んでいる。
ジュドウは飄々と頷くと、石塁に立てかけてあった“それ”を引き起こした。
きょとん、とした様子で、ジゼーレは首をかしげる。
「なぁに、それ?」
――それは実に奇妙な“からくり”だった。
糸車を逆しまにしてデタラメに組み合わせたような、というべきか。
小さいながらも鞍や、鐙のようなものがあるから、乗り物であろうと見当はつく。
おそらく鐙を回すことで革帯と噛み合った歯車が動き、車輪へ動きを伝えるのだろう。
だが、あろうことか二つの車輪は横ではなく、縦に直列で並んでいた。
科学的に考えずとも、これで走ろうとすれば転げてしまうに違いなかった。
「ジテ、ッシャ……? ううん?」
驚くジゼーレを見て笑いながら、ジュドウはそれの名前らしいものを口に出す。
が、どうにも発音がわからない。
ジゼーレが首を捻っていると、彼はあっさり鞍に跨がり、金属の手綱を手に取っていた。
「え、ぇっと……」
ジゼーレは青い瞳を瞬かせ、唇に細い指先をあてがって考える。
その目の前で、ジュドウは鞍の後ろにある、小さな荷台を親指で示す。
「乗れ、という事よね。多分……」
よくよく見れば、個々の部品に覚えがあった。
これは確か、ジュドウが漂着した時に持っていた背負鞄の中身であろう。
それを組み立てた――彼を疑うわけではないが、今にも分解しそうに思えてならない。
「無理よ。ぜーったい、無理」
だが、そうはいっても好奇心というのは強いものだ。
恐る恐ると近づくジゼーレに、ジュドウは今度は荷台を軽く掌で叩いて見せる。
「…………大丈夫? 転ばない?」
ジュドウから返事が来る事は無い。
が、よほどジゼーレが戦々恐々としている姿がおかしかったのだろう。
彼の顔は実に愉快そうであり、それがまた、どうにもジゼーレには悔しい。
「……良いわ」
む、と唇を尖らした彼女は意を決して、その荷台へと横向きに座り込んだ。
馬のように跨る事も考えたが、落馬した時に受け身が取れたほうが良いと思ったのだ。
しっかりと手で荷台の端を握り、身体を支えられるように保つ。
「これで大丈夫。……行って」
頷き、ジュドウが鐙に脚をかけ、力を込め、踏み出し、そして――……。
「ひぁっ!?」
ゆるやかな加速。
不意に動き出した車輪に驚いて、ジゼーレは思わず荷台から手を離し、ジュドウの腰に手を回していた。
彼女の細腕とは違い、しっかりと鍛えられた感触。心の臓がびくりと跳ねる。
ふわりと漂う柑橘の匂いに、彼女は香水をつけていて良かったと思う。
汗臭いのは、嫌われるもの。かすかな呟きも、とうに置き去りにされて。
奇妙な、二輪車とでも呼ぶべき乗り物は、石畳の上を軽快に駆けて行く。
異国の乗り物に目を見張る街の人々をすれ違い、追い越して。
馬よりは、遅い。だが馬とは違う、空気を切って走る心地よさ。
――風のように、とは。まさにこの事であろう。
「ね、ジュドウ!」
流れ去る景色、海の明るさに目を細めながら、ジゼーレは目の前の背中へ声をかける。
先ほどの不安も何処へやら。
昂ぶりだす気持ちを抑えるように、ぎゅっと彼の腰に回した手に力を込めて。
「もっと早く――もっと!」
その声に応えるように、少年は鐙を思い切り良く踏み込んだ。