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少女騎士と黒帯のジュドウ  作者: 八握 紫電
黒帯のジュドウ
22/24

6-03

 『やどかり』亭の二階、窓辺からのか細い月明かりの下。

 広げられたそれは、まるで絵図面のような書面であった。

 丸、二重丸。その下に剣の印。海辺までを導く地図。

 果たし合いの申し込みであることは、ジュドウとて容易にわかった。

 丸は太陽、二重丸は月。つまり今夜、浜辺にて。

 封書は上等な羊皮紙で、赤蝋の封印が施されていた。

 宛名以外、差出人についてわかるような物はない。

 しかし差出人を、ジュドウは理解していた。


 アルブレヒト=プティパ。


 確か、そういう名前であったように思う。

 空色の上衣、突剣を腰に佩いた、鍔弘帽子の伊達男。

 客観的に見れば、さしたる因縁のある相手ではないだろう。

 二度、会話ともいえぬ会話をしただけの人物だ。

 手紙を丁寧に折りたたみ、ポケットの中へと押しこむ。


 ジュドウには予感があった。

 避けられないだろうと、そう思っていたのだ。

 大きく、息を吐く。

 ジュドウはゆっくりと立ち上がると、そっと部屋の扉を開け、階下へと向かう。


 今夜の酒宴も、実に賑やかだった。

 何か良いことがあったわけでもないが、歌を唄い、大いに呑んで、騒いだものだ。

 しかし夜も更けた今となっては、店内はしんと静まり返っている。

 料理の皿、空になった盃、瓶が散らばる中、幾人かが酔い潰れ、眠りこけていた。


 ジュドウは、微かに笑った。


 彼はまず、厨房で椅子に座ったまま眠っている、ベルスに対して一礼をした。

 彼女がいなければ、自分はこの地で衣食住を手に入れることは困難であったろう。

 続いてテオフィルと、窓の外のゴーティエに一礼。

 思えば彼ら二人は、この地について初めて得た友人であった。

 店の片隅、椅子に深く腰掛けて寄り添うように眠るアダン、ミルタに一礼。

 彼らと知己を得られたのは正しく奇縁によるものだ。貴重な出会いだ。

 そして――――……。


「……ド……ゥ……」


 円卓に突っ伏すような形で、彼女は其処にいた。

 手元には、裁縫道具。そして一着の胴衣。

 酒宴の後も縫っていたのだろうが、片付ける前に睡魔に負けてしまったようだ。

 帆布で出来たそれは飾り気が無く、しかし丈夫である。

 拙いながらもしっかりとした縫い目は、彼女の性格と想いの表れだった。

 そして左胸には真紅の糸が、丸く縫い取りされていた。


 ジュドウは、それを信じられない物を見るように眺め、そっと撫でた。

 ジゼーレは、何か、紋様の類を作ろうと試行錯誤していたのだろう。

 赤い背景に、例えば雷霆とか、竜だとか、家紋らしきものを。

 しかしその過程――決して完成品ではないそれは、ジュドウに太陽を思わせた。

 それが自分の物である、と思うのは……自惚れであろうか?


「行くのかね?」


 不意に、闇の底から響くような声があった。アダンである。

 眠っているとばかり思っていた死人占い師が、暗がりからジュドウを見ていた。


「死とは長い眠りのようなものだ。私は最早、眠る事はないのだよ。

 わかっていると思うが、行けば戻れんぞ、君は」


 驚いたように顔を硬直させる彼へ、アダンは乾いた笑い声を漏らす。


「何も負けると言っているわけではない。勝負を超越した、その上だ。

 天上の指し手は、より盛り上がるもの、盛り上がることを求めるだろう。

 なにせ私が前座だ。彼を乗り越えても、次は竜、悪魔、或いは――…………」


 アダンは言葉を区切り、ゆるやかに首を横に振った。


「私は、まあ、わかっていて再び『盤』に降り立った身だ。

 だが、君はまだ、自ら選んだわけじゃあない。『駒』にならぬ事もできる。

 違う『マス』に身を置く事もできようさ。今ならな。だが、待ったは無い」


 それは死人占い師の、己が探求に身を捧げた男の、心からの気遣いだった。

 言葉はわからずとも、それくらいはわかる。伝わる。理解できる。

 ジュドウは目を閉じて、ゆっくりと息を吸い、吐いて、瞼を開けた。

 どうするかは、もはや考えるまでもない。

 彼は、そっとジゼーレの傍から、その白い胴衣を手にとった。

 ジュドウはぎゅっと唇を噛み締めると、ジゼーレの胴衣に袖を通す。

 誂えられたそれは、シャツの上からぴったりとその体躯を覆った。

 釦もつけられていない為、前を閉じるのに必要なのは、帯だ。

 迷いは無い。

 彼は自分の物入れを探り、それを取り出して、しっかりと前で締める。

 あの時ジゼーレから託された彼女の腰帯。

 黒帯(ブラックベルト)を。


 ジュドウは笑った。

 これで良いという笑いだった。

 それが、彼の答えだった。


「……そうか」


 灰衣の死人占い師の眼窩に灯った鬼火が、眩しそうに細まった。

 その手が燃える炎の瞳が輝く杖を手繰り寄せ、複雑に印を結ぶ。


「若き異邦人よ。君の骰子が、良い目に転がる事を祈る」


 ジュドウは頷いて、最後にもう一度全てを見回した。

 ベルスを、テオフィルを、ゴーティエを、アダンを、ミルタを。

 そして最後に、彼女を見た。

 ジゼーレ――卓の上に突っ伏すようにして眠る、黒髪の少女騎士。

 別れは告げた。もうこれで良い。

 ジュドウは静かに扉を開けた。途端、唸るような風が吹き込んでくる。

 足早に彼が外へと踏み出し、残された酒場の中で、アダンは深く息を吐いた。


「……さて、私の手は打った、が」

「ジュドウ様の事を仰られているのですか?」


 ふと主が呟いた言葉に、乱れた神官衣を正しつつ、ミルタが椅子の上で身を起こした。

 闇の中で煌めく鬼火のような瞳が、何処か陶然としたようなミルタの顔を照らす。


「まさに」


 我が意を得たりと、アダンは満足気な様子でゆっくりと頷いた。


「まったく……。先刻の忠告もまるで無視して、ジュドウ様に胴衣を渡してしまうなんて」

「そう言うな。男というのは単純なもので、士気が昂ぶるのだよ」


 アダンの歯がカタカタと鳴っているのは……笑っているのだろう。


「さて、彼の登場は、果たして天上の指し手どもが意図した事なのかどうか。

 もしそうでないのなら、連中の棋譜は大層に乱れ狂う事であろうよ」

「意地の悪い……」


 神々を嘲るような言葉に、ミルタはそっと眉を潜めて呟く。

 もはや信仰などあってないようなものだが、彼女は女僧侶であった頃を忘れていない。

 だが、アダンはそれに頓着しない。

 元より彼にとって神々とは、対等なる者だ。


「チェスの場合、駒の数は決まっている。盤から減りこそすれ、増えることは無い。

 だが何かの間違いで、新たな駒が打たれてしまったら、どうなるだろうな。

 それもチェスではなく……例えば、双六(バックギャモン)か何かの駒が、だ」

「それでは、遊戯にならないではありませんか」

「まさにだ、ミルタ」

「…………あら」


 不意に死人占い師の骨ばった腕に抱き寄せられ、舞姫の女王が娘らしく頬を染める。

 アダンは、心からの喜びと信愛を込めて、笑った。


「――まさに、『盤』狂わせという奴だな」


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