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少女騎士と黒帯のジュドウ  作者: 八握 紫電
黒帯のジュドウ
21/24

6-02

「あの顔の相を見る限り、この『マス目』辺りの者でない事は確かであろう」


 アダンは杯を掌中で回しながら呟いた。赤いぶどう酒が、ぐるりと波打つ。


「いつだったか探索を共にした蛮族の猛者に、やや似ている気はするがね。

 彼は剣一本で冠を勝ち取るに至り、玉座を踏み躙り、詩にもなったものだが……」


 太古の昔、彼が繰り広げた数々の冒険譚、巡りあった英雄達。

 死人占い師は鬼火のような目を細めて、遥か遠い過去へと意識を飛ばす。


「はい、お待ちどう様!」


 その目前へ、ベルスが香ばしい匂いを漂わせる大皿を、どんと置いた。


「今日の肴は焼き藤壺ですよ!」

「ほぉ、藤壺とな」


 見れば成程、網で焼かれたと思わしき、貝に似た白身が山のように盛られている。

 漂う香りは海の潮のそれだ。ぷりぷりと肉付きが良く、噛むと弾けてしまいそうな程。

 これは面白い。そう言わんげに、アダンは卓上へと身を乗り出した。

 その様子に、ベルスはくすくすと可笑しそうな調子で声を上げて笑う。


「けどアダン様、領主様に『パンはいらない』と仰っていたのに」

「必要が無いだけであって、食べられんわけではないさ。どれ……」


 骨の指先で一つを摘み上げ、興味深くその様を観察したアダン。

 彼はぽいと空洞のような口内へ放り込み、あっさり藤壺を呑み込んだ。


「……ふむ。珍味の類だな、これは。悪くない」


 評価は上々。

 死人占い師の感想を聞いて、近くの卓にいた漁師達がわっと歓声をあげた。

 彼らが取ってきたものなのであろう。アダンもまた酒盃を掲げて感謝の意を表する。

 するともう、やんややんやの大喝采だ。


「やれやれ、賑やかになったもんだね、うちの店も」


 夕暮れ時の『やどかりの寝床』亭は、いつにも増して繁盛していた。

 これまでも決して評判は悪くなかったが、あの試合以来、客足は増えるばかり。

 あのジュドウと同じ酒場で飯を食った酒を呑んだというのは、話の種になるのだろう。

 それに波止場地区の人々にとって、彼と同じ場所に住むことは、それだけで自慢だ。

 なにせアダンを褒めれば、彼に打ち勝ったジュドウの株が上がる。

 二人の株が上がれば、彼らに魚を食わせる自分達の株が上がる。

  結局、彼らの上機嫌の踏み台にされているのだが、アダンは気を悪くした風もない。

 漁師たちが過去の釣果の大物比べを始めた所で、ベルスが申し訳無さそうに苦笑した。


「すみませんね、アダン様。どうにも、荒くれた奴ばっかりで……」

「構わんさ」


 ぶどう酒を流し込むように煽り、藤壺を摘んで放り込みながら、彼は愉快そうに言う。


「大昔の冒険者だった頃、通った酒場を思い出すよ。あれは実に楽しかったものだ」

「そう言ってくれると助かります、けど……」


 言いつつ、ベルスがじろりと視線を向けた先は、窓辺の席。

 そこに陣取る、伊達かどうか、大剣を背負った冒険者だ。


「……あんた達は、冒険に出なくって良いわけ?」

「おいおい、ベルスちゃん。まるで俺ら冒険してないみたく言わないでおくれよ」


 半ば麦酒を飲み干した杯で卓を叩きながら、テオフィルは不満げに言った。

 ベルスは悪びれもせずに鼻を鳴らす。


「だってあんた達が依頼を請けたーなんて話、聞かないもの」

「最近はゴブリン退治くらいっきゃないし、アレは面倒くさいからなぁ」

「オラァ、アダンの旦那ンとことの使いっ走りで、十分だぁよ」


 言い訳がましいテオフィルに続き、胴間声で外から応じるのは巨人のゴーティエだ。

 酒場の軒先にどっかと座り込んだ彼は、ぶどう酒の樽を杯代わりに楽しんでいる。

 店内に入ることはできずとも、彼とて立派なベルスの客だった。


「なあ、友だち?」

「おうよ、友だち!」


 彼らは開け放たれた窓を通して顔を見合わせ、愉快そうに笑い合う。

 ここ最近、二人は公爵の書簡を携え、しょっちゅうアダンの邸宅とを往復している。

 危険を乗り越えている筈なのに、成長した風が見えないのはどういうわけだか。

 ともあれ、今ではすっかり『やどかり』亭の常連だ。

 テオフィルが窓辺の席を陣取る事に、文句を言う手合がいよう筈もない。

 四六時中いるわけではないし、来るときは遠くからだって見てわかるものだ。


「……では、慣れてきた頃に、またぞろ地下迷宮の一つでも作るかね」


 そんな彼らへ冷水を浴びせるように、アダンがニヤリと顎骨を持ち上げる。


「怪物に殺されたら殺されたで、私の配下に加えてやるから、安心し給え」


 げっと冒険者二人が顔を引き攣らせて呻くのを見て、漁師たちが声を上げて笑った。

 笑われている当人達まで、それに追従して楽しげに笑うのだからどうしようもない。


「しっかし、王様と似たような相、ねぇ……とすると、だ」


 呆れたようにその騒ぎを眺めていたベルスが、不意ににんまりと頬をゆるめる。


「ジュドウは本当に王子様かもしれないよ、ジゼーレ?」

「……話しかけないで。集中できないじゃない」


 返事は、店の一番隅からあった。

 卓上に広がった布やら針やら糸やらに半ば埋まるようにして、ジゼーレはいた。

 隣に女司祭を伴って、懸命に手を動かしながら、彼女はじろりと親友を睨みつける。


「それに彼が王子でも、何でも、私には関係ないもの」

「ほら、よそ見をしてはダメですよ」


 不貞腐れたようにして更に何か言い返そうとするジゼーレを、ミルタがそっと窘めた。

 彼女はその美しい指先をそっと伸ばし、ジゼーレの手に重ねるようにして導いていく。


「ええ、そう、そこで針を返して……お上手ですよ、ジゼーレ様」

「……あんまり、褒めないで下さい。大した事ないのは、わかってるから」

「あらあら。でも、お世辞ではありませんよ?」

「だから、褒めないで下さい」


 照れくさそうに頬を薄く染めながら呟くジゼーレを、ミルタは柔らかく微笑んで見守る。

 容姿も境遇も性格も、似ても似つかぬ二人だが、こうしていると姉妹のよう。


「ほほう、どれ、どれ。私にも一つ見せてもらおうか」

「んー……白だけってのは地味じゃあないか?」


 途端、先程まで騒いでいた酔客――アダンとテオフィルが寄ってきた。

 ゴーティエも窓の外から興味津々と言った様子で覗き込む。

 二人が姉妹なら、周りの彼らは親戚の叔父どもだなとベルスは笑う。

 ――いや、とするとあたしは叔母さんか? それは嫌だなぁ。


「だって、練習だもの」


 と、縫い針を動かす手を止めてジゼーレは抗議の声を上げた。

 縫い合わされる途中の帆布を、形が崩れないようそっと押しのけて。


「最初から染め布を使って失敗したら、勿体無いじゃない」

「ま、それも道理だね」


 彼女が殆ど裁縫をしない事を知っているベルスは、猫のような笑みを崩さない。

 ミルタが窘めるような目を向けるが、ひらひらと手を振るだけだ。

 なにも邪魔したいわけではない。

 妹分が頑張っているのなら、応援の一つはしたいものだ。


「にしても、男物の胴衣、ね」

「ジュドウのよ」


 わかっているんでしょうと言いたげに、ジゼーレは唇を尖らせた。

 ベルスも、だからこそ問いかけたわけだけれど。


「彼の詰襟、ボロボロになってしまったし」

「む…………。それを言われると、私としては耳が痛むところだ」


 アダンが、その髑髏の頭を撫でて言った。

 骨の顔からは察するしかないが、すまなさそうな表情をしているらしい。

 ジゼーレは困ったように身をすくませる。


「すみません、アダン様。咎め立てるつもりは、なかったのですけど……」

「良い良い。ま、代わりと言っては何だが、手伝いを――」


 言いかけた顎が、カタカタと音を立てて言葉を途切れさせる。

 不思議そうに首を傾げるジゼーレへ、ミルタが何でもありませんよと呟いた。

 その声が妙に冷たく聞こえたのは、気のせいであろうか?


「手伝いを、なんですか。旦那様」

「するのも僭越だろう。なので一つ言わせてもらえるのならば、やはり、紋章がいるな」

「紋章、ですか?」

「家系云々を抜きに、我は此処に在りという証になるからな。武芸者なればこそ、だ」

「証……」


 呟きながら、ジゼーレはなんともなしに、自分の胸元をそっと撫でた。

 平服であるから上衣は着ていないが、小さく黒地に白の鳥が刺繍されている。

 これはグリジ家の、父や祖先から受け継いできた紋章だ。

 確かに、そうだ。

 ジゼーレにとって、自分は何者であるかを定義するのに、大切なものの一つだった。


「ああ、見栄えや伊達ってのは大事だからな」


 わかっているのかいないのか、赤らんだ顔でテオフィルが賛同する。


「やっぱこー、なんだ、ひと目でコイツだ! ってわかると、名も売れるからなぁ」

「ああ、海賊のぶっちがいとか?」と、ベルス。

「そうそう、俺のこの大剣とかな」


 笑って、テオフィルは背負った剣の柄を撫でる。

 伊達かどうかはさだかでないが、見栄えを気にしての装備ではあったらしい。


「で、それ使えるの?」

「伊達だぜ、伊達。中身木剣だよ」


 呆れた、と呟くベルスに、彼は別に良いじゃないかと胸を張る。


「そうですね……」


 ミルタが唇に人差し指をあてて、考えこむように声を漏らした。


「白地だから、青か、赤か、目の冴えるような鮮やかな色が良いでしょう」

「どうせなら竜の模様でも入れようぜ」

「もしくは、うちの看板の『やどかり』だね」


 皆が口々に言う台詞に、ジゼーレは柳眉を立てた。


「もう、みんな好き勝手なことばかり言って……!」


 と言っても、言葉ほどに語気は強くない。そもそも、目が笑っている。

 暖かな灯に照らされて、酒場で、様々な人と騒いで、笑って、ふざけて。

 ほんのすこし前には、ありえなかった事だ。

 原因は考えるまでもあるまい。


 ――ジュドウ。


 ジゼーレはなんともなし、白い胴衣を撫でて、心の中で彼の名を呟く。

 彼が何もかもを変えたように思える。何もかも、すべて。

 二人の冒険者は、もしかするとジゼーレの手で切り伏せてしまったかもしれない。

 アダンとミルタ、彼ら二人は、ジュドウがいなければ森の奥で隠棲したままだろう。

 ベルスはいつも通りだけれど、お店がより繁盛したのはジュドウの試合の結果だ。

 そして、ジゼーレ。

 彼との出会いは、自分に何をもたらしたろう。

 ジュドウと出会って、そして――…………。


「あんのォ。もりあがってっとこ、悪ィんだけどなァ」

「ひゃっ!?」


 と、不意に彼女の思索を打ち破ったのは、窓の外からの間延びした胴間声。

 見ればゴーティエが、その大きな顔を窓にぴったり近づけて覗きこんでいる。


「あ、な、なにかしら、ゴーティエさん!」


 ジゼーレは不意をつかれ、浮ついた声を整えながら問いかける。


「おらァ、白が好きだぁよ。そいと、こいつがちとばかし大事なんだが……」

「友だち、要点を言え、要点を。大事なことを、最初にだ」


 横で聞いていたテオフィルが、慣れた調子で茶々を入れた。


「おう」


 巨人がうっそうと頷いて。


「あんな。向こうのほうから、もう、ジュドウが走って来てるど」

「ッ――――――――!?」


 さっとジゼーレの顔に熱が昇り、その頬が朱色に染まる。


「か、隠さないと! まだ、全然できていないのよ……!」

「別に良いではないか」


 アダンが藤壺の最後の一つを無造作に摘んで口へ放りながら、のんびりと言った。


「見られて困るものでもあるまいに」

「旦那様。中身のわからない宝箱の方が、面白いものですわ」


 苦笑した従僕の言葉に、死人占い師は「一理ある」と関心したように頷く。

 そんな二人を他所に、ジゼーレは大わらわだ。

 針や糸を外そうにも中途半端で止めたのが災いして、このまま隠す必要があるらしい。


「そう、だけど…………とにかく、隠す場所を……!」

「はい、はい、今、箱を持ってきてあげるからね」


 ベルスが笑いながら厨房の奥へ向かう一方、店の入口へ飛び出すのがテオフィルだ。


「おい友だち! 時間稼ぎだ、時間稼ぎ! ジュドウを足止めだ」

「ほい来た友だち! ……で、どうやんだべ?」

「なんでも良いからテキトーに話しかけとこうぜ!」


 その賑やかさときたら、遠くからでも一目でそれと判るほどだ。


 ――――そして、ジュドウがやって来る。


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