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1-02

 『やどかりの寝床』亭は城壁外側に突き出た波止場地区の、小さな酒場であり、宿だ。


 店名は先代の亭主が「身の丈にあっているから」と名づけたものだという。

 それが文字通り亭主の身長か、店の大きさか、公爵領の広さなのかは、定かでない。

 実際クルランド公爵領は海に面した城塞都市と、周辺にある農村だけの小さな土地だ。

 神代の頃より続く秩序と混沌の戦いが、ひとまずの終わりを見せてから十余年。

 かつて軍港であったこの城塞都市も、今では大陸の玄関口として栄えている。

 船乗り、旅客、商人、娼婦、人足、運送屋などが絶え間なく訪れ、去っていく街。

 その為『やどかりの寝床』も、王都の下手な酒場より大いに繁盛していた。


 夕立が通りすぎた雨上がりの波止場に、ざわざわと喧騒が満ちていく。

 宵の口ともなれば、どの酒場も客を取り逃すまいと開店準備に動き出す。

 無論『やどかりの寝床』とて例外ではない。

 小じんまりとした店は橙の灯で暖かく照らされ、海鮮料理の香ばしい匂いが漂い出す。

 その貝殻めいた三角屋根の酒場にジゼーレが飛び込んだのは、まさにそんな時だった。


「まったく、ジゼーレが大慌てで駆けて来るから何かと思えば、男拾ってくるとはねー」


 赤い癖毛を後ろで括った、前掛けに短袴姿の少女が、くすくすと笑いながら杯を磨く。


「その言い方は語弊があると思うの」


 彼女を、薄手の鎧下姿になったジゼーレは円卓に頬杖を突いて眺めた。


「もちろん迷惑をかけたのは、謝るけれど」

「迷惑そうに見えてるなら心外だなぁ」


 『やどかりの寝床』を一人で切り盛りするベルスは、はしばみ色の片目を閉じた。


「大事な妹分なんだしさ?」


 ジゼーレは不貞腐れて唇を尖らせる。確かに彼女はベルスに頭が上がらない。

 実際彼女は年上で、小さい頃から面倒を見てもらい、背丈だってジゼーレより高い。

 赤い癖毛を後ろで括った、そばかすのある、はしばみ色の瞳の彼女。

 木葉のように尖った耳、くるくるとした巻き毛、そして素足で音もなく走る。

 スラリとした美女であるにも関わらず、彼女は圃人(ホビット)なのだ。

 人の半分ほどの背丈が常で、丸々とした体躯の圃人の中では、かなりの大女である。

 確か、当年とって三十歳だとジゼーレは聞いている。

 圃人の寿命は人の二倍というから、単純に割って考えればジゼーレの一つ年上だ。


 傭兵騎士だったジゼーレの父と、かつて冒険者をしていたベルスの父は懇意だった。

 その縁でジゼーレは良くベルスの元に預けられ、面倒を見てもらっていたものだが……。

 最近では、明るく元気なベルスを目当てに『やどかり』を訪れる船乗りも多いらしい。

 噂の真偽はわからないけれど、ジゼーレとしても真実だろうと思う。

 ベルスは彼女よりも、はるかに女性的だ。体付きも、心配りも、何もかも。

 短袴から健康的な脚も露わに店を駆け回る姿は、実際、女性から見ても魅力的だ。


 ――同年代で、この体躯の違いはどうなのかしら。


 などと、ジゼーレは小さく息を漏らしてしまう差である。


「……私は妹かもしれないけれど。でも、彼は違うでしょう?」


 そう言って、ジゼーレは砂浜で倒れていた異人の少年へと目を向ける。

 彼は、椅子を三つ並べて毛布を敷いて拵えた、寝台の上に寝かされていた。

 死んだようにぴくりとも身動きせず、こんこんと眠り続けたまま。

 今少年が着ているのは、ベルスが宿賃代わりに貰った船乗りの衣服だ。

 彼の詰襟は脱がされ、ジゼーレの上衣と鎖帷子ともども暖炉の上で乾かされている。


「あたしとしては格好良くて逞しい男の人なら、迷惑とは思わないかなー」


 応じて、ベルスはにんまりと笑う。

 着替えさせるのは、ジゼーレが顔を赤くして俯いてしまった為、ベルスがやった。

 その時に現れた鍛えられた肉体は、生半な鍛錬で身につくようなものではない。


「見たこともない黒い髪。目も真っ黒なんでしょう? 異国の雰囲気だよねぇ。

 これでもう少し背丈が大っきければ、女の子も放っておかないでしょうに」

「そうかしら?」


 ジゼーレは訝しげに首をかしげる。顔立ちだけで人の心が図り知れるとは思えない。

 が、ベルスはそれを違う意味にとったのだろう。猫のような笑みをさらに深める。


「ああ、ジゼーレは『このまま』で良いんわけだ」

「……変に邪推しないでよ。ベルスはどうなの?」

「あたしの好みは、逆にもっと背が低くてたくましい人」


 ジゼーレは溜息を吐いた。精悍な美丈夫たる事を圃人に望むのは、些か酷だろう。

 元来彼らは陽気な種族で、身体を鍛えるより歌と踊りと食事と睡眠を好む気質なのだから。


「それよりジゼーレ。騎士団とか領主に報告しなくて良いの?」

「え、っと、それはそう、なんだけど……」


 ぽんと投げられたような質問に、ジゼーレは目を泳がせた。

 確かにそれは事実そうだが、今の彼女はあまり他の騎士たちと顔を合わせたくない。

 だが、かといって個人の心境を理由にするのは、あまりにも恥ずかしい。


「もし沖で船が沈んでいるのなら、もう報告が来てると思うし……」


 結局、ジゼーレの口をついて出たのは、そんな言い訳がましい言葉だった。


「ああ、それもそうね」


 くすりと笑って、ベルスはそれ以上何も言わなかった。

 料理の様子を見に行くと彼女が厨房へ引込み、ジゼーレはほっと息を吐く。


 ――見透かされてるなあ。


 何もかも彼女は承知しているのだろうと思うと、自分がまるで子供のようだ。

 しかし、それが居心地が良く、ありがたいのも事実だった。


「……ウ、ム」


 と、不意に彼が呻き声をあげた。

 そして危なっかしい様子で椅子の背もたれに手をかけ、起き上がろうとする。


「……気がついた!」


 パッと傍に飛んだジゼーレは、彼の背に腕を回して支えてやる。


「大丈夫ですか? 海辺に倒れていたんですよ」


 触れた掌に伝わる、しっかり鍛え込まれた背筋の逞しさに、若干声が動揺する。

 別に、訓練などで同僚の男性騎士の肉体は、見慣れているのだが。

 それを誤魔化すため、彼女は努めて義務的な口調でもって続けた。


「わかりますか? 此処は、クルランド公爵領です」


 少年はぼんやりとした様子で、ジゼーレのことを見返した。

 黒髪、青い瞳、顔、胸元、鎧下、腰の剣――……。

 観察されている。その事実に、ジゼーレの頬がさっと赤く染まる。


「私は、ジゼーレ=グリジ。この公爵領の騎士で――……」


 ぼうっとしていた少年の瞳が、ゆっくりと焦点を結ぶ。

 さては言葉が通じたのかとジゼーレが喜んだのもつかの間。

 彼の口からは必死な様子で、異国の奇妙な言語がほとばしった。


「ちょ、ちょっと待って。ジュ……ド、クローブ……何? もう少し、ゆっくり……」


 聞いたこともない言語の群れは、彼女の耳では汲み取れない。

 混乱して静止するように掌を突き出したジゼーレに、少年は我に返ったか、慌てて頷く。

 どうやら、言葉が通じない事を理解してもらえたようだ。

 幸運にも、彼は存外に聡い。教育を受けているに違いないようだ。


 ――身形からしても、上等だものね。


 少し考えた彼は、次に身振り手振りで、何やら袋のようなものを示してきた。


「あ、そうか。そうよね」


 それもそうだとジゼーレは頷いた。まず自分の荷物が気になるのも当然だろう。


「あなたの服は……ほら、あそこ。今、乾かしているところよ」


 彼女は暖炉の上に吊ってある詰襟を示した。

 しかし彼が興味を示したのは、その横に下がった上衣と鎖帷子であった。


「え、っと……」


 少年にしげしげと自分の鎧を眺められるのは、なんとも気恥ずかしい。

 ジゼーレは目を彷徨わせると、こほんと軽く咳払い。


「後は……これね。他はなかったと思うけれど」


 そしてもうひとつ。彼が寝台にしていた椅子へ立てかけるように置かれた、背負鞄。

 少年を馬の背へ押し上げた時は気づかなかったが、やはり見たことのない意匠だった。


 ――遥か東方では、上等な布地を織る事ができるというけれど。


 海水に濡れても染み込んだ様子はなく、こんな生地をジゼーレは知らない。

 差し出された鞄を嬉しそうに受け取った彼は、すぐさま荷物を確認し始めた。


「開いたままだったのは、ごめんなさい。どうやって閉じれば良いかわからなかったの」


 だから中身も散らばっているかもしれないが、探している余裕は無かった。

 彼が次々と鞄から取り出してく品々は、やはり明らかに異国のものである。


 まず複雑に折りたたまれた何かの仕掛けと、馬車のそれより小さい車輪が二つ。


 次いで筆入れと思わしき巾着。それに帳面と書物とが数冊ずつ。

 やはり学のある、それなりに地位の高い者だとジゼーレは確信する。

 読み書きができるのもそうだが、何より、彼が持っている本ときたら!

 はっきり印刷された活字、色鮮やかな挿絵の数々、綺麗な装丁……。

 とてもではないが、平民が何冊も手に入れる事ができるようなものではない。

 何処かの武官か、貴族か……いずれ高貴な身であるように、ジゼーレには思えた。

 しかし、彼の目当ての物はなかったのだろう。しょんぼりと肩を落とし、鞄を閉じる。


 驚くべき事がもう一つ。

 鞄の口の細かな歯は、端の金具を滑るように動かすとぴったり噛み合ったのだ。

 成程、そうすれば良かったのかとジゼーレは頷いた。実に奇妙な細工だった。


「――あ、そっちの子、目が覚めたんだね」


 ちょうど良く、ベルスが厨房からひょっこり顔をのぞかせた。

 手にした盆には湯気の立つ椀と、馬克杯(マグカップ)。ほのかに漂う甘い香り。


「はい、これ。いきなりだと胃がびっくりするかもしれないからね」


 どん、と彼の前に置かれたのは牛乳粥だ。

 彼は驚いた様子で、ベルスと椀とジゼーレとを見比べる。


「ん、どうしたの。食べ方わからないって事はないと思うけど……?」


 彼の意図は掴みかねて、ジゼーレは不思議そうに首を傾げた。

 が、その疑問も少年が鞄から札入れを取り出した事で理解する。


「ああ、良いのに、お代なんてさ」


 ベルスが苦笑しながら、しかし種族生来の好奇心から札入れを覗きこんだ。

 中身は微細な絵の描かれた紙の護符と、幾種類かの大小様々な貨幣だった。

 金貨にも見えなくもないものはあるが、どれもこの国で使われているものではない。

 代金を支払おうという意志からの行動であったが、彼もその事実に気づいたらしい。

 困ったように頭を掻く仕草を見かねて、ジゼーレは手を伸ばした。


「これ、多分銅貨ね」


 細い指でもって、混ざりあってる数十枚の貨幣から、一枚を指し示してやる。


「黄銅に白銅もあるみたいだから、目方を量らないと両替はできないけれど」

「お、ホントだ。……じゃあ、そうだね。気持ちだけってことで、一枚貰おうかな」


 ベルスが頷き、銅貨の中から赤金色をしたものを一枚摘みとった。

 月桂冠と何処かの神殿が緻密な彫刻で刻まれたそれは、芸術品のようにも見える。

 少年は感極まったような表情でジゼーレとベルスに向き直り、深々と頭を下げた。


「もう、そんな畏まらなくたって……」

「良いじゃないジゼーレ。お礼ってのは、ありがたく受け取っとくもんだよ」


 謙遜するジゼーレに、ベルスはおかしそうに言う。


「はい、ジゼーレにはこっち」

「あ……」


 差し出された馬克杯を両手で受け取りながら、ジゼーレの顔がほころんだ。

 温めた牛乳に、命水酒(ブランデー)と蜂蜜が垂らしてある。

 ジゼーレは小さいころから、ベルスの作ってくれるこれが好きだった。

 誰でも作れるものだが、ベルスの作ったものこそが特別だった。


「ジゼーレも彼も、何があったのかは知らないけど、くよくよしちゃダメだからね」

「……うん。ありがとう」


 顔に出ていたのだろうか。そっと頬を撫でるジゼーレに、ベルスはひらりと手を振った。

 静かに口を馬克杯へつけると、安心するような甘みと暖かさが広がっていく。


 そうとも、グズグズと悩んではいられない。


 御前試合からの選考漏れは、研鑽を積んで評価を改めるしかないのだ。

 そして何より、彼――美味そうに食事にありついた、異国の少年という問題もある。


 彼はぱしりと両手を合わせる奇妙な一礼の後、匙を取って粥を食べ始めていた。

 実に美味そうな様子で、それ自体は、まあ、良いのだが。

 身元の不確かな外国人を、城塞都市内へ入れるわけにはいかない。

 かといって送り返そうにも国もわからないでは、手の施しようもない。

 となれば、城壁外である波止場地区に留め置く事になろうが……。


「……その後、どうなるのかしら、彼」


 ほどなく、ベルスが看板に吊るした角灯に火を入れ、店を開けた。

 どやどやと客達が入り、小さな店内はあっという間に満席になる。

 賑やかで、楽しげで、心地の良い雰囲気だ。

 酒を飲み交わす船員、料理に舌鼓を打つ人足、やっと寛げるといった風の旅人。

 そうした人々を物珍しげに眺めていた少年が、不意にぎょっと目を剥いた。

 職業的な理由で客人達を観察していたジゼーレも、さっとそちらに視線を向ける。


 だが、すぐに警戒する必要が無いことはわかった。

 彼はきっと、よほど田舎か、辺境の異国から来たに違いない。


 ――森人(エルフ)小人(ドワーフ)蜥蜴人(リザードマン)って、そんなに珍しいのかしら?


「あれは冒険者よ。冒険者。……わかります?」


 一音ずつ区切って伝えるが、無論わかってもらえるとは思っていない。

 さりとて、何もジゼーレは彼をからかっているわけでもない。

 人助けは、何もその場で助けたから終わり、とはいかないのだ。

 命を救ったのであれば、救ったなりの責任を果たすべきだろう。


「……そうね。何とかしないとね」


 そう呟くジゼーレの顔に、ようやく笑みが浮かんだ。

 有り体に言えば、興味が湧いていたのだ。この不思議な少年に。


 その時、店の外で物が砕ける音がして、ベルスの悲鳴が上がった。

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