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5-07

「はっはっは、異国の者が婦人の為に魔法使いと戦うか」


 ゆらりと揺らめくように平然と、死人占い師が立ち上がる。

 その声は軽やかで、敗者であるにも関わらず、実に爽やかなものだった。


「英雄譚だなぁ。負けるのも道理、道理」

「あら、旦那様。私が婦人ではご不満が?」


 と、影の中から浮かび上がった美しき女司祭――ミルタが、その身体を支えた。

 肢体を添わせるような仕草は、冷たい声と裏腹に、献身的なものだ。


「お互い英雄と美姫を演ずるには、純粋さが無かろうよ」


 大儀そうに息をつき、アダンは極められていた右手を解すように動かした。

 ようよう追い付いてきた粘菌をその掌でそっと撫で、影の中に沈めてやる。

 それにしても気になるのは、彼の術法であった。

 アダンとて、長年の探求の末に生命の構造を熟知するに至った身だ。

 同様の研鑽の積み重ねがなくば、あれらの見事な投技、絞技は編み出せまい。

 ましてや、ひとつひとつ、全ての技が極まっているとは、尋常ではない。

 一つの流派、つまり単一の人間では、此処まで骨子を練り上げるのは難しかろう。

 とすれば、幾つかの武術の組み合わせた物であると見るのが妥当。

 しかし、とアダンは否定する。

 このような武術を、アダンは未だかつて見たことも聞いたこともない。

 まさか死人遣いの類が開いた武術とも思えぬが――……。


「お、おお、そうだ、そうだ。そうであった!」


 アダンの思索を妨げたのは、甲高い喚き声だった。

 貴賓席からのそれに、アダンは鬼火のような目を細め、じろりと声の主を睨む。

 気圧されたように慄いたのは、無論、クルランド公爵その人であった。

 ごくりと生唾を呑み、それでも喋らんとする辺りは、評価すべきかどうかわからない。


「い、異国人! 褒美を――剣を与え、自由人として認めて遣わす!」


 クルランド公爵の意図は明らかだ。

 彼は術者を召し抱え、かつ自身の度量の広いところを見せつけたいのだろう。

 それは権力欲などという醜悪なものではなく、ただ只管に怯えに基づくものだ。

 見るからに気の弱い、心の細い男である。

 貴族などより小市民である方が穏やかに生きていけたろう男だ。

 しかしながら、彼は領主なのだ。なら、そうあらねばならない。

 秩序と混沌の争いにひとまずの決着がついたとはいえ、戦いに終わりは無い。

 いつまた怪物が現れ、悪鬼が蘇り、邪神の眠りが覚めるとも限らないのだ。

 ならばこそ魔道に通ずる、強者の助力は欠かせない。

 この愚かな公爵には、ジュドウの手妻も、アダンの魔術も、区別が付かない。

 精一杯に胸を張って威厳を保とうとする姿は、哀れでもあり、懸命でもあった。

 そして恐らく、彼はその全てを自覚した上で振舞っているのだろう。


 ――――成程。これが彼の道か。


 アダンは少しばかり、クルランド公爵への評価を改める。

 物の見方が、ほんの一刻にも満たぬ内に、ガラリと様変わりしたかのようだ。

 惜しむらくは見る限り、彼の娘たるバティルドはそう思っていない所だろう。

 公爵は腕を振り回し、勝利者たる異邦人へと手招きを繰り返す。


「近う、近う寄れ……!」


 しかしジュドウは、何も言わなかった。

 戦いを終えた以上、彼のやるべきことは一つしかない。

 ジュドウはただ真っ直ぐにアダンへと向き直ると、深々頭を下げ、礼をする。

 次いで貴賓席、そして観客席へ、都合、三度。

 彼の動作の意味を、果たして理解した者がいるだろう。

 勝利者たるはずの人物が、なぜ謝罪するかの如く頭を垂れるのか。

 混乱と疑問が渦を巻く中、ジュドウはさっと踵を返し、足早に練兵場を後にしてしまう。

 残されたのは、クルランド公爵だ。

 彼はただ呆然と、困惑した表情で立ち尽くすばかりであった。

 傍らで、バティルドがふんとあからさまに鼻を鳴らした。

 アダンは、溜息を一つ。


「公爵殿」


 彼はゆっくりとした動作で、哀れな公爵を見やる。

 死人占い師の視線を受けて、びくりとクルランド公爵は身を強張らせた。


「な、なんだろう、アダン殿!」

「生憎、私はもう久しく食物を必要としておらなんだ。パンは無用。なれど……」


 ――さて、何故に自分はこのような事を口にしているのだろう。


 アダンはカタカタと顎を鳴らして喋りながら、細やかな疑問に内心で首を捻る。

 俗世を離れ、政からも遠ざかり、後は朽ちても良いとさえ思っていたものだが。

 再び『盤面』へと関わる気になったのは、今の試合が原因に違いない。

 そう思うと、死人占い師は悪い気もしなかった。


「お困りの事あれば、森へと遣いを出されるが良かろう。

 この地に棲まう限り、文字通りの老骨ながら、微力を尽くさせて貰う」

「お、おお……! ありがたい、ありがたい、アダン殿!」


 感極まった公爵は、ぴしゃぴしゃとその膨れた手を打ち鳴らした。

 しかしミルタは、アダンの傍らで呆れたように溜息を吐く。


「旦那様は、また面倒が増える事を……きゃっ!?」


 不意に彼女の肢体、細い腰が、アダンの骨手に掻き抱かれた。

 驚いて娘らしい声をあげた彼女が見上げる主は、平然とした様子で頷いている。


「では、これにて失礼仕る。行くぞ、ミルタ」

「ちょ、ちょっと、旦那様……!」

「気分転換には積極的になった方が良い。お前の言葉ではないか」

「それは――……!」


 青白い頬を淡桃に染めた女王の抗議を遮り、死人占い師は高らかに笑い出した。

 不気味で、冷たく、低く、しかし活力に充ち満ち、何処までも響き渡る哄笑。

 それはまさしく、死の淵から蘇った亡者のあげる高笑いに他ならない。

 長く尾を引く残響を残して、二人の姿は影の中に溶け落ちて、消える。

 現れた時と同様、魔法使いの退去は、瞬きする程の時もかからなかった。


「……つまらない三文芝居だこと」


 当てが外れた。全てを眺めていたバティルドの感想は、その一言に尽きる。

 血が噴き、骨が砕け、臓腑の潰れるような死闘こそが、彼女の望みだった。

 そしてその結果として、あの異邦人が死に直面すれば直良かった。

 まあ百歩譲って、死ななくとも不具になれば良いと、そう思っていたのだ。

 そうすればジゼーレは悲嘆に暮れ、細面をくしゃくしゃにして泣くに違いない。

 或いは目論見通り、助太刀するべく武装していたジゼーレを咎め、捕らえても良い。

 牢獄に繋がれ責め苛まれていく彼女の心を弄ぶのも、十分に楽しめるだろう。

 だが、そうはならなかった――――ならなかった、のだ。

 理由は単純。アダンとか言うあの骸骨まがいが、手を抜いていたから。

 それを喜ぶ父も父だが……。

 何より、この興行を仕向けた自分は、これでは道化ではないか。


「もう、良いですわ」


 飽きた玩具を捨てるように観劇眼鏡を放り出し、彼女は扇子をぱちりと閉じた。


「わたくし、帰ります。邸まで送ってくださるかしら、ジゼーレ?」


 ――返事は無い。


「ジゼーレ? ……ジゼーレ!」


 振り返り、首を巡らせても、貴賓席に彼女の騎士の姿は見られない。

 思わず立ち上がったバティルドの視界の端に、青みがかった黒髪が翻る。

 ジゼーレ=グリジは、バティルドに一目もくれず駆け出していた。

 練兵場の客をかき分け、その外へ。ごった返した通路を、一心不乱に。

 何故か、などと考えるまでもあるまい。

 先に会場を後にしたのは、あの異邦人なのだから。


「……ジゼーレ」


 取り残されたバティルドの掌中で、扇子が音を立ててへし折れた。





 三々五々と帰路につく客をかき分けて、ジゼーレは走っていた。

 練兵場から外へと続く通路は酷く狭く、混雑して、彼の姿は見えない。

 ジゼーレの心の中で感謝、賞賛、様々な感情が入り乱れては消えていく。

 ただただ、せめて「お疲れ様」と、一言彼を労いたい一心だった。

 彼の力量が、公に認められた事が、嬉しくて嬉しくてたまらなかった。

 しかし唯でさえ背丈の低い彼女では、人混みの中を行くだけで困難だ。

 ましてや重たい鎖帷子、具足を纏っているとなれば尚の事であろう。

 押し合いへし合い、金具が引っかかり、潰され、揉みくちゃにされ……。

 そうしてようよう更衣室から外へ抜ける、ひと気のない通路へと辿り着く。

 ジゼーレの顔が、ぱっと明るく輝いた。

 襤褸のような天鵞絨の詰襟と、二輪の絡繰を傍らに、静かに行く後ろ姿。

 見間違えるはずが無い。


「――――ジュドウ!」


 無理からぬ事だが、喜びから声を張り上げたのがいけなかった。

 普段のジゼーレからは考えられぬ迂闊さで、爪先が石畳の堺に突っかかる。

 半ば突き飛ばされるような形で、彼女の体勢が大きく崩れた。


「あっ……」


 転倒を覚悟して思わず目を閉じたジゼーレだが、衝撃は来ない。

 恐る恐ると瞼を上げると、自分が逞しい腕に支えられた事に気がついた。

 ――ジュドウである。

 さっとジゼーレの頬に熱が昇り、朱が差した。


「ご、ごめんなさいっ! 私、その……」


 慌てて身を離すと、彼女の黒髪からふわりと柑橘の良い香りが漂う。

 ジゼーレは内心でハイジの配慮に感謝すると共に、己の鈍臭さを呪った。

 彼は声をかけられ振り返り、その瞬間、二輪を放って飛び出したに違いない。

 如何に小柄で華奢なジゼーレといえど、甲冑と合わせれば相応の重量になる。

 それを、彼に受け止めさせてしまった。疲れている筈なのに。

 昂っていたジゼーレの感情は、冷水を浴びせられたように一挙に鎮まる。

 伝えたくてたまらなかった言葉は、あっという間に悔恨に押し流された。


「あなたに、その、一言、言いたくって……」


 ――なんてダメなのだろう、私は!


 つんと鼻の奥に刺すような痛みが走り、目尻に熱いものが滲む。

 そうして涙が零れそうになる事そのものが情けなくて、悔しくて。

 ジュドウへの想いとも入り混じり、感情が昂って、抑えようがない。

 と、立ち尽くしたままの彼女の髪を、そっと無骨な指が撫でた。


「…………ジュドウ?」


 眼に涙を溜めたまま、ジゼーレはジュドウを見やる。

 気にするなと、疲れを感じさせない様子で彼は頷いていた。

 ジゼーレへと伸ばされた、ジュドウの右手。

 乱れた髪を不器用に整えるそこには、手巾が乱雑に巻かれていた。

 だが、それ以上の布が無かったのだろう。

 降ろされた彼の左手はそのまま、無残に焼け爛れた掌が垣間見える。

 ジゼーレの小さな胸は、締め付けられるように痛んだ。


「……貸して、ジュドウ」


 気づいた時、ジゼーレは思わず彼の手を取ってしまっていた。

 勢いのまま物入れを探り、膏薬を手にした彼女は、一瞬逡巡し――……。


「洗って、清めてあるから」


 言い訳をするように呟いて、騎士上衣(サーコート)を縛っていた腰帯を解く。

 長過ぎる気もしたが、躊躇って迷う時間が、彼女には耐えられなかった。

 ジゼーレは帯の中ほどに膏薬を塗ると、手早くジュドウの掌へと巻き始める。

 彼にじっと見つめられているような気がして、ジゼーレは顔を赤らめ俯いた。

 ジュドウの顔を、まともには見られない。

 彼の手を握っているだけで、気持ちがふわふわと奇妙に浮ついた。

 思えば、あの夜、ジュドウが彼女を守って巨人を投げ飛ばした時もそうだった。

 共に彼の二輪で海辺を駆けた時も。練兵場へ向かう道すがらも。

 何故なのだろうと考えて――ジゼーレは唇を噛み締めた。

 そうした事を意識しないよう努め、ジゼーレは一心に手当へ集中する。

 なぜそう感じるのかわからないまま、彼女は恥ずかしかった。

 ジュドウは――いつもの事だが――何も言わない。

 ただ黙って彼女に手当をされるがまま、布を巻き終わるのを待っている。

 帯を幾重にも巻いた手は不格好に膨れ上がり、それがまた、ジゼーレには辛い。

 やはり意地を張って焦らず、裂いてから巻けば良かったろうか。

 しかしジュドウは結びを軽く叩いて、満足したように頷いてみせる。

 なら、それで良いのだろう。ジゼーレは、ほっと安心したように息を吐く。


「ジュドウ……」


 赤くなった目尻を擦って、彼女は彼の名を呼んだ。


「…………帰りましょうか」


 二人は連れ立って歩き出した。雑踏の中を抜けて、波止場へ向かって。

 行き交う中で、ふと手が触れ合う。

 どちらからともなく指を絡めて、彼と彼女は手を繋ぐ。

 布地に阻まれて、ジュドウの手の熱は殆ど感じられなかったけれど。

 ジゼーレはこの時が長く続けば良いのにと、そう思っていた。


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