5-04
「存外、あっけない」
観劇用の遠眼鏡を当てていたバティルドが、面白くもなさそうに言った。
「あの奇妙な手妻は興味深くもありましたけれど、何という事もありませんわ。
結局、四『角』の魔法使いを前に、番狂わせは起きない、と」
「…………そうかしら」
ジゼーレは、知らずに呟いた。
「何か仰って、ジゼーレ?」
その小声を聞き咎めたのであろう。
バティルドは金の巻き毛をなびかせ、ジゼーレの方へくるりと振り返る。
もはや試合に対する執心は失せてしまっているらしい。
いえ、と。ジゼーレは首を横に振って応じる。
それは信頼でもあったし、祈るような言葉でもあった。
「彼は、やりますよ」
――それと同時だった。
三度、骸骨兵がジュドウへと跳びかかったのだ。
しかしジュドウは身を縮こまらせ、立ち竦むばかり。
それを眼にした観衆が、落胆と納得の溜息を漏らす。
ああ、これでもう見世物も終わりだ。
見給え、あの異人を。怯えて動けんではないか。
果たして、そうではなかった。
ジュドウは決断的に前へ飛び出した。
跳躍する骸骨兵の真下へ、身を滑り込ませたのだ。
その右手が、肋骨をへし折らんばかりに握りしめる。
左手が上腕骨を捉え、一気に釣り上げる。
踏みしめた素足が、砂を蹴散らし煙を上げた。
裂帛の気合。
奇怪な、呪文ともつかぬ叫びがジュドウの口から迸る。
次の瞬間、骸骨兵は宙を舞った。
ジュドウの肩に担ぎ上げられた骸骨兵が、勢いのまま放られ、砂地へ叩き込まれる。
衝撃とともに、明らかに砂と異なる白い破片が飛び散った。
骨盤への、致命的な一撃。
残された骨群も組み上がろうと必死に足掻くが……それで、終わりだった。
一瞬の沈黙。そしてワッと歓声が上がる。
無論のこと、真っ先に声をあげたのは波止場地区の面々であった。
「良いぞーっ! ジュドーゥッ!!」
ベルスが声をはりあげている。
「…………ふぅーむ」
死人占い師は顎を撫でつつ、反対の手で宙を撫でた。
するすると地底、影の中へと落としこむように骸骨兵の残骸を片付ける。
その所作には、ジュドウへの驚きと賞賛が隠しきれていない。
「今砕かれた骨は、北方の海賊王、赤毛のコナルのものだ。
いつぞやの冒険で私が墳墓を暴いて手に入れたものだが……。
しかし、無駄ではなかったな」
言いながら、アダンはその金色の杖を手繰り寄せた。
精密な彫刻が施され、幾重も細かい穴の穿たれ、見る者を虜にするような細工物だ。
ただそれだけで宝物としての価値があるだろう。
それを受けて、ジュドウもまた迅速な動きで体勢を立て直し、整える。
戦いはまだ終わってはいない。
互いに、一手ずつを打ち合ったまでに過ぎないのだ。
「察するに、だ」
アダンの木乃伊のような手が、杖に穿たれた穴を探る。
「そちらの術は、私のそれと似て非なる、というよりも魔術ではない。人体構造の応用であろう。
言葉持つ者というのは所詮、発条と歯車の精密に噛み合った絡繰に過ぎん。
動かぬ方向には壊れぬ限り動かぬし、動く方向には容易に動いてしまう。
先の術は、ただ『はずみ』をつけているだけだと見た」
それは、まさに正鵠を得た推察であった。
生命の神秘に限りなく近づいた死人占い師でなくば、見抜く事はできなかったろう。
しかしアダンは、だからといって油断することはなかった。
数多の探索を越えた老魔術師は、目前の相手を打ち負かすべく知恵を巡らせている。
まるではるか昔、未だ無名の冒険者であった頃に立ち戻ったかのようであった。
久しく忘れていた興奮を、アダンは心底から楽しんでいた。
実に愉快であった。
「では」
その外套に隠された口元に、アダンはそっと杖の穴をあてがう。
もはや明白だ。杖――否、これは金色の長笛なのだ。
「発条、歯車、言葉のいずれも持たぬ者であれば、如何に」
何もジュドウとて、むざむざと相手の魔術の完成を待つほど愚かではない。
だがしかし、その音色をどう表現すれば良いだろうか!
甲高く、ぴゅうぴゅうというそれは、口笛のようでもあり、しかしまるで異なるのだ。
身は強張り、背筋は凍え、耳を塞いでも貫き、歯を食い縛って耐えねばならない。
人の為の音楽ではない。
この場に居合わせた誰しもが、その事実を本能的に理解する。せざるをえなかった。
事の起こりは、ただ一点。
アダンの足元に横たわる影に、黒い滲みが生じた。
笛の音に合わせて地底から沸くように、徐々に染み出し、そして溢れ出る。
煮えたぎった湯のように泡立っていたが、しかしそう表現することは難しい。
それは黒い“にかわ”か、汚泥を思わせるような質感で蠢き、震えている。
――生きているのだ。
怖気を震うような真実であった。
存在そのものが冒涜的なその怪異を、アダンはまるで愛犬の如く従える。
ジュドウは――否、他の観客もだが――身動きが、とれない。
「私は、シグァルと呼んでいるがね。
はるか海の底にへばり付いていた、旧き粘菌の末裔よ」
それはまさに言葉通り、発条も、歯車も、言葉も持たぬ異形であった。
さらに這いよる粘菌の端から、巻き込まれた砂が白煙を上げて溶けていくではないか。
触れ得ざるものである事は、疑いの余地もない。
「さあて、私は手を打ったぞ。そちらの手番だ!」
――ジュドウの額に、汗が滲んでいた。




