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5-03

 銅鑼が鳴り、ジュドウは白砂の敷かれた練兵場へ、ゆっくりと踏み入った。

 控室代わりにあてがわれた天幕を出ると、わっという群衆の歓声に包まれる。

 円形の戦盤を囲うように作られた客席。人数にして……凡そ、百人程であろうか。


「ジュゥドォーッ!! がんばれぇーっ!!」


 威勢のよい声援。ちらりと目を向けると、赤毛の圃人の姿が見えた。

 その周りにいる子ども達や、水夫、人足、波止場の人々の姿も。

 そして最後に貴賓席で控えている黒髪の少女騎士を認め、ジュドウは微かに笑った。

 彼は、もっと多くの観客の前で、名誉を賭けて武芸を振るった事がある。

 このような野外の練兵場などではなく、文字通りの競技場(スタジアム)で。

 それに比べれば、何ということも無い。


 一度大きく息を吸って、吐く。

 緊張がないと言えば嘘になるが……問題は、そこではなかった。

 銅鑼が鳴り響いているというのに、未だ対戦者は現れていないのだ。

 ジゼーレとベルスからの説明を、ジュドウは思い起こす。


 ――――魔術師。


 どのような相手であろうか、彼にはわからない。

 だが、彼にとって重要なのは勝つ事だ。目前の事に集中するべきだ。

 あらゆる状況を想定する事はできずとも、あらゆる状況に対応することはできる。


 と、ジュドウの足下、彼自身の影が蠢いた。

 いや、それだけではない。

 周囲の観客たちの影を始め、ありとあらゆる影が波打ち、盛り上がったのだ。

 あまりの事態に誰か女性の甲高い悲鳴が上がり、それをきっかけに観客が騒然となる。


 無論、その程度で納まるわけがない。

 次いでその影全てが滑るように地を這い、戦盤の一点目掛けて殺到するではないか。

 寄り集まった影が重なり、絡まり、膨れ、物理的な厚さを伴う。

 ムクリと起き上がると、見る間にそれが人の形をとって、凝固。

 蛹が皮を破るようにして、内側から手が、杖が、外套が、露わになる。

 木乃伊の如き手には金色の杖、宝玉で彩られた数々の護符の指輪。

 全身を覆う外套は、命ある者であるかのように胎動する灰色。

 その奥に隠されているのは髑髏の如き、恐るべき魔術師の容貌。

 ――死人占い師、アダンであった。


「遅参の段、御免なれ」


 ぐるり、と。死人占い師が群集を睥睨して言葉を紡ぐ。

 その声は地の底を吹く風のように冷たく、虚ろだ。

 幾人かの観客が、怖気に身を震わせる。


「思いの外、身支度に手間暇がかかってしまってな」

「い、いや……」


 クルランド公爵は、思わずごくりと生唾を飲んだらしい。

 怯えた実父の様子に、バティルドは軽蔑を隠すこと無く鼻を鳴らした。


「問題は無い、とも。ええ。高名なアダン殿にお目にかかれて、誠に……」

「ま、そんな事はどうでも宜しい」


 意を決した公爵の挨拶を気にもとめず、アダンは言った。


「彼がそうであろう? 紹介を頼みたいものだ」


 出鼻をくじかれたように情けない表情の公爵は、こほんと一つ咳払い。


「四『角』の魔法使い、死人占い師――――アダン殿!

 対するは《巨人投げ》――――ジュドウ殿!」


 わっと波止場地区の人々の間から、歓声が上がった。

 ジュドウは、目を死人占い師から逸らす事無く、深々と頭を下げて一礼する。


「勝者には剣を、敗者にはパンを。

 各方、術と技の限りを尽くし、しかれども卑劣な真似をするべからず。

 そのような者、四方世界の『盤』より落ちるものと知れ!」


 声高に叫んで、公爵はそれが観客席へ染み渡るのを待った。

 練兵場に満ち溢れていた喧騒は徐々に鎮まり、視線が練兵場の二人へと注がれる。

 彼らは固唾を呑んで、この術師達の戦いを見守らんとしている。

 自身の言葉が生み出した結果に、公爵は満足気に頷いた。


「では、始め!」


 再度、銅鑼が鳴り響く。

 ジュドウはまず、その靴と靴下とを、躊躇なく脱ぎ捨てた。

 練兵の白砂を素足で踏みしめて、両手を天地に構え、立つ。

 如何にも異人、野蛮人らしい振る舞いに、貴人達の間から失笑が漏れる。


「ほう」


 アダンは、嗤わなかった。

 かつての冒険行で出会った武闘家(モンク)同様、堂々たる佇まい。

 四方世界、六面を旅したアダンといえど、初めて見る武術の構えである。


 我流であろうか。だがしかし、それにしては洗練されていた。

 黒い瞳が真っ直ぐにアダンを見据え、その攻め手を待ち受けている。

 アダンの脳裏に、埃を被っていた大昔の冒険行の記憶が蘇った。

 初めて出会った種類の敵、その戦術を探らんと、智慧を振り絞ったものだが……。


「ならば、まずは互いに小手調べ」


 呟くのと同時、アダンがその杖で軽く地を打った。

 途端、練兵場の砂が震え、ひび割れ、地の底から盛り上がり出したではないか。

 地面を割って現れ出たのは、くすんだ色合いの骸骨兵(スケルトン)

 死人使いが用いる、動死体(リビングデッド)の一種である。


 群衆が驚嘆し、どよめく。

 多少なり魔術についての知識があれば、誰でもそうであったろう。

 何も骸骨兵が珍しいわけではない。

 本来、南洋の蜥蜴人が用いる《龍牙兵》の術を筆頭に、招来の呪文には触媒がいる。

 ましてや死人遣いともなれば、その術には躯や死霊が必要不可欠である。

 それが道理だ。

 如何に魔術といえど、世界の法則(ルール)は容易には覆せない。

 それが術の力であれ、或いは手にした杖や、指輪の力であれ……。

 恐るべきはそれを軽々と可能にする、死人占い師アダンの業前であろう。


 ……だが、意外にもジュドウは驚いた様子を見せなかった。

 彼は四方世界の理を知らない。魔術を知らない。

 故に、そういうものかと、至極あっさりと目前の状況を受け入れた。

 そうなってしまえば、後は容易い。常通りに動けば良いだけである。

 ジュドウは摺り足でもって、じりじりと骸骨への距離を詰めていく。


「……成程、出来ている」


 アダンは顎を撫でながら、そう嘯いた。

 盤上で駒を指す時のような心持ちで、骸骨兵を慎重に進ませる。

 二人の距離が、じわり、じわりと近づいていく。

 骸骨兵はカタカタと歯を鳴らしながら、両手を大きく広げた。

 ジュドウは変わらず、天地に身構えたまま、骸骨兵を――否。

 その背後に佇む、アダンを真っ直ぐに見据えていた。


「ええ、そうよ、ジュドウ。それで良い……」


 貴賓席で、固唾を呑んで見守るジゼーレが呟く。


 ――彼は、己の対手を見誤っていない。


 あくまでも骸骨兵は、彼の死人占い師の武器に過ぎないのだから。

 やがて二人の距離が、白兵戦の距離にまで迫る。

 歩幅にして、ほんの数歩。

 これを絶好の間合いと見たか、骸骨兵がジュドウへと躍りかかった。

 多くの観客、群衆は、迎え撃つ異国の、この黒髪の小兵を嘲り、同情していた。

 如何な呪い師であるかは知らないが、怪物の類に徒手空拳で挑まされるなどとは。

 これは哀れな異人を題材にした滑稽な見世物に過ぎずない、と。

 そう思っていたのだ――この時までは。


 するり手繰り寄せるようにジュドウの左手が骸骨兵の手首を掴む。

 伸びた右腕が、しっかと鎖骨の辺りを握り締めた。

 瞬間、ジュドウの目前で骸骨兵は一人でに宙を舞った。


 ぐるり、と。


 骸骨兵は、自ら転げるようにしてほぼ真横に吹き飛んだのだ。

 空気にでも蹴躓いたと、そうとしか思えぬ奇怪な放物線である。

 白骨の叩き付けられた地面から砂煙が舞い上がり、骨がばらばらと散らばった。


 唖然、呆然。しん、と一瞬、水を打ったかのように観客席から、一切の声が消えた。

 次いで巻き起こるのは、賞賛や歓声などではなく、戸惑いと困惑のざわめきだ。

 何が起こったのか、はっきりと理解できた者は恐らく、この場にはいまい。


「……|《気投》《エアリアル》とでも、言うべきか」


 ――否、ただ一人、アダンだけが、囁くように呟いた。


 ジュドウがそれに気づけたのは、残心と呼ぶべきか、ひとえに鍛錬の賜物であろう。

 彼はただひたすらに、アダンの気配――些細な動作、一つ一つにまで気を配っていた。

 それが彼の命を救った。

 ジュドウは、転げるようにして身を退かせる。

 次いでそこへ白い骨の腕から、突き刺すような手刀が打ち込まれた。

 砂塵の向こう。ゆらりと浮かび上がる、骸骨兵の影。


「物事は何につけ、見たままに捉えるべきだな、若人よ」


 死人占い師は、余裕のあらわれか、弟子に教えを説くような口ぶりである。

 彼が杖の石突で地を打つ度、別れた骨が持ち上がり、組み上がっていくではないか。


「筋無く、肉無く、骨を繋ぎ、動かすものとは何か」


 アダンは事も無げに言った。


「これが魔法というものだ」


 ――初歩だがね。


 笑って付け加えるアダンを前にして、ジュドウは両手を天地に構え直す。

 その姿勢は揺らがないものの、彼は攻めあぐねるように、一歩二歩と後ずさる。


 対して、骸骨兵は躊躇いもなく間合いを詰めていく。

 と、骸骨兵が再びジュドウ目掛けて飛びかかった。

 鋭い鉤爪のような指先を振りかざし、ジュドウを切り裂かんというのだ。

 パッと天鵞絨の切れ端と血とが、宙に舞う。

 ジュドウは腕を浅く抉られながらも、剥き出しの骨腕を掴んで放り投げた。

 だが、砂地へ貶された骸骨兵は、またしても音を立て、独りでに修復していく。


 ジュドウに、打つ手は無いかのように思われた。


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