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少女騎士と黒帯のジュドウ  作者: 八握 紫電
手紙来たりて
12/24

4-05

 音もなく、影もなく。


 真昼の雑踏、喧騒の中、誰の眼にも留まらずに風がすり抜けていく。

 空色の外套を翻し、腰に突剣を吊るした伊達男。

 アルブレヒト=プティパ。

 本来すれ違う女性も放っておかない美男子だが、誰もそれと気づかない。

 まるでその姿が見えないかのように、彼は景色に溶け込んでいる。


 颯爽と道を行くアルブレヒトは、実に愉快であった。

 あの異邦人、グリジ卿のお気に入り、ジュドウなる少年。

 鍛錬の風景を見はしたが――所詮、あれは児戯に過ぎまい。

 やはり見るべきは、巨人を投げた、という一点。

 技を、風景を、伝え聞いた話を頼りに思い描いては描き直し、夢想する。

 ジュドウを魔術師との戦いに引き出せば、或いはその様を見れるやもしれぬ。

 アルブレヒトの心は、童子のように踊っていた。


 それだけに。

 彼が路地裏で立ち止まり、溜息を吐いた時に浮かべた落胆の色は、濃い。


「いい加減にしてはくれないかね、諸君」


 うんざりとした、まるで独り言のような呟きだったが、果たして返答はあった。

 前と、後ろ。

 路地の出入口を塞ぎ、アルブレヒトを挟むようにして、三人の男が現れる。

 顔に覆面、胴は墨を塗ったような革鎧。手には槍や剣、思い思いの武器を携えて。

 その油断無い所作から察するに、かなり高位の密偵スカウトと見えた。

 手練れである。


「おいおい、昼日中なのに黒装束というのは、些か悪目立ちし過ぎやしないかね」


 呆れたように肩を竦めるアルブレヒト。が、刺客どもはそれに応じることはない。

 つまらなさそうに、彼は鼻を鳴らした。


「ま、何でも良いのだが……。

 まさか三流盗賊にやられた、などという詰まらない末路じゃないだろうね」


 言いつつ、アルブレヒトは突剣を払っていた。

 昼尚薄暗い路地に、細身の刀身がぎらりと煌めく。

 流麗な装飾の施された護拳といい鍔といい、明らかに業物の類。

 だが、それに対して持ち主の構えときたら。


 棒立ち、である。


 ただ半身になって、無造作に剣を持った右手を突き出しただけ。

 辛うじて様になっていると言えるが、素人同然にも見える、その佇まい。

 なにせ彼が剣を向けているのは前方の刺客のみ。背中はがら空きなのだ。

 それを見て刺客達が侮ったか――というと、そうではなかった。


 侮られている。


 彼らは、そう直感した。

 だからというわけでもなかろうが、一人の刺客が腰の巾着の中身をぶちまけた。

 きらきらとした、金属の小片にも似た細かいものが石畳の上に散らばる。

 魚の鱗、であろうか。

 成程と、アルブレヒトが頷く。


「|《深きものども》《ディープワンズ》の仕業に見せかけるわけか。

 秩序の防人として、混沌の尖兵と戦って死ぬのは悪くない。

 君らがそれで良いというのなら、僕としても否やはないとも」


 言葉の意味を掴みあぐねている刺客へ、余裕たっぷりに、アルブレヒトは笑った。


「おいおい、君らの最期なんだぜ? 真剣に考えたまえよ」

「抜かせッ!!」


 無言で飛びかかれば格好もついたのだろうが、堪え切れず、一人の刺客が叫んだ。

 手にした長槍を両手でしかと握り、勢いもそのままに突き倒さんと迫る。

 狭い路地で長物は不利。というのは、一見そう思えるのも仕方の無いことだ。


 が、その認識は間違っている。


 人が立てる程の幅、高さがあるのなら、槍は振り下ろし、突き、薙ぐ事ができる。

 突剣よりもはるかに長い間合い。繰り出される突きの鋭さ。薙ぎの力強さ。


 ――だが、必殺の一撃を放つには、十分過ぎた。


 不可思議な、円を描くような歩法に誰が気づいたであろうか。

 或いは、槍の穂先が鍔と護拳の装飾に絡め取られ、いなされた事に。

 そして槍の柄を潜る一瞬の踏み込みと、すれ違い様に繰り出された突きに。

 ごぼりと血反吐で覆面の口元を汚し、呻く刺客は、終ぞわからなかったらしい。

 彼は自分の胸を通り、背後から飛び出た刃の根本を、呆然と見下ろした。


「ば、馬鹿な」

「武とは理に拠る。馬鹿も何もあるものかね」


 突剣を抜かれて崩折れる彼を、アルブレヒトは敬意を込めて足で隅へ退ける。

 死体を踏みしめて戦うつもりは、彼には無かった。

 ふわり、と。外套に風を孕ませ膨らませながら、アルブレヒトは跳び下がる。

 その右手には突剣、左手には、いつの間に抜いたものか、小剣を握って。


「面倒だ」


 と彼は言った。櫛のような峰を持つ片刃の小剣を、後方へ突きつける。


「二人ひとまとめ、には些か狭いな。どうせだ。前後一人ずつ来たまえよ」

「うぬ……!」


 さしもの刺客達も、今度は勢い任せに飛びかかる無様はしなかった。

 前、後、両者ともに剣を構え、じり、じりと慎重に歩みを進める。

 突き出された四剣の切っ先が、かちりと音を立て、微かに触れ合う。

 剣戟が竜巻のように吹き荒れた。


「ははっ!」


 縦横無尽に左右の手で剣を振りながら、アルブレヒトは軽やかに笑った。


 突く、突く、払う。突く、払う。突く、払う、払う、突く。突く、突く、払うべし。


 刺客達は懸命にそれに追いすがるべく剣を繰り出す。

 冷静に考えれば体力の消耗から言って、数の優位は覆らない。

 だが、彼らの剣はどれほど鋭くとも、あっさりといなされ、反撃が放たれる。

 それを凌ごうとすれば、その隙を突いてさらに次の一刺し。

 最初は極々僅かであった遅れは徐々に差を広げ、遂には取り返しがつかなくなる。

 今や、形勢は完全に覆されていた。

 何故か。それは、刺客達が考えているからだ。

 考えている限り、アルブレヒトに追いつくことはできない。

 何故なら彼は、考えていないのだから。


 突剣術の極意とは、つまるところ速さである。

 思考よりも早く、何よりも早く、剣を振るう。

 故に理を身体に覚えさせるのだ。筋肉は脳よりも回転が良く、冷静だ。

 焦りも恐れも、そんなものは筋肉に関係がない。


「えぇいっ!!」


 膠着状態どころか劣勢に陥った事に歯噛みした一人が突剣を払いのけ、突き込む。

 その剣先が、護拳の流麗な装飾によって絡め取られた。

 勢いそのまま、釣り上げるかのような動きで剣が引き寄せられ、手元から擦り抜ける。

 あっと思った次の瞬間、刺客の喉元には深々と突剣の刃が突き立っていた。


「……!」


 声もなく崩折れる仲間に一瞬気を取られたのが、最後の刺客の失敗であった。

 アルブレヒトの左手首が返されたと思うと、がっきと小剣の櫛歯が刀身を咬んでいる。


「ぬ、ぅ!」

「さぁて……!」


 本来、この小剣――刃砕き(ソードブレイカー)は、突剣を防ぎ、折る為のものである。

 如何に刃を咬まれたからとはいえ、鍛えぬかれた長剣のそれを破壊できるわけがない。

 此処から鍔迫り(バインド)に持ち込んで押し切る事も、十分に可能。

 しかし刺客は一切の躊躇なく、即座に飛び退いた。

 次の瞬間、その空間を突剣がしなりながら突きこまれる。

 間一髪であった。

 もはや一対一。一瞬の停滞は、命取りに繋がる。

 路地の端と端で各々油断なく身構えた二人の剣士は、改めて対峙する。


「僕の間違いだったら許して欲しいんだが」


 アルブレヒトは小剣を鞘に納め、血払いをして突剣を構える。


「君が大将か」

「うむ、そうだ」


 応じながら、刺客もまた剣を構え直す。


「何か言いたい事があるのであれば、聞こう」

「俺を殺せば、情報も得られんぞ。……良いのか」

「ああ、それか」


 アルブレヒトは、さも安心しろと言わんげに、にこやかな微笑を浮かべる。


「君の気遣いには感謝するがね。

 見当はつくから、僕としてはどうでも良いのだ。

 大方、バティルド様の兄上か姉上かその辺り。

 あるいはバティルド様に言い寄る紳士諸君の誰かだろう。

 ま、相手の手駒を減らすのは当然の戦術。とやかくは言うまいよ」


 刺客の、覆面の奥の目が閉じられた。それで十分だった。


「情報を吐いて死んだなんていう不名誉は嫌だろうと思ってね。

 そもそも、剣を手にして立ち会ったなら、結末は一つじゃあないか」


 アルブレヒトは爽やかに、夜会で武勇伝を語るような口ぶりだった。


「どうせなら、後腐れなく行こう」


 刺客も覆面の下で、笑ったかのように顔を引きつらせた。


「そちらも、言い残す事があれば、聞いておこうか」

「いや、僕は良いとも」

「そうか」

「うむ」


 血飛沫が、散った。

 薄暗く狭い裏路地に、武器を手にした男の躯が四つ。

 死屍累々とは、まさしくこの事であろう。

 その光景を顔色一つ変える事無く、アルブレヒトは睥睨する。


「ま、そう、気に病む事はない」


 ぽつりと、彼は言った。


「誰しも失敗の一つ二つはあるものさ。

 たとえ無一文で路地裏に転がっていても、やり直しは利く。

 世間の風評なぞは好きに言わせておけば良いのだしね」


 ぱちりと音を立てて、アルブレヒトは突剣を鞘に納める。

 彼は膝が血で汚れるのも構わずに屈み込み、刺客達の覆面を剥いでやった。

 顔を隠していたのでは、闇討ちに失敗して死んだと宣伝しているようなものだ。

 彼らは混沌の尖兵と戦って死んだのだ。不名誉な事があってはならない。


「勿論、生きてさえいれば、だが」


 その呟きを、聞く者はいない。

 やがて夜になり路地に迷い込んだ酔漢が、死体に蹴躓いて悲鳴をあげたことも。

 侵攻に備え、門の外、波止場の警備が重点されたことも。

 アルブレヒト=プティパには、一切興味の無い事であった。

 興味があるのは、唯一つ。


「――ジュドウ、か」



          第四幕『手紙来たりて』――了

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