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少女騎士と黒帯のジュドウ  作者: 八握 紫電
手紙来たりて
11/24

4-04

 窓の鎧戸を貫いて、朝の陽光がジュドウの瞼を刺した。


 彼の目覚めは早い。

 『やどかり』亭の二階、屋根裏。夜明けが真っ先に訪れるのが、彼の部屋だった。

 窓がひとつ、薄い毛布の置かれた寝台、書き物机、棚、衣紋掛けがひとつ。

 後はせいぜい吊るされた洋燈が、この部屋の家具の全てだった。

 ジュドウが持ち込んだ私物といえるのは、衣紋掛けに下った黒い天鵞絨の詰襟。

 他に歯噛み式の背負い袋、折りたたまれた奇妙な二輪のからくりのみ。

 漂着して以来、彼が自分で購入した物はひとつとしてなかった。


 とはいえ、何も彼がベルスに冷遇されているというわけでもない。

 半ば物置だった此処に、寝かせてもらうよう頼んだのはジュドウ自身だ。

 身振り手振りを交えて説明をし、自分で物置を片付けた。

 波止場人足として稼いだ金から使ったのは、宿賃としてベルスへ支払っている分だけだ。

 もっとも彼には家賃の相場はおろか、貨幣の価値も良くわからない。

 幸いジゼーレとベルスとが笑って受け取ってくれたので、安心しているのだが。


 起き上がった寝台に毛布をたたんで積み、水夫服を棚から引き出して着替える。

 人足組合の長が都合してくれた古着だが、ジュドウは気に入っていたようだった。

 ぴたりと体にあって動きやすく、長靴も些か重いが、もう馴染んでいる。

 そして着替えが終わる頃には、階下から香ばしい匂いが漂っていた。


「おはよう、ジュドウ! もう焼けてるよ!」


 屋根裏から階段を降りたジュドウを、赤毛の圃人娘は笑顔で迎える。

 卓には既に焼きたてのパンと、魚貝を用いた汁が並んでいた。


「昨日は随分と遅くまでジゼーレと仲良く話していたみたいじゃあないか。

 お楽しみだった、とか?」


 卓についたジュドウへ、ベルスはにやにやとしながら声をかける。

 意味はわからないまでも、聞き取れた「ジゼーレ」から察したらしい。

 ジュドウは曖昧な表情で応じ、もそもそと食事を口へと運んだ。

 極稀に出てくる硬いパンは、汁に浸してふやかせば良いという事を、彼は最近学んだようだった。


「ま、何でも良いけどさ。あの娘は真面目で頑固で泣き虫だからね。

 泣かせたりしちゃあ、あたしが許さないから、覚悟するよーに」


 そう言いながらも、ベルスがジュドウへかける声は、言葉ほどに厳しくはない。

 意味が伝わらないというのもあるが、悪い人間ではないと、察しているからだろう。

 ほどなく食事を終えたジュドウが深々と頭を下げると、彼女はにこりと微笑んだ。


「はい。お粗末さま」


 重ねた食器をベルスが厨房へと運ぶのを見た後、ジュドウは服の物入れを探る。

 取り出したのは、折りたたんだ紙片――ここ一月の暦だ。

 一日毎に斜線が引かれ、他人には解さない奇妙に入り組んだ字の書込みがある、彼の予定表だ。

 今日のマスには人足長の手により、赤墨で大きく丸がつけられている。


 つまりは非番、休日ということだ。


 仕込みを行っているベルスに頭を下げ外に出たジュドウは、戸口で大きく伸びをする。

 軽く体操をして体をほぐし、彼は颯爽とかけ出した。

 波止場地区は既に随分と賑やかになっている。

 起き出してきた人々、漁に繰り出す人々、漁から戻った人々が行き交う時分だ。


「お、ジュドウ、今日も元気だな!」

「ジュドウ、おはよう!」

「今度は魔術師とやるんだって? がんばれよ!」

「景気付けに今夜、良い女でも紹介してやろうか、ん?」

「よせやい、ジュドウにゃ、あの娘がついてるさ、なあ?」

「ほら、お前ら、鍛錬の邪魔しちゃいかんぞ!」


 荒っぽい、しかし親しみのこもった港町の住人の声。

 ジュドウは笑って、彼らに逐一会釈をし、挨拶を返しながら走って行く。

 異人など、この海辺では珍しくもない。

 言葉が通じるかなどは些細な問題である事を、彼らは良く理解している。

 無口であっても真面目で、文句も言わず働く青年を、彼らは気に入っていた。


「あ、ジュドウの兄ちゃんだ!」

「今日もやっておくれよ! ぽーんって!」


 それに何より、彼の姿を認めた子供たちも、わっと歓声をあげて駆け寄ってくるのだ。

 四方世界広しといえど、子供たちに好かれるような人物が、悪人であるわけもない。

 ジュドウは笑って子供らに手をふると、彼らを引き連れて走り続けていく。


 誰かとすれ違う毎に彼は「ジュドウ!」と呼ばれ、その度に笑みが浮かんでいる。

 そのジュドウの手元に、何かが放り投げられた。

 慌てて両手で受け取ると、それは橙の果実だった。


「差し入れだ! もってけ!」


 品出しをしていた露店の主が、ジュドウ目掛けて大声で叫ぶ。

 走りながら振り返ったジュドウは、右手の果実を軽く上げて謝意を伝える。

 一口かじると、さわやかな甘酸っぱさが一気に広がり、走って乾いた喉を潤した。


 と、不意にジュドウがニヤリと唇を釣り上げて笑った。

 何か、懐かしいものを思い出したような、そんな笑い方だった。

 そして彼は前を向いて、風を切って走りだした。勢いをつけて、真っ直ぐに。


 海岸までの道のりを一息で駆けたジュドウは、長靴を脱いで砂浜へと飛び降りる。

 そしてバッと追いかけてきた子供たちを振り返った。

 両手を堂々と広げたその姿は、いつも通りの天地の構え。


「よっし、ほらきた!」

「いっくぞー! ぼくがいちばーん!」


 そこを目掛け、子供たちが四方から突進してくる。

 ジュドウはその尽くを掴み、勢いをそのままに投げ飛ばした。

 裸足が浜を蹴り、砂粒を撒き散らす。

 背中から落ちた子供たちも痛がる様子を見せず、笑ってまたジュドウへと挑みかかる。

 遠慮も容赦も無く、前も後ろも関係ない。

 しかしジュドウの腕がバケツを振り回すように動く度、子どもたちは宙を舞った。


 不思議なことに彼が触ったと見えた瞬間には、自然と身体がつんのめっているのだ。

 傍目には、子どもが自分から砂浜に転げているようにしか見えないだろう。

 おまけに投げられた子どもがくるりと身を捻って、怪我なく着地しているから奇妙だ。

 見事なまでに練り上げられた、術理の為せる技であった。


 まるで“まじない”のようだ。軽々と空を舞って、砂浜に落ちる。

 それがまた、彼らにはなんとも楽しくて仕方ないらしい。

 飽きることなく、次は自分だと両手を上げて、一人、また一人と飛び出していく。

 ジュドウは真剣な表情を崩さず、子供らの手をとって、ぽんと宙へ跳ばす。

 既に日は登りだしているから、たちまちの内にジュドウは汗でびっしょりになる。

 息も上がり、顔も赤い。だが、目線だけはまっすぐ、逸らさずに。


「……成程。君の稽古相手は子供たちというわけか、ジュドウ君」


 しかし唐突な背後からの声に、一瞬気を取られたのが命取りだった。


「今だぁーっ!」


 わっと二、三人の子供が一塊に背中へ飛びついたのだからたまらない。

 ジュドウはどっとうつ伏せに、頭から砂浜へと突っ込んだ。

 彼を囲み、子供らは拳を振り上げ勝鬨を上げる。


「いやあ、はっはっはっは。悪い悪い。だが、君もまだまだ修行不足ということだな」


 嫌味のない、爽やかで快活な笑い声。

 顔についた砂を払いながらジュドウが彼を見上げる。

 口ひげを蓄え、腰に突剣を帯びた伊達男――アルブレヒト。


「先日以来だなあ、ジュドウ君。どれ、手を貸してやろう」


 差し出された手を、一瞬の躊躇いの後、ジュドウはしっかりと握りしめた。

 アルブレヒトは細身の見かけとは裏腹に、力強くジュドウを引き起こす。

 いや、裏腹といえばジュドウの掌もそうかもしれない。

 小柄な異人だというのに、その手はごつごつとして、巌のような頼もしさがあった。


「さて、すまないが僕はジュドウ君と話をしたいんだ。

 勿論、勝手に邪魔するわけだから詫びはするとも。皆で甘いものでも買うと良い」


 言って、彼は指先で金貨を弾いて子供たちへと放った。

 ジュドウにはそれが幾らほどの値打ちなのか見当もつかない。

 だが、子供らは納得したようだ。

 金貨を上手く宙で受け止めた少年が、仲間を連れ、わっと波止場の方へと駆けて行く。

 残ったのは、ジュドウとアルブレヒトの二人だけだ。


「歩きながら話そうか――もっとも、僕が一方的に話すだけだろうけれどね」


 そう言って、彼は手招きをして歩き出した。

 ジュドウは黙ってその後に続いた。

 潮風が吹き抜けて、汗に濡れた頬を冷やしていく。

 悪い気分ではない。


「ふむ。見ていたけれど、やはり面白いなぁ、君は」


 先を行くアルブレヒトは、裏腹に、ジュドウの方を見もせずに言った。


「迷っていないわけではないのだろうけど、前に進む事はためらわないようだ。

 察するに、グリジ卿が理由と見える。

 異国の君は、どうやら騎士道の何たるかをわかっているらしいね」


 そう語る彼の背を、ジュドウは以前のように警戒もせず追う。

 事実、アルブレヒトはこの場で彼と事を構えようなどとは、思ってもいない。

 そもそも、殺気など気配などといった曖昧なものは、佇まいの印象だ。

 アルブレヒトの振る舞いは、戦に臨む者のそれではなかった。


「今は、だがね」


 そう微かにうそぶいた伊達男は、童子のように愉快そうに砂を蹴って歩きながら、振り返る。


「貴婦人は尊ぶもの、だろう?

 見目にかぎらず美しいとなれば、尚の事だ」


 ジュドウは、それにただ笑い返すだけだった。

 互いに言葉は通じなくとも、視線を交わした二人の男は、頷き合う。

 それで十分だった。


「失敬」


 と、アルブレヒトは脱帽し、見事な動作で一礼、深く頭を下げた。


「実のところ、僕は君が逃げやしないかと、ヒヤヒヤして見に来たのだ。

 いらない心配だった。君への侮辱だ。心から謝罪しよう。

 しかし――…………」


 彼は被り直した帽子の鍔を、ぴんと指で弾いて言った。


「ますます君とは一度、剣を交えてみたくなった。いや、惜しいものだ」


 自分が負ける、自分が死ぬとは、まるで思っていないような口ぶり。

 たとえ臨終の場にあったとしても、その態度は変わるまい。

 そう感じさせるような男であった。


「――ジュドウ!」


 遠く、彼を呼ぶ声がする。

 見上げれば石垣の向こう、手に籠を持った黒髪の娘の姿。


「おっと、もう昼時分か」


 アルブレヒトは意外そうに呟いた。


「そろそろ戻らないと、僕ァお嬢様に怒られてしまうな。

 何より、馬に蹴られたくはないのだ。あれは痛いからね」


 ジゼーレは楽しげに石垣を駆け下りてくる。

 それを見て笑うジュドウに、アルブレヒトは肩をすくめた。


「では、失礼するよ、ジュドウ君。

 そうそう、早く言葉を覚え給え! ぜひとも一晩飲み明かしてみたい」


 空色の外套を翻して、シューレジェン生まれの快男児は颯爽と去っていく。

 その後姿を見送る、ジュドウ。


「ジュドウ、今のは――プティパ様よね? どうなすったの?」


 傍らまでやってきたジゼーレに、なんでもないというように首を振った。

「そう? なら、良いのだけれど…………。あ、そうだ」

 不信のわずかに残る仕草ではあったが、ジゼーレはそれで良しとしたらしい。

 彼女にとっては、此方の方がより優先すべき事項であった。

 籠を探り、中から陶器の瓶を取り出し、ジュドウへ差し出す。

 表面には水滴が浮かび、良く冷えていた。


「ベルスに頼んで、井戸で冷やしておいてもらったの。喉、乾いたでしょう?」


 ジュドウは木栓(コルク)を抜き、ありがたく中の飲料を頂戴し――盛大に咳き込む。

 どうやら彼は言葉よりもまず先に、葡萄酒に慣れねばならないようだった。


 その後『やどかり』に戻ったジュドウが生卵を飲もうとして、慌てたジゼーレに止められるのは、また別の話。



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