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少女騎士と黒帯のジュドウ  作者: 八握 紫電
手紙来たりて
10/24

4-03


「もうさ、ジゼーレ。絵でも描いて見せた方が早いんじゃない?」


 ベルスが羽筆と墨壺、紙を手にしてそう提案したのは、もう日も傾きかけた頃だった。

 『やどかりの寝床』亭の看板に、「都合により本日休業」の貼紙をした直後である。


「……そうね。その方が早いわ」


 額に滲む汗を拭って、ジゼーレはこくりと頷く。

 まず、ジュドウへの説明は身振り手振りによって行われた。

 彼は決して愚かではなく、ジゼーレとて手を抜いたわけではない、が――……。


「――彼の故郷に、魔術師はいなかったのかしら?」


 全く未知の概念を伝え、理解することは、彼女と彼にとって困難を極めた。


 手印を切り、杖を掲げ、腕を振り回し、呪文を唱え、指をさし……。

 次第に、ジゼーレは自分が間抜けに思えてきてならなかった。

 もし対面の彼が笑ったりすれば、彼女は顔を真赤にして飛び出してしまったろう。

 そして寮の自室に閉じこもって、二日三日は引き篭もったに違いない。

 だが、ジュドウはぴくりとも眉を動かさず、真剣な表情のままだ。

 ジゼーレとしても、それに応えないわけにはいかない。


「ん、と……」


 しかし筆を墨壺に浸したジゼーレは、しかし羽先を唇に添えて、手を止めてしまう。


「ねえ、ベルス。魔術師ってどう描けば良いのかしら?」

「そりゃ難しいねぇ」


 赤毛の圃人も、珍しく真面目な様子で腕組をして考えこむ。

 圃人は陽気で明るく、空気を気にも留めないが、友人の危機とあれば話は別だ。


「いっそ魔術師じゃなくて、杖から稲妻でも飛ばすような風にしたらどうだい?」

「あ、なるほど」


 それもそうだと頷いたジゼーレ。さっと紙の上に羽筆を走らせた。

 クルランド公爵領は海辺で、河も流れているから、お陰で製紙場も幾つかある。

 水車漉きの紙は特筆するほどではないにしても、決して悪い品ではない。

 問題は紙でも筆でもなく、描き手の方だ。


「……なんだい、こりゃぁ」

「ま、魔術師よ……っ」


 へろへろと触手を伸ばすクラゲの絵を前にして、ジゼーレは赤面した。


「いや、流石にジュドウも、これじゃわかんないと思うよぉ……?」

「あ、ちょ、ちょっと!」


 さっとジゼーレからその紙を取り上げ、ベルスはジュドウへと差し出す。

 それを示されたジュドウは物珍しげに、その紙をいじくり回した。

 灯りに透かし、撫で、表裏をかえし、ためつすがめつ観察する。

 ジゼーレは耐え切れず、ますます顔を赤くして俯いてしまう。

 と、不意に、はたとジュドウが膝を打った。ジゼーレとベルスに向けて、手招きをする。


「ん、なんだい。筆かい? ほら、ジゼーレ」

「…………はい」


 不貞腐れていたジゼーレが友人に促され、ぶっきらぼうに羽筆を突き出す。

 受け取ったジュドウは、少し考えた後、さっと紙の余白に筆を走らせた。

 円の頭と棒の手足を持った人。

 手には、やはり線一本で描かれた棒を持っている。

 そして涙滴に目と口のある生きもの。

 最後に、その生きものを焼く炎。


「あ……!」


 一転、ぱっとジゼーレの顔が明るくなった。


 ――彼は、ちゃんと理解してくれたのだ!


 こうか?と小首を傾げるジュドウへ、彼女はぶんぶんと何度も首を縦に振る。

 それを見て何やら考え込んだジュドウは、まず、彼自身を指さした。

 続いて絵図の魔法使いを指さし、最後に座ったまま、天地に腕を構えて見せる。


「お、ジゼーレのよりはわかりやすいね」と、ベルス。

「うるさい。……ええ、その通りよ、ジュドウ」


 ジュドウは顔をしかめ、頭を抱え込み、卓上へと突っ伏してしまった。

 ――無理もない、とジゼーレは思う。

 彼は異邦人。寄る辺なき漂流者なのだ。

 身一つで流れ着き、ようやく落ち着きかけた所で、またしても騒動に巻き込まれた。

 いや、巻き込んだのだ。彼女たちが、彼を。

 その事実が、ジゼーレには何とも重い。

 と、ベルスが努めて軽い様子で口を開いた。


「……でも、かえって良いかもしれないね、負けた方が」

「ちょっと!」


 思わず、ジゼーレは卓に手をついてベルスへと詰め寄った。

 ベルスはそれにちょっとたじろいだ様子を見せ、言い訳がましく自らの赤毛を弄ぶ。


「だってさ。身元不詳の異人が、領主様に仕えることになるんだから。悪くないじゃない」

「負けて……生きていれば、でしょう?」

「そりゃ、まあ、そうだけどさ」

「それに――――……」


 ――そもそも私のせいだ、とは。彼女は言えなかった。

 あの夜、二人の冒険者を自分が上手く諫める事ができていたら。

 ジュドウが領主の眼に留まる事もなかったろうに。

 けれど、もしそれを口にすれば――ベルスがもっと気に病むだろう。

 だからジゼーレはそれを言わない。言わないまま、ぎゅっと唇を噛み締めた。

 二人の言い争う様子を見たジュドウもまた、沈鬱な様子で黙りこんでしまう。


「ああ、もう、考えすぎだって」


 ベルスが、からからと笑っていった。


「大体、二人揃って落ち込んでも、なんにもなりゃしない。

 いざとなりゃ逃げ出したって良いんだし……。

 だいいち、ジュドウが勝ちゃあそれで済む話じゃないの!」

「でも……」


 と、ジゼーレが眼を潤ませて彼女を見上げる。ベルスは呆れたように溜息を吐いた。


「でもも悪魔デーモンもないの。ほら、立った立った!」

「きゃっ!? ちょ、ちょっと、ベルス!?」


 赤毛の圃人は、有無を言わさずに二人の腕をとって椅子から立たせる。

 そしてそのままの勢いで、ぽんと二人の背を叩いて扉へと押し出した。


「ほら、二人とも外出て、夜風にでも当たって、ちょっとは頭冷やしてきな」


 ジュドウとジゼーレは、困ったように顔を見合わせた。

 その背後でバタンと扉が音を立てて閉まり、二人の間を夜風が抜けていく。


「あ……」


 潮風になびく黒髪を抑えて、ジゼーレはそっと眼を細めた。

 夜の砂浜は冷え冷えと青ざめている。

 間近に波の打ち寄せる音を聞きながら、ジュドウとジゼーレは立ち尽くす。

 二人の視線は――天頂へ、向けられていた。


「今日はズィンケルンの月だったのね。すっかり忘れてた」


 赤と碧、双子の月の姿は、そこに無い。

 かわりに浮かぶのは、仄暗く輝く、青白い独りの月。

 幻のように揺らめいて、手の届かないような遠くに、ぼんやりと漂う。


「一月に一度、双つの月が重なるのよ。理由はわからない、けど……」


 ちらりと、ジゼーレは傍らにいる彼の様子を伺った。


「……綺麗な月、よね」


 ジュドウは呆然としたような様子で、それを見上げていた。

 彼のこんな表情を、ジゼーレは前にも見たことがあった。

 出会った日の、波止場で。彼は同じように、双つの月を見ていた筈だ。


「ね、ジュドウ?」


 その様子が、あまりにも寂しそうに思えたものだから。

 ジゼーレは、そっと彼の手を引いて砂浜へと腰を下ろした。

 引き締まった半身を包む下衣(タイツ)に砂がつくが、気にした風もない。


「貴方は、やっぱり帰りたい……と思っているのかしら」


 並んで座るジュドウからの返事はない。

 ただただ、青い光に囚われたように、彼は独月を見上げている。

 彼女には、その表情だけで十分だった。


 ――――帰りたくないわけがない。


 如何なる理由で彼が遭難したのかは、未だ判別がつかないけれど。

 自らの意思で故郷を離れた者のする顔では、ないように思えた。

 ジゼーレは、そっと自分の細い膝を抱き寄せ、そこへ顔を埋めるようにして俯いた。


 瞼を閉じれば、遠い昔に死んだ自身の父と、母の姿が、朧気に浮かんでは消えていく。

 彼には父親がいるのだろうか。母親は。兄弟は。友だち。恋人――も。もしかしたら。


「当然、よね」


 ぽつりと呟く。

 言葉は通じないまでも、彼は好漢であった。

 どのような事情があれ、家族や友人を蔑ろにするような人物には思えない。

 そんな彼を、巻き込んでしまった。

 ジゼーレの小さな胸は自己嫌悪で溢れ、いっそ心臓を引き裂いて死んでしまいたくなる。


 だが――――……。


「……ジュドウ?」


 不意に頭にぽんと、手が乗せられて。ジゼーレは、首を巡らせる。

 呆然と月を見ていた筈のジュドウが、その黒い瞳をジゼーレへと向けていた。

 わしゃわしゃと不器用な手つきで、彼はジゼーレの髪を梳く。

 青い光に照らされたその表情は、強い意志を固めているようで。

 真っ直ぐに見つめられて、ジゼーレは自分の頬が熱を帯びるのを自覚する。


 ――嗚呼、彼は戦う気なのだ。


 驚き、うろたえながらも、逃げ出す事無く、立ち向かうつもりなのだ。

 ……何故、なのだろうか。

 異郷の地へ一人放り出され、得体の知れぬ魔術師との対決を強要されたとして。

 ジゼーレは自分がこれだけ落ち着いていられようとは思えない。

 ましてや、その状態で誰かの事を気遣うことなど。


 この戦いから逃がそうなどという考えは、彼を侮辱することに他ならない。

 自分の勝手な判断で、そんな事をして良いのだろうか。

 御前試合の選考から外された時の、自分の気持ちがまざまざとジゼーレの内に蘇る。

 だがしかし、このままでは彼を魔術師と戦わせる事になる。

 勝てば良い。だが、負ければ?

 心配と、矜持と、懸念と、不安と、一緒くたに頭の中で渦を巻き、そして――…。


「…………ッ」


 遂にジゼーレは頭に乗せられた手を振り払い、その意地に賭けて立ち上がった。


「ジュドウ!」


 腰に手をあて、ジゼーレはくるりと振り返る。月空を背景に髪が翻る。

 ジュドウが、呆気に取られたような表情で彼女を見上げていた。


「私が、その……」


 言葉が、上手く出てこない。言いたいことはわかるのに、口から紡ぐ事ができない。

 気持ちを、想いを、言葉にするのは、どうしてこんなに難しいのだろうか。

 感情が昂ぶり、自然と目尻に涙が滲んでしまう。

 ジゼーレは唇を噛みしめる。


「何とか、するから……っ」


 言葉の意味が通じるとは思っていない。そもそも、自分だって良くわかっていないのだ。

 だが、それでも意志は伝わるだろう。

 この決断が間違っていないとも思っていない。だが、正しくはある筈だ。

 そう信じて、ジゼーレは懸命に言った。


「だから、思い切り……やりなさいッ!」


 静かな砂浜に、叫ぶような彼女の声が木霊する。

 ふーっふーっと荒く息を吐いて呼吸を整えながら、ジゼーレは睨むように彼を見た。

 ジュドウは――月光の下、微かに笑っていた。

 そっと、彼が下から手を差し伸ばす。


「……ん」


 彼女のか細い手とは正反対の無骨なそれを、ジゼーレはそっと握りしめる。


 事と次第によれば、ジュドウを守り、騎士として公爵の命令に背くのだ。

 無論この土地にはいられなくなる。悪くすると追手の類もかかろう。


 遍歴の騎士。それもまた良し、だ。


 この四方世界を旅して、ジュドウの郷里を探すには、むしろ望むところ。

 ジュドウを、この異国の少年を、無事に故郷へ帰してやらなければなるまい。


 ――今やこの小柄な騎士ジゼーレ=グリジは、自らの責任をはっきりと理解していた。

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