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1-01

 俄雨は瞬く間に通り過ぎ、遠く海の彼方に暗雲の名残を見せるばかりとなった。


 夕暮れの海辺に、さざ波に混じって、湿気った砂を蹴る蹄音が響く。

 逞しい四肢で駆けるのは、実に見事な青毛の巨馬である。


 一方、乗り手は馬に比べて見るからに小柄な、十代も半ばの黒髪の少女だ。

 雪のように白い肌、細面をきっと引き締め、青い瞳が前を見据えている。

 目の細かい鎖帷子、黒に白い白鳥が染め抜かれた上衣(サーコート)、腰帯には長剣を佩いて。

 薄曇りの夕陽に青く透ける黒髪を靡かせた、それは見目も麗しい女騎士であった。


 彼女の目尻が赤く、睫毛が濡れているのは、何も雨のせいばかりではない。

 ジゼーレ=グリジは、あまりの悔しさと情けなさに、ぎゅっと唇を噛んでいた。


              *    *    *


 警邏の勤めに向かう支度をしていた彼女の自室に、友人が訪ねてきたのは昼頃だった。


 騎士団寮前に高級な二頭立て馬車が留まり、中からそれ以上に高級な娘が降り立つ。

 金の巻き毛のバティルドは豪奢な着物(ドレス)と豊満な胸を強調して、いつもその下で腕を組む。

 見すぼらしいとさえいえるジゼーレとは、何もかも正反対の華やかさだ。


 仮にも領主クルランド公爵令嬢たる彼女が、なぜ傭兵騎士の末娘を友人と見るのか。

 ジゼーレにも図りかねるところはあったが、しかし幼い頃からの付き合いである。

 その間、彼女の気紛れで舞踏会へ誘われ、傍らに控える事は何度もあった。

 今日バティルドが来たのも、そうした何か催しへの誘いだろう。


 そう思い着替え半ばの失礼を詫びながら、ジゼーレは彼女を質素な自室へと招き入れた。

 質素な部屋だ。古い木床はぎしりと軋み、壁からは隙間風が抜ける。

 バティルドは、いつもと同じようにフンと可愛らしく小鼻を鳴らした。


「わたくし今朝方、父様のお作りになった名簿を、ちらと覗いたのですけれど」


 老婆心から忠告に来たのだというバティルドは、それにしては居丈高な口調だった。


「貴女、御前試合の選手候補から漏れましたわよ」


 その言葉に、ジゼーレは巻こうとしていた腰帯を思わず取り落とした。


 年若い女性であるから――との事だが、それが理由でない事は明らかだった。

 候補者の中にはジゼーレ以外にも、数少ないとはいえ女騎士の名が残っていたのだ。

 成程、確かに体格では男はおろか女にさえ、彼女は明らかに劣っている。

 これが体格が大きく物を言う馬上槍試合ならば、仕方がないと諦めることもできよう。

 だが、御前試合で競われるのは剣術であり、体術であり、武術であり、業なのだ。

 見栄えが悪い。華やかさに欠ける。ジゼーレが選考から漏れた理由は、それだけだ。


 自信は、あった。

 彼女らよりも剣技に長けているという自負は、驕りではなく確かにジゼーレの中にある。

 業でならば自分は誰にも負けないと。


「気分転換にお裁縫や舞踏の手習いでも始めては如何(いかが)

 ああジゼーレ、誤解なさらないで。なにも、諦めろというのではなくてよ。

 ただ、貴女みたいな娘でも好いて下さる、稚児趣味の殿方もいるかもしれませんから」


 そう言って、バティルドは口元を扇子で隠して笑っていた。


 ジゼーレは何と言ってバティルドに暇乞いをし、警邏に向かったのかを覚えてはいない。

 普段ならば馬を走らせるだけで嫌なことも忘れられるが、今日はそうはいかなかった。

 思い返すだけで気持ちが昂ぶり、ぽろぽろと涙が零れ出す。

 感情を抑え込めない自分が情けなくてたまらず、また涙が溢れる。


 一転俄にかき曇って降りだした大粒の雨は、彼女にとって天恵であった。

 黒塗りの雷雨の中、馬を疾駆させる女騎士が、馬上でぐずぐず泣いているとは。

 すれ違う領民達の誰もが、想像だにしない事だったろう。

 担当の順路を一巡りして浜辺へと出る頃には、空も、彼女も、泣き止んでいたが……。


「……情けない」


 すん、と小さく鼻を鳴らしながら、ジゼーレは小さく呟いた。

 手綱を緩め、息の荒い愛馬の歩調を落とさせてやる。


 思い通りにいかないからと、悔しさのあまり走りだし、馬にも無理をさせた。

 まるで幼女ではないか。騎士見習いたる従者でさえ、こんな振る舞いはしない。

 亡き父が今の自分を見たら、果たしてどう思うだろう。

 傭兵まがいと言われながらも武勲でもって所領を得た父ならば。

 きっとこのような見苦しい真似を娘がすることだけは、許さないだろう。


 研鑽を積むのだ。認められるその時まで。たとえ認められずとも。

 それは父の騎士としての矜持であり、娘である彼女の精一杯の意地でもあった。

 しかし、だからといってすぐに街まで戻るだけの勇気も無い。

 未熟で、無様で、小柄で、痩せっぽちで、意地っ張りの、情けない娘。

 それがジゼーレ=グリジである。


「……ッ、泣かないのよ、ジゼーレ。貴女は騎士なんだから」


 また眼鼻の奥にツンとした痛みを覚え、慌てて彼女は眼を擦る。

 だが堪え切れず、またしても涙が滲み出し――……。


 びかり、と。海の彼方で稲光が閃き、雷鳴が轟いた。


 それは異様な青光りを放ち、地から天へと昇るような、逆しまの電光であった。

 思わず涙の引っ込んだジゼーレは、ぱちくりと青い瞳を瞬かせる。

 眼を凝らすと黒雲の中に遠く、竜が踊っているのが見て取れた。


「…………港の方、注意しに行った方が良いかしら」


 竜の踊るような晩、沖の海は荒れるという。


 船が迷ってはいけない。彼女が指摘するまでもなく灯台に火は入るだろうが……。

 街へ戻る名目を手に入れたジゼーレの心は、それでようやく落ち着きをみせた。

 鼻下を擦って、すん、と最後に小さく啜り上げると、彼女は馬を巡らせる。

 そっと愛馬の首を撫でてやると、彼の肌は随分と冷えてしまっていた。


「ごめんなさいね。雨の中、走らせてしまって……」


 その時だった。

 またしても稲光が煌き、砂浜近くの岩辺に横たわる、黒い影を浮かび上がらせた。


 それは、どうやら人であるらしかった。

 ひらりと、ジゼーレは見事な軽い身のこなしで鞍から飛び降りた。

 左手で腰の剣、鍔口をしっかと握り締めながら、ジゼーレは恐る恐る、歩み寄る。

 混沌の勢力との戦いは一先ずの決着を経て久しいが、油断はならない。

 秩序と混沌の争い自体は、いつ果てるとも無く繰り返されているのだから。


「もし……もし!」


 誰何の声にも、返事はない。

 その人物は仰向けに倒れたまま、死んだように身動きしていない。

 いや、死んだ「ように」ではないのかもしれないが……。


 ジゼーレは膝が汚れるのも構わず傍らに跪いて顔を覗き込み、あっと驚いた。

 薄明かりに照らされたその人物は、異人の少年だったのだ。


 年の頃は、ジゼーレより年上か――いや、下かもしれない。良くわからない。

 大人びた少年、と表現するのがしっくり来るような顔立ちだ。

 短く刈り込まれた髪はジゼーレのそれより尚暗く、鴉のような黒色をしている。

 血の気が失せて青ざめた肌は、それでもジゼーレより色が濃く、日に焼けた赤銅色だ。


 そしてやはり黒色の、天鵞絨(ビロウド)で出来たような詰襟の上下。

 都で流行の衣裳だったように思うが、しかし明らかに異国の着物であった。

 随分と仕立てが良いが……洒落に疎いジゼーレにも、このちぐはぐさは奇妙に見えた。

 彼の身の丈は、小柄なジゼーレよりもやや高いほどであろう。


 同年代の男子にしては、やはり随分と背が低い。

 だが、彼の体躯が彼女同様に華奢か、というとそうではなかった。

 がっしりとした肩幅は、鍛えられた武官のそれに近い。

 そして彼の右手は、しっかりと背嚢の肩紐を握りしめていた。

 鞄の口は開いていて、中には奇妙な字で記された書物が垣間見える。


 もしや、どこぞの船が難破でもして流れ着いたのだろうか。

 しかし周辺に船の残骸めいた漂着物はなく、そんな報告もジゼーレは聞いていない。

 そもそも、こんな姿形の人種を、彼女は知らなかった。


「……何処の国の人かしら」


 ジゼーレは細い指を唇に当てて呟く。

 と、その時、閉ざされていた彼の瞼がぴくりと震えた。


 ――まだ息がある!


 はっと気づいたジゼーレは、ぴしゃぴしゃと軽く彼の頬を叩いた。


「大丈夫ですかっ? 名前、わかりますかっ?」


 焦点のあってない瞳が、ぼんやりとジゼーレの青い目を見つめる。

 ジゼーレは、息を呑んだ。

 彼の両眼は、見たこともないような漆黒の瞳だった。

 唇を微かに動かし、囁くようにして異国の言葉を呟くと、彼はすぐにまた目を閉じる。


「すぐ、暖かい場所へ向かいますからね……!」


 些かの躊躇もなく、ジゼーレは彼の身体を抱き起こした。

 脱力した男の肉体は重く、そして冷えきってしまっている。これは危ない。

 ジゼーレはきつく歯をくいしばって力を込め、彼と背嚢を愛馬の背へと押し上げる。

 本来なら毛布で包むべきだが、生憎と彼女の上衣は雨で濡れそぼってしまっている。

 さらに開いた鞄を閉じようにも、奇妙な歯の連なりがあるだけで、紐が見当たらない。


「……仕方ないわ」


 自らの不準備と非力さに歯噛みしながら、ジゼーレもまた鞍へひらりと跨った。


「もう少し、頑張って」


 そっと愛馬の首筋を撫でて囁き、彼女は拍車をかけた。

 軍馬は嘶き声も高らかに、砂を蹴散らして走りだす。

 彼女の背を追い立てるように、遠い空の竜がキンと甲高い声で吠えた。


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