えんぶりお〜幕末陰聞 柔志狼綴り〜
お待たせしました(?)葛城柔志狼の登場です。今回なにやら、お疲れ気味の柔志狼…
舞台を京から江戸に移しての寸劇にてございます〜
注 「taskey」にても同時公開させて頂いております。ご了承ください。
師走忙
怖くて堪らんのですよと、喜兵衛は肩を落し溜息をついた。
「…ふぁ〜はぁ…」
欠伸を噛み殺しながら、柔志狼は生返事をする。
聴いてるんですかと、喜兵衛は顔をしかめた。
「もちろん聴いてますよ」
と言ったところで、柔志狼は眠くて仕方がない。
眠気覚ましにと、まだ湯気の上る茶を、一息にぐいっと飲む。
「あっ、熱ちぃ」
本当に大丈夫なんでしょうな…と、喜兵衛が溜息をついた。
喜兵衛の心配も、もっともである。
なにせ眼の前で、のんびりと茶をすする柔志狼ときたら、サラシに巻かれた右腕を首から布で吊っているし、墨染の着物から覗くたくましい胸は傷を負っているのか、同じく白い布で覆われている。
大小の傷は様々で、まるでヤクザ者が、喧嘩出入りの帰りかと思うほどの、満身創痍とも言える姿であった。
喜兵衛でなくとも、不安を覚えて当然であろう。
「今朝方、京から戻ったばっかりでして…いやぁ…申し訳ない」
ですが問題有りませんと、胸を張った直後、柔志狼は大きな欠伸をした。
やれやれと肩を落とすと喜兵衛は諦めたように、膝の前に置かれた紫の包みを開いた。
中には五寸ばかりの桐の箱が納められていた。
高価な茶器の類。
一見するとそんなところだろう。
うやうやしく取り扱う喜兵衛の手つきが、明らかに震えていた。
「なんと申しますか。大変ありがたい神々しい逸品になりますれば、そこのところ何卒お含みおき下さいませ」
ゴクリと喉を鳴らし白く光沢のある布を開くと、そこには四寸ばかりの紅い卵があった。
鶏の卵にしては異様に大きい。
稚児の頭部ほどもある。
紅く濡れたような表面は、なにか塗り薬の影響だろうか。周囲をぐるりと、金銀の彫金で細工がなされ、宝石まで飾られている。
まるで、この紅い卵自体が、一つの宝石のようである。
「これが『えんぶりお』…天使の卵でございます」
喜兵衛の鼻の穴が、僅かに膨らんだ。
饒舌翁
これはなんと申しましても、横濱にて手に入れました逸品でございます。
今や横濱は、多くの異国人が行き来いたしますれば、このような珍品奇品が、数多く出回るのでございます。もちろん中には、紛い物も沢山ありますがな、そこはほら…私ほどの慧眼になりますとね。
これはなんでも「えんぶりお」と申しましてな、切支丹の神様の使いで「あんぎる」とか申すものの卵なのだそうです。
あんぎるは、それは大層美しき姿をしておりましてな、背中には翼を生やし頭の上には、こうなんと言いますか光る輪っかが…えっ、知ってる?
葛城さんは知っていると?
はぁ…まぁ、それは良いとしてご覧くださいな、このえんぶりおを。
まるで紅玉石を磨いたかのように、艶やかで美しいでありませんか。
やはり美しきものは美しきものから産まれると、いったところでしょうかな。
それでですな、まだえんぶりおが生まれる前の卵をですな、うやうやしくも奉って、呪を込めながら、この様に金銀宝石を用いまして、飾っていくのです。まぁ、この煌びやかな装飾自体が、あんぎるが産まれなくなるようにする、封印と言ったところですな。
えっ?
あんぎるを封じてなんとする?
それはですな、あんぎるの持つありがたい聖霊力と申す…そう、いわゆる神通力ですかな。これを、この卵に留めおくためでございます。
そんなことをして如何する?などと、無粋なことを仰らないでください。
それはもちろん神様のお使いなんですから、その神通力を封じ込んだこれこそ、西欧で珍重される、霊験あらたかな、ありがたい御守りになるんです。
無病息災、商売繁盛、満願成就などなど…まさに幸運のお守りとして、珍重されているんです。
えっ、それは置いておけと、仰る?
あぁ〜葛城さんは、私がこれをどうやって入手したかお聞きになりたいと?
違う?
何がそんなに怖いんだと?
まぁ、それはおいおい話しますから、お待ちください。
私は世間で言うところの所謂、好事家と申しますかな…それが縁で、勝先生とも懇意にさせてもらっておりまして。
まぁそれは良いとして、この様な変わり物に目が無いのですよ。
兼ねてから切支丹の逸品には興味があったのですが、なんと申しますか…ねぇ、葛城さん。
そうそう、そうです。鎖国令ですよ。
開国派だの、いや攘夷だのと世間では国を開いたことに対して、色々言いますがな、私のような者にとっては、こりゃあ嬉しいのです。
え?
誰から買ったのかって?
いや、ですからそんなことは後で…あぁあ‼︎何をするのです‼︎
勝手に持ち上げて…あぁっ、いきなり掴んじゃいけません。もっと、そっと。丁寧に‼︎
こら、えんぶりおの底なんか眺めて…
ん?
卵の底に、黒い十字が?
傷ですか?
違う…良かった。誰かが書いたものですか?
ならそれは、あんぎるを封じた時に印したものなんで…あっ、そんなに乱暴に置かないで‼︎破れてあんぎるが出てしまっては神通力が…
あぁ…そうですそうです。そっと、そぉっと置いてください。
え?
白い人影?
そうなんです。よくお分かりですな。流石は勝先生のご紹介の、拝み屋さんでございますな。
違う?拝み屋じゃない?
そうなんですか。
え、えぇ。確かに屋敷の中を、白い人影がウロウロとしたり…それがなんとも怖ろしくて。
常に誰かに見られている様な気がしまして。これらは使用人達や、女房も申しております。
なんと申しますか、常に人の気配を感じると申しますか。
はい。
人も居ないのに、廊下の軋む音も…。
昨夜ですかな。ほら、そこの欄間。
あそこにですな、ほらヒトの眼だけがぎょろりと光りまして。
そりゃ、怖いのなんの。
いや、そんなダメです。このえんぶりおを手放すなどと。
絶対出来ません。幾ら掛かったとお思いか!
依頼内容の確認?
はい。
ですから、この怪異さえ収まれば何も申すこと無く…
だ、ダメです!えんぶりおを捨てたり、壊したりなぞ絶対ダメです!
はい。
ですから怪異を収めていただきたいと。
はい。
はい?今夜ですか?
それは当方と致しましては、願ったりでございます。
はい。
では早速、食事と床の用意をさせますので、今夜は何卒ひとつ、よろしくお願い致します。
ですが、えんぶりおだけは、絶対に絶対に傷つけること無きように、何卒ひとつお願い致しますぞ…
本当の本当に、絶対ですぞ…
霧影仙
新月だった。
月明かりなく澄みきった空に、綺羅星だけが瞬いている。
真冬の空は何処までも深く、そして冷たく切なかった。
しんと、静まり返った丑三つ時…増上寺の西にある呉服屋「三友屋」も灯りひとつなく、寝静まっている。
火鉢の暖など、とうの昔に消え去り、 張り詰めた冷気が母屋の中まで満たしていた。
と、音も無く雨戸が開いた。
切りつけるような夜気と共に、黒い人影が音も無く入り込んできた。
手馴れたものである。まるで家人かと疑い無く思ってしまうほど、その動きは淀みない。闇に眩む室内に躊躇うことなく、人気の無い座敷に入ると、真っ直ぐに床の間に向かう。
床の間には、池から跳ね上がる鯉が描かれた水墨画が掛けられている。
侵入者は躊躇なく、その絵をめくった。
「成る程。そんな所に蔵の鍵が隠してあるのかい」
突然背後で声がした。
侵入者は飛び上がらんばかりに震わせると、横っ跳びに身を転がした。
そこには、部屋の闇に溶け込むように佇む漢がいた。
「霧影の仙蔵…だな?」
柔志狼が闇の中で嗤った。
「…」
無言の応えが、柔志狼の言葉を否定していなかった。
「狙いは蔵の中の金か?それとも…主人の蒐集したお宝か?」
「…貴様は何者だ?」
仙蔵と呼ばれた男が、短く千切るように呟いた。頭巾から覗く目が、肉食獣のように睨めつける。
「ふふふん。俺か?俺はなぁ…玉子や…」
柔志狼が口を開きかけたその時…
柔志狼に向かって白刃が奔った。
仙蔵が懐から匕首を抜きはなった。
「…おっ!」
柔志狼がそれを、紙一枚の見切りで躱す。
仙蔵が矢継ぎ早に匕首を振るう。
だが、柔志狼はそれを躱しながら欠伸を噛み殺した。
「俺も別に三友屋に義理がある訳じゃねぇ。このまま黙って立ち去って、二度と手を出さないんなら、見逃してやる」
と、柔志狼が顎をしゃくる。
「笑止…」
ぎらりと、仙蔵の中で殺気が鎌首をもたげる。
その瞬間、仙蔵の身体から白い靄の様なものが立ち昇ると、柔志狼に奔った。
サラシで腕を吊っている右側から、白い靄が柔志狼に斬り込んだ。
「ちっ…」
紙一重で躱した柔志狼の袖が、切り裂かれた。
仙蔵は一歩も動いていなかった。
ただ仙蔵の身体から出現した、靄の様な人影が柔志狼に襲いかかったのだ。
「これが『霧影の術』か」
柔志狼の顔に獰猛な笑みが浮かんでいた。
「博識だな…だがそれが死期を早めることになる」
仙蔵の身体から、靄が立ち昇っていく。
一つ。
二つ。
三つ…そして四っつ。
柔志狼の眼前に、仙蔵の気配が増えていく。
京で出会った山南啓介の技は、実体が有るのに剣が観えなかった。術と技で挙動と気配を全て消す陰陽の剣技。
だが仙蔵のそれは、霞を実体として作る分身。実体がないにも関わらず殺気が凝り観えるのだ。
「真の霧影…その身で味わうが良い」
刹那、仙蔵の周囲に形作っていた靄が消えた。
次の瞬間…柔志狼の背後に殺気が出現した。
身を屈めた柔志狼の頭の上を、空気を切り裂いて、白刃が走り抜ける。
更にそこに、もう一つの靄が出現し、柔志狼を襲う。
それを間一髪で躱す。
だが四つの白い靄が、次々と現れては柔志狼に襲いかかる。
顔面を突いてきた靄に向かい、掌を突き込む。だかそれは靄を散らすだけだった。
「これが霧影か…」
虚ろの気配が靄となって、一瞬で現れる。
だが実は無くともその靄は、柔志狼の身体を切り裂くことが可能だった。
つまり柔志狼にとっては、仙蔵の本体と合わせて、同時に五人の仙蔵を相手にすることになる。
「これぞ『乱れ霞』よ」
そこに仙蔵の本身が霧のように霞むと、攻撃に加わった。
霧影の術など使わなくとも、仙蔵の攻撃は鋭い。
我流では無い。おそらく名のある流派で、小太刀の技を納めているのであろう。
どうやら、仙蔵が同時に作り出せる虚体は、四体までのようだった。
故に、仙蔵本人と合わせ、最大五つの霧影が柔志狼を襲う。
それは時に五つ。
また時には三つ。
かと思えばまたもや五つ…闇の中、襲い掛かる気配は、神出鬼没に増減を繰り返し、柔志狼を翻弄する。
動かぬ右腕側からの攻撃を、柔志狼が躱した時だった…
前後左右…そして頭上。同時に五つの殺気が出現した。
五方向からの同時の攻撃に躱す隙は無かった。
刹那。
柔志狼の唇から、呼吸と共に気合が迸る。
「せぃぃ!」
頭上から振り下ろされる刃が耳を掠める。
左右後方の攻撃も、その身を掠める。
だが、前方から突き込んでくる刃に向かって、柔志狼は自ら踏み込んだ。
首筋を狙って突き出された白刃を、左掌で捌きながら靄を突き抜けた。
そこには逆手に匕首を構えた仙蔵が居た。
靄の虚体は四体までと、柔志狼に無意識に植え付けておいた上での、五重の一斉襲撃。
だがその実は、更にもう一体の霧影を作り出した上での、六重攻撃。
これこそが霧影の仙蔵、必殺の術。
だが柔志狼はそれすら読みきった。
柔志狼は転身しつつ、仙蔵の脇に肘を撃ち込む。
すぐ様、匕首を持つ手首を掴むと、転進して仙蔵を投げ落とした。
「…ガッ」
仙蔵が畳に沈む。
「勝負ありだな」
柔志狼は、仙蔵の首筋を膝で制すると、奪い取った匕首を突きつけた。
「おとなしく身を引け」
「…仕方あるまい」
諦めたのか、仙蔵から殺気が消えた。
「…名を聞かせろ」
仙蔵が睨みつける。
「俺かい?俺の名は山南啓助ってんだ」
柔志狼は嗤った。
「…山南啓助…忘れんぞ」
仙蔵が噛みしめるように呟いた。
「…いや、忘れた方がいいぜ」
柔志狼が苦笑した、その時…
「おっ!」
柔志狼の膝の下の、仙蔵の姿が霞んだ。
「手前ぇ!」
靄の霧影となった仙蔵が、柔志狼の膝の下から消えた。
白い靄が霞むように外に流れていく。
「…約定通りこの件は手を引く。だか山南啓助、貴様の事は忘れんぞ…」
靄と化した仙蔵は、夜気に溶けるように消えた。
「…山南…すまん」
京のある西に向かい手を合わせると、柔志狼は大きな欠伸を噛み殺した。
海舟節
「…するってぇと、何かい」
と、勝は咳払いを挟んだ。
「霧影の術ってのは、忍びの分身の術みたいなもんなのかい?」
瞳を童の様に輝かせた。
「そうですね…まぁ、そんなとこです」
柔志狼は苦笑した。
「仙蔵の使う霧影ってのは、氣を実体化させる術ですね」
「そいつはつまり、剣気やら殺気やらを放つってのと、何が違うんだい?」
勝はこれでも、直心影流の免許皆伝である。己の内の引き出しから、近しいものを例え出すのに指先を伸ばし、構えて見せた。
「ん…それをギュッと濃縮して濃縮して、それをさらに絞り出したら、結構いい線になるかも知れませんよ」
「なんだいそりゃ。まるで糞詰まりをひり出したみてぇじゃねぇか」
二人は顔を声を上げて笑った。
「それは兎も角だ。その仙蔵の奴は、どうしてそんなに簡単に忍び込めたんだい?」
喜兵衛の三友屋とて、それなりの身代である。おいそれと盗っ人の侵入を許すとも思えない。
「えんぶりおですよ」
「えんぶりお?」
「喜兵衛さんの興味の引きそうな物を、予めでっち上げ、家の中に持ち込ませたんですよ」
「益々わからねぇな」
「おそらく、霧影の術を使うには、予め仙蔵が準備しておいた何かを、家人によって家の中に持ち込ませなければならなかったんですよ」
「そいつは一体ぇ、どういうことだい?」
勝が前のめりに乗り出す。
「えんぶりおには、底に十字の印が示してありました。謂わばそれが通行手形みたいな因果を含んで、仙蔵の霧影の入り込む口を作ったって事ですかね」
「成る程。なんだか便利なような不便なような…とりあえず、万能ってワケにはいかねぇんだな」
「天使の卵だろうが、猫の尻尾だろうが、それが欠けた茶碗だって、なんだっていいんですよ。要は家の中に入れてしまえば、仙蔵は術を使って自由に霧影を飛ばすことができるんでしょう」
柔志狼が、挿し直してもらったばかりの茶を口に運んだ。
「で、仙蔵の奴はどうしたい?」
「いやぁ、逃げられました」
面目ないと、 柔志狼が頭を掻く。
「お前ぇさん、ワザと逃したな」
そんな柔志狼を見て、勝が楽しそうに微笑んだ。
「俺への依頼は『三友屋に出る怪異を解決してくれ』ですからね。盗っ人の捕縛は仕事の外ですよ」
柔志狼が嗤った。
「そうだ、そうだ。それより柔志狼くんよ、見てもらいてぇもんがあるんだがな」
勝は立ち上がると、床の間から桐箱を持ってきた。
「…それは?」
既視感を覚える光景に、柔志狼が眉をしかめた。
「よくぞ聞いてくれた。こいつはなこの間、長崎に行った時に手に入れた『龍の卵』ってやつでな。清から輸入した物を無理を言って…」
「勝先生…それって…」
勝が箱から取り出した碧い卵の底には、黒い十字が描かれていた。
作中で、ほんの僅かですが山南啓助との接点が描かれます。時系列で言うと…この「えんぶりお」は前作「古戦場火」よりも前。この年が明け〜「古戦場火」へ流れる感じですかね。因みに山南の「夢幻華」はこの「えんぶりお」とほぼ同じ頃だと思ってください。
この師走の件の少し前に、二人は京都である大きな事件を共に追います。そのお話も完成はしているので、いつか皆様の目に触れる日が来るかも…来たら良いな…
ご意見ご感想お待ちしております。