祝福の偽花
新しい注文がはいった、と夕飯の時間、右京は嬉しそうに口にした。今日の夕飯当番――というか、家事全般のできない右京のためにも語は毎日、定期で仕事を終えてせっせっと夕飯を作るのだ。個人デザイナーで、アトリエも自宅の強みは、ここだろう。自己管理が難しいというが、語は一人でもくもくと仕事をするのが好きなのでさして問題はない。そして、一応つい最近結婚してしまった同性の妻もしくは夫の世話を焼くことを嫌ってもいなかった。
右京はシルバアクセサリーデザイナーで、デザインから作るまでを一人でする。その道では名のしれた人物らしいが、それは東京の話で、結婚のためとはいえ京都に行くとなると新しい地盤づくりと大変だったらしい。しばらく仕事らしい仕事がなくて落ち込んでいた。だから、今回の仕事がはいったとはしゃぐ姿に語はほっとした。わざわざ今日は冷えたビールを二本出してしまった。語は飲まないが、お祝いの気分をめりあげるためだ。もし飲めなかったら右京が飲んでくれるはずだ。
「けど、依頼ってどんなの?」
「結婚指輪だってよ」
「それは、すごいね」
心底感心する語に右京は目を細めて笑った。
「だろう? ちょっと、仕事するから、悪いけど、酒はパス。じゃーなー」
「え、ごはんは」
「もういー」
「ちょ、今日は右京さんの大好きな麻婆豆腐! リクエストしたくせに!」
急いで椅子から立ち上がる右京に語は慌てた。いただきます、はしたが、そのあと一切食事に手をつけていない。それなのに右京はもう急げとばかりに自宅奥にある自室兼アトリエに向かおうとしている。結婚するとき、部屋をひとつとアトリエがほしいというのが右京の条件だった。これでも祖父母の残してくれた大きいが古い家があったので、いくらだって提供出来たが、こういうときは困る。食べることも寝ることも忘れて、自室に引きこもったら何日だって出てこないし、顔を合せることだってできなくなる。こんなのだったら、階段近くの部屋をあげればよかったと何度も後悔したことか。
「ああ、もう、右京さんは作品作りになると、いろんなことが見えなくなる」
「わりぃって」
一応、悪いとは思っているのか、右京がにへらにへらと笑う。
「……もう、いいよ。右京さん曰く、芸術の女神さまが笑いかけてくれているなら、それに従わないとね。あとでおむすびもっていくから」
「語、ちょー愛してる」
右京が駆け寄ってきて抱き着いて、唇にキスを落とされて語はものいいたげに睨んだ。嬉しければ嬉しい、悲しければ悲しい、怒るときは怒る、まるで子供みたいに真っ直ぐな気持ちを向けてくる。未だに慣れない。
「じゃあ、悪いな」
さっさとアトリエに向かってしまう右京に残された語はため息をついた。
「あー、もう」
一人で食べるのもいやで、手の付けていないテーブルを見つめてゆっくりと片付けをはじめる。
きっと今の時間からデザインをして、そのあと製作を開始するとなると十一時ごろには休憩に入るはずだ。それも一緒に暮らしはじめて知っている。そのときになにか食べささないと倒れてしまうかもしれない。
右京は語が出会ったなかで一番奇抜で、おそろしく奔放なひとだ。
作ること以外を度外視している。
ある程度の常識も作ることに夢中になると捨ててしまう。
そんなところに惚れたのもあるし、同じ作る立場であるから理解もできる。
好きになったのは作る姿の真剣さ、曲がらないところ、
そして自分がほっておいたらきっと死んじゃうな、この人と思えるところだ。
十一時半に右京の作業場の戸を開けると、畳に右京が倒れていた。
「右京!」
「はらへったー」
慌てて駆け寄ると、そんな間抜けなことを言うのだから脱力してしまう。
「はい。おにぎり、あと、あたためてきたよ。今夜の夕飯」
「あーん」
寝転んだまま首だけ動かして、口を開ける。なまけものめ。
呆れつつもおにぎりをもっていくと右京がぱくぱくとおにぎりを食べきって、語の指を噛んだ。
「いた、うきょ、ん」
なまあたたかい舌が伸びて、掌を舐められる。指をそっと舌先でなぞって、白い歯をたてられる。甘い柔らかさに語は顔をしかめた。右京が目を細めて、見上げて、にっと笑う。語はどきりとして、慌てて目を逸らした。
「ごちそーさま、くぁー、よくねた。っても、五分か。ま、いいぐあいに寝たか。あ、辛いものくいてぇ」
眠たげな顔で、起き上がりながら頭をかく右京は胡坐をかくと語の持ってきた器をとってがつがつと食べ始めた。
「寝てたの?」
「依頼がきてから、ずっとデザイン考えてて、まとまらなくてさ。それからずーとやってたからさ、流石に頭がショートしたわ」
「依頼って、今日の何時にきたの?」
「朝一。昨日、俺がアクセサリーを出してる店に連絡きてよ、それで店を通して会ったんだ。俺のデザインがおらく気に入ったとかでさー、個人注文。もうすぐ結婚するから、そのお祝いがほしいって、カップルできてたよ」
「朝一って、俺が仕事に出たあとだから、十時から? ずっと、デザイン? 夕食のときに呼ぶまで? それでそのあともずっと?」
とんだ集中力だ。呆れてしまう。目を向けると、机のまわりにいくつものデザイン画が散らかっている。それも一枚、二枚ではなく、十枚、二十枚くらいありそうだ。どれも百合の花がモチーフに使われているのだと語は気がついた。
「百合なんだ」
「相手のリクエスト。それに、ダイヤモンド埋め込んでくれってよ。それ以外の指定はないから、好きにしてくれって、ま、デザインできたらメールしますってやっといた。いやー、肩こったわ、疲れた」
「どんなのにしたの?」
「パソコン見ていいぞー」
やる気なさそうに右京がいうので、片づける傍ら語はそろそろとパソコン画面を覗いた。
花びらがリングの形として連なり、その中央に美しい花が咲いている。
「きれいだね」
「向こうからオッケーもらったら製作にはいらねーと、おーし、体力つけるぞー」
「うん、つけてね」
「……語、夕飯喰った?」
一人で皿にあるおにぎりを平らげつつ、右京が尋ねた。
「多少は食べたよ。俺だって、今日一日仕事したからね」
「そっか」
若干ほっとした顔で右京は返事をした。だいぶ、落ち着いてきたらしいのに語は右京の横に腰かけた。
「けど、わりとさみしーかも。ほっておかれて」
「う」
よりかかると右京がおにぎりを差し出してきた。
「あーん」
食べかけだが気にせず語は食べた。少しだけ鉄の味がした
「右京さんもさ、俺の指を食べたとき、なんか味した」
「砂糖菓子みてーな味」
「なにそれ、お前の洋服みてーな味だっての」
「ふーん」
褒められている、のだろうか。
「めちゃくちゃ眠いわ、まだ」
「今日はもうやめたら」
二人きりの室内で、音なんてほとんどないが、それでもひそひそとしゃべるみたいに会話する。
「そうだな。けど、その前に飯食ったらな」
「うん」
右京が芸術の女神の愛を受け止めて、燃えるような二週間を過ごした。その間、語ははらはらして見守りつつ、フォローしつつ、自分の仕事に精を出した。
ぴったり二週間後に完成させて、右京は上機嫌だった。
「できたー」
「おめでとう」
この日は右京の好きなからあげとビールを用意した。ようやく女神の手を離した右京は素直に語と祝杯をあげる。
「明日、依頼人がとれにきたらおわりー」
「おめでとう、右京さん」
「もっと褒めてもいいぞー」
「すぐに調子にのる」
苦笑いする語に右京はにへへへと気持ちの悪い笑顔を浮かべた。
「いやー、この二週間、楽しかった。苦しかったけども、ほんと、生きてるってかんじ、すげー濃密なセックスしたかんじ」
「ぶっ」
うっとりとする右京に語はビールを吹いた。
「きたねー」
「右京さんがへんなこというから」
現実の自分たちはこの二週間、まるでご無沙汰だったのだけども。
右京はモノづくりにはいると、アトリエから出てこなくて、寝るときだってほぼ一人だった。そういう恨みがましい気持ちを視線に宿すとにまっと右京が笑った。
「だから、今夜、久々にしようぜ。ちゃんとしたお前とのこと、女神さまばっかりにぞっこんだったからな、ほらほら、すねんな、お前が一番だっての」
けらけらと笑って頭を撫でられると子供みたいにあやされているようで腹が立つが、いやでない自分もいるのだ。
今夜への期待を宿しながらからあげを食べようとしたとき、チャイムが鳴った。
「こんな時間に誰だ……ちょっと出てくる」
壁に吊るされた時計は八時をさしているのを右京が一瞥して玄関に出ていったのに語も気になってあとにつづいた。
玄関の前で、清楚なピンクのワンピースを見に着けた女が立っていた。俯いて、しきりに喉をさすっている。
「ええっと、あんた、じゃない、あなたは……確か、依頼の品は明日とりにくるはずじゃ」
女はもどかしげに口をぱくぱくさせて、そのあと持っている鞄から手帳を取り出してなにか書いて右京に差し出した。右京はそれを見ると顔をしかめた。
「……わかりました。とってきます。語、ここにいてくれ」
「右京さん、この人が?」
依頼人? と問う視線を向けると右京が頷いた。
「なんか急用で一人でとりにきたんだとよ。ちょっと頼むわ」
「わかった」
耳打ちされたのに語は奥に行く右京を見つめたあと、依頼人と向き直った。
困った。
依頼主についてはほぼ聞いていない。
こんな時間に急用とはいえ直接取りに行くなど非常識だと思うし、相手はなんだかしゃべれないみたいで、声をかけるのも難しい。困り切って見つめていると、語は、はっとした。ずっと喉に触れている手が
「遅くなりました、指輪、とってきました」
右京が出てきて、指輪のはいった箱を差し出そうとしたのに語は慌てた。
「だめだ、そいつ、男だ」
「へ?」
語の声を引き金に大人しく俯いていた女が手を伸ばしてきた。素早い動きで箱を奪うと両手に持って走ろうとする。それに右京が猫のように飛びついた。
「右京!」
女に化けた男は背中にのられて、さらにヒールだったのでバランスを崩して倒れたのに語は慌てて駆け寄った。
「てめぇ、人の作品を盗もうとしやがって、それに、依頼主て同じ顔ってなんだよ。、ファンタジーか、ちくしょう!」
「落ち着いて、この人、男性だよ。けど、どうして」
崩れた女装した男は恨みがましい、追いつめられた顔で右京と語を睨みつけた。右京は箱を奪うと、語にぞんざいに投げ寄こすと、まだもがこうとする男の右腕を捻って押さえつけた。
「応えろ、じゃないと、てめぇの腕、折るぞ」
「そんなこと、でき、いたぁああああ」
右京は容赦なく男の小指をひねりあげたのだ。
「あ、できない? ばかじゃねーの、するっつったら、するんだよ、俺は」
獰猛な獣のように唸る右京に語は慌てて止めようとしたが、それよりも男の悲鳴のほうがはやかった。
「なんで俺がこんな目にあうんだよ、ちくしょう! 姉貴のせいだろう! ひとの恋人とりやがって! 好きになったのは俺のほうが先だし、告白だって、俺がしたんだ。なのに、なのに、同じ顔だからって、姉貴と」
涙の混じった悲鳴に語は眉根を寄せた。
「それって」
「依頼主の男のほうは、ありゃ、ゲイぽいなぁと思ったけど、ふーん。二股野郎なのか。それも双子の姉弟をひっかけるとか、すげー」
「右京さん」
野次馬根性出して口笛を吹いて面白がる右京を語は窘めるように睨みつけた。
「だって、面白くってよ。ふーん、なら、解放するよ。あと指は折れてねぇから、お前、ギブはやすぎ。ちょっと捻っただけなのによ」
右京はあっさりと相手を解放して立ち上がった。解放されて、ほっとしたらしい男は息を吐いて、よろよろと右京を恨んだ。
「けどな、俺の作品に手ぇだしたらただじゃおかねぇからな」
「…っ、だって、それがなきゃ、姉貴たちは結婚できないし」
「その前に俺の責任問題だっーの。人の迷惑考えろ、クソ野郎」
右京の容赦ない言葉に男は俯いた。
「はぁー、語、俺のけーたい、とって。先、暴れて、地面に落ちちゃったからさ」
「あ、うん。これ」
地面に落ちた携帯電話を拾い上げて渡すと右京はどこかに電話をはじめた。
「あ、夜分遅くすいません。日暮右京です」接待用の声だ「あなたさまの弟さまが、指輪を受けとりにこられたんです。ええ、お渡ししても問題はありませんか? はい、では、確かにお渡しさせていただきます。一応、本人とお話もしてください」
右京が携帯電話を差し出すのに男は弱り切った顔をして、受け取った。
「姉さん……うん、指輪、受け取って、おく」
弱弱しい声を出す男に右京は携帯電話を奪い、かわりに箱を渡した。
「はい。では、申し訳ありません。はい。失礼します」
右京は携帯電話を切ると、男を睨んだ。
「あとは好きにしろよ、それを捨てるなり、自分で身に着けるなり、お祝いしてやるなり」
男が弱り切った顔で右京を睨んだ。奪おうとしたくせに、手の中にあるとどうしていいのかわからないらしい。
「ほら、語、いこーぜ。腹減った」
「右京さん」
さっさとなかにはいる右京に語はため息をついて、ちらりと項垂れたままの男を見た。
「俺は、君の立場とか気持ちはわからないけど、……人を恨むのって、すごく大変だと思う。ただ、その指輪を作るのに、右京さんはすごくがんばってたんだ。寝食も忘れるくらい……その指輪をひどく扱わないでほしいんだ。君がどういう決断をしても、お願いだから」
それだけ言うと語は玄関のなかにはいった。右京が待っていて、すぐに戸が閉められた。
「冷たくない」
「いーの、自分が決めさせろ、ああいう被害妄想野郎は。ホモで捨てられるやつは何万人いる。復讐するやつも、そんだけの価値があるかどうかってことだろう。それをたっぷり考えろっていうの」
つんとする右京に語は弱弱しく笑った。
「右京さんはさ、俺が、もし、女に走ったらどうする?」
「んなもん、お前のアトリエめちゃくちゃにして金とってめっちゃいい男と浮気して高笑いする」
「……やめてほしいんだけど、それは」
右京の場合、やるといったら絶対にやる。
けど、それだけのことをやるほどに怒り狂う姿なんて自分の作品のこと以外は基本的にどうでもいいという態度の右京にはきっとありえないことだ。それだけ愛されると思ってもいいのだろうか。
「あー、もう、腹より、心を満たしくなってきた。なぁ、語、飯より、風呂はいらねぇ。裸足で外に出たから汚れちまったし」
「それはいいけど、え、二人でって、わ」
「ほら、心を満たしてくれっていったじゃん」
片手をとられて語は照れ笑う。基本、作業する仕事では邪魔になる、けど、愛を誓ったときにつけたペアリングが右京の左手の薬指にも、語の左手の薬指にもちゃんとある。