117 〜ヴォイス〜 (前編)
家族が寝静まった0時を過ぎると僕は居間の黒電話のダイアルを回した。
「ピッピッピッピ・・・只今から午前0時2分をお知らせします。ピッピッピ、ポォーン。」
すると僕はすかさず
「もしもし・・・誰かいる?」
と言った。
受話器を両手でしっかり支えながらドキドキしながら声を待っていた。
時を刻むピッピッピという電子音しか聞こえない。
もう一度僕は
「もしもし・・・誰かいたら返事して。」
暫く電子音を聞いていると
「もしもし・・・。」
と少女の声が聞こえた。
僕は全身をアドレナリンに侵されたように興奮した。
「もしもし。もしもし。繋がった!本当だったんだ。」
「もしもし・・・私の声聞こえる?」
「聞こえるよ。」
「私、居間の電話で時報に掛けたんだけど、夜中ってこんなに静かなのね。あんまり大きな声出すと家の人が起きちゃいそうで、ドキドキしてる。」
そうだった。
真夜中なんだ。
しんと静まり返った部屋を見渡し、僕は急に声を潜めた。
「僕も、居間の電話から掛けてる。僕もドキドキしてる。」
「私ね、初めて今日かけたの。」
「僕は昨日もかけた。でも、昨日は誰の声も聞こえなかった。5分で切っちゃったけど。」
「そうなんだ。」
「ねぇ、何歳?僕は16歳。高1だよ。」
「私も同じ。」
「えっ?!そうなんだ!ね、ね、ね、どこの学校?」
「え・・・・。」
「ごめん。じゃ、名前は?僕は・・・。」
と言うと
「ちょっと待って。」
と彼女が厳しい声で僕の言葉を遮った。
「これって、何人でもじゃべれるって聞いたわ。今だって私達の会話聞かれているかもしれないんじゃない?」
「それがどうしたの?」
僕は呑気に答えた。
「匿名使ったほうがいいんじゃない?」
「なんで?」
「もし、もしよ、同じ学校の人や近所の人が聞いていたら変な噂、流されちゃうかも。」
考えすぎじゃないかと僕は思ったが彼女の言うように匿名を使う事にした。
「じゃ、なんて名前にする?」
「う〜ん・・・。」
彼女は悩んで
「じゃ、さくら。もうすぐ咲くでしょ?桜。好きなの。」
と言った。
「じゃ、僕は・・・デロリアンにしよう。」
「あ、それってバック・トゥー・ザ・フューチャーの?」
「うん。観てさぁ、面白くなかった?」
「うん。私も好き。」
「そろそろ寝なきゃ・・・。」
「うん。じゃ・・・さ、さくら・・・。なんか照れるね。一緒に電話切らない?」
「うん。そうしよっか。デロリアン。・・・確かに言いにくいね。」
さくらはクスクス笑った。
「明日も0時に待ち合わせしない?」
僕は急いで付け加えた。
「いいよ。」
「じゃ、1、2の3で切るね。」
「うん。」
「1、2の3。」
僕が言うとさくらの声は聞こえなくなった。
それを確認して僕も電話を切った。
1987年。
僕達の間の一部で時報に掛けて話しかけると声が聞こえてその相手と話が出来る、という話が広まっていた。
僕の耳にも入り、そんな未知な人との秘密っぽい繋がりに好奇心を覚えて、話を聞いた日から夜中、家族が寝静まると居間の黒電話にへばり付いて電話の向こうの見えない人に向かって呼びかけた。
信じられなかったが、それは本当だった。
僕が初めて話した相手が、さくらだった。
連日、0時を過ぎると、家族に見つからないようにこっそりと、2階の僕の部屋から階段がミシミシ言うのにドギマギしながら毛布を抱えて居間に移動した。
毛布をかぶって声が漏れないように小声で話す。
さくらもこんな風に話しているのだろうか?
そんな事を考えながら話していた。
「ピッピッピ・・・只今から0時1分をお知らせします。ピッピッピ、ポォ−ン。」
「もしもし。もしもし。さくら、居る?」
「もしもし。居るよ。」
春休みになって僕は、いや僕達は今までよりも夜更かしできるようになった。
話す時間も長くなって薄明るくなるまで、たわいのない事を話し合っていた。
そんな事が楽しかった。
しかし、変化は突然やってきた。
いつものように時報のアナウンスが流れると僕は話しかけた。
「もしもし。さくら、居る?」
「もしもし。」
返ってきたのは見知らぬ男の声だった。
「なぁ、さくら、って女?」
「あなたは誰です?」
「男は用はないんだ。俺は女の子と話がしたい。さくらちゃ〜ん。居るの?」
「もしもし?」
さくらが返事をした。
「今日は、誰か他の人がいるわ。」
「いいじゃん。俺も仲間に入れて。仲良くしようぜ。」
僕達は黙った。
「なぁ、さくらちゃん、電話番号教えてよ。ここじゃ、ピッピ、ピッピうるさいんだよね。」
確かにそうだった。
でも僕らはずっとここで話していたんだ。
邪魔しないでくれよ!
「なぁ、俺とデートしようよ。」
「困ります。」
「かわいいな〜。困ってんの?みんなやってるよ。別に堅く考える事ないじゃん。学生は春休みなんだろ?俺は大学生でさ、毎日暇なんだよね。大学生、良くない?」
僕はいらいらしていた。
「さくら、しゃべるの辞めよう。この人が切るまで待ってよう。」
「なんだよ、お前ら。ふざけんなよ。ちっ・・・。黙りやがって。こんなのクソ面白くねぇや。」
そういい残すと消えた。
「さくら、居る?」
「うん。」
「大丈夫?」
しかし、僕は思った。
今まで、電話の相手と、さくらと会うなんて事考えもしなかったって事。
ただ、電話で話すのが楽しかっただけだったのに、さっきの男によって欲望が一つ生まれてしまった。
でも、あの男のようにストレートに僕は言えなかった。
<つづく>